第42話「迷い道」

「はぁ?」「ええ?」


 シルヴィアとセシルの声が重なる。シルヴィアはつかつかと発声管に歩み寄り、柳眉をつり上げて厳しい口調で言った。


「どういうこと? つまり、あたしたちは今、どこにいるかわからない状態ってこと?」


『は、はい……。申し訳ございません……』


「謝って済む問題じゃないわよ!」


『すみません……。でも、本来の道からはそんなに逸れていないはず、です……』


「たしかなの? ……一度、馬車を止めなさい」


 馬車のスピードが落ちる。

 と、セシルの耳を何かが掠めた。


 開いた窓から聞こえたそれは人の声のような気がした。セシルは窓の外に顔を出し、


「どうした……」


 言ったラクロも、すぐに何かに反応したように口を噤む。


「ねえ、人の声が聞こえない?」


 テレジオと、不機嫌そうなシルヴィアがこちらを向く。


 おーい! おーい! と叫ぶ男の声は、小さいがはっきりと全員の耳に届いていた。


「……するわね。この声のことはあんたたちに任せるわ。あたしは運転手と話してくるから」


 シルヴィアは外へ降りて、さっさと御者台へと向かっていく。


 セシルとラクロ、テレジオの三人も続いて外に出て、膝下まで伸びた草を踏みながら、声のする方へと歩き出した。


 膝下まで伸びた草を踏みながら、ラクロが先を歩く。進むごとに草の身長はどんどん高くなって、しまいにはセシルの身長と変わらないくらいになった。


 その頃には声はもうずいぶんとはっきりしていた。しゃがれた老人の声だ。


 草が開けたところでラクロが足を止める。


 ラクロの背中の向こうに、白髪の老人が座り込んでいた。


「おお、よかった! 来てくれたか!」


 老人は皺だらけの顔を安心したように緩ませた。衣服は汚れてはいるが、もとはかなり身綺麗な格好をしていたようだ。


「馬車の音が聞こえたから、もしやと思って呼んでみたんだ。やってみるもんだのう……。すまないが、君たち、私を助けてくれないかね? 足腰は強いんだが、このとおり、足を怪我して動けなくなってしまって……」


 老人は枯れ木みたいな手で紺色のズボンの裾をまくりあげた。


 くすんだ細い右脚は、脛のあたりは青紫色に、足首のあたりは赤色に変色していた。見るからに痛そうだ。


「大したことはできんが、できる限りの礼はする。頼む! この通りだ!」


 老人は地面につきそうなくらいに頭を下げた。

 ラクロは尋ねるようにセシルとテレジオを振り返り、


「いいんじゃないですか?」


 テレジオが笑顔で言う。


「もしもこちらに危害を加えるようなことがあれば、殺してしまえばいいのですし。ご高齢のようですし、この方一人くらいなら、僕ら四人で簡単にバラしてしまえるでしょう」


「おお、ありがとう!」


 老人はパッと顔を輝かせ、


「約束しよう、君らに危害は絶対に加えない! 君たち、あのグレイ・ホークを撒いたのだろう? そんな人たちにこんなジジイが敵うわけがないさ」


「そうですか。では、僕の背にどうぞ」


 テレジオが老人に背を向けて屈む。


 老人は「ありがとう」と染み入るような声で言って、テレジオの背に身体を預けた。


 垂れ下がった老人の瞼が、セシルを捉えて大きく見開かれる。


「……え?」


(な、なに……?)


「おお……」


 老人の足を脇で固定して立ち上がったテレジオの背で、驚きと感動に彩られた息を吐いた。


「銀色のお姫様だ……。助けられるのは、これで二度目になりますな」

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