第2話
缶コーヒーの自動販売機のそばの缶専用のゴミ箱に、鞄に入れてきた2本のチューハイのロング缶を捨てた。うっかりすると、部屋中に缶がゴロゴロなんてことになる。部屋のゴミ箱はすぐいっぱいになり、机の引き出しにもタンスの引き出しも、開けてみると空き缶だらけ、ということになり、それを自分で忘れていてシラフの時にひょいと開けてぎょっとしたことがある。
もし“それ”が部屋に入ってきて手近な引き出しを開けてビールだのチューハイだのの空き缶がごろごろしているのを見つけるだろう。ちょっと前だったら、ストレートの焼酎の空瓶がやはりごろごろしているのが見つかっただろう。
仕事を辞めて無収入になった人間とすると、金をかけずに時間を潰す方法をいろいろ考えないといけない。
暇つぶしにパチンコする人間は多いのだろうが、そんなムダ金を使う余裕はない。勤め出してから間もなくやったことがあるが、ビギナーズ・ラックはなくてあっという間に一万円スッてしまい、呆然としたことがある。パチンコをやり慣れている人間にはどうってことない金額なのだろうが、これ稼ぐのに何時間働いただろうかと思うと、目がくらんだ。我ながら、気の小さい話だ。
駅前のパチンコ屋の前を通りかかる。まだ開店時刻まで二時間以上あるというのに、もうたむろしている客が十人近くいる。一体、何をやっている連中なのだろう。自分を棚に上げて、不思議に思った。
駅のガードをくぐり、反対側の商店街に出る。家族が買い物をするスーパーマーケットは駅のこちら側だから、反対側にまで来ることはまずない。商店街のコンビニに入ると、こっちでも酒を扱っている。焼酎のミニボトルを二本買う。
ついでに雑誌を立ち読みしていく。今、8時ちょっと前。9時まではまだ時間がある。
学生たちがごちやごちゃおしゃべりしながら出入りしている。遅刻しないか、と思う。何をあんなにしゃべっているのだろう。自分が学生の時は、おしゃべりする相手などいなかった。別にそれが寂しいとも思っていない。誰かと顔を合わせるのが苦痛なのは、今に始まったことではないようだ。
考えてみると、学生時代の写真は身分証明書に張るのに使うもののように撮らないといけないのを除いて、一枚もない。何か、自分の姿を残しておくのが気色思えたからだ。それくらい、自分と周囲を嫌っていたのだろう。
突然、得体の知れない怒りが沸き上がってきた。何に対して。自分が望んでいたような自分でないことか。そういう気もするが、土台どんな人間になりたかったのか、よく覚えていない。もともとそんなものはなかったのかもしれない。
学生たちは入れかわり立ちかわりして、いっこうに店からいなくならない。うっとうしくなって、店から出た。
頭の中は、今買ったばかりの焼酎で一杯だった。だが、ストレートで飲むのにはきつすぎる。このあたりには公園もなく、水を飲める場所はない。そう気付くと、踵を返してまたコンビニに戻り、ビールの350ml缶を手にしてから、どうせなら割安な方がいいとロング缶に切り替えた。
鞄にビールの缶と焼酎のミニボトルを入れたまま、商店街を歩いた。たいした商店街ではないが、人通りが絶えない。そのまま通り過ぎて、図書館のそばに来る。まだ開いていない。さらに歩いて、人通りの少なくなる場所を探した。だが時間帯のせいか、通勤か通学かで誰かしら歩いている。図書館の裏にまわる。さすがに誰もいない。図書館のスタッフが準備で出てこないか心配しながら足を止め、鞄の中で素早くミニボトルの蓋を開く。
こぼさないようにボトルを口に運び、一口含んで薬でも飲むように大急ぎで飲み下す。カッと喉がやけるところに、これまた急いでプルトップを開けた缶のビールを流し込んで冷やす。それからこれまた人に見られないようにそそくさとボトルの蓋を閉めて、鞄に戻す。こぼした覚えはないが、鞄の中はかなりアルコールの匂いが染み付いていた。
缶は開けたら蓋をすることはできないので、その場で飲み干さなくてはならない。だが、さすがに続けて飲むことはできない。無理にこれ以上飲んだら、噴き出してしまいそうだ。炭酸が入った飲料は、これだからイヤだ。だかといって蓋を開けた缶を鞄に戻すわけにもいかない。
人があたりに現れないのをひたすら祈り、一息ついたらビールを一気に流し込み、鼻をつまんで逆流を防ぐ。鼻がつんとして、涙が出る。
これほどうまくない酒というのも、ないだろう。こんなまずい酒、さっさとやっつけてしまうに限る。続けて何度かに分けて喉にビールを流し込む。焼酎はとりあえず後回しだ。
やっと缶が空になった。空き缶は鞄に戻す。そのへんに置きっぱなしにはしない。こんなところで、イイコぶっても仕方ないのにな、と苦笑した。
図書館の表玄関にまわる。まだ開いていない。ふらふらとその場を離れる。商店街に戻ろうか、そのへんをぶらつくか。同じところを通って、顔を覚えられるといけない。知らない道を選んで、あてもなく歩き出した。戻る時困るかもしれないが、その分時間が潰れる。
きちんとスーツを着てネクタイを絞めた働き盛りの年頃の男とすれ違った。外観だけだったら、自分も似たようなもののはずだ。すれ違いざま、ちらと視線をやるが、相手は見向きもしない。そんな暇はないのだろう。また、こっちも見かけはそれほど変ではないのだろう。そう思うことにする。
汗がどっと噴き出てきた。飲んだビールがそのまんま汗になったみたいだ。たまらず汗をハンカチで拭くが、すぐぐしょぐしょになってしまう。まったく、スーツというのはなんて暑苦しい格好だろう。
たまらず、引き返した。幸い、やっと図書館が開いていた。
中に入ると、冷房はきいていないが日射しをさけられるだけ楽になった。
もう数人が入館している。年輩の、隠居暮しをしているらしい人もいるが、ずっと若いせいぜい40代らしき人もいる。何をしている人なのか、わからないし、知りたいとも思わない。先方もおそらく同じだろう。
ぼくは本棚を見てまわった。
集中力が落ちているから、まとまった本は読めない。雑誌コーナーに行き、適当に選んでぱらぱらめくる。すぐ別の雑誌を手に取り、拾い読みして戻す。
席の温まる間もなく、手洗いに行く。
誰もおらず、人に見られる心配もなさそうだが、念のため個室に入って鍵をかける。鞄を開け、再びミニボトルを出す。深呼吸し、中身をぐいとやって、すぐ外に出て洗面台の蛇口をひねり、水を掌ですくってがぶ飲みする。ちょっとでも酒というより薬のような味が口の中に残らないよう、口のなかを水ですすぐ。
鼻を通る空気が妙に熱くなる。頭の芯が痺れたようになる。やっと人心地ついたような気がした。
もう一回、口をすすいでから手洗いを出た。
本棚をあてもなく見て回る。家庭用医学書が何冊が並んでいるので、取り出しては拾い読みした。
アルコールの過剰摂取による身体疾患の例がいくつも並んでいる。
もちろん、飲み過ぎれば肝臓が悪くなる。肝臓がアルコールを分解できる限度は一日にビールで中瓶一本程度らしい。その程度で満足して飲むのをやめる酒呑みなどいるだろうか。バカげた指標だ。
その限度を越えて飲み続ければ、壊れた肝臓の組織が繊維化して固まってしまう。おそらく今はその段階だろう。もっとも脂肪肝程度だったら一ヶ月とか長くて三ヶ月禁酒すると、たいていは回復するという。もっとも、実際にやるとなると、その一ヶ月の長いことといったらない。
なぜ俺は飲むのか。シラフでいると、長い長い無為な時間に押しつぶされるようになるからだ。それ以上行くと、アルコール性肝炎になる。もっとも割合からいくとウィルス性の肝炎の方が9割がたを占めている。よっぽど飲まない限り、そうそう簡単にはならないらしい。とはいえ、黄疸になった
さらに悪化すると、肝硬変になる。
そうなると黄疸が出たり、手のひらが赤くなったり(手掌紅斑)、胸の皮膚に毛細血管が蜘蛛の足のように浮き上がってくるクモ状血管腫、男でも乳房が大きくなってくる女性様乳房、腹水、アンモニアなどの老廃物が肝臓で分解されなくなって毒素が頭に回ってくる肝性脳症など、よくもまあというくらいロクでもない症状が並ぶ。
幸い、どれもまだ自分には当てはまらない。
アルコール性肝硬変はたとえどんなに重篤でも移植はしてもらえないという説があるが、本当だろうか。すぐ飲んでしまうからムダという判断もあるだろうし、たいてい収入もないまま飲み続けているから、手術費用など捻出できるわけもない。アルコール性ではないが、政治家の河野一郎がやはり政治家の息子の河野太郎から生体肝移植を受けた時の費用が二人合わせて2000万円とかいっていた。どこまで正確な数字か知らないが、政治家でもなければ出せない金額だ。もちろんそんな鐘など、逆さにして振ってもこっちに出てくるわけもない。
飲み過ぎると、悪くなるのは肝臓だけではない。膵臓がアルコールで痛むと、膵臓が分泌する消化液で膵臓自身が消化されてしまう。劇画原作者の梶原一騎が五十歳で死んだ直接の死因は心臓発作だったが、その前に倒れたのは「激症壊死性膵臓炎」だったはずだ。医者が手術のために開腹したらほとんど膵臓は溶けたも同然の状態だったという。致死率が100%に近く、癌の方がまだ見込みがあるとすら言われた病からいったん回復する体力がありながら、結局長続きはしなかった。
股関節。大腿骨骨頭壊死といって、大腿骨の股関節を形成する部分(骨頭)が腐ってくる。痛みのために次第に歩けなくなり、日常生活にも支障をきたすようになり、美空ひばりが晩年これで苦しんでいたという。酒は骨まで侵すということか。
飲み過ぎて血を吐くというのは、肝臓が痛むので血が流れにくくなって食道近くを通っている静脈に血が余分にまわってきて破ける、ということらしい。
アルコールを大量に取り続けていると、脳が縮んでくる。
小脳が縮むと足腰が立たなくなって飲酒していないのに千鳥足になる(小脳性歩行)、舌がまわりにくくなる(構音障害)などの症状が出現する。
大脳、特に高度な意識活動を司る大脳の前頭葉が小さくなることがある。前頭葉を人為的に削除する手術(ロボトミー)は、どんな凶暴な精神病患者でもおとなしくなる代わり“人間性が破壊される”という理由で禁止されている。
我ながら、いろいろ知ってる。知識だけはある。
知ってるのはいいとして、だからアルコールが体に悪いってことに変わりがあるのか? 悪いとわかっていて、なんで飲むんだ? 気持ちがいいからか? ちっとも気持ちよくないぞ。むしろ気分は最低だ。
アルコール依存症だな、と思う。自分で思う。思う、ではなくて依存症だ。客観的、医学的な事実だ。
十年とか長い期間ずっと飲み続けていると、アルコールで脳が変質して“普通”の飲み方ができなくなる。いったん飲むとほどほどのところでやめることができなくなったら、たとえ酒を年がら年中飲むわけではなくても、依存症なのだ。
酒を飲んでいない時は別になんともなくて、何ヶ月でも何年でも、場合によっては何十年でもずうっと飲まないで過ごせるのであっても、いったん飲んだら止められなくなり、元の木阿弥になってしまうのが、依存症なのだ。
アルコール依存症は、「否認の病い」だという。つまり、自分が依存症であることをなかなか認めない。いつでもやめられる、とかセーブできる、とか言い訳を並べる。事実、一回ニ回ちょっと飲んでやめる、程度のことはできたりする。だが、何かの拍子で飲み出したら線が切れたように飲み続ける。
自分は、否認はしない。なるほど自分はアルコール依存症だ。格好つけずにアル中だ、と言ってしまっていいではないか、とも思う。
もっとも、自分がアル中だと認めたからって、偉いわけでもなければ何らかの解決になるわけでもない。
ミニボトルは、二口飲んだ。一本はいつも三口に分けて飲むから、あと一口と一本あるわけだ。そう思うと、安心した。
席に戻る。いいかげん、アル中の本をまた読む気にはならず、つまみ食いをするようにあちこちの本を引っぱり出してはちょっと拾い読みしてはまた戻すのを繰り返した。
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