第9話 アクセス権限が設けられています
十一月下旬のある日。果梨の部屋にやって来た果穂は妹に入れ替わりを提案した。
「何言ってんの、アンタ」
驚き、ぽかんと口を開ける果梨に果穂は目尻にたまっていた涙を拭うと口をへの字に結んで震える両手をお腹に当てた。
「だって……産休を取ったらばれちゃうから」
「さ………………」
唐突に零れたその単語に、果梨は顎が外れるかと思った。自分とそっくりの姉が再び大きな瞳から涙を零すのを同じく泣きたいような気持で見詰める。
ぐす、と鼻を鳴らす果穂を凝視した後果梨は震える声で問いただした。
「あんた……に……妊娠してるの?」
その台詞に勢いよく果穂が顔を上げた。
「月並みな事を言うつもりなら、もうさんざん自分で考えたから訊かないからね!」
「何威張ってんのよ、アンタはッ!」
攻撃的な口調に思わず応戦し、更に零れる果穂の涙に喉から飛び出しそうな言葉を必死で飲みこんだ。
「相手は? なんだって?」
当たり前の質問をする。だが果穂はふるふると首を振り恐ろしい程鋭い目で果梨を睨んだ。
「ねぇ果梨。私にもなけなしのプライドがあるの」
どんなだよ、と突っ込みたくなるのを堪え果梨は黙って頷いた。
「…………私……産休を取りますって会社を休むわけにも行かないし、かといって辞表を出して田舎に帰りますとも言いたくない」
「別に田舎に帰ると言わなくても新しく就職しますとか……」
「そんな気も無い事を言えない」
「あたしに入れ替われっていう方が非常識だわ!」
怒鳴り返すと、ぽろぽろと涙を零すだけだった果穂がわっと泣き出した。
「分かってるわよ、そんなこと! でも産休を取りますなんて言ったら相手はどうしたとか、結婚はとか言われるでしょ!? そしたら……あ……のひと……責任……と……」
後は言葉にならず、苦しげな呻き声が続く。
「……別に、誰も何も言わないと思うケド?」
今日日シングルマザーは珍しくない。確かにゲスイ好奇の目で見られるかもしれないが、どうこう言わせない強さを果穂は持っている筈だ。
だが果穂はふるふると首を振り、ぎゅっと短いスカートを握りしめた。
「別に子供が出来たから産休をとか……相手が誰だか判らないけど産みますとか……それは自分の覚悟の問題だし、自分と子供の問題だから他人にとやかく言わせない自信もある。でも……私……あの人に迷惑はかけたくない」
きっと彼は責任感が強いから、結婚しようって言ってくれる。当然の義務だと言って。
「でもそれに耐える自信がない。ある事ない事噂されるのは耐えられるけど……か……彼に迷惑をかけてるんだって……一生の決断をさせたんだって思っては生きてけない……」
しゃくりあげ、目の縁を真っ赤にして泣きじゃくる果穂を前に、果梨は溜息を吐いた。
子供は一人で出来るものじゃない。処女懐胎なんか生物学上無理だ。避妊具の成功確率は百パーではない。どんな事にもリスクはつきものだし、その責任を理解し、取りたいと申し出るのは立派な男の証明だろう。
だが。
果梨の脳裏にあの戦闘の日々が過った。侵攻して来る敵の物資。それに対して彼女が取ったのは「確認」だけだった。
問いただす事も、怒りをぶつける事もしなかった。
―――お前は本当に俺の事好きだったのか?
それは別れる際に言われたセリフだった。
好きだった。だから……彼の為に重たい女にはなりたくなくて、要求を拒めば捨てられるような気がして従順になった。
彼の為だったのに何故伝わらなかったのだろうか。
「その人の為に……隠しておきたいの?」
俯いて唇を噛みしめる果穂の肩を、果梨はそっと撫でた。
双子の姉はこくりと子供の様に頷いた。
涙に濡れた、自分とよく似た眼差しが自分を映している。こう言う時、自分とほぼ同じDNAを持っているのは非常に厄介だった。
トンデモナイ提案をする姉の気持ちがよく判るし……そしてそれを実行してもいいと思ってしまうのだから。
宿った命を捨て去るという選択肢は最初からない。自分が仕事を辞めれば必ずその人は理由に気付き苦しむ。産休なんてもっての他。
だから。
「落ち着いて考えられるまでの間で良いの……」
今……この現状にくすぶっているだけよりはきっとましだろうと果梨は果穂の提案を呑んだ。
果穂は上手に上辺だけの付き合いをしていたようだし、仕事も難しいプロジェクトを任されているわけでもない。
きっと行ける。半年くらいなら何とかなる。
と、思っていたのだが。
(わずか数週間でこの体たらく……)
藤城の凍れる質問に答える事が出来なかった果梨は、無言で引きずられ彼の部屋の、彼の寝室に閉じ込められる結果になった。
ベッドの上に押し倒されて、上から見下ろされる。背筋を冷気とそのほかの物が伝い降りぞくぞくしたものが身体を駆け抜けて行く。
「で?」
両手首に彼の乾いて熱い掌を感じる。重そうに落ちた目蓋の下から怖すぎる眼差しが自分を凝視していた。
「お前は巧とどういう関係なんだ?」
(それはこっちが聞きたいわよ)
視線が泳ぎそうになるのを懸命に堪え、果梨は必死に逃げ道を探した。
果穂と白石の間に何かがあった。白石は果穂を名前で呼び、何のゲームだと苛立ちながら訊ねた。だがそれだけでは白石が果穂の相手であるという結論には達しない。
なにせ果穂は全然全く関係ない藤城にプロポーズをしているのだから。
まぁ白石にプロポーズしていない可能性はゼロではないが。
(部長が父親って事は……無いわよね?)
一瞬、そんな考えが頭をよぎるが果梨はそれを即座に否定した。この男が不用意に誰かを妊娠させるとは思えないし、果穂とそんなに深い仲だったようには思えない。
彼は果梨の貞操観念に対する提案を笑いながら受け入れてくれたのだから。もし何度も身体を重ねていたのならそんな提案は一蹴されていた筈だし。
「果穂?」
低く甘い声が、優しく促す。だがその優しさの下に短剣のように鋭い物が隠されている事に反射的に気付いた。
「怒らないから言え」
「もう既に十分信じられないほど怒ってるじゃないですか」
「―――これ以上怒らないから」
「もう既にマックスで怒ってるでしょ!」
青ざめながら言い返せば、藤城はにっこりと微笑んだ。
「それが爆発するかしないかはお前の態度次第だ」
(怖い怖い怖い怖い)
一ミリも笑っていない眼差しが果梨を貫く。ぐ、と手首を掴む手に力が入り彼が一段身を倒した。
「で? 答えは?」
ぐるぐる回る視界を締め出すように、果梨はぎゅっと目を閉じた。もう果穂の事に構ってる場合ではない。兎に角自分が疑われないようにするしかない。
「す……数回話しただけで……単なる知り合いです」
少なくともこれは果梨の真実だ。吐きだすようにそう告げて、爆発しそうな心臓の鼓動を耳元で聞きながら果梨は続く藤城の言葉を待った。
しばしの沈黙。
「お前」
不意に耳元で掠れた声が響き果梨の身体がびくりと跳ねた。
「もうちょっとまともな嘘を吐け」
温かな吐息が耳をくすぐる。首の付け根から背中に掛けて甘いしびれが走る。ふあ、と反射的に声が漏れ果梨はぱっと目を開けた。
覆いかぶさる藤城が微かに笑うのが判った。
「耳、弱いなぁ」
「嘘じゃないですだからやめて」
楽しげに耳元で囁く男に、必死で抗いながら果梨は自棄になって叫ぶ。
「本当にちょっと話すだけで……だから……お、恐らく向こうが勘違いを……」
「勘違い?」
ちう、と軽い音を立てて耳朶にキスをする。ぞくぞくする感触に喉が勝手に甘い声を漏らした。
「だからやめてッ」
「一晩中、触るだけ触って高めるだけ高めてやってもいいんだぞ?」
「やっぱり怒ってるじゃないですか」
「当たり前だ」
手首を押さえる彼の手の親指が、ゆっくりと円を描くように果梨の肌を撫でる。喉にキスを受け歯を立てられ果梨の思考が麻痺していく。
「生殺しにされたくないなら本当のことを言え」
本当の事。
一瞬果梨は正体を暴露しろと言われたのかと錯覚した。それが出来れば簡単だ。私は果穂じゃないです。彼女の妹の果梨なんですと。
そうした時、藤城はどうするだろう?
く、と楽しそうな含み笑い。果梨の腕から力が抜けたのを確認し、藤城がその手を器用に動かしていく。全身くまなく撫でられれば、きっと自分は要らない事まで喋ってしまう―――
「果穂」
頬にキスされ甘く囁かれた名前に、果梨ははっと我に返った。
(って何考えてんのよ)
一瞬で冷静になり、その瞬間に果梨は覆いかぶさる藤城の背中を叩いた。
「ですから、本当に……私は何の関係も無いんですッ」
強めの拒絶に、誘惑して話させようと画策していた康晃は思わず顔を上げた。
腕の下にいる女が、先程とは打って変わってただ真っ直ぐに……頑固そうにこちらを睨んでいた。唇がへの字に結ばれている。強張り青ざめた様子の高槻に、康晃は戸惑った。
ほんの数秒前までは溶けそうになっていたというのに、今はもう凍り付いている。
このまま問い詰めるべきか。
それとも一度撤退するべきか。
三秒後に、ごくあっさりと康晃は結論を出した。
兎に角今日は面倒な事ばかりだった。特に香月とのやり取りは非常に神経を使った。そして目の前には自分のベッドに抑え込まれている、自分の『彼女』がいるのだ。
プロポーズした理由に白石が関わっているのだとして……今現在、ここに白石は居ない。果穂と白石の間に何かあったのだとしてもそれは過去の事だ。
過去……この女を白石が押し倒し、堪能していたとしても問題な…………
(ムカつく)
急激に膨れ上がる独占欲。それに康晃は歯止めをかけることを拒否した。果穂と白石との間に何が有ったのかを問い詰めるのはまだ後で良い。
だが、もし万が一白石が果穂に手を出していたのだとしたら。
すっと藤城の顔が熱を帯び、冷徹で凍りそうなのにぎらついていた瞳が色を帯びて行く。
(あれ……)
果梨は上司の表情の変化に戸惑った。必ず聞き出してやるという勢いが消えて、代りにオカシナ色気が増している。途端、果梨の心臓が別の意味で高鳴り出した。
不安から……オカシナ色気に当てられた期待へと。
「まあいい」
甘い声が、ぞっとするほど優しく告げる。
あっさりと方向転換した康晃が、飢えた狼のような笑みを浮かべた。
「他の男がどうであれ……今はお前は俺のモノだからな」
途端、果梨の中で警鐘が鳴り響いた。マズイ。マズイマズイマズイマズイ。
「ぶ、部長! こ、ここ、こういう関係はまだだって」
「知るか」
一刀両断され、果梨は眩暈がした。
「違うんです! ああいやあの……あ、あたし居間のソファで寝ますから! ほ、ほらもう深夜三時だしこういうことはもっとムードがあったほうが」
「俺に我慢を強いるのか?」
鼻で笑う。
「無理な相談だな」
「でも尊重するって言ってくれたじゃないですかッ!」
「知るか」
「部長!」
「康、晃ッ」
そのままじりじりと迫って来る。康晃の乾いた大きな手が着たままだったジャージの裾へと侵入しパジャマを引っ張り出した。
「果穂」
甘い声が囁くのはどうしても……他人の名前。それが生むちくりとした痛みに果梨は目を瞑りたくなかった。
「じ……実は私今日危険日なんです!」
気付けば果梨は破れかぶれにそう叫んでいた。
こちこちと鳴り響く時計の音。ベッドから起き上がった康晃は歯を食いしばりこちらを睨んでいた。恐ろしい程の怒りが滲んでいる。だがそれ以上迫って来ない。
当然だ。
これ以上ない拒絶の一撃を果梨が繰り出したのだ。しかも……言われた方が本当かどうか判らない拒絶を。
「あの……」
「なんだ」
低く不機嫌な声が噛みつくように答える。そろそろとベッドの端に寄り、降りようとしながら果梨は努めて神妙に聞こえるように告げた。
「私……り、リビングで寝ますね」
引きつった笑みを浮かべながら寝室を抜け出そうとする果梨の腰を、康晃はがっちりと掴んだ。
あっと思う間もなくそのまま再びベッドに引き倒す。
圧し掛かる康晃は、こめかみに青筋を立てながら微笑むという怖すぎる芸当をして見せた。
「これ以上俺を怒らせるつもりなら……危険日だろうが関係なくやりたいようにやるからな」
低い声が脅す。こくこくと頷く果梨の頬を、目を細めた康晃がゆったりと撫でて行った。
「この、俺に、お預けを食らわせて、只で済むと思うなよ」
パジャマの上にジャージを着ているというのに、丸裸にされたような気になる。そんな目つきで真っ直ぐに見下ろされ、果梨は赤くなる頬を隠すことが出来なかった。
それでも睨み返す果梨に、康晃はそそられると同時に手を出せないジレンマに歯噛みした。
そこでふと思い出す。彼女が自分に「許した」行為もあった筈だ。
十一月下旬。彼女の家で。
不意に口の端を上げて嗤う康晃に、果梨は嫌な予感がした。ゆっくりと男が身を起こす。そうしながら緩く握った果梨の手首を引っ張って同じように起こした。
「なあ、果穂」
「高槻、です」
「……高槻。お前、俺としたこと覚えてるよな?」
答えるより先に、康晃は果梨にキスをした。何度も何度も唇を重ねて、言葉ではなく甘い感覚で説得する。逃げようとする傍から、彼に手を掴まれ腰を抱かれ、頬を押さえられ果梨は徐々に抵抗できなくなっていった。やがて小さく、身を委ねるような反応が果梨から返って来た瞬間を康晃は見逃さなかった。
トレーナーもTシャツも脱ぎ捨て、上半身裸になった彼の手が器用に果梨のジャージを脱がせていく。あっと言う間に上を脱がせ、パジャマのボタンに手を掛けた所でようやく唇を離した。
「果穂……」
「違……」
高槻と呼べと促すであろう彼女の言葉を、再び優しく口をふさいで飲みこむ。パジャマのボタンを長い指で器用に外し、現れたキャミソールの縁から己の手を彼女の肌へと滑らせた。
(駄目ッ)
ひんやりとした空気と、それを払しょくするような酷く熱い物が肌を滑り果梨は思わず身を引こうとする。その動きを利用するように康晃が身を乗り出し、あっという間に再びシーツに倒された。
「部長」
自分のパジャマの前が肌蹴るのが判り、焦った果梨が前を合わせようとする。だがその手を片手で掴んだ康晃に頭の上でひとまとめにされてしまった。
胸をさらけ出すような格好に、見る見るうちに果梨の肌が赤く染まって行く。
「可愛い」
くすっと笑いながら告げられて、果梨の顔が羞恥に歪んだ。
悔しいが、きちんと均整の取れ引き締まった康晃の身体から目が離せない。
微かに触れてみたくて指先がうずく。その感情に更に果梨の顔が赤くなった。
全身真っ赤。それでも困ったように眉間に山を気付く果梨が何か言うより先に唇を塞ぎ、康晃の手が果梨の衣類を一枚、一枚とはぎ取って行った。とうとうブラジャーまで外され身に付けているのが下着一枚という所まで来た。
間接照明のオレンジ色の光の中で、自分のベッドの上に投げ出された白い裸体。康晃は今まで感じた事のない激しい欲求が込み上げてくるのが判った。
一秒でも早く、彼女の足の間に自分の身体を埋めたい……そんな単純で十代の若者のような欲求が全身を満たしていく。
普段女性を抱いている時に働く、どこか冷めたような……自分を俯瞰的に見て居るようなそんな感覚が今は一切働かない。ただただひたすら……彼女が欲しい。
形を確かめるように、大きな掌が身体を淫らに撫でて行く。それに身をよじりながら果梨は焦ると同時に流されたい衝動が大きく膨らむのを感じていた。
彼とキスをするのは駄目だ。
キスした瞬間何もかもどうでもよくなってしまう。
今だって、手首の拘束は緩く、本気で抗えばきっと彼は止めてくれる。
だが、止めたくない。
(なんで……)
止めなくてはならない。果梨と果穂の決定的な違いがあるとすれば『男性経験』だろう。もし今藤城に全てをさらけ出したら、恐らく彼は気付くはずだ。
果梨がそれほど……男性に身を任せた事がない事実に。
前の彼氏が初めての相手だったが……ベッドでは最悪だった。
痛いし……勝手だし……ちっともこちらを顧みてくれなかった。そうなると自然と拒む機会が多くなった。
身体の関係イコール不快な物。
そんな図が知らぬ間に果梨の中に成り立っていた。
双子とはいえ多分……恋愛を繰り返し、男性と楽しく付き合っていた果穂はそんな事ないだろう。
藤城と果穂の間にどんな事が有ったのか知らないが、間違いなく果梨の反応は藤城の疑問を煽る。
気持ちいい反応何て出来ないのだから。
不意に昔の感触が頭を過った。不快感を押し隠し、そっと見上げた彼氏の……自己満足だけを追い求めている表情が。
(無理無理無理無理)
目を閉じて、手の感触に耐えるような果梨に康晃は気付いた。熱くなっていた視線を彼女の手に注げば、彼女は怖くて仕方がないという様子でシーツを握り締めていた。その様子にじわりと胸の奥が熱くなる。
「果穂」
低い声で呼ばれ、果梨はそっと目を開けた。くらむ視界に康晃のアップが映る。彼は意外そうでも、怪訝そうでも……ましてや嘲笑する様子もなく、ただ温かく彼女を見下ろしていた。
ブラウンの瞳がきらきらしている。
「力、抜いて」
優しい声。首筋にキスを落としながら、彼の大きな手がなだめるように果梨の胸を辿って行く。ふに、と柔らかくもまれて思わず身体が弾んだ。甘い声が鼻から抜けるように洩れ、果梨は慌てて首にキスを繰り返す康晃に頬を寄せた。
熱い。
その熱が誰の熱か判らないが、兎に角酷く熱い。
「酒の力が無いとダメか?」
再び柔らかく問われ、果梨は何と答えていいか頭が真っ白で思いつけなかった。ぼんやりと見上げていると、見たことのない笑みを浮かべた康晃がキスをしてくる。
何度も何度も……何度も何度も。
熱を帯びた手が、熱心に乳房を愛撫し、頂を丸くこすった。身体の奥にじわりじわりと震えるような我慢できないうずきが溜まって行き、果梨は知らない感触に急に怖くなる。
拒絶と許容を繰り返す、彼女の敏感な反応を感じながら、康晃はしつこくキスを繰り返し舌を絡め、果梨を酔わせようとした。
不意にもっとと強請るように果梨の身体が揺れた。手首から手を離せば彼女が首に抱き付いて来る。
熱い。
共に得た感想。触れあう肌が溶けて、同じ温度になって行く。高い方から低い方へ。そしてどんどん高く高く熱く熱く……。
愛しむように背中を撫でられて、果梨は気持ちよさにくらくらした。触れられるのがこうも心地よいのなら、頭を撫でられる猫が満足気なのも理解できる。
ざらついた脚が自分の足と絡み、ゆっくりと開かれるのに気付いて果梨は目を見張った。
「部長」
声に警告の響きを感じるが、ただ康晃は笑うだけだ。
「ここまでは許してくれただろ?」
下着の上から大切な部分を押され、ふあ、と果梨の口から甘やかな嬌声が漏れた。優しく撫でられ時折揉まれ、濡れていく感触に煽られる。
愛撫を繰り返す手に身体を押し付けたい……。
(なんで……こんな……)
自分が知っている色事とはまるで違う。いたわるように触れたかと思えば強引で。そうかと思えばじれったい程優しい。困った顔で見上げれば、男は意地悪なのにどこか……楽しそうで愛しそうな眼差しを返すのだ。
どこにも自己満足を追求するような感じはない。
(あつい……)
「熱い……」
同じ感想を漏らし、藤城がそっと下着の隙間から指を滑り込ませた。じらすように動かし媚びるような声を漏らす果梨を見詰めたまま、尖って揺れる胸の頂を口に含んだ。
(駄目……)
花芽を擦られて、下腹部から背中を伝い頭へと衝撃が走り抜ける。卑猥な音を立てて胸にキスを繰り返すのに、何故か果梨は身体を押し当てたくて……実際に腰を上げてもっとと訴えた。
長い指が身体に押し込まれ、どこかへと上り詰めて行く果梨を押し上げる。
「……濡れてる」
普通に囁かれたら興ざめなのに、熱っぽく掠れたその声で、飢えたようなその眼付きで、喰らい付きそうなその笑みで言われると、ぞくぞくと身体が震えて落ちて行く。的確に快感を引き出され、貪るように身体中に口付けをされると、瞑った目蓋の裏のきらきら光るものへと手を伸ばしたくなった。求めるものを掴みたいと、もがくその手を康晃は自分の背中に導いた。
「掴まれ」
低く掠れた短い命令。なのに逆らう気など起きない。
絡まる腕と熱い肌。ただただ彼の熱と香りに押されて、果梨は募る快感にだけ集中した。
彼女の身体を押し上げる指先に感じるのは、求めてやまない熱と絡みつく蜜。喉から洩れる嬌声を肌で感じながら、康晃はただただ彼女を喘がせるのがこれ程愉しいとは思わなかった。
可愛らしい反応を返される度に、己も果てそうになる。
(って……十代のガキじゃないんだからッ……)
喉に噛みつき、彼女の身体をかき鳴らしながらただ漏れる声に煽られる。
「ぶ……ちょう……」
「名前」
鋭く意地悪に促せば、濡れた眼差しに自分が映った。
「藤城さん……」
真っ赤になった彼女の呟くようなそれが堪らず、康晃は彼女の唇を塞ぎ、声を奪い、思考の全てを自分で埋め尽くそうとした。
身体の中心に火を付ける指が、果梨を知らない世界へと高めて行く。
その道中しか経験した事のない彼女は、追い込まれ、きらきらした物に自分が向かって行くのが怖くてそして……どうしても辿りつきたくて、ついに最後の理性を手放した。
喉を震わせる声。どんどん熱くなって燃えて行く肌。溶けてなにも見えなくなる思考。
ただただ『欲しい』を追い、果梨の身体は生命が何度も繰り返してきた最も根源的な欲望に屈していった。
「果穂」
溶けて砕けて何でもいいからと叫ぶ本能に、ほんの少し影が落ちる。だがそれはただの記号のような物だった。甘いキャンディを包む包装紙のようでもあった。
そこに包まれた、中の甘さだけが今の果梨には重要だった。
囁かれた『名前の意味』ではなく……響きが持つ甘さと、それが向けられた先だけが重要だと。
今はそう思う。
それでも果梨は……果梨で有る為に、反抗を込めて彼の背中に爪を立てて抱きついた。
引っかかれた痛みに顔を顰めるが、康晃は夢中になっている果梨に免じて微笑んだ。
「このまま……」
ああ……このまま……このまま……。
知らずに涙が込み上げ、募る快感に抗えず、果梨は知らない空の上へと舞い上がり息も出来ない甘美な空気に全身侵され放り出されるのを感じた。
「あー……くそ」
赤くなって意識がもうろうとしている果梨の、弾む白い果実のような胸を見詰めながら、彼女の上に崩れ落ちた康晃は悪態を吐いた。
募った欲望を吐きだす手が無い。……いや、手はあるのだが……手を使って。だがそういう満足を得るには状況が極上過ぎた。
満足そうな吐息を繰り返す、赤く染まった柔らかな肢体が目の前にあるのだ。これを前に自分で自分を慰めるなんてどこの愚か者だ。そんな性癖など持ってないし。
手を伸ばし、康晃は果梨を抱き寄せると自分の上に乗せた。くったりと彼の胸に倒れ込む女を撫でながら、康晃は彼女の耳元で呻いた。
「したい」
「…………死んでません」
むっとした声が言い返す。
「違う。漢字じゃない。平仮名だ」
途端、力の抜けていた彼女の身体が微かに強張る。その様子に調子に乗って続ける。
「いれたい」
「………………コーヒーですか?」
「漢字が違う、バカ」
ああもう。
不思議と笑いが込み上げて、康晃は身体を震わせて笑った。
「お前……ホント……」
「これ以上は駄目です」
きっぱりと拒むようなそれに、康晃は身体が怠く、重くなって行くのを感じた。この女は本当に……俺を殺す気らしい。
「だったらあっちむいてろ」
ぐいっと肩を押すと、柔らかな身体が康晃の上で起き上がる。きょとんと見下ろす彼女に彼は苦笑した。
「お前を気持ちよくさせたはいいが……俺が辛い」
思い当たり、彼女の頬が真っ赤になった。おろおろと視線を泳がせる高槻に、康晃は目を細めた。
不意にもっと遊んでるイメージを勝手に抱いていたことを思い出す。だが、彼女の反応は必死に康晃から得られる快感に付いて行こうとする……可愛らしい物だった。
十二月の頭に見た彼女とは……月と鼈ほど違う。
快感に積極的で求める物に従順だった最初と、恥じらいながら手を伸ばす今日とでは全然違う。
(それだけアルコールの威力は破壊的だって事か……)
だとしたら今の方が断然いい。二度とキス以外で酔わせないと康晃は妙な決意をしながらも俯いて、目元を真っ赤にしてこちらを見る彼女に……下衆な期待が膨らんでいくのを止められない。
「それとも、してくれるのか?」
止めるより先に、欲望が声になって溢れた。
嫌悪から否定されるに決まっているというのに。
言った瞬間から、康晃は舌打ちした。折角二人で得た……どこか崇高ですらあったものを自ら穢したような気がしたのだ。
だが。
嫌悪に歪む表情がそこにあるのかと思って彼女を見た康晃は、真っ赤になってこちらを見下ろす高槻に驚いた。
きゅっと唇を噛んで、困ったように目尻を下げた彼女が囁くように尋ねる。
「……どうすれば……いいです……か?」
その台詞に、康晃の頭が珍しく真っ白になった。
ああもう……そんなセリフを言われたらどんな抑制も爆発して消えるというものだ。
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