殺戮天使と神に喰われた男
歌川裕樹
第1話殺戮の開始は刀剣少女と
気配を探る。他でもない、エレベーターの中だった。
いやまさか、という思いの方が強かった。普段の光里なら、エレベーターを使わずに階段を使っただろう。どこかに死に対して麻痺した感覚があった。意識に白い靄がかかっていた。
僅かな嫌な予感とともに彼は五階行きのボタンを押す。
微かにドアが開く。生々しく血の匂いが漂った。僅かな呼吸音が聞こえる。
感覚としては引き返せという思いが強まったが、のべつ勘に頼っているわけではない。
半ばドアが開く。見たものを信じるまでしばらくかかった。
まるで待ち構えていたかのように刀を持った女子高生がゆらりと立っていた。ドアが開くのに合わせ、力を振り絞るように刀を正眼に構えていた。光里の目を睨みつける鋭い視線。はぁっ、はあっ、と、乱れた呼吸が響く。血まみれでボロボロに破れた制服。ショートヘアだった。
押し込んでくるような殺気に身体が勝手に反応する。
思わずバックステップする。それがむしろ敵意を呼んだのか、血まみれの、さらに言えば半裸の女子高生はブラも剥き出しに乳際の肌も露出して刀を振るった。
彼はぼんやりしていればたぶん死んでいるコースを、首をすくめて躱す。
「貴様は敵かっ!」女が言った。振り絞った声だった。
「待て、斬る前に確認しようぜ!」光里は叫んでいた。
ひゅんひゅんと切っ先をかわしながら会話にならない会話をする。「味方かどうか知らないが、敵じゃない!」
さらに光里の左から何かの気配がした。反射的に思い切り拳を叩きこんでいた。
肉を叩く感覚。嗚咽に続いて、「貴様誰だっ」と、野太い声がした。
振り返って驚く。感触の有った空間には誰も居ないように見える。
だが刀を構えた者の気配だけは確実に伝わってくる。
風を切る音に続いて光里の肩口が切り裂かれた。
光里は「気配」に向けて全力で蹴りを叩きこむ。足への重い反動に続いて、玄関ホールの入り口のガラスが砕けて散った。
「……」光里は切られた左肩を見る。すぐに肉が盛り上がり切られた傷が塞がっていく。
これ以上巻き込まれないように光里は叫ぶ。
「つかここは玄関ホールだっ! 何かやってるんならお前らどっかでやれっ」
「……いたわね」女が、砕けたガラス片の方へと刀の向きを変える。
「だから俺は敵じゃないって」女にも敵の姿は見えていないようだった。気配だけで剣戟が続き、女の肩から血飛沫が飛ぶ。
しょうがないな。と、光里は喉に手を突っ込む。眠っている気配をむりやり断ち切って、起きろと念じる。
「え?」刀剣女子高生が驚いて静止する。
光里は喉から人形をずるずると引きずり出す。
「起こすなと言うたに」人形が言う。
「俺が死ぬときは一緒って言ったよな。シロガミ」
「言った。で? こいつらは?」
シロガミは急速に人形の外観を捨てる。髪の白く長い和服の女に変わる。
「分からないが一人はたぶん敵で女子高生の方は大怪我してる」
「その一人! そこか!」
がん、と空中が捕まれる。バランスを崩したらしい誰か、がシロガミの手に捕まれる。
「貴様、見えるのか?」また野太い声がした。光里には空気が喋っているように見える。
「見えるわ。寝てて貰えるか?」
シロガミの蹴りが、その誰かに、派手に尾骶骨が折れそうに炸裂した。
「あなたたちは?」
「君に敵意はない。いや本当に。ここの住人だよ。というか管理人だ。あんまり玄関ホールを汚されたくない。良ければ怪我してるみたいだから手当するよ」
よく少女を見れば大怪我の後が幾つもある。
「そう。さっきは……ごめんなさい」
女の張り詰めていたものが切れた。ゆらり、と身体を揺らし、めまいを起こしたように床に座り込む。その足元にも血が滴る。
「刀傷は内臓に達しておるぞ。運べ」
そっと抱き上げると、シロガミがエレベーターまで少女を運ぶ。
光里も脚を持って支える。
エレベーターの中は血まみれだった。血の海と言って良かった。ともすると光里の足が取られる。滑る。
「ここに潜んでたんだよなぁ」ぴちゃ、と床が鳴った。
「よく意識が持ったな。普通なら気絶しておる。人間にしてはよくやる」
「……血の掃除が大変だな。後でまとめて食っていい」
「儂をそんな事に使うな」
「久々に食いたそうじゃないか。血だけでも」
ふん、と鼻を鳴らすとシロガミが床に指を触れる。床の血が自ら蠢動するように動き渦を巻いて指先に吸い込まれた。
血の跡が消えた頃に、五階に着く。部屋にタオルを敷いて横たえた。すぐに血の汚れで赤く染まる。
「手当だけで済むかのう」シロガミが服をそっと剥がして傷を見る。
「医者呼んだら確実に事件化されるな。これは」
光里の見た目にもはっきりと分かる刀傷が幾つも有った。開いた傷口が痛々しい。
「どうせ……治らない」少女が言った。
「?」
「今晩……治療所に行かなければ治らない」
「特別な場所でもあるのかな」光里は少女の口元に耳を寄せる。
光里は説明を聞いた。彼女――墨(すみ)咲(ざき)桜――は「とあるゲーム」に参加している。そのゲームに一度参加すると、参加者から受けた傷は「治療所」と呼ばれる場所で無料で即時に回復するが、その代わりそこ以外では決して根治しない。「カード」という特殊なものを使う手もあるが、彼女はいまその「カード」を持っていない。
いわば傷を負うと治療所に、その場所に束縛されるのだ。それ以外にも幾らもルールはあるようだったが、まずは真夜中まで待たないとその「治療所」に行けないというのが問題だった。
真夜中になりさえすれば、その場所へ――異世界へ――強制的に行けるらしいのだが。
「じゃあ治療をしていいのかどうかは知らんが、夜中まで持たせねばなるまい。止血が重要じゃろ。腐らん程度に根元の動脈、ぎゅうぎゅう縛るぞ」
「それしかなさそうだな」
ちょっと痛いよ? と光里は説明して、肩口を縛る。腹部はどうしようもないのでテープで止めた上で包帯でぐるぐると巻く。縛りつけ気味にきつく巻いた。
脚も太腿を縛った。
「内臓が持つかのう」
「持たせるしかないだろう。あいつが使えればなあ。輸血できるのに」
「闇医者とあまり仲ようするものでもないぞ」
「他にどうしようがある?」
いつも家賃ツケだけで治療をしていく医者。
このマンションは諸事情があって光里が管理の手伝いをしていた。光里の父親がありえない借金をしてでも土地に投資するタイプの人間だというだけだ。総資産がプラスなのかマイナスなのかは光里は知らない。
光里は転売できなかった物件に住んでいる。
父は女を作ってどこかを転々としている。母親は愛想をつかして消えてしまった。
光里は大学在籍中だった。まだ一年だった。
――せめて清潔な布団を敷いて、血まみれになるのも構わずにつきっきりで傷の様子を見た。
明らかに墨咲桜が苦しんでいるのに手が出せないというのは光里には辛かった。
そのままじれったい思いを我慢して、夜中を待つ。出血が進むばかりで容態が急に良くなる事もない。時間が足りないのは徐々に判明してきていた。じりじりと時計が進むのを待っている顔を見たのか、墨咲が言う。
「あの……私、ここに居てご迷惑じゃないですか?」墨咲はともするとぼやける視野で、部屋を見渡す。
「いま放り出す方が俺には無理かな。気にすんな。何か喋ってたほうがいいならそうする」
「優しいんですね」
「いや。なんかこう死にそうだとどうしようもなくってね。俺が勝手なだけだよ」
光里は出血の様子を見ていた。そう長く持ちそうもない。夜中までも怪しかった。
タオルは真っ赤に染まっていて、床にまで血は広がっていた。
取り換えるために身体を持ち上げる事さえ躊躇われた。
墨咲はしばらく決心するように、黙っていた。思い切ったように口を開いた。
吐息のような声だった。光里は耳を近づける。
「一つ、ううん。無理を言ってはダメですね」
「言ってくれ。何でもいい」
「私は夜中まで……生きられそうですか?」
焦点が合わないのか、墨咲は光里の目をぼんやりと見つめる。光里には助けを求めるように思えた。
「何か言いたいことがあるなら言ってくれ」
「あの……わたしと契約して、ゲームに一緒に行くと決めて貰えれば、私は一回だけ魔法が使えるんです」押し出すように震える声で言った。
「どんな?」
「一回だけ死なないんです。つまり、私は死を免れます。その代わり、あなたを巻き込む事になります。無理ですよね」
「……ゲームか。いいよ。それで助かるなら」
シロガミが顔色を変えた。
「やめておけ光里。何だか分からんものに、そこまで首を突っ込む話でもない」すぐに警告する。
「どうすれば契約できるんだ? それだけ教えてくればいい」
「ただ、ゲームに参加する、と私に言って頂ければ」
「……ゲームに参加する。これでいいんだな?」
「はい。ゲーム脱出の条件は、ですね。……10ポイント勝てばいいんです。つまり十回戦闘に勝てばいいんです……けど」申し訳なさそうに言った。
「だってよ。シロガミを入れていいんなら俺は自信がある」
「儂を入れるというのは、自分に自信がないと言っているだけじゃ。気付かないのか。やれやれ」
「あっ。あの……勝てば成功報酬は一千万円です」
「それを早く言え。まず相手は何人組が多いのか、それを教えて貰おうか」
「多くても、六人くらいです」
「よし。真面目に参加させて貰うぞ。光里」
口頭の契約でいいのかと光里は聞いた。それでいい。手を握るとなおいい、と血まみれで感覚のないだろう手を、かすかに墨咲は動かして見せた。
墨咲の血まみれの手を握った。「俺は君と契約してゲームに参加する」
僅かに墨咲の顔に生気が戻ったように見えた。「では魔法を行使します」
墨咲の身体を青い光が包む。
光の消えた後に居たのは、血の跡もすっかり消えた包帯だらけの女だった。
「ありがとう……」そう呟いて、ついさっきまでとは明らかに違う身のこなしで、素早く包帯を自分で解いた。
「傷が消えてるでしょう?」そればかりか乾いた血の汚れまで消えていた。汚れていた肌が艶やかに見える。
「下着着けてくれ。あっちこっち見えてる」破れたパンツから肌が見える。控えめな胸が露出していた。
「あ、ああ、ええと。予備がないんです」墨咲は慌てて体を覆う。
「上からジャージ着ろ。ノーブラノーパンでも別に誰も見てやしない。動けるなら、駅前に買いに行くぞ」
「あ。はいっ」
墨咲にジャージを貸した。少し緩いくらいのサイズだから一瞥して体の線が見て取れるほどではない。
「儂も契約しておくぞ。こいつ一人では危なっかしい」
「ありがとうございます」墨咲がシロガミの手を握った。
バイクの後ろに墨咲を乗せて走った。ヘルメットは頭に載せるだけのタイプが余っていた。
「もうちょっと抱き着いたほうがいいですか?」
「たぶんな」
なんとなく肉の感触があった。ノーブラノーパンだと思うと尚更だった。
駅前についてデパートの駐車場にバイクを止める。それとなく寄り添ってくるので墨咲と並んで歩いた。不安もあるんだろうと光里は推測する。
「下着売り場は付き合わないよ?」三万円を渡してその場を離れた。
買い物を済ませて、家に戻った。
家には連絡しなくていいのか、と光里が確認すると、墨咲は首を振った。
「本当は家に帰りたくないんです。私」と懇願するように言った。
「捜索願が出るだろ。俺は誘拐とかしたくない」
墨咲の家庭の事情を聞く。光里には聞き慣れた、夜逃げすべきパターンだった。
原因は父の借金。両親は喧嘩ばかりしている。父親が現金を持ち出して何かに使っている。
「その、総額で4千万以上借金があるから借金取りも毎日来てて……」
「身体触ってきたりするのか?」
そういうトラブルは解決したことがあった。かなり面倒だ。
「家に上がってきて……平気で触るんですよ? 胸とか、その……」
「じゃしょうがない。ここに居ろ。ただし両親が離婚しても泣くなよ。たぶんお前がいるから持ってる。うまく電話しろ。居ると攫われそうだから友人の家に居るとか、とにかく安心させろ。見ず知らずの男の家とか間違っても言うな。捜索願出されるようなことは避けてしょっちゅう電話しろ。声を聞けば安心する」
「なるほど。なんか、慣れてますね」
「これでも何でも屋をやってる。その電話は元々非通知設定だ。勝手に使ってくれ」
「家族を増やす気か? 光里」
「居候が何か言うか? シロガミ」
「儂はまあ構わん。見た目儂より五歳若いのが気に食わんが胸がないから許す」
「ありますよ一応!」
「そういう論争はいらない。とっとと電話しろ」
墨咲の両親に自分の存在が露見したら借金取り退散対応中とでも言っておくか、と光里は覚悟を決める。一応何でも屋としては名が通っている。
電話を一通り済ませた。しばらく、いつまでとは言えないが帰れないが心配しないでほしい。原因は借金取りが体を触ったからだ。間違っても捜索願は出さないでほしい。友人に迷惑がかかる。
相手は母親だった。事情はすぐに呑み込めた。年頃の娘としては当然の理由だろうし、万が一にも夜の店に売り飛ばされたりするという可能性も否定は出来なかった。週一の連絡だけはなるべく、という約束を取り付けて母親は電話を切った。
「あ、そうだ」と連絡を済ませて安堵したらしい墨咲が言う。
二十分後、墨咲の普段着を買いにデパートの駐車場に光里はバイクを止めた。
今度こそはちゃんと似合うかどうか見て下さいね。と念押しされていた。
見せたがりなのか? と反論したがやむを得ず押し切られた。
「普段キャミソールで過ごしていいですか?」
「シロガミがそうだ。構わない」
「……照れないんですね」
「下着っても服だからな。シロガミで慣れた。いや慣れてないが慌てなくなった」
「寝間着はどうしましょうか」
「外出る時の服を買うんじゃないのか?」
「あんまり考えてません。借金取りに捕まったら面倒ですし……」
「サングラスも買ってカモフラージュするんだよ。家出られなくなるぞ。居着くと」
そんな風に胸のないボーイッシュな女の子向けにコーディネイトの相談に乗って、またバイクで帰った。シロガミが胸のある女子代表だから二種類揃った。清々しいくらいにボーイッシュにするとかえって墨咲の可愛いところが目立つ。
「あ、」
夕飯の材料を買い出しに行くのを光里自身が忘れていた。三度バイクで、今度は近所のスーパーに向かった。
特売を一通りチェックして深い訳のある訳アリ品ではないことを調べる。傷ありで小振りなだけだ。そんなものは野菜炒めにしてしまえば関係ない。肉は普通にいいものを買った。金銭的にそんなに困っているわけではない。オーストラリア産だったが肉野菜炒めには関係ない。怪我の治療祝いにすき焼き、とも考えたが好みまで聞いてきていない。だが面倒だからすき焼き三人前、セットで買って帰った。後は肉野菜炒めで数日過ごす。カレー粉と焼肉のタレはあるから明日以降の味変更に困ることもない。
いっそ焼肉、と思った。近所の焼肉屋に行った方がいいのだが、墨咲は当分外出禁止だ。
それは明日考えることにして帰宅した。とにかく、当面パンと麺は買い置きがある。問題ない。
モヤシとキャベツが安く買えた。なんとなくそれで満足していた。
洗面所に入ったら、同じタイミングで風呂に入っていた墨咲と鉢合わせする。
「よ、よう」と挨拶をして洗面所を出た。「きゃああああっ」という悲鳴が後から響いた。
夕飯は予定通りすき焼きにした。快癒祝いだ。
すき焼きを見た墨咲は、風呂を覗かれた怒りがどこかに消えたようだった。
「もし、大怪我をしたら言ってくださいね。今日カードが引ければ、いつでもあと三人分、治せます。一度に配られるのはカード三枚なんです」
「俺たちが大怪我をするようならたぶんそのまま死ぬような状況以外考えられない」
「え?」
「特殊な体質でね。大怪我してもすぐ治るんだよ。囲まれて銃で撃たれ続けたりしない限り、大怪我をし続けるのは無理だろうと思う」
シロガミとの関係は話さなかった。シロガミは本当に神で、響野光里の身体を半分近く食べている。おかげで響野光里の身体半分はありえない力を発揮するようになっている。
幼いころに骨肉腫を発症して、近所の神社でシロガミが光里に憑いた。あれから病気は治った。ただし身体を食うことでシロガミは光里を治した。その部分はシロガミの身体の一部になっている。それから力が人間のものではなくなった。
勿論、超人的回復力もそうだ。そう遠くない将来にシロガミに丸ごと食べられて消えてしまうと響野光里は思っているが、シロガミは気が長いせいか百年以内にな、と答えるだけだ。
「今日はご馳走様でした。私も出来るだけの事はします」
「バイトも出来ないだろう。そこは気にしなくていいよ」
「掃除洗濯炊事は任せて下さい」
「……分かった。任せてみる」
「あと一つ、契約した以上、守っていただきたい約束があります」
「何?」
「毎晩、十二時までは寝ないで下さい。十二時から夜会と言う集会があります。そこに寝起きで行くわけにはいかないんです」
「そこで斬りあったりしてるんだな?」
墨咲の話を光里が理解した範囲では、こうなる。
夜会と言うのは毎日夜中の零時から行われる。体感時間で最長三時間行われる。ただし、実際には時間は経過しない。零時に行われて零時に終わる。
つまり、外部では時間が経過しない空間で夜会が行われるのだ。別の時空で時間を消費しているともいえる。平行世界解釈ではない。別の時空で死んでしまえばこの世界でも死んでしまう。因果律が繋がっているのだ。きわめて時間の流れの速い空間に閉じ込められると考えた方が辻褄が合う。外部では一秒しか経過していないのに、内部では三時間が経過している、というように。
――すき焼きを堪能してから、起きているためにTVを点けていた。
「そういえば、昼間に殺し合いってういうか、ストーキングなんか自由にしていいのか?」体育座りをしている墨咲に光里が聞く。
「戦えば顔が分かるから、顔を見るためだけに一回戦って、すぐ負けるのがいるんです」
「最初から街で狙うのが目的か」
街でなら、眠っている時間を狙うことも出来る。相手を一人ずつ倒すことも出来る。
元チームメイトがどこで死んだかも分からない。墨咲桜は思う。
気が付けば、雨戸も閉め切った家に侵入されていた。
初めは借金取りかもしれないと思った。慣れたつもりで息を潜めていた。
だが声を荒げる様子もなく、むしろ音も立てずに近づいてきた時点で分かった。
夜会から持ち帰った日本刀を、隠した本棚の横から出して、息を潜めて待った。
ドアを調べた音が去っていた時に真後ろから足音に向けて切りつけ、そこで初めて相手が見えないと気づいた。手ごたえはあった。
部屋を閉め切った暗闇の中、気配だけで斬りあった。相手も暗すぎると同じだと判断したのだろう。一旦は逃げた。
それからは自分が逃げる番だった。人気のない場所を選び、逃げ回った。
そして、いつの間にか光里のマンションに逃げ込んでいた。
「夜会以外で斬られたわけだろ? 住所を突き止められて。戦えば顔バレするからな」
「自由じゃありません。番外対決、って言いますけど、夜会以外で対決すると、それだけで対決を挑んだ側がマイナス10ポイントです。一人殺すごとにマイナス2ポイント。二人……やられてますからマイナス14ポイントです。もし、私が死んで全滅していれば、+8ポイントされるんで、マイナス8ポイントで済みますけどね。どっちにしろポイントに余裕がないと無理です」
「君を助けたから、ポイント的には瀕死なわけだ。君を狙う前の相手は最大でも+9ポイント。そんな値なら黒一枚で+10になるから、+7以上じゃない。つまり今、マイナス8ポイントくらいだな。赤で全員マイナス1ポイント、を二人やればそいつは死ぬ」
「カード、詳しくなりましたね」
「そういうの好きなんだよ」
「もう一組ストーキングを始めてたはずです」
「自殺したいのか? そいつら。そうか。マイナス8を白で0に戻せば、うまく全滅させればまたマイナス8で済むのか。ぎりぎりだな。幾らうちが田舎だからって、可愛い子の顔全部覚えてるわけでもないだろ。人探しやったことあるけどな」
「色んな手がありますから」
「まあね。待て。次に狙われる奴らの住所か名前覚えてるか?」
「ど、どうするんですか?」
「零時までに組む。同じストーカー被害を食らう可能性があるって話をすれば一発だろう」
「名前は……内緒ですよ? 多香美千佳(たかみちか)です」
「よし。名簿業者から買う。探偵事務所にも知り合いはいる。そいつらを使う。あと4時間あるな。余裕だ」
「アホが。ウチのマンションの顧客から当たれ。多香美千佳というのは三〇八号室に住んどる」
「シロガミ、天才?」
「お前がろくろく名簿を更新しないから覚えておる」
「そうはない名前だろ。当たってくる」
部屋を出るとすぐに光里は三〇八に向かう。管理人です。そう言えば通れた。
多香美は、顔を隠すように半分顔にかけた前髪が目立った。光里には落ち着いた雰囲気が印象に残った。
光里は少しためらってから、ゲームの話を切り出す。昼間の襲撃で全滅させられかけたチームが居る事、次のターゲットが多香美である可能性が強いことを告げた。それを教えて、どうするんです? と困惑する多香美に、守りますよ。同じマンションの住人ですから、と前置きして、一緒に組んでくれれば必ずゲームから脱出させる、卒業させるという事を約束します。そう言った。
ただゲームに巻き込まれているかどうかだけを確認したのなら話を聞くこともなく無視されただろう。
先に襲撃された話から、自分達の話を切り出したのが良かったようだった。
元々、なぜか信用されやすい光里だった。協力についてはあっさり快諾されていた。
誰もが不安なのだろう。自分で好んでゲームに入ったのだろうが。そこで全面的バックアップが得られるとなれば一応信じてみるようだった。光里は交渉を終えて部屋に戻った。
そして、零時を迎える。夜会が始まった。
夜会は二つのフェイズ、言い換えれば二つの段階で出来ている。
まず、カードを配られ、カードを出してポイントを増減させる段階。ここでマイナス10に成ってしまえばチーム全員が即死する。ここでプラス10ならば、特定の条件がついていなければ即、ゲームを終えて卒業できる。
ここでポイントの駆け引きをする。そして実戦だ。殺し合いになる。この二つの段階がある。
駆け引きのルールを、TVを見ながら墨咲から、あらかた聞いていた光里には、カードの出し方で大きな賭けが出来ると理解していた。ポイントを稼ぐには協力すること、そして出来るだけ多くのチームを引きずり出すこと。特に戦いたがらないチームを引きずり出せば、そのチームは弱いと想定できる。全滅させることも不可能ではない。墨咲の為というだけではなく、ここで死なないためには徹底的に冷酷である必要がある、そう光里は理解していた。
「3ポイントあります。ウチのチームはあと7ポイントで脱出できます」墨咲がそう言う。
配られたカードは青白金だった。
ゲームのルール上、変えていいポイントは特別な個所に限られる。他にもルールは文章化されているが。勝利とは負けないことである、勝利には1ポイントが与えられる、負けとは一人でも戦闘不能になることである、全滅させたら三ポイント入る、という文章もあるが、ルールブックで:、変更していいのは次の個所だけだ。
●ゲームに参加しないとー2ポイントされる。
●全員が最初に戦闘不能になるとそのチームはー3ポイントされる。
●勝利しなかった全てのチームはー1ポイントされる。
「まず、青で行く。引っ張り出す」
青はポイントを2倍にする。全員を参加させるには、ゲームに参加しないとマイナス4ポイントが効くだろう。他のチームのカードの出し方によっては、マイナス8ポイント、マイナス16ポイントだってありうる。
多香美チームが偶然、隣だったらしく、次も青だった。ゲームに参加しないとマイナス8ポイント。本当に千佳の信頼を得たのか。それともフェイクなのか。それ自体は光里には分からない。
「二チームで組めば勝てるよ? だけどそう言ってきたチームは幾らでもいるのよ」眦を決した――険しい、返事によっては対決も辞さない、多香美の瞳が浮かんだ。
疑われて――試されているのは自分達――墨咲チームだろうか。そう光里は思う。
だが、賭けた甲斐があった。これでマイナス3以下のチームは強制参加せざるを得ない。黒が出され、墨咲チームは2にポイントを減らされた。逡巡の時間の後、黒を出したチームが苦し紛れに1ポイントを盗んでいった。これで1ポイントだが余裕は出来る。だが、仮に今日休めたとしても、次回以降明らかに不利になるのは確かである。立場の苦しさを明確にしただけだ。
その1ポイントへの執着、動揺をあざ笑うように赤が出る。最も余裕があると聞いている四ノ宮(しのみや)果歩(かほ)のチームだろうかと光里は推測する。誰がどのくらいポイントを持っているかは、おおよそ多香美から聞いていた。
続いて黒を出したチームは青ざめているだろう。赤は全チームから即時でマイナス1。即時適用。墨咲チームとしても好都合の連携と考えるべきだ。これでカードは4枚出揃った。墨咲チームは現時点で1。仮に実戦のターンで全員行動不能に追い込まれても、マイナス2だった。
決してマイナス7に達してはならず、またそれを悟られてはならない。
赤黒黒、赤赤赤、黒黒黒などでも、即死する。
黒を出したのは多香美から名前を聞いただけの高山(たかやま)仁(じん)のチームとも推測できた。あまりポイントが多くはないはずだと聞いていた。切れ者らしいが運がなかったのだろう。
恨みはないが仮想敵にしていた。一つでも全滅させなければ他のチームを引っ張り出せない。多香美をすぐに裏切る理由はなく、最多数を誇る四ノ宮のチームを敵に回すのはまだ早い。
今すぐに死ぬほど、墨咲チームのポイントは少なくはない。全員死亡のマイナス10までは遠い。
今回は墨咲チームは青を出したチームと組む。多香美の理知的な顔が浮かんだ。計算づくでなければ互いに動かないはずのチームだった。
いかにリスクを最小にし、リターンを得るか。多香美は考えている筈だった。
今回の最適戦略はこうなる。
最初に負けたチームであるかどうかは関係ない。とにかく参加することだ。
今回も含め、勝ちのポイントを上げていく。それには古参を弾き出して、カード回しで負けないようにすることが大事だった。
旧来の連携というものも切っていく必要がある。
古参も新規を落としていくように動くだろう。
その中で多香美千佳を切り崩せたのは――本当だとすれば――大きかった。
もう一チーム抱き込めれば多数派になる。
少なくとも、そう思わせることは出来る。
「方針は間違ってはいないはずだ。高山を狙う」光里は呟く。
「いきなり……ですか?」墨咲が驚く。
「このゲームに巻き込んだのは君だ。これは殺し合いのゲームなんだろう?」
最初に行動不能――つまり最初に負ければマイナス3。それでマイナス7に達すれば次回死亡は確定に近い。あるチームが逃げ回るようならマイナス4に近いという推測が立つ。
余裕のある果歩のチームを巻き込むか、余裕の全くない高山を手に入れるか。
名前の分かっているのは多香美千佳、四ノ宮果歩と高山仁。
この場に居ない二チームの代表者名は分かっていない。二つのうち、どちらかがストーカーのチームだった。それを引きずり出す。そう光里は決めていた。
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