第4話 馴れ合い

「いやー、すまない。君を驚かせてしまったようだね」


 奴は朗らかに笑いながら、もじゃもじゃの髪の毛をしきりにかき回している。


 私が拳をおさめて残心していたとき、こいつはゆっくりと起き上がって顔面を体から引っ張り出したのだ。

 そのときの私はこいつがあっさりとやられたことを疑問に思っていたから、大して驚きはしなかった。

 まぁ、消し飛ばしたはずの頭が出てくるとかいう奇妙な現象には少し驚かされたが。

 そうだな、手品を見ている感覚に近かったかも知れない。


 ともあれ、一つだけ確かなことは、やはり奴は人間ではなかったということか。

 頭の一つや二つ消滅したところで、致命傷には至らないらしい。

 奴曰く、複数の心臓や脳が体中に散在して常に移動しているということであり、それらの一つでも無事なら体の一つや二つは軽く再生できるそうだ。

 何を言っているんだこいつ……と思った私は正常な感覚を持っていると信じたい。

 確かめてみるために、もう一度頭を消し飛ばしてやった私は悪くない。


 いや待て、少し落ち着け。

 今の私は冷静じゃない。深呼吸をしよう。話はそれからだ。


 ……うん、そうだ。奴は正真正銘の化け物であった。

 頭を消し飛ばして生きているなんて普通じゃない。

 いや、そもそも目の前のこれは生物なのか? そんな生物がこの世に存在していいものなのか?

 にこにこと微笑んでいる馬鹿げた存在が目の前にいることは確かだ。

 いっそのこと、消すか?


「やめて! その物騒な笑顔と拳をしまって! 僕は悪くない宇宙人だから!」


 怯えた顔で後ずさる奴を見てると、なんだか馬鹿馬鹿しくなってくる気がする……。

 まぁ良いか。人間じゃないとしても、弱いしな。私でも倒せるんだから、怖がる必要はない。

 たとえ濃密な気配の持ち主であっても、それを活かせないなら、ただの木偶の棒にすぎない。


 よし、なんとなくだが納得できた。


 こいつの力では、私を殺せない。

 たとえ全力を出されても、私の方が戦闘経験は上で、逃げ切ることも可能だろう。

 気の扱い方は、明らかに私の方が練度は上だ。

 それに一度死んだ身でもある。死に繋がる痛みが続く以上の恐怖はそうそう無いだろう。


 よし、安心した。


「しかし、僕の能力を知って、怯えなくなってくれたのは助かるよ。普通なら逆なんだけどね」


「あんたが弱いということを実感したからな」


「僕が弱いんじゃない。君が強いのさ」


 奴は先ほどの怯えた様子など微塵も見せずに、そうほざいた。

 と言うか、何だこいつ。自分でカッコいいこと言ってやったみたいなドヤ顔してるんだけど……。


「ところで、君は僕に尋ねたいことがあるんじゃないかな?」


 そう言われればそうだった。

 ここが何処だとか、私の体が妙に快調だとか、そういうことも気にはなる。

 だが、私は一番気になっていたことを奴に尋ねてみることにした。


「私は……死んだはずじゃないのか?」


 奴は真面目な表情を作り、首をゆっくりと横に振った。


「いや、君は命を取り留めたよ。だが、生身の肉体での生存は絶望的だった。内臓の幾つかが機能を停止していたからね。だから君には悪いが、そういった内臓を全て破棄して、人工部品に取り替えさせてもらった。君は、まぁ簡単に言うとだが、サイボーグとなったわけだな」




 ――サイボーグ。


 分かりやすい例えで言うなら、バッタのバイク乗りや加速装置を奥歯に仕込んでいるアレのようなものだろう。

 奴の顔面を粉砕するほどの驚異的な力も、サイボーグとしての戦闘能力によるものらしい。

 確かに、気を使ってないのに粉砕できたのは異常のような気はしてたんだ。


 まぁ、それはそれとして、だ。


「どうして私を生かした? 私はあのまま――」


「死んでいた方が良かった、と続けるつもりなのかね?」


 奴の声から恐ろしいほどの威圧を感じる。

 先ほどとは違って本能を刺激するほどの気を出していないようだが、それでも恐ろしいほどの圧力が私に重く圧し掛かる。


 奴自身の力は弱いと感じながらも、本能に直接訴えてくるこの気配はやはり慣れない。

 しかし、屈服するつもりもない。

 いずれこの気配を克服し、私のものにしてみせる。


 冷や汗を流しながら睨み続ける私を見て、奴は疲れたようにため息をついた。

 その瞬間、圧し掛かっていた威圧感はあっさりと霧消する。


「別に僕は、命を大事にするべきものだとか、尊重するべきだとか、そんな講釈を垂れるつもりは全く無い。君を生かした理由は、君に利用価値があると我々が感じたからだ」


 その後の奴の話を聞いている内に、私は現在置かれた状況を真面目に考えるのがアホくさくなった。

 奴曰く『地球人のサンプルを取って生態的な研究を行う』というのが、奴が所属するグループの目的だったらしい。

 だが実際のところ、奴の所属するグループ――未開惑星調査機構と言うらしい――が研究を行う前に、余所の生態研究所がどんどん画期的な生態研究を推し進めてしまったがために、地球人のサンプルを取る必要性が完全に無くなってしまったとのことだ。


 しかし私は実際こうして死に瀕したところを救われ、奴の属する機構の惑星調査船に拉致されている。

 その理由を聞いたら、以下の答えが返ってきた。


「うちの研究員達がどうしても地球の日本人を解剖したいって言うから……」


 私の呆れと侮蔑を含んだ視線に耐えかね、奴は目を逸らしながら頻りにゴホゴホとわざとらしく咳をした。

 日本の古い漫画のように誤魔化すこいつを見てると、なんだか死ぬとか生きるとか、そういった命題が今まで以上に馬鹿馬鹿しく思えてならない。


「ふむ、やっと笑顔を見せてくれたな」


「は?」


 私は自分の顔を撫でてみる。

 が、笑っているのかどうか、自分では良く分からない。

 もし奴の言うことが本当なら、私は十数年ぶりに笑ったことになる。


「女の子は笑顔が一番だからな。もっと笑うが良いよ」


「口やかましいおっさんだな」


 誤解して欲しくはないので言っておくが、私の好みは渋専とかぶさ専と呼ばれるものではない。

 こんなおっさんは言うまでも無くノーグッドだ。野良犬の餌にでもなれば良いと思う。

 と言うかそもそも、サイボーグになったからもう恋愛や結婚の心配をしなくて済むな。いや、元からそういった願望とは無縁の生活を送っていたが。


「まぁ、多少は打ち解けてくれたようで安心したよ。そういえば自己紹介がまだだったね? 僕の名前はウィアル・クバスカ・イツェルノ・フクラウト・テスマルア・イゼンクスラフ・トウィンと言うんだ。これからよろしく」


 奴はにっこり笑って、右手を差し出して来た。

 握手のつもりなんだろう、多分。

 私も右手を差し出しながら、奴の不細工な顔面を見ながら話す。


「私の名前は……知ってるみたいだから言う必要は無さそうだな。私はあんたのことをこれから『おっさん』と呼ぶことにする」


「そ、そうか……まぁ、よろしくね」


 おっさんは顔面筋肉を微妙に痙攣させながら、私の手を握ってきた。

 瞬間、私は右手に思い切り力を入れる。

 おっさんの右手は粉砕され、おっさんの顔に血飛沫が飛んだ。

 流石に三度も粉砕されると怒るらしい。

 おっさんは顔中を赤くして声を荒げた。


「三度目だぞこの暴力馬鹿娘! ちょっとは加減というものを知れ!」


「やかましいぞ愚物が! 初対面から人のことを脅しといて何が『これからよろしく』だこのクソ野郎! 表に出やがれ!」


 その後、子どものじゃれ合いみたいな口喧嘩をしばらく続けた。

 時々、頭を何度か消し飛ばしてやったのはご愛嬌というやつだ。どうせこいつはそんなことでは死なないし。

 しかしこのおっさん、外見どころかおつむの中身も悪そうだが、性根の方まで腐っているわけでは無いような気はする。無邪気な子どもを相手にしているような感覚だ。悪くはない。


 口喧嘩が収束した時には、互いに初対面特有のぎこちなさが取れている気がした。

 こんな風に他人と口を利くなんてのは久しぶりのことだから、実際のところ結構楽しんでいるのだが、表情に出てはいないだろう。

 顔面筋肉を動かす方法、忘れてるからな。


 喧嘩が終わった後に再び握手をしたが、今度はちゃんと互いに友好的な関係に持っていけたと思う。気のせいかもしれないが。


 しかしまぁ、私もなんだかんだと言って、まだまだ生き足りなかったようだ。

 口喧嘩だけでもこの上なく楽しいものだと感じてしまう程、以前の生活が相当キていたのは間違いない。

 だが、生きてりゃ良いこともあると聞く。

 日本にはもう居場所などどこにもないし、ここで生活することになるのだとしても、それほど悪い話では無いように思う。

 細かいことはともかく、一度失っていただろう命を再び与えてくれた点を考えるなら、ここの連中には感謝しなければならないかもな。

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