第26話思弁・思索(それは本当に問題なのか?)
思弁・思索について考えるさいには、「それは本当に問題なのか?」を、まず考える必要がある。
たとえば、ある人が実は養子だったとしよう。そして、その人の遺伝上での父親(あるいは母親)が現れたとする。これはなにか問題となるだろうか?
あきらかに、それだけであれば問題になりえない。相続とかなんとかという話においてどうなるのかは知らないが。
問題になりえないと言い切っていることに疑問を持つ人もいるかもしれない。ならば、いったい何が問題になりえるのか? その人が実際には誰かということか? そんな問題は存在しえない。その人はその人であるからだ。
こう書いていると、こういう声も聞こえそうだ:
本人にとっては問題ではないのか?
もちろん、本人にとっても問題になり得ない。もし問題になるのだとしたら、そもそも、そしてそれまでは、その人はいったい誰だったというのだろう?
あるいはこういう声も聞こえてきそうだ:
本人でもないのになにがわかるのか?
そう。わからない。その上で、一つだけ書いておこうと思う。この問題であれば、一言くらいは私が言ってもいいだろうと思う理由だ。幼少のころ、養子の話が来た。私の両親になにか問題があったのではなく、養子にもらえないかと言ってきた家において子宝に恵まれなかったからだ。さて、ここはちょっと普通ではないかもしれないが、私の両親は幼少時の私に、その話をした。だから私も考えもした。もちろん、遺伝上の親がいることを知らなかったというのとは違う。だが、どうだろう? 一言くらいは言ってもいいのではないかと思う。
ある事柄が問題であると考えたなら、それが本当に問題なのかを考えてみる必要がある。それはただ、あなたにおいてのみ問題であるのかもしれないからだ。あるいは、それは安っぽい問題であるのかもしれないからだ。
さて、私に養子の話があったというのは本当のことだろうか? どうであるにせよ、いろいろな方面から考えてみよう。
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