ブルー・ダイヤモンドダスト

柊らみ子

ブルー・ダイヤモンドダスト


 ――青い。

 何処までも、青い。

 キラキラと輝く、青い砂。ダイヤモンドダストのように、美しく煌き、笑う。

 少女の姿を形どって、無邪気に弾ける。弾けた砂は、まるで踊るようにヒラヒラと舞うと私に絡みつき、再び笑う。

 私も。

 一緒に、笑えた、だろうか。






 何か、夢を見ていたような気がする。

 鈍く痛む頭を抑え、私は身体を起こした。辺りを見回し――しばし、絶句する。

 色が。

 全ての、色が。

 

 目に映る何もかもが、白黒だ。慌てて自分の手のひらを見つめるが、それもやはり白黒で濃度の差ぐらいしか認められない。自分の衣服も、髪も足も全て薄く青味掛かった白黒で構成されている。

 一通り確かめ、私はもう一度頭を抱えた。私の目がどうにかなってしまったのだろうか。色を認識出来なくなってしまったのだろうか。私は――。


「――ッ!」


 私は、

 思い、出せない。

 頭の中に薄ぼんやりとした靄が居座っている。振り払っても振り払っても靄は何処からともなく沸いて出て、私の頭の中を支配する。自分が、見えそうで見えない。白黒どころか、真っ白に塗り潰されていく。ぐらりと、世界が傾いだ気がした。

 ここは、何処だ?

 私は、どうして――。

 ここにいる?


「こんにちは」


 幼い声に、私は弾かれた様に顔を上げる。

 そこにいたのは、まだ幼い少女だった。見た所、十二、三というところだろう。彼女も、やはり白黒だった。長い髪も大きな瞳も、薄い青味掛かった色を全身に纏っている。


「……君は?」

「私は、ここに住んでいるの。貴方を見つけたから、挨拶しただけ」

「見つけたって……。君が、助けてくれたって事かな」

「さぁ。私はただ、見つけただけ」


 嘘をついている風では無い。だが、その言葉の意味は分からなかった。これ以上同じ質問をしても、繰り返すだけだろうと見当をつけ、私は矛先を変えた。


「君は、こんな所に一人で住んでいるのかい?」


 少女は頷き、窓を指差した。白い指先に引きずられるように私は窓の外を見て――思わず息を呑む。ベッドから飛び降りて、豪奢な模様が彫られている窓枠へと駆け寄り、手をかけた。鍵など何処にも見当たらないのに、窓は押しても引いても動く気配すらない。そんな私の姿を、少女は無言で見つめている。


 窓の外は。

 真っ白、だった。

 家も。

 草木も。

 そして、地面さえも。

 何も、無い。


 ただ延々と、白い――混じり気のない純粋な、だが押し潰されるような白い色が広がっているだけ。そんな白い空間の中に、この館は存在しているというのだろうか。

 そもそも。

 この空間は、一体何なのだ。

 私は何故、こんな場所にいるのだろう。


「ここでしか、暮らせないから」


 混乱する私をよそに、少女は静かに言葉を紡ぐ。


「だから、ここにいるの。ただ、それだけ」


 外を見ていなければ、不思議に聞こえるだろう。だが、それは真実である事を私はさっき知ってしまった。確かに、この場所でしか暮らせない。ここが何処で、外の空間が何なのかはさっぱり分からないが、外の白い空間で暮らすなど不可能だろう。


「……貴方は? 貴方はどうして、ここにいるの?」

「さぁ……どうしてかな。私にも、分からなくてね」


 苦笑を浮かべ、素直に本当の事を述べた。嘘をつく必要も無いからだ。

 少女は笑みを浮かべ、「じゃあ、私とほとんど一緒ね」と言った。


「私も、あまり分からないから」

「そうか」


 どうやら先程の繰り返しになりそうだと思い、私はまた話題を変える。


「君の、名前は?」

「名前?」


 小首を傾げ、少し考え込む。しばしの沈黙の後、彼女は自分の右肩を指差した。


「名前かどうかは分からないけれど。私はこう識別されているわ」

「識別?」


 およそ、人間を表す言葉ではない。その言葉に軽く嫌悪感を感じながら、彼女の肩を見る。


「……V-3026」


 そこには、そう刻まれていた。それを見て、軽く息を呑む。

 何だ、これは。

 本当に、識別番号そのもの、じゃないか。


「これじゃあ、いけない?」


 淡々と、少女は問う。色の無いその顔を見つめ、私は「いけないよ」と答えていた。


「何故? 貴方にとってそれは、大事な事なの?」

「私にとってじゃない。君にとって大事な事だ。それに私だって、そんな番号で君を呼びたくないしね」


 少女は分からない、という風に首を傾げた。


「じゃあ、好きに呼べばいい。私は、私だもの」

「そうか。それじゃあ……マリア。そう呼ばせてもらって良いかな」

「それは、貴方にとって意味のある言葉なの?」

「いや……そういうわけじゃないけど。私にそういうセンスは無いから、世界で愛されている人の名前を借りたんだよ。……嫌かい?」

「好きに呼べばいいと言ったわ。どのように識別されても――」

「識別じゃない」

「え?」

「識別じゃない。これは君の、名前だよ」

「なま、え?」

「君という個性を理解し、愛される事を助けてくれる。番号や記号なんかと違ってね」


 君は今日から、マリアだ。

 私の言葉に少女はその名前を小さく復唱し、ほんの少しだけ、表情を和らげたように見えた。






 私が名前をつけたお返しにと、彼女は私に「ブルー」という名前を与えてくれた。聞けば、彼女にもこの世界は薄く青味掛かった白黒の世界に見えるらしい。だから、「ブルー」。基本的に、彼女は私の事を「貴方」と呼ぶのでその名前が使われる事はほとんど無かったけれど、それでも私は嬉しかった。


 館には、何でも揃っていた。欲しいと望めばいつの間にか魔法のように現れる。それでいて、家具は必要最低限しかない。もちろん、欲しいと言えばいつの間にやら置かれているのだけど、それでも屋敷の広さに対しての絶対数が少なすぎると感じる。空間が広く、がらんとして感じられるのだ。しかしそれも、今までマリア一人で暮らしていたという証しなのだろう。


 だが。

 この館には、一つだけ望んでも出てこないものがある。

 それは、時計だ。生活するのに必需品であろうと思える時計が、何処にも存在しない。一度、マリアに聞いてみたが、彼女は静かに首を横に振るだけだった。

 私が目覚めた部屋に置かれている、大きな砂時計。大量に入っている砂の色は、宝石を思わせるきらきらと輝く青で、何故かはっきりと色が分かる。少しずつ、しかし確実に青い砂を下へと移動させながら動くそれだけが、唯一時間を計る道具であり、色であるようだ。


 マリアとの生活は、初めこそ緊張したものの、徐々に慣れた。彼女の淡々とした性格を把握してしまえば、付き合うのは簡単だったし、良く言えば大人びた、悪く言えば子供らしくない全てを悟ったかのような言動は、私の興味を引いた。

 聞けば、マリアもいつからここにいるのかよく覚えていないのだという。記憶の無い私と似た者同士だね、と言うと、そうかしら、と首を傾げて紅茶を飲んだ。それを見て、どうやら満更でもなかったらしい、と私は心の中で呟く。感情をあまり表さないマリアだが、一緒にいるうちに少しずつ彼女の気持ちも分かるようになってきていた。


 そんな、マリアとの生活を続けてどれくらい経っただろう。

 私は、館の中を未だに全て見て回っていない事に気が付いた。

 時間が分かるものが無ければ、外は真っ白い空間なので昼も夜も分からない。唯一の時計である砂時計も、一体何を計っているものなのか、落ち切るまでにどれだけの時間がかかるのか分からないので目安にしかならない。目覚めた時より、砂は半分ほど下に落ちてしまっているが、それがどれ程の時間なのかはざっくりとしていて曖昧である。


 砂が落ち切ってしまったら。

 この生活も、終わるのかもしれない。

 何となく、そう思った。少なくとも、この意味深な砂時計は何らかのタイムリミットを表しているのではないかと、そう思ったのだ。


 その前に、館の中ぐらい見ておこうか。


 ほんの、出来心だった。これだけ立派な建物で暮らすなど、もう無いかもしれないと思うと、勿体無い気になったのだ。

 私はまるで子供がかくれんぼするかのような気楽さで、館の探検を開始する。

 最初は、正面玄関。小さな城だと言っても分からないぐらい大きく、立派な造りのものだ。出来れば、外からも見てみたいと思うのだが、残念ながら外は白いだけの空間なので外に出る勇気は持てない。


 そこから、大広間、食堂、応接間など、順繰りに見て回る。まるで舞台セットに紛れ込んだような不思議な感覚。人っ子一人いないのがあまりにも不似合いだった。

 私が目覚めた部屋のような部屋が幾つもあった。客人を泊める為の部屋なのだろうが、そこにももちろん誰もいない。誰も使っていないのに、綺麗にベッドメイクも施されており、無駄に完璧だという印象を受ける。

 そうして探検して回り、最後に残ったのは屋根裏だった。

 急に狭くなった階段を昇り、小さな扉を開ける。


 中を覗いて。

 一瞬、唖然とする。

 その部屋は、まるで物置だった。


 館の中は、がらんとしている割に隅々まで掃除が行き届いている。一晩寝て起きると、綺麗に片づけがされている。望んだものがいつの間にか出現しているのと同じように、いらないものは消え、使ったものは元あった場所に綺麗に陳列されているのだ。まるで、使う前にリセットされているかのように。

 それなのに、この部屋はどうだろう。

 館には似合わない、古い家具の数々。中には壊れているものもある。部屋の中は埃が積もっており、かび臭さも感じられた。

 そんな中でも、一際古い机が目に入る。いくら物置とはいえ、豪奢な館の中にあってあまりに浮いている質素なその机が気になり、ふと引き出しに手をかけた。


「……?」


 何かが動いたような気がして、引き出しから手を離した。部屋の中を見回すと、すぐに何が動いたかに気が付く。

 部屋の隅に、ひっそりと大きな姿見が掛けられていた。先程目の端に捉えたものは、鏡に映った自分の姿だろう。

 そういえば、こんな大きな鏡は館の中で見かけた事が無かったな、とふいに思う。

 今まで、特に不便を感じなかったからだろうか。姿見が何処にも見当たらない事に気が付かなかったのだ。だが、こんな場所に押し込んでおくぐらいならどこかに飾ってあってもおかしくはないと思える。

 驚かせてくれたものへと近づき、そろりとその前に立った。色が無く、特に特筆すべきも無い平凡な男の姿が大きな姿見に映し出される。


 ……考えすぎか。


 姿見の前から立ち去ろうとして背中を向けた時。一瞬、首の後ろに青い色が見えたような気がして、私は身体を捻り、窮屈な体勢で少し伸びてきた髪を持ち上げる。

 鏡を覗き込み、私は絶句した。


 V-3026β。


 首筋に、くっきりと。

 青い文字で、刻まれている。

 それを確認して、私は鏡の前から飛び退くように離れた。

 今のは、何だ。

 ずきりと、鈍い痛みが頭に走る。痛みに引きずられ、何かを一瞬、思い出しかけたような気がした。

 私は。

 一定のリズムで響く鈍痛が、警鐘のように私を追い立てる。

 先程、開けるのを止めた机の引き出しにもう一度、手をかけた。恐る恐る、手前へと引く。きぃ、と古びた音を立てて、引き出しはぎこちなく開いた。


 中に入っていたのは。

 黒光りする拳銃と、数発の弾丸。二振りの、細身のナイフ。

 吸い寄せられるように、拳銃を手にする。ずしりと重い鉄の塊。冷たい、命の感覚。

 それはびっくりするほどしっくりと手になじみ、私の身体を蝕んで行く。


 ――嗚呼。

 わたし、は。


「――そうよ。貴方は、私を殺す為に、ここへやってきたの」


 いつの間に入って来たのか。

 普段通りの声音で、マリアが言う。淡々と、怖ろしい事実を突きつける。


「思い出したのでしょう? 私が何者なのか。何故こんなところへ潜伏しているのか」

「……潜伏」


 ぽつりと、呟く。


「私がここから出て行くと、世界を終わらせてしまうの。そうなる前に、貴方は私を殺す為にここへ送り込まれた刺客」


 マリアの言葉は透明だ。何の色も持たず、私の耳をすり抜けて行く。

 分からない。


「貴方を見つけた時、本当はすぐに分かった。だって、直接こんな場所までくるなんて、それ以外ではありえないもの。私が出て行く事を、況して生きのびる事を望んでいる人間なんて、何処にもいないんだもの」


 ――分からない。

 マリアの言葉の意味が、分からない。

 私に課せられた使命の意味が、分からない。

 どうして。

 マリア、を。

 私にされた命令は、ただ一つ。


『V-3026を、消去しろ』


 思い出せたのは、ただ、それだけ。

 分からなかった。

 何故。

 消さなくちゃ、ならない。

 こんな場所に、一人で隠れている少女を。


 私は、拳銃とナイフを元あった場所にしまうとマリアの細い腕を掴み、強引に部屋の外へ出た。少女は一瞬だけ顔をしかめたが、何も言わずについてくる。

 正面玄関まで歩き、マリアの腕を離すと少女の目の高さまでかがみ、大きな瞳を真っ直ぐに見据えて言った。


「マリア。ここから、出よう」


 少女の瞳が、僅かに揺らぐ。それを確認し、私は一つの確信を得た。


「君がここに隠れているのは、怖いからだ。出て行くのが怖いからだよ。出て行けないんじゃない、ただ、出て行かないだけなんだ」


 世界を終わらせてしまうと語った少女。

 マリアは、その恐怖に耐えられず。

 自分の存在に耐えられず。

 館の中に隠れていれば良いと、思い込んだ。

 それだけでは恐怖から逃れられず。


 ――


 自分を、殺してもらう為に。

 だから、私はにいるのだ。マリアが呼びこまなければ、決してたどり着けたはずがない。彼女が本気で隠れ通すつもりならば、私など届くわけもないのだ。

 外へと続く扉を開ける。窓から見えた景色そのままの、白い白い空間。絵の具をそのままぶちまけたような濃い白の感覚に、私の決心はぐらりと傾ぐ。


「貴方だけ出て行けばいい。そしてこのまま、私を閉じ込めてしまえばいい。貴方には、それが出来るのだから」


 囁く様に、マリアが言う。諦めの混じった台詞に、私は自身を奮い立たせた。


「世界を終わらせてしまう? そんな事、誰が決めたんだ! そんなのはただの可能性だろう! 未来なんか、誰も見えないし分からない。そんな可能性で、君がこんなところに閉じこもっている意味なんてどこにも無いんだ!」


 叫んで、手を伸ばす。折れそうな腕を掴み、ぐいっと強引に抱き寄せる。

 少女は初めて、歳相応の表情を浮かべた。

 少しの間、抱き合ったままだった。くしゃりとマリアの頭を撫で、小さな手を取り扉を潜り抜ける。

 ――二人で、一緒に。

 背中から、重たい扉が勝手に閉まる音が聞こえた。


「私は――


 少女が呟いた瞬間。

 白い世界が、イルミネーションのように青く輝いた。






 ヴィーッとけたたましい警告音が鳴り響く。その音を聞き、バタバタと外野がうるさく動き始めた。


「先生! まだ、時間は残っているのに! どういう事なんです、先生!」

「……V-3026が……急速に変異しています!」


 先生と呼ばれた人物は、電子顕微鏡の映像が映し出されたモニタを確認してどさりと壁に背中を預けた。右手で、顔を覆う。


「先生!」

「……失敗だよ。ワクチンは効かなかった。いや、3026ウィルスに取り込まれてしまったんだ」

「じゃあ、この変異の原因は……!」

「対3026用ワクチン。それと結合して、ウィルスは更に強力になった。この増殖スピードは、もう止められないだろう。世界中に広がるのは時間の問題だ」

世界的大流行パンデミック……」


 我々に出来る事はもう無いよ、と先生は言った。

 新種のウィルスが発見されたのはつい一ヶ月ほど前の事だ。正確には、最初の宿主が、だ。人が、動物が、それに感染すると徐々に青く染まっていき、最後にはぱきん、と軽い音を残して青い砂になってしまう。きめの細かいその砂を吸い込む事によって、ウィルスはあらゆる生き物に感染していくのだ。


 仮にV-3026、通称ブルー・ダイヤモンドダスト、と名づけられたそのウィルスには何の薬も効かず、治療法も無い。感染すれば、ただ砂になるのを待つばかりなのである。唯一の救いは、潜伏期間が長く、発症まで時間が掛かるという点だけだった。

 その時間を使い、研究者達は急ぎ対処法を探し始める。凶悪さに反して、ワクチンを作るのは呆気無い程簡単だった。最初にワクチンを開発したのがここで先生と呼ばれた人物のチームであり、ワクチンの臨床試験は最終段階に入っていた。上手く効いてくれれば、ウィルスを食い止められる。特効薬が開発されるまでの時間を稼げる。


 それが。

 何だって、こんな結果に。

 白衣の男は面を上げ、おもむろに隣室への扉を開いた。

 ガラス張りの、隔離された部屋への扉を。



 ぱきん。

 それは、最初にワクチンを投与した患者が放った最後の音。

 ぱきん。

 ぱきん。

 ガラスが砕けるような音が、連続して聞こえる。

 ――そして。

 隔離された部屋の中を、青い砂がキラキラと飛びまわる。

 まるで。

 青い、ダイヤモンドダストのように。



 美しかった。



 思わず震えてしまうほど。

 知らずに涙が流れてしまうほど。



 それは、凶悪に美しかった。



 青い砂はふわりと絡みつき、事も無げに侵入する。立ち尽くす彼を蹂躙して通り越し、開いた扉から世界へと放たれていく。



 ――ぱきん。

 自身が崩れ去る音を聞きながら。

 男は、美しく舞い踊る青い砂の向こうに、微笑を浮かべるあどけない少女の姿を見たような、気がした。

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ブルー・ダイヤモンドダスト 柊らみ子 @ram-h

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