第19話 はい(Y)

 触れた唇が互いを求めて加速する。ただ軽く触れあうだけだったそれが、次第に熱を帯び康晃の手が果梨の後頭部に添えられた。

 ぐいっと引き寄せられて、仰向いた彼女を喰らうように口付ける。開いた唇の隙間から熱い舌が潜り込み、吐息が絡まった。喉の奥から心地よさを訴えるような甘い声が漏れ、果梨の体温が上がった。

 身体が溶けていく。

 腰の辺りから昇る熱が、甘く全身を犯していく。

 耐え切れず、果梨が腕を伸ばして康晃を引き寄せる。口元で彼が笑うのが判った。

「待て待て」

 熱い吐息が頬を掠めた。唇を離した男が、抱き付く果梨をぎゅっと抱きしめ返す。

「焦るな」

「だ……って……」

 息切れを起こしている果梨から身体を離そうとする。嫌がるように女が縋りついてきた。

 普段なら嫌悪する所だが、もっとと強請られているようで康晃はくすぐったくなるような、甘い欲望に身を震わせた。

「待てって」

 可笑しさを堪えたため、声が震える。赤く潤んだ目元と、困ったような顔でこちらを見上げる果梨にちゅっとキスをして康晃は自分のシャツのボタンを外し始めた。

 ベッドの上に座り込んだ果梨が、じっとその手元を見詰めている。

「外す?」

 低く、誘うようなその声に、ぱっと顔を上げた果梨の喉が微かに動いた。

 外す? 彼が着ているシャツのボタンを?

 果梨は男性のシャツを脱がせたことが無かった。というか、身体に触った事は……ある特定の部分を除いてほとんどない。

 触られるより触る方が好きだった……からだ。あの最低野郎が。

「どうぞ」

 ぱっと手を離した康晃が、ベッドに両手を付く。にじり寄った果梨は、体温を指先に感じながらゆっくりとボタンを外していった。徐々に肌蹴て、ちゃんと節制している身体が現れて来る。

 胸を通り過ぎ、へそを通り過ぎ……。

 引っ張り出されたシャツの裾がジーンズのベルトから下に掛かっている。

 微かに手が震える。

 と、頭上で掠れた笑い声がして果梨は反射的に顔を上げた。

 可笑しそうに口を手で押さえた男が、明後日の方向をみている。真っ赤になりながら睨み付けると、柔らかな眼差しがこちらを見た。

「……何か?」

 耳まで赤くなる果梨。じりじりと下腹部に近づく、白く華奢な手を見詰めてじれったい欲望を感じていた康晃は、彼女の手を掴んで硬くなりかかってる部分に近づけたい衝動を堪えた。

「いえいえ。続きをどうぞ」

 明らかに楽しんでいるか笑っているかという口調で言われて、果梨はぎゅっと唇を結んだ。

 果穂ならどうする?

 くっと顎を上げ、果梨は自分が持っている最大限の「妖艶さ」を総動員して艶っぽく笑うと唇を舐めた。ぎらっと康晃の目に欲望の刃が翻った。

 震えを押し隠して、果梨はことさらゆっくりと腹部と……あと目を向けないように気を付けながら下半身の上を通りながらボタンを外していった。

「お前」

 焦れた康晃が手を取るより先に、ぱっと手を広げた果梨がどうだ、というように男を見上げた。

 歯噛みし、男は彼女を抱き寄せるとキスをする。

 何度か唇を斜めにかわした後、再び離れた果梨に男はにやりと笑って見せた。

「で? 次は?」

 溶けたバターのような眼差しを受け止めながら、果梨は熱くてすべらかな肌にそっと両手を這わせた。胸から背中へ。それからきちんと引き締まった腰。おへそ。そこから上にもう一度上がって肩を撫でる。

 果梨の手の甲に引っかかったシャツが背中に落ちていく。

 途切れた吐息が康晃から洩れて、果梨は嬉しくなった。

「気持ちいい?」

 喉元に向かって囁く。途端、びくりと彼の身体が揺れる。それに気を良くした女がちらっと康晃の首を舐めた。

「あんまり調子に乗るなよ」

 低い声が警告する。

 それを証明するように、乾いた大きな手が果梨のパーカーの裾から忍び込み、ワンピースのファスナーに辿りつく。

「ダメです。私が先に―――」

「嫌だ」

 ベッドに付いていたもう片方の手が、果梨の腰を捉え、座っている彼女を引き寄せてキスをする。

 そうしながら器用にパーカーを脱がせ、ファスナーが背中を滑り降り肩からワンピースが肌蹴て行く。

 対抗するように、果梨も彼のシャツを引っ張って脱がせ肌に掌を這わせて感触を確かめた。

 だがそれも、ふっと胸元が軽くなった瞬間までだ。

「あ」

 慌てて唇を離し、果梨が胸元を確認する。反射的に隠すよう果梨の腕が動く。だがそれより先に、彼女の二の腕を掴んでその動きを止めた男が、身を倒して柔らかな胸にキスを落とした。

 吐息が肌をくすぐる。

 熱い舌先が、柔らかな胸で誘うように揺れる先端に触れた。

 途端、電撃のようなしびれが胸から足と頭へと走る。鼻に掛かったような甘い声が漏れびくりと果梨の身体が強張った。

 震える彼女の感触に心の裡で微笑みながら、康晃は腕を掴んでいた手の片方を外すと、舌先で攻めていない方の胸に這わせた。

 ふに、と柔らかさを確かめるよう指を動かす。

 ゆっくりと捏ねられて、果梨の身体から力が抜けて行った。

「ふじ……しろさん……」

 ゆっくりと持ち上がった果梨の手が、胸の先端を転がす熱い掌に触れる。舌先で柔らかな白い果実を堪能していた康晃がちゅっと濡れた音を立てて唇を離した。

「どうした?」

 甘い声が名前を呼ぶのが可愛くて、小さく笑いながら顎の下に口付ける。その間にも、両手はマシュマロのような柔らかさを誇る両胸を余す所なく蹂躙している。

 痺れるような、なんとも言い難い感触に震え、意図せぬ声を漏らしながらも果梨は赤くなった頬を隠すように康晃の額に頬を押し付ける。

「へん……な……感じが……」

「変じゃなくて気持ちいいだろ?」

 真面目に言ったつもりだが声に笑みが含まれている。親指で乳首を掠めると果梨が白い喉を見せてのけぞった。すかさず首筋に噛みつく。

「な?」

 耳元で囁かれる低音が、果梨のぞくぞく感を煽る。

 理性が粉々になりそうなのが怖くて、反射的に「やだ」と拒絶の声が出た。だが、康晃は落ちまいとする果梨がこの上なく可愛くて、耳朶にキスを繰り返しながら笑った。

 その笑い声がまた、身体を直撃するから。

「や……あ」

「何が?」

 目尻に口付ける。そのまま身を乗り出して、康晃は果梨をふかふかのベッドの上に押し倒した。重ねて置いてあった枕や雪崩を起こし、その真ん中に果梨が収まった。

 不要なクッションを落とし、こちらを見上げる果梨から視線を逸らす事無くじわりじわりと服を脱がせていく。

「なるほどね」

 笑みが口元を漂う。腰を浮かせてワンピースを引き抜き、続いてストッキングに掌を滑らせる。羞恥心から居た堪れない気分に陥っていた果梨は、康晃の囁きに眉を寄せた。

「何がですか?」

「んー?」

 ストッキングを破きたい衝動を堪え、薄いナイロンを肌に這わせるようにして引っ張り下ろしていく。くすぐったいような、むず痒いような感触に身をよじらせながら再び果梨が康晃を睨んだ。

「だから……なるほどって……」

「ああ」

 するっと片足を脱がせ、いそいそと次の足に取り掛かる。

「良く言うだろ? 男が服を贈る理由」

 満足げに康晃は自分のベッドに横たわる、下着姿の果梨を眺めた。肌が赤く染まっている。

「…………実行してみていかがです?」

 隠れる物は無いかと、シーツの上を闇雲に動く果梨が掠れた小声で尋ねた。その彼女を両手両足で捉え、康晃は狼のように獲物を覗き込みながらゆったりと笑った。

「今度ストッキング買ってやるから破かせろ」

 真っ赤に染まる頬に口付け、笑いを押し隠す。

「それから、俺のネクタイで縛りたい」

「部長ッ」

「ああ、それもいいかもなぁ。そういう時は部長呼びで良いぞ」

「変態ッ」

「馬鹿言え」

 首筋に繰り返すキスを止め、康晃は身を起こすと果梨の二の腕に引っかかっていたブラジャーを外してぽいっと捨てる。それから恭しく女性らしい丸みを帯びたお腹に掌を滑らせた。

 いやらしく撫でられて、くぐもった呻き声が漏れる。

「男は視覚で興奮するんだから、そういうシチュエーションは大好きなの。あ、女は違うっていうのは受け付けないからな」

 何か言うより先に、康晃はショーツの端に掛けた指をゆっくりと動かして下着を下ろしていく。

「今日はちゃんと……優しくしてやる」

「今日『は』?」

 顰め面をする果梨の目に、微かに滲む恐怖に気付き、康晃は脱がせる手を止めて深くキスをした。

「別の日には乱暴にもしたい」

「…………痛くしない?」

 不安そうにこちらを見上げる女が可愛くて、康晃は笑い出しそうになるのを堪えた。ここで笑えば彼女の機嫌を損ねるのは火を見るより明らかだ。

「俺がそんな男に見える?」

 肌を撫でながら、下着を下ろす作業を再開する。ただし身体を横にずらしてじっと瞳を見詰めたまま。

 赤くなりながら、果梨は康晃の瞳の中に欲望と優しさとが混在するのが判った。

 ぎらつく欲望に恐怖を感じる事があった。主に元彼とする際だが。

 だがこの人は信頼できる気がした。

 元彼の非じゃない程遊んでいると思われるのに。女性を切らした事がないと思うのに。

 ただ……きっと女性を甘く包んで溶かしてしまう人なのだということは判った。

 心を……預けてしまわない限り。

(でも……)

「どうした?」

 答えず黙り込む果梨に、康晃が焦れたように尋ねる。足の先から外れたショーツをこれもまたぽいっと放り捨て、無意識に閉じられた彼女の太腿をゆっくりと撫でる。

「…………優しくされたら……どんな女性も部長に落ちそうですね」

 ダメだと分かって居て、崖の端に立ち尽くし、落ちまいと賢明に頑張っているのにそこから飛びたい気がする果梨は、ふいっと視線をそらして皮肉気に囁いた。驚いたように康晃の目が見開かれる。それからにやりと気怠い笑みが漂った。

「なんだ? お前も落ちそうなのか?」

「他の女性の事を言ってるんです」

「お前ね」

 果梨の全身をじっと眺めながら、康晃は人差し指でゆっくりと絵を描くように肌を撫でて行く。肝心の部分に触れないそれが、果梨の空洞に熱い液体を注いでいく。

 白い肌を辿って来た指が、熟れたイチゴの赤に染まる唇に辿りつく。

「イヴを女と一緒に過ごしたことのない男が、過ごそうと選んだ女をいつもと同じようにすると思うか?」

 肘を付いて己の頭を起こした康晃が、彼女の視線が合うまでじっと見詰める。ようやく沈黙に耐えられなかったのか果梨が視線を合わせて来た。

 不安げに揺れている彼女の瞳。その目元に康晃は口付けた。

「馬鹿だな」

 その台詞に果梨は泣きたくなった。

 そう、馬鹿だ。

 馬鹿過ぎて……笑えるし……泣けてくる。

(このままで良いわけないのに……)

 でももう抗えない。

 こんな人に求められて、優しくされて、どうやって拒絶出来る?

「特別だって……思っていいんですか?」

 不安そうな一言。擦り寄るような彼女からのそれに、康晃の心が湧き立った。ようやく果穂を手に入れられる……。だがその瞬間、全く気付かなかったが康晃の胸の奥底、深い部分に妙な痛みが走った。しかしそれは彼が自覚し、手を伸ばすより先に消えていく。

 微かなそれを無視して、康晃は彼の胸に顔を埋める果穂の髪を柔らかく撫でた。

「じゃなきゃここに連れて来ない」

 吐息が耳朶をくすぐり、果梨は一度ぎゅっと目を閉じるとそうっと開けて手を伸ばした。

「だったら……掴みたいです」

 しっかりした彼女の声に、彼はありったけの情熱をこめて口付けを返した。







 柔らかなオレンジの闇の中、甘い嬌声が漏れる。白い裸体を晒した果梨の足の間に手を添えた男が、長い指先で蕩ける蜜を溢れさせる泉を弄る。

 繰り返し愛撫を受けた白い胸は赤く染まり、何度目になるか判らない舌先の攻撃で濡れていた。

 自分の声が抑えられない経験などしたことのない果梨は、身体の奥にある空洞が、満たされたいと願い、狂いそうになるほど攻撃を止めない康晃にありとあらゆる感情を掻き立てられた。

 前回経験した絶頂を見せてくれない苛立ち。

 決して押しつけがましくない行為に得る甘美。

 縋りつけば応えてくれる優しさに感じる切なさ。

 ただ闇雲に抱かれたいと願う衝動。

 理性と本能がぶつかって火花を散らすなか、男はどこ吹く風で果梨を翻弄するのだから殺意も芽生えるというものだ。

「お……ねが……」

 喘ぐ甘やかな声の隙間に、瞳を潤ませた果梨が懇願する。

 喉を逸らせて首を振る女に、下半身が異様に熱くなる。だがそれでも康晃は彼女をじらして啼かせたいという、嗜虐的感情を抑えられない。

「なにが?」

 どこか間延びした声で尋ねる。白々しい、と果梨が眼を見開いて男を睨んだ。

「どんなお願い?」

 笑みを含んだ声で、酷く意地悪く尋ねる。

「これ?」

 更に深く指を喰い込ませ、親指が見付けた花芽を掠める。一際高い声が彼女の喉から洩れた。

 擦るようにいたぶりながら、康晃は身を倒し、吐息を乳房の先端に吹きかける。

「それともこれ?」

 ぞくぞく感が喉を震わせ、甘い声が果梨の口から弱々しく吐きだされた。

 柔らかな胸を再び捏ねながら、先端をたまに掠めてやる。決定的な刺激が足りず、果梨は再び涙に濡れた目尻で康晃を睨み付けた。

「ちゃんと……」

 熱く濡れて絡みつく蜜壺に、突っ込まれている指が柔らかな内部を探る。緊張と緩和という相反する反応を呼び覚ます、感覚の塊のような場所を探り当てられ果梨は泣きたくなった。

 締め付ける感触に気を良くし、首を振る女の顎や頬、首にキスを繰り返す。

「ちゃんとなに?」

 いかせてほしい。

 言葉が喉に詰まる。恨みがましく康晃を睨む果梨に、男は地悪く笑った。

「なに?」

 言わなきゃやらない。

 胸からゆっくりと手が降りて行き、濡れた音を立てて掻きまわしていた指も引き抜かれる。怒りと困惑の混じった瞳が康晃を睨み付ける。皺の寄った眉間と涙という様子に今直ぐ突っ込みたい衝動に駆られた。

「言って?」

 いって? いかせてくれないのに?

 口をぱくぱくさせる女が可愛くて、男は五本の指の先だけでゆっくりと太腿を撫でる。

「ん~?」

 脚が開きたくて、膝頭が揺れる。上下に肌の柔らかさと滑らかさを確かめるように撫でまわす男に、果梨は我慢できなくなり、震える声で訴えた。

「ちゃんと……して」

「何を?」

 身体を倒した男がすかさず尋ねる。片手が三度胸を堪能し始める。それも、酷くゆっくりと霞めるように。

 弾力のある白い果実に指が埋まる。質感を確かめるようにやわやわとされて、果梨の脳が満たされたいという欲求に占拠された。

「いかせて……」

 やや強くハッキリと言葉が零れる。

「どうやって? 指で?」

 熱く柔らかな身体の中心の花芽を、押される。

「それとも……?」

 濡れた蜜壺に、水音を立てて指がほんの少し沈む。

「いれてほしい?」

 熱い吐息が、掠れた声を伴って耳を犯し脳裏へと流れ込んで行く。

 赤くキスのし過ぎでぽってりと腫れた唇が、康晃を求めて蠢く。頬を押し当て、男は酷く嬉しそうに、男性優位に笑った。

 悔しいけれど、主導権は彼にある。

 男性に全てを奪われている。

 それは、元彼の時に感じた不快なモノとは百八十度違っていた。

 優しくしてくれるという安心感。大事にしてくれているという確信。

 ぐいっと彼の後頭部の髪を引っ張り、果梨は砕け散りそうな眼差しに康晃を映した。

「……満たして」

 懇願の混じった甘い声に、康晃は屈せざるを得なかった。

 何故なら自分の情熱の証が彼女の体内を満たす所を想像してしまったから。

「……お前なッ」

 本当はもっと……どこに何が欲しいのか言わせたかったが、抑制が効かなくなるのがよく判った。

 大切に、優しく、喜ばせたい……そんな感情が満たしたい、穢したい、犯したいという下衆な本能に屈服していく。

 焦る康晃が意外で、果梨は震える息を吸い込むとそっと囁いた。

「や……すあき……さんがほし……」

 それだけで放出しそうになるのを信じられない思いで噛みしめながら、康晃は呻き声とも唸り声とも取れない不可解な声を発しながら強引に彼女の脚を持ち上げた。

「煽ったのは……」

 奥歯を噛みしめたぎりぎりの所で囁く。

「お前だからなッ」

 脚で果梨の膝を割り、シーツに押し付けるように開く。

 その瞬間に感じた羞恥と、ほんの僅かな恐怖とそれから屈辱が、男が避妊具を着ける間果梨の脳裏を混じり合って駆け巡った。だが続いて折り重なるように被さる康晃の体温と香りに、跡形もなく掻き消えて行く。

 ぎゅっと抱きしめられ、額に感じる肩の熱さに身体が中心から震えた。

 何かを言おうとして、言えなくて。

 その瞬間に、指よりももっと硬くて大きな物が燃えるような熱さと共に晒した部分に触れるのが判った。

 それが空洞を目指して突き進み、焼けつくような感触が身体の中心へと這って行く。

 それに果梨のすべての理性的な思考が停止した。

 もちろん康晃の理性など彼女に触れた瞬間、木っ端みじんになっている。

 確かに異質な物が触れあっているのに、繋がっている場所から溶けて行く気がする。このまま二人を隔てる境界線が壊れ、一つに混じりあっても可笑しくない。

 締め付ける感触を楽しむ余裕も、熱に浮いて甘い声を上げる女を優越感と共に見下ろす事も出来ない。ただただ……彼女の中を知りたくてたまらなくなる。

 じらすような動きは成りを潜め、突かれ、揺さぶられる衝撃が果梨を端から埋めていく。

 どこかに追いやられようとするのを堪えるように、果梨は手を伸ばして必死に康晃にしがみついた。

 触れるどこもかしこも熱くて……掌が燃えるようだ。

 意味をなさない言葉が漏れ、ぎゅっと閉じた目蓋の裏にちかちか光る星のような点を追って行く。

 やがて、一定だった速度がいやらしくなり……徐々に切羽詰まって行く。

 解放されたい、崖から飛びたい欲求が膨らむ。それが怖くてしがみつけば、宥めるようなキスを頬に受けた。

 二人だけに通じる言葉、熱と溶けた吐息が二人の間を埋め果梨はオカシクなるのを恐れるように康晃の肩に噛みついた。

 痛みに一瞬強張る身体。だが震える背中を抱き寄せてしっかりと交われば、それすらも康晃を駆り立てて行く。

 優しさのかけらもなく、ただ己の欲望を追い掛け……解き放ちたいだけで追い込んでいく。

 やがて果梨の喉からか細い悲鳴が漏れた。

 と同時に、目蓋の裏が真っ白になって果梨は自分の身体全てが砕けて震え、康晃と混じり合っていくのが確かに判った。

 縋りつく女を力一杯抱きしめ、康晃もまた目が眩むような衝撃を追って身体中の全てをつぎ込んだ。

 高く高く舞い上がった身体は、螺旋を描いて落ちていく。

 頽れる康晃の身体の重み受け止めながら、全身を覆う疲労と倦怠感の中で果梨は今手にしたものを思って胸が切なく震えるのが判った。

 なんてものを……手にしてしまったのだろうか。

 荒い呼吸を繰り返す康晃が……愛しくて仕方ない。

 欲しくてしょうがない。

 自分だけのものにしたくて、手が震える。

 しがみついて、果梨は目を閉じた。

「…………どうした?」

 大儀そうに康晃が尋ねる。正直……一度でここまでありったけの力を持って行かれるとは思っていなかった。だが、どう言う訳か満足すると同時に不満でもあった。

 まだまだ……足りないと身体のどこかが欲求する。

 熱くしなやかで柔らかく、手に馴染む女を抱き締め、濡れた首筋にキスをする。

「果穂?」

 そっと名前を呼ぶと、彼女は首を振った。

「どうした」

 また激しく首を振る。

「果穂?」

 困惑した声が果梨を呼ぶ。くぐもった声が悲しげに囁いた。

「その名前……嫌いだから呼ばないで」

 子供のような物言いに康晃は思いがけず吹き出した。

「お前の名前だろ?」

「……キライなの」

「なんで?」

 揶揄うような康晃の口調に、顔を上げた果梨の眼で何かが砕けていた。気付き、康晃は彼女が名前を嫌う理由がただの戯言ではないのに気が付いた。

 確かな理由から、彼女はその名が嫌いなのだろう。

「その名で呼ばないで」

 声に混じる懇願を聞き取り、康晃は穏やかに笑った。

「じゃあ……何て呼べばいい? 渾名でもあるのか?」

 彼女の体の上から退いた男が、そっと優しく女の頬を撫でた。

 目に映る優しさに、果梨は「果梨と呼んで」という願いが溢れそうになった。

 でもそれは……正しくない。

 確かに果梨は、果梨だ。果穂じゃない。

 だが、呼び名が戻った所で全てが元に戻るわけじゃないのだ。

 どこまで行っても康晃に取って果梨は果穂だし、果穂は居なくて、果梨がその代役を続けている事実は変わらないし終わらない。

 涙が溢れた。

「な、なんだ!? どうした!?」

 愛し合った直後に泣かれたことなど無い康晃は焦る。しかも、この女に泣かれると……胸が痛むから性質が悪い。

「高槻」

 名前で呼ぶのを封じられ、呼び名も無いのなら苗字しかない。色気もへったくれもないが構わず囁くと、きゅうっと女が抱き付いてきた。

「…………一回でいいので……」

 彼女の声が身体に響く。

「かりん、って呼んでください」

 ――――なんで?

 そんな疑問が康晃の脳裏を掠めるが、抱き付く女があまりに必死で男は流せず、そっと背中を撫でた。

「かりん」

 ただの三つの音が、彼女のハートに直撃する。

(もういい……)

 康晃の声で、口で、吐息で囁かれた名前は……二度と彼女が手にする事は無いものかもしれない。

「…………ありがとうございます」

「…………どういたしまして」

 腑に落ちない、複雑な表情のままそう答え、康晃はしばらく彼女を横向きに抱いていた。やがて決心がつき、その名の意味を問おうとそっと身体を離して苦笑した。

「…………ま……今日はまた大変だったしな」

 すとんと泣いたまま眠っている女を見下ろし、康晃は微笑んだ。

 仕方ない。

 取り敢えず、彼女を捕まえることに成功したのだ。

 時間ならいくらでもあるのだから。

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