第37話 キャラクター(天才とは)

 「SciFi創作論」の第10話「作者は天才であらねばならない」とか、ここの「構成(キャラクター)」や「思弁・思索」なんかと関係する話ですが。カクヨムのジャンルを確認すると、こんな感じ:

+ ファンタジー

+ SF

+ 恋愛・ラブコメ

+ 現代アクション

+ 現代ドラマ

+ ホラー

+ ミステリー

+ 歴史・時代

+ エッセイ・ノンフィクション


 この中で、「『天才』はまず間違いなく出てこないなぁ」と思えるのは…… ないような気がする。作品によっては、もちろん出てこないこともあるでしょう。ですが、ジャンルとして見た場合、「天才が絶対出てこない」ジャンルってないような気がします。


 「SciFi創作論」の第10話「作者は天才であらねばならない」にも書いたことですが、西尾維新の「悲惨伝」にはこういう言葉があるそうです。


   『天才の苦悩』ほど、どうでもいいものはない。我々が望むのは悩まな

   い天才だ。


 作中の言葉としてだけでなく、おそらくは多くのフィクション(そしてエッセイなど)においても言える言葉だろうと思います。

 ですが、ここでちょっと考えてみます。

 日本文芸の自然主義(「SFってなんなんだろう」の「夏目漱石とジュール・ヴェルヌ」を参照してください)を立ち上げた(?)人たちは、どうだったでしょう? また、そこで書かれている心情はどうでしょう? 自然主義を立ち上げた人たちは、恵まれてもいたでしょうし、優秀でもあったでしょう。では、その人たちが立ち上げた文芸にはどのような意味があるのでしょうか。そこに書かれているのは、いったいなんなのでしょうか。

 あるいはミステリーの探偵とかなんとかはどうでしょう? ミステリの探偵とは、いったいなんなのでしょうか。


 自然主義のほうから書いてみます。そこに優秀な人の心情や苦悩があるのだとしたら、読者はなにを求めてそれらを読み、そしてどういう基準なりなんなりで評価するのでしょう? もし、そこに優秀な人の心情や苦悩があるのだとしたら、に、それは理解できるのでしょうか? もちろん理解できる? そうかもしれません。

 ミステリのほうはどうでしょうか。作者が都合よくでっちあげた謎解きだとしましょう。そこには天才のいったいなにが存在するのでしょうか。

 このような疑問に対する一つの簡単な答えがあります。読者の(そしてカクヨムだということを考えるなら書き手の)です。心情に共感とか理解できたとのも、謎解きを理解できたとのもかまわないでしょう。では、そのは、実際にできていることと同じ意味なのでしょうか。

 あるいは、「天才でない作者が描いた天才」は、どこまで天才なのでしょうか。こちらに対しての答えは簡単です。それは天才ではありえません。なぜなら、からです。なぜなら、それはあなたの想像の及ぶ範囲の外にあるからです。なぜなら、あなたは天才ではないからです。にもかかわらず、なぜ天才ならざる天才が書かれるのでしょう。なぜなら、があるからです。

 あなたが、書くにせよ読むにせよ、天才ならざる天才をとして扱うなら、それでかまわないでしょう。そうであるならば、はっきりとがジェットであり道具でありとしてわかって、そのように扱っているのですから。そのような天才は人格も性格も情動も感情も持たないでしょう。なぜなら、そのように扱っているはずだからです。もし、まったきとして扱っていないのだとしたら、すこしでもそうは扱っていない要素があるなら、それはやはりがあるのでしょう。

 天才願望とは書いていますが、書き手や読み手自身が「自分が天才でありたい / あったなら」という願望とは限りません。「自分にも理解できる存在である」と思いたいというものも含みます。ですが、理解できるのでしょうか? あなたは友人のなにもかもを理解できていますか? 親については? あるいは、もしかしたら子供については? もちろん、それすらも理解できる人は誰もいないでしょう。にもかかわらず、なぜ「天才を理解できる」、あるいは「天才に共感できる」と思うのでしょう。その理由は二つあります。一つは、天才でない者の目を通して描かれた天才を読んでいるからです。二つめは、一つめを受けて「同じ人間であるのだから」という幻想があるからです。


   


 そこから出発する必要があります。そして、それではあってもとして描くことは可能かもしれません。天才をし、その結果として芸や技術として描くことは可能かもしれません。

 その観察に、自然主義を立ち上げた人たちの著作は役に立つでしょうか? もちろん、役に立ちません。なぜなら、そこに心情などなどが書かれているとしても、それがいったいなんなのかをからです。読んだとしても読めていないからです。などなどで理解や共感をするしかないからです。それはあなたの心情であり、ではありません。

 エジソンの「天才とは1%の霊感と~」という言葉があります。その霊感がなければ99%の努力は成立しません。その努力の根っこや理由が存在しないのですから。あなたは、そのとのどちらに共感するでしょうか。あなたが天才を描くための次の地点は、そのどちらかなのかもしれません。

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