第五曲 五日目
(1) 長い一日のはじまり・上
それは、まだ彼女が元気だった二年前のことだ。
成人式がおわった、その日の夜。彼女の家の近くにある公園で、夜闇のなか明日遊ぶ予定を立てていた時、彼女が思い出すように呟いたのだ。
「もう夜の九時になるね。わたし、これから予定があるんだった。陽性、ごめん。明日会ってからどこに行くか決めようよ」
「用事? こんなに夜遅くから、一体何を」
「んー。内緒」
自分の唇に指を当てて、彼女は微笑んだ。彼女とは長い付き合いだ。陽性は、彼女の予定に心当たりがあった。
「もしかして……まだキミは、あの仕事をやっているのかい?」
「もちろんよ」
「あんな犯罪紛いの危険なことを……ッ、そろそろ、やめようとは思わないのか?」
「楽しいもの。あと十年は続けたいわ」
「十年って……。オレたち、成人したんだぜ。大人になったんだよ。それなのに、いつまで子供の時のまま夢を見続けるんだ……。来月には結婚式も上げる予定なのに」
「冷たいなぁー。陽性は、昔と変わっちゃったね」
「それはそうだろ。もう、あれから何年も一緒に過ごしているんだ。変わらない方がおかしい。……変わらないのはキミだ」
「むー。陽性は、ほんと意地悪になったよね」
「キミはいつも自分勝手だ。あの子供だってそうだ。キミが拾ってきた、琥珀とかいう少年を育てるなんて……オレら、結婚するんだろ? それなのに」
「だって、かわいそうじゃない。居場所がなくて、あの子はずっと寂しい思いをしてきたのだから。少しは温かいところで、過ごさせてあげたいでしょ」
「でも、オレらの子供じゃない。孤児なら、それにふさわしい場所に戻してあげるべきだ。しかもあの子は能力者だ。オレらに、あの子のこれからに責任が持てるわけないだろ」
「もうっ。やっぱり陽性は、昔より頭が固くなっちゃった」
「それはこちらの台詞だ。キミの仕事の報酬なんて些細なものだし、オレもまだ駆け出しの社会人だ。子供一人養うのにいくらかかると思ってるんだ」
「それは大丈夫よ。わたしがどうにかするから」
「どうやって? あんな犯罪紛いの仕事で、どうやって?」
「もうっ。どうにかするってわたしがいっているんだから、それでいいじゃない」
「っ」
「ごめんね、陽性。わたし、そろそろいかなくっちゃ。仲間が待ってるから」
「……そう。そうか、オレよりも仲間のほうが大切か」
「もうっ、ほんとに何を言っているの? 陽性、わたしは、陽性のことを愛しているのよ」
「……オレだって、そうだ」
「手を繋いで。必ず戻ってくるから、明日、一緒に楽しみましょ」
「……そう、だな」
煮え切らない思いのまま、陽性は彼女の後姿を見送った。
それが彼女と顔を合わせて会話をする最後の日だということを知っていれば、陽性は迷わずに彼女を引き止めただろう。
けれどそんなこと知るはずがなく。今夜頭を冷やして、次の日に仲直りすればいいと、陽性は考えながら遠ざかる彼女を見送った。
◇◇◇
まどろみのなか、陽性は目を覚ます。
後悔の夢を見ていた。胸を絞めつけるようなもやもやが、それを表していた。
体を起こす。どうやら、陽性は机に突っ伏したまま寝ていたらしい。背筋を伸ばし、足も延ばしてから、陽性は立ち上がった。昨夜から着ていたスーツは皺くちゃだ。一度顔を洗ってから新しい服に着替えようと思い、陽性は部屋から出た。
廊下を歩いていると突き当りから顔を出した水鶏と、危うくぶつかりそうになり、慌てて避けた。
「っ、よ、陽性。おはよう」
「おはようございます」
「……泣いてたの?」
心配そうな眼差しとともに尋ねられた言葉に、陽性ははっとして目元を拭う。
「少し夢を見ておりまして……」
「そうなんだ」
暫く紫色の瞳は陽性を見つめていたが、ふいっと逸らされた。
水鶏は陽性の傍を通って自室に向かうようだ。
「朝食の準備はできてるから、ちゃんと食べてよね」
「ありがとうございます」
「あと、琥珀は学校に行かないって。あたしも、ちょっと昨日メロディーの仲間に会っちゃったから、今日はどこかで暇をつぶしてくる。あんたは、ご飯済ませたら白亜様の傍にいてあげれば」
「ありがとうございます、水鶏」
刺々しく告げられた優しい少女の言葉に、陽性は微笑みながらお礼を言う。
◇◆◇
「――ん?」
琥珀が目を覚ますと、何やらふさふさとしたものが彼の鼻を塞いでいた。
「ん、あ」
ふさふさをするのをどかすと、「クーン」と今にも消え入りそうな鳴き声耳元で聞こえる。
琥珀は灰色の瞳をあけて、それを見つけた。
「なんだ、チビ。まだ出てたのか」
それは、一見すると狐のようだった。だけど、この世のどこにも存在しない、空想世界の生き物。――琥珀の式神である、白狐だ。
白くちっこい狐の、現実世界にはあり得ないような吸い込まれそうなほど深く黒い瞳を見つめ返しながら、琥珀は誰にも見せることのない慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「……ボクは大丈夫だ。力もだいぶ戻ってきたし」
頭を撫でてやると、白狐――チビが頬に鼻を摺り寄せてくる。
「ふふ、温かいな、オマエは」
甘えるチビの体を抱き寄せ抱えると、琥珀はくすぐったそうに笑う。
「ボク、懐かしい夢を見たんだ」
誰もいない、誰も帰ってこない、部屋の中でひとり取り残された、あの時の夢を。
彼女は帰ってくると言っていた。
それなのに、待っていても彼女は帰ってこなかった。
白銀礼亜。今は「白亜」と名乗っている、自分を救ってくれた主のことを想いながら、琥珀は優しく微笑む。
「……『虹色のダイヤモンド』がどんな宝石なのか、ボクは知らないけど、きっと白亜様の言うことは、正しいよね。だから、ボクは何だってやるんだ」
暗く寂しい世界から救ってくれた彼女に恩を返すためなら、琥珀は自分の力を惜しむことなく使うつもりだ。
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