放課後の存在意義≪レゾンデートル≫

歌埜

第一章 一話

「今日は見つかるかなあ……」

 昼休みに購買でパンを買おうと教室を出ようとした時だった。

 扉で騒いでいた男子生徒が急に後ろへ身を引き、おれとぶつかる。おれの手から地形図が落ちた。

「おっと」

「あ、悪い」

「大丈夫」

 軽く謝ろうとした男子学生は、おれと落ちた地形図を見比べると、ひくりと頬を吊り上げた。

「悪い! おれ、そんなつもりは本当に無くて! だから……」

 そうして地形図をさっと拾い、おれの腕に押し付けると、半分叫びながら教室を走り去る。おれはぽり、と頬を掻く。

 室内は何があったのかと少々ざわめいている。……まあ仕方ない。

「あれ、だよな……」

「……呪い確定?」

 そんな言葉が囁かれているのが耳に入り、息を吐く。こんなことくらいでいちいち呪っていたら、世の中暮らしていけないのではないか。そもそも呪うことなど、したことがないけれど。

 こんな時は噂の元凶が立ち去るのが一番だと、おれは足早に教室を去った。

 どうにも思い出してしまうのは、今年の秋の出来事だ。

 一大行事というべき修学旅行があった。自由時間もあるけれど、初日と二日目はクラス毎にバスで移動していた。少々お寺の建築に見惚れている時間が長かったという自分のミスもあった。気付いた時には慌ててバスへ戻ったのだが、バスはそんなおれを置いて走り去ってしまった。あの時は流石にしばし茫然とした。携帯電話には、クラスメートの番号も、担任の番号も入っていない。次の目的地はどこだったか……と考えるうちに、好きなように回ってしまおうと思い立ち、いくつか興味のあった場所を巡り、早めに宿へ帰った。みんなを出迎えたおれを、担任を始め幾人かのクラスメートが驚いていた。俺がバスに乗っていなかったことにすら気付いていなかったのだ。

 なんとも薄情な話であるが、たいして気にはしていない。ただ、腫物に障るような扱いは、行う方が多大な気遣いがいるのではないかと気の毒になってしまう。

 びくびくとした視線が向けられることが多い生活の中で、自然と行動は一人でないと落ち着かないもおとなっている。人目に触れないように学内で一番古い校舎へと足を踏み入れた。今ではすっかりと帰宅路に組み込まれている。なんでも大正時代からあるそうで、堅固な造りの威風は、倒壊しそうという印象はない。立ち入り禁止にはなっているが、おれはしょっちゅうここへ侵入し、階段の壁を眺めて、悦に浸る。

 大理石で出来ている壁には、いくつかのアンモナイトが眠っている。よく見ても気付きにくいこれを知っている者は、学校でも何人いるのかわからない。幼い頃から化石や鉱石に惹かれていたから気付いたとも思う。その身に古い歴史を詰め込み、ただ静かに存在する彼らは、なによりも尊敬する存在だった。それを自分でも掘り起こすことが出来ることを知ったのは数年前だ。性にあっているようで、飽きる気配は全くない。今のおれにとって、これ以上の楽しみはなかった。


 田舎へ向かう電車に乗り、誰も下りない駅に足を落とす。山の中の小さな集落しかない村。それがおれの家だ。

 近道にも使うウサギ道へ入り、切り立った崖を見上げる。

「よし、行くか」

 隠すように置いてある縄を肩に負い、器具を設置すると手を伸ばした。一手一手確実に登ると、崖の中腹へ出る。ひときわ見晴らしが良い高さで一休みすると、軍手や金槌を取り出し、ゴーグルをかける。地図で調べておいた当たりの、土シャベルを慎重に差し入れ、鉱物がないか確認する。それらしいものを見つけると、袋に小分けにして番号を振っていく。今日はなかなか収穫があった。

 赤く染まった日差しの中、ようやくおれは帰路に着く。

「帰ったら、じいちゃんとばあちゃんの水替えて。御洗米もそろそろ替えるかな」

 七年前に死んだばあちゃんと、ひと月前に死んだじいちゃんが唯一の家族だった。離婚した両親は、今はどこで何をしているのか知れない。母ちゃんからは毎月金だけは振り込まれてくるから、どこかで元気にやっているのだろう。

「夕飯は、あじの干物に……煮物かな。あとはあっつい味噌汁!」

 ウサギ道を引き返し、神社の境内へと出る。

『神さまの敷地に入るときは、正面から参らんといかんよ。遊び場ではないんだから』

 じいちゃんはそう諭していたが、この獣道から境内に抜けると半分程は時間の短縮が出来る。そのため内緒で毎日使っては、ばれた時に大目玉をくらっていた。しかし、もう叱ってくれる人はいない。

「とうとう本当に一人ぼっちかあ」

 境内には、まさに山の後ろへ落ちんとする夕陽が村を朱く照らしていた。

「おまえまでいなくなるのか……なんて」

 実のところ、あまり落ち込んではいない。唯一の話相手だったじいちゃんが死んだのは哀しいし、寂しい。それでも当たり前のように過ぎていく毎日に置いて行かれないよう、自活するのが精いっぱいだ。元々忙しないコミュニケーションに合わせられないおれは、同年代の子らと話すテンポについていけない。だから存在感の薄さに救われていると言ってもいい。煩わしいとか、面倒臭いということではない。ただ、人との距離を掴むことが苦手なのだ。

「別にそれでも構わないんだけどなあ」

 一人になってから自然と独り言が増えてきた気がする。

 最後までおれのことを心配したじいちゃんは少し悲しむかもしれないが、一人でもそれなりに楽しむことができる性格なので、どこでも気配が消せることは気楽でもある。

「一人でも大丈夫だけどさ、やっぱり……」

 一人ぐらい話し相手がいた方がいいかも――そう思いながら鳥居をくぐった瞬間だった。

 泥に足を踏み入れたように、足元からぐにゃりとした感触が伝わってくる。きれいに掃かれた石の階段で、もちろんそんな柔らかいものがあるはずがない。恐ろしさから咄嗟に足を引き抜こうと左足に力を入れるが、ずぶりと呑みこまれるように力が吸収されてしまう。

 なんだ、なんだ――!?

 焦って何かに掴まろうとするが、鳥居にも届かず手は宙を刈る。

 気付くと、足元にはスポットライトで照らしたような光の輪が出来ている。もちろん鳥居に照明などついているわけはなく、その光の元を追っていけば夕陽へと視線が上がった。

「どういうこと?」

 妙に落ち着いた心とは反対に、背筋にはひやりとしたものが流れた。縋るものがなく中原に伸ばされた手が透き通っていく。

「え?」

 見間違いかと目を瞬かせてみるが、指先は外郭をうっすらと残して、見えないはずの向こう側を透かして見ることが出来てしまう。慌てて手と手を擦り合わせてみるが、そんなことで元に戻りはしなかった。

「なにこれ、なんだよ、これ」

 今起こっていることが現実だと認識できると、次第に鼓動が早くなる。耳まで心臓になったように、どくんどくんと脈打っている。

 境内を抜け道代わりに使ったから? それとも何かほかに罰当たりなことでもしたっけ? あ、この間畑の害獣を捕まえた。って、そんなくらいで身体が消えるなんてことないだろう。人の家の山からきのこ採ったから? いや、これは人間が出来る仕打ちじゃない。……人間じゃできない?

 そこまで考えると、ついに手の輪郭が消え始める。全く見えなくなったところから、ちりちりと静電気のような痛みが走る。

「なんだかわからないけど謝りますから」

 消えた手を感覚で合わせて、宙に祈る。だけれど、痛みはどんどんとおれを侵食していく。

 恐ろしいというよりほかにない。胃の奥の方からせり上がるものを感じる。まだまだやりたいことが……特にはなかったけど、まだこの若さだ。いろんな経験を積んで大人になった時に感慨深く「あの頃は若かったからなあ」なんて言ってみたいと思っていた。それなのに、誰に看取られることなく消えていくなんて。

 やっぱりじいちゃんの言うことを聞いておくべきだった。神隠しなんかはこうやって起きるのだろうか。いや、あれは実際には誘拐や間引きだったって聞いたことがあるような……でもこうやって身体が消えているということは、本当に神隠しもあったんだなあ。――って、しみじみとしている場合じゃない。消えるというのは、死ぬのとは違うのだろうか。じいちゃんたちのところに行けず、魂まで消えてしまうのだろうか。

「はっ、じいちゃん」

 ついに全身がちりちりと言い出したおれは、急に思い出した。

「週末はじいちゃんの御霊祭があるのに! おれがいなくなったらどうなるんだ!?」

 それが暮井義経の、この世界での最後の言葉となる。



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