第28話考証・設定(世界の構築)
「タイトル」にて、タイトルに見られるのかもしれない傾向をちょっと書きました。今回は、世界設定について。直接関係しそうなのは、相変わらずファンタジー、SF、それともしかしたらホラー、というくらいですが。
比較的最近見られる傾向は、実は一言で言えてしまいます。それは、「アンバランス」です。どこにどのようなアンバランスが存在するかは、作によって違うようにも思いますが。いくつかの技術の間に見られるアンバランスもあれば、技術と文化の間に見られるアンバランスもあれば、文化のいくつかの側面の間に見られるアンバランスもあります。
技術と文化の間のアンバランスというと、「発達しすぎた科学技術によって云々」という設定があります。ですが、これはここでは論外とします。「発達しすぎた科学技術」。べつにかまわないんじゃないでしょうか。それは、「人間にはそれを扱いきれなかった」ということであり、「人間が悪いんじゃない」という言い訳でしょう。言い訳は世界設定とは呼びませんので。
さて、ここでいうアンバランスをどう説明するのが妥当なのかはわかりません。可能性の一つとしては、スチームパンクにおける懐古の流れからの派生があるのかもしれません。この懐古の流れは、どこから来ているのでしょうか。一つにはわかりやすさであり、言い方を変えれば想像力の限界です。その限界が、作り手の限界なのか、それとも受け手の限界を作り手が考慮したことによるのか、それはわかりません。
「アンバランスでも、練ってあればいいじゃないか」という意見もあるかと思います。さて、では質問です:
そのアンバランスは成立するのでしょうか?
科学とか科学技術には、一応順番があります。地球の人類の歴史の順番そのものではなく、多少の前後はあるかもしれません。ここでは、退行とか喪失、そしてそれらからの回復は無視します。それらを無視するのはなぜかというと、面倒くさいからです。地球でだって、ヨーロッパあたりの科学技術が中東に伝わり、ヨーロッパがボケをかましている間に中東で保存されたり発達したり退行したりしてました。それがボケから立ち直りはじめたあたりでまたヨーロッパに戻って、わけわかんない発達とか発展がありました。だいたいそういうのの知識とかもまずエジプトから来てたりとか。そういうのが地球規模であれやこれや起きてるわけです。もう単純に面倒くさい。だから、そこは無視します。
たとえば、ニュートンの時代とかその直後に、「重力波天文台」が構想されることはありえません。ニュートンの理論には、重力場も重力波も存在しません。にもかかわらず、突然、「重力波天文台を作ろう」という人が現れると考えるのは、かなり無理があります。数学でも物理でもどれでも同じです。「まず、この前提がなけらば、次のこれは出てきようがない」という順番があります。そして、科学の各分野は相互に影響するので、科学そのものにも、発展とか発達の順番が存在します。人類とまったく同じ順番とは限りませんが。
これは科学の中だけでなく、科学と文化の間にも言えます。印刷技術がない時代に、情報を大量に広めようとする発想が出るでしょうか。「どうにかできないか?」とは思うでしょう。ですが、どうにもできません。どうにかしようとして、多くの筆耕を集めて筆写するという方法はとれます。さて、ではその方法と、今の出版なんかの様子、あるいは江戸時代の瓦版や暦でもかまいませんが、それらとを比べられるでしょうか。量の差ではあります。それであるとともに、識字率という話もあり、質の差でもあります。識字率が低い状況で、大量の出版をしてどうしようというのでしょう? このように、科学や科学技術も含めた文化の発達とか発展にもそこそこの順序があります。
そういうことを確認した上でですが、もう一度確認しましょう:
そのアンバランスは成立するのでしょうか?
「絶対に成立しない」というものもあれば、「そうとも言い切れない」というものもあります。その見極めは必要です。また、世界設定を練りに練れば、「どうにか」というところまで持っていけるかもしれません。ですが、これはある意味、努力とか時間とかの話。その世界設定が成立するかどうかとは別の話です。「どうにか」というところまで持っていけたとしても、根本的に無駄な努力です。
なぜ、無駄な努力なのでしょうか。それは、世界設定の方向そのものがおかしいからです。アンバランスであるかぎり、「比較的容易に想像できる範疇でしかない」からです。それは、"IF" でも、 "What If" でもありません。あるいは、こう言ってもかまいません。"If" や "What If" であるかぎり、創作としてはお話にならないと。そして、"If" も想像の及ぶ範囲からしか出発できず、そのため想像の及ぶ範囲にしか到達できません。想像できる範囲も "If" も超えたところに世界設定という作業であるとか、そのために必要な想像力という段階が存在します。
そして、そうである限り、アンバランスは逃げでしかありません。
根がSF人なので、どうしてもそっち寄りの話になってしまいますが、ファンタジーでもホラーでも同じことは言えます。
対して現代モノの場合、そういうところは必要ありません。では、現代モノとかのほうが「話が練れる」とか「話を練る必要がある」ということでしょうか。違います。SFとかは、世界設定に加えて、話を練らなければなりません。あるいは話を練るために世界設定も「普通の想像力」を超えて考えなければなりません。ハードル高! とは言え、それは「自由」であるとも言えます。その自由の手綱をどうとるのか。うわ、やっぱりハードル高!
今回は、というあたりで。
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