Act.2

 電車に乗り、最寄りの駅から家まで全速力で走った。


 紫織は宏樹と朋也の家の前に着くなり、肩で何度も息をする。


(宏樹君、ほんとにいるの……?)


 胸を押さえ、呼吸を整えてから、紫織は玄関の前まで歩いて行ってインターホンを押そうとした。

 ところが、緊張と疲れが一気に押し寄せてきたせいか指先が震えている。


 一瞬、無理に今日じゃなくてもいいじゃない、と考えた。

 しかし、ここで背を向けてしまっては、苦しい思いをしてまで走って来た意味がない。


 紫織は気合を入れ直し、今度こそ押した。


 ピンポーン、と外にまで響く。


 少し待つと、玄関のドアがゆっくりと開かれた。


「――紫織?」


 姿を見せたのは、宏樹だった。


「もしかして、卒業式終わった?」


 宏樹に問われ、紫織は大きく頷く。

 そして、一度息を大きく吸い込んでから、意を決して口にした。


「――宏樹君、約束、憶えてる?」


 宏樹はわずかに目を見開いてから、「ああ」と答えた。


「ちゃんと憶えてるよ。――紫織が高校を卒業してから、だっけ?」


 まるで他人事のように言っているが、確かにちゃんと記憶していたらしい。


 紫織は宏樹の口から改めて訊くことが出来て、喜びを隠しきれなかった。


「私、ちゃんと無事に高校卒業したよ。それに、あの時と気持ちも変わってない。――ずっと、宏樹君だけが好きでした」


 簡単に言いきってしまったようにも思えたが、これが紫織の精いっぱいの告白だった。


 紫織からの告白を受けた宏樹は、しばらく考え込んでいた。

 自らの顎に手を添え、あらぬ方向に視線を向けている。


(やっぱり、ダメなのかな……?)


 絶望しかけたまさにその時だった。


「……ぷっ……!」


 突然、宏樹が吹き出した。


 紫織は何が起こったのか分からず、ただ、宏樹を傍観する。


「――参った」


 宏樹は笑いを噛み殺しながら言うと、紫織の頭を乱暴に掻き撫でた。


「俺は絶対飽きられると思ってたんだけどな。――前のもそうだったから。


 でも、紫織は根性があるというか、頑固というか……」


「どうせ私はしつこいですから」


 紫織は、プウと口を尖らせる。

 それがさらに宏樹のツボを刺激したようで、今度は声を上げて笑い出した。


「あっははは……! けど、そこが紫織のいいトコだよ。〈しつこい〉はさすがに言葉が悪いから……。そうだな、紫織は〈一途〉ってことか」


 宏樹はひとりで言いながらひとりで納得している。


「――それで、宏樹君はどうなの?」


 紫織は痺れを切らし、返事を催促した。


 宏樹は「そうだなあ」とわざとらしく焦らしたあと、ニヤリと口の端を上げた。


「ま、今まで頑張ってきたんだろうし、そろそろいいか」


 ずいぶんと上から目線な言い方、と紫織は眉をひそめた。

 だが、これが宏樹なりの答え方なのかもしれない。


「――宏樹君って性格悪いね」


 紫織がポツリと呟くと、宏樹は「今さら気付いたのか」と踏ん反り返った。


「この見た目で、何故か〈いい人〉だと勘違いされるんだけどな。けど実態は、弟をいたぶることを楽しんでいるどエス兄貴」


「――『どエス兄貴』って……。普通、自分で言う?」


「人に言われるのは癪だから」


 しれっとして答える宏樹を目の前にして、紫織はほんの少し、やはり人選を誤ったか、と後悔の念に囚われた。


「やっぱイヤになったんじゃないか?」


 紫織の思いを読み取ったかのように宏樹が言う。


 紫織は慌てて「ちっ、違う!」と何度も首を振った。


「どエスだろうが何だろうが、宏樹君が一番だから! ――てゆうか、分かってて言ったでしょ?」


「おっ! 少しは賢くなったみたいだな」


「――やっぱ最低……」


 紫織が恨めしげに宏樹を睨むと、宏樹は、降参だ、とばかりに両手を小さく上げた。


「ま、ふざけるのはここまでにして……。紫織、ちょっと外見てみろ」


 宏樹に言われ、紫織は後ろを振り返る。

 同時に、そのまま目が釘付けとなった。


 雪が、ちらつき始めていた。


 それを眺めながら、紫織は、今日の天気予報で雪マークが出ていたことを改めて想い出した。


「あの日と同じだね」


 紫織が呟くと、宏樹も「そうだな」と頷く。


「どうやら、俺と紫織は雪に縁があるみたいだしな。もちろん、ここに住んでいれば、冬は必ず雪とご対面なわけだけど」


 宏樹と紫織は、それからしばらくの間、音もなく降り続く雪を黙って見つめていた。


 ◆◇◆◇


 こうして白銀色の花を眺めている人は、他にどれほどいるだろう。


 すぐに消えてしまう冷たき花は儚くて、でも、時を重ねてゆけば確実に成長を遂げる。


 人の気持ちも同じ。


 焦ることなく、これからもずっと、この想いを育んでゆけば良い。



 この、雪花舞う季節のことを胸に刻みつつ――


[雪花-End]

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