Act.2

 朋也にやっと追い着いた紫織は、息を切らせながら彼の隣に並んで歩いた。


「はあ、はあ……。もう、学校行く前から疲れさせないでよ……」


「そりゃあ単に、普段から運動不足なせいだろ?」


 図星を突かれた紫織はムッとして、朋也を恨めしげに睨んだ。


「その言い方はないでしょっ? なによ、せっかくこっちは朋也を心配してあげてるってのに!」


「はあ? お前に心配されるいわれなんてねえよ!」


「――いちいち腹立つなあ……」


「うるせえ! どうせ俺は兄貴と違って馬鹿だよ。んなもん、ガキん頃から分かってらあ!」


 朋也は口を尖らせて下を向いた。

 隣でそれを見ている紫織からは、ただ、溜め息しか出てこない。


 あっという間に成長し、気が付くと兄である宏樹の身長も超してしまった朋也。

 だが、それは外見だけであって、中身はまるっきり子供のままである。


 反応を面白がってからかう宏樹君も宏樹君だけど、すぐに真に受けて本気で怒る朋也にも充分問題があるんじゃ、と紫織は思った。


 毎度、間に挟まれてしまう紫織は堪ったものではない。

 宥めようにも、先ほどの状況が表していたように、治まるどころか悪化の一途を辿るばかり。


 人知れず、紫織は苦労をしているのだ。

 だからと言って、この兄弟と縁を切りたいと思ったことは一度たりともない。


 どちらも大切で、ことに宏樹に対しては、子供の頃から特別な感情を抱いている。


 それを〈恋〉だと自覚したのは、今から四年ほど前。

 小学生だった紫織に対し、宏樹はすでに二十歳を超えていた。


 〈妹〉としか見られていないのは、ずっと前から分かっていた。

 早く大人になりたいと、どれほど切実に願ったことだろう。

 それでも、十歳という年の差は埋まらない。

 紫織が年を重ねれば、宏樹もその分だけ年を取ってゆく。


 もちろん、宏樹が気持ちに応えてくれる可能性はゼロではないと思うが、期待出来るわけでもない。


 どうして、宏樹を好きになってしまったのか。

 そんな自分に、ほとほと嫌気が差すことがあった。


 ふと、何気なく朋也を見た。

 彼は相変わらず不貞腐れたままである。


 実の兄弟であるはずなのに、どうしてこうも違うのだろうか。


 共通点のほとんどない兄弟を頭の中で比べながら、朋也には恋愛感情が湧くことはないだろうと、紫織は漠然と感じていた。


 ◆◇◆◇


 四時限目の授業が終わって昼休みに突入すると、教室は徐々にざわめいてくる。

 持参した弁当や購買で買ったパンなどを持ち寄り、仲の良い者同士で集まってめいめいに食べる。


 その中で、紫織は親友の山辺涼香やまのべりょうかとふたりで弁当を広げていた。

 休み時間に入るのと同時に、涼香が椅子と弁当を持って紫織の席まで来るのが日課となっているのだ。


「あのさあ紫織、ひとつ訊いてもいい?」


「ん」


 涼香に訊ねられ、紫織は卵焼きを頬張りながら短く答える。


「あんたと高沢って、出来てんの?」


 突拍子もない質問が飛んできた。

 紫織は思いきりむせ、危うく卵焼きを戻しそうになってしまった。


「げほっ、ごほっ……。なっ、何でそんなこと……」


 狼狽している紫織に対し、涼香は淡々としていた。


「いや、紫織って男子と話すことが滅多にないじゃん。それなのに、高沢とは仲良くしているからさあ。幼なじみだってのは前にも聞いていたけど、もしかしたら、って思って」


「――だからって、なんでそんな発想に至るわけ?」


 お茶で卵焼きを流し込んだあと、紫織は逆に訊き返した。


「発想もなにも、いくら幼なじみでも高校生にもなれば関係が煩わしくなって、どちらからともなく離れるもんじゃないかと思ったからさ。――まあ、私はそうゆうのがいないから、実際はどんなもんなのか分かんないけど」


 涼香の言い分は、紫織も妙に納得した。


 確かに、朋也と紫織のように仲が良いのは、幼なじみといえども特殊なのかもしれない。

 子供っぽい朋也に疲れを感じても、煩わしいとは決して思わない。

 それどころか、一緒にいるのは安心出来る。


「朋也のことは嫌いじゃないよ」


 紫織は箸を止めて言った。


「でも、これだけははっきり言うけど、私は朋也に恋愛感情を抱いた事はないから。――だって……」


 言いかけて、紫織はそのまま口を噤んだ。


 頭の中に浮かぶのは、穏やかな笑みを浮かべる十歳も離れた幼なじみの顔。

 紫織や朋也にいつも優しいが、心の中はどんなに手を伸ばしても届かない場所にある。


 遠い日に交わした約束も、彼にしてみたら幼い子供の戯れ言程度にしか考えていなかったであろう。

 その当時の宏樹と同じ位の年齢になった今は、それが嫌と思えるほど理解出来る。


 考えるうちに、深い哀しみが押し寄せてきた。


「ふうん」


 涼香は食べかけの弁当箱に箸を置くと、紫織をまじまじと見つめた。


「なるほど。あんたの心には、誰か別の人がいるわけだ。それも、高沢では敵わないような相手とか?」


 何も言っていないのに、見事に涼香に図星を突かれた。


「ど、どうして……?」


 紫織が訊ねると、涼香は黙って自分で自身の頬を指差した。


「ここに書いてる」


「え……?」


「あんたは頭に〈馬鹿〉が付くほど正直だからねえ」


 そう言うと、涼香はさも愉快そうにケラケラと笑い出した。


「――そんな風に言わなくっても……。それに笑い過ぎ……」


 紫織は頬を膨らませると、眉をひそめながら涼香を睨む。


 だが、それがさらに涼香の笑いに拍車をかけてしまったらしく、今度は腹を抱えて涙を浮かべながら爆笑した。


「あっははは……! 紫織ってば最高ー!

 よし! これからもお姉さんが、純情可憐な紫織ちゃんを可愛がってあげよう!」


(完全に遊ばれてる……)


 紫織の不満は増大する一方であったが、これ以上、よけいなことは言わずにおこうと心の中で決めた。


 ふと気が付くと、クラスメイトがこちらを見ている。

 どうやら、涼香のはた迷惑な笑い声に周りもビックリしてしまったようだった。


(もう……、最悪……)


 注目されることが苦手な紫織は、恥ずかしさと申し訳ない気持ちでいっぱいになっていた。


 一方、当の涼香は周りの視線など全くお構いなしといった様子で、再び箸を手にして弁当を食べ始めた。


「どしたの紫織? とっとと食べないと休み時間終わっちゃうよ?」


「――ずいぶんと能天気だね……」


 紫織は露骨に嫌味を口にした。


 だが、涼香はそれすらもあっさりと受け流す。


「私には悩みなんてないからねー。毎日を面白おかしく過ごす! それが私のモットー!」


 涼香は言い終えると、今度こそ食べることだけに専念した。


 そんな親友の姿を、紫織は恨めしく思う半面、羨ましい気持ちで眺めていた。


(涼香ぐらい明るかったら、ほんとに毎日が楽しいだろうに……)


 紫織は、まだ半分以上も残っている弁当にちびちびと箸を付けた。


 色々と考え過ぎたせいか、食欲はとっくに失われていた。


[第一話-End]

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