(2) 長い一日のはじまり・下

 朝方の職員室。二年三組――唄たちのクラス担任である山崎壱郎やまざきいちろうは、先程まで耳を当てていた受話器を置いた。


「中澤ヒカリ君が休み、と」

「珍しいですね。あの子が休みとは」

「あはは、そうですねー。って、桐野先生、おはようございます」


 山崎が顔を上げると、向かいの机に荷物を置いている最中の桐野レイカがこちらを見ていた。金髪に青色の瞳という日本人離れした容姿は、能力の影響で変化したわけではなく、母が外国人のハーフだからだという。


 対する山崎は、日本人特有の顔立ちだ。中性的な顔を長い髪の毛で隠している、というと陰気な雰囲気があるように思えるが、その実は顔立ちが整っていることもあり、目ざとい女子生徒からアプローチを受けることもあるとか。


 まだ二十四歳という新米教師山崎から向けられる柔和な微笑みを見返し、桐野が挨拶を返す。


「おはようございます。それで風邪ですか?」

「中澤君ですか? いや、それがお姉さんのいうところによると、ずる休みらしいですよ。部屋にこもって出てこないとかなんとか」

「あの子が、ですか?」

「ええ。中澤君のお姉さんが、月曜日は頭を引っ叩いてでも家から放り出すから今日一日は休ませてくれと、そう言っておりました」

「そうなのですか」

「心配ですか?」


 問いかけの意味を図りかねた桐野が、眉を潜める。


「それは教え子なのですからあたりまえです。同じ光の精霊遣いでもありますし……いや、あたくしの場合精霊は召喚できませんから、あの子の方が能力値は高いのかもしれませんが。生徒が休んで、心配しない教師がいるものですか」

「中澤君はこのままいけば皆勤賞でしたからね。そういった意味でも心配ですよねー」

「ええ」


 会話を切り上げると、桐野は自分の席に腰掛けた。そして向かいでニコニコしている山崎に再び視線を向ける。


(いつもニコニコと、よくわからない若造ですね)


 桐野は二十代後半に見えるほど若い外見をしているが、こう見えても双子の娘を育てるシングルマザーで、年齢は三十五歳を超えている。


 自分より十歳以上若い山崎の捉えどころのなさを不審に思いはしたものの、この男は噂によると異能力を持ちながらも能力者の通う学校に通うことなく、「師匠」と呼ばれる人のもとで学んできたとかなんとか。よくわからない噂が多いものだから、一々気にするのも億劫だと、考えるのをやめた。



    ◇◆◇



 姉が入ってこないように、部屋の鍵が閉まっていることを再度確認すると、ヒカリはベッドに身体を投げ出した。


 天井に視線をやると、頭の近くで携帯のバイブ音が響く。

 画面を開き中を確認すると、クラスメイトの友人からのメールだった。今は一時間目の授業中のはずなので、教師の目を盗んで送ってきたのだろう。「休むなんて珍しいな。月曜日待ってるぞ」という文面から、言いようの知れない友情を感じて、ヒカリは「ははっ」と笑う。


 他にもメールが来ていたので確認をするが、そのどれもが友人だった。

 クラスメイトの無口で不愛想な風羽からのメールや、不登校少女で皮肉屋の水練からのメールも、携帯もスマホも持っていない唄からのメールなんてもとよりきていなかった。


 思わずため息を吐く。


「当たり前だよな」


 風羽はよくわからないし、水練は不登校だし、唄は携帯を持っていないのだから。と、自分に言い聞かせることにより気持ちを落ち着かせた。


「あー。くそっ」


 思い出すのは昨日のこと。

 水鶏という、紫色の瞳の少女から聞いた『風林火山』の今日の予定。


 屋上で、水鶏から聞いた「明日、アタシたちが『虹色のダイヤモンド』を盗むから」という、眉唾な情報を思い出す。

 水連と似た皮肉気な口調で伝えられた、その言葉がどれだけ真実なのかはわからない。


 けれどヒカリを悩ませるのには十分だった。

 携帯を放りだし、ヒカリは布団の上で左に右にごろごろ転がる。


「どうすりゃいいんだよ」


 自分一人でできることは、限られている。

 ヒカリ一人では、『風林火山』に立ち向かえるほどの力はない。


 だから彼は悩んでいた。


(唄に伝えた方がいいよなぁ。でも、どうすりゃ)


 携帯持ってない相手のことを想うと、様々な悩みが溢れて、ヒカリは枕に顔を押し付けた。



    ◇◆◇



 一時間目の休み時間になっても、ヒカリは学校にやってこなかった。担任の山崎先生が、朝のホームルームで「中澤君は休みです」と言っていたので知ってはいたものの、唄は気が気でなかった。


 昨日、一時間目の途中に教室に入ってきたヒカリの様子が、どこかおかしかったのもある。ヒカリとは幼馴染で、昔はよく一緒に遊び、怪盗について語り合ったりしていた仲だ。二年前に怪盗になることを決心した唄は、それからなるべく目立たないように学校生活を過ごすようになった。その影響もあり、ヒカリと学校で話すこともなくなり、距離を置くことが多くなったが、それでも幼馴染である彼の挙動不審な態度は見過ごせない。


 ふと顔を上げると、本から視線を上げて顔だけで背後を伺うような風羽と目が合った。


「どうかしたの?」


 尋ねると、「いや」と言い風羽が視線を逸らす。

 不思議に思ったものの、他のクラスメイトの視線がある中で風羽に問いただすわけにもいかずに、唄は言葉を飲み込んだ。


「心配かい?」

「……誰のことかしら」


 小声で問いかけられた言葉に、小声で返す。


「ヒカリのこと。休んだみたいだから」

「私が心配しているのはヒカリじゃなくて、どちらかというと明日のことね」

「ああ、そっち」

 昨日風羽宛に届いた手紙に、土曜日に『風林火山』が『虹色のダイヤモンド』を盗むと予告してきた。それを阻止するべく、唄たちは今夜、『風林火山』の根城に赴く予定だ。


 それを知っているは唄と風羽、それから水練のみで、ヒカリにはまだ伝えていない。今日の帰り、風羽がヒカリに伝える予定だったからだ。因みに、水練からの情報により、『風林火山』の居場所はもう割れている。


 いまここでそれらの話をするわけにはいかず、それを知っている風羽もそれ以上何も訊いてこなかった。


 無言の背中から逸らした視線を窓の外に向ける。前から囁くような声が聞こえてきた。


「僕一人だけじゃ、さすがに『風林火山』の連中を相手にするのは骨が折れるから、帰りにヒカリの家に様子を見に行ってみるよ」

「そう。お願いね」

「君も一緒にくるかい?」

「私は……やめておくわ。ちょっと水練の家に行くから」

「そう。ならそっちは任せたよ」

「そちらこそ」


 今度こそ会話を切り上げると、それを待ち構えていたかのように二時間目開始のチャイムが鳴った。

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