第38話「高速馬車」

 高速馬車というものを、セシルははじめて見た。


 それはその名の通り、高速で移動ができる馬車を使った交通サービスである。

 通常の馬車で一ヶ月かかる距離を一週間と少しの速度で走破してしまうらしい。


 そんなふうに聞いていたセシルは、馬車の荷台をかなり小さくて狭いものだと思っていたのだが……


「こ、こんなに大きいの?」


 セシルの目の前にあるそれは、「車輪のついた平屋の一軒家に四頭の馬が繋がれている」という代物だった。


 脚に金属の器具のようなものを装着した馬たちは、たしかにすごく屈強そうに見えるが……


「こ、こんなの、馬に運べるの?」


「運べるわよ。これでも小さいのを選んだんだから」


 パステルグリーンと白のレイヤーが波紋のような曲線を描く、フィッシュテールのワンピースを着たシルヴィアがなんでもないことのように言った。


 御者台から降りた御者が、シルヴィアの大きなトランクを運び込む。カツカツと赤いヒールを鳴らして馬車のステップをのぼり、


「す、すごい……!」


 シルヴィアに続いて馬車に乗り込んだセシルは感嘆の声を上げた。


 目の前に広がるのは、深緑色の絨毯が敷かれた立派なリビング兼ダイニングルーム。

 部屋の中央には、床に固定された直径一メートルほどの小さな丸テーブルと、それを挟んで向かい合わせに置かれた二人掛けのソファが二つ。

 その少し向こうの左壁際、大きな窓のすぐ下には、白いダイニングテーブルが備え付けられ、右側の壁には水道と小さなコンロ、そして食器棚が並んだ簡易キッチンまである。


 決して大きな部屋ではない。が、貧民のセシルには目の眩むような豪華すぎる部屋だ。


「この奥にトイレと各人のプライベートルーム、それと簡易シャワールームがあります」


「シャワーまで……」


 セシルがつぶやく。

 御者の男は一礼し、馬車の外へと出ていった。


「あんたたち、荷物それだけ?」


 シルヴィアがそれぞれ背負い袋一つ持つだけの三人を見回した。


「あんたも?」


 そして呆れたようにセシルを見て、


「他の二人はともかく……あんた、私物とかないわけ? その鞄って団の配給品でしょ?」


「そうだけど……別にいいだろ。荷物は少ないほうがいいし」


「あら嫌だ。貧乏性が身についてるのね」


「なっ……!?」


 カチンときて、セシルはつい言い返してしまう。


「お、重たい荷物担いでいくよりマシだろ! 君こそそんなに大きな荷物できて、そういうこと、何も考えてないんじゃないの? その中に何が入ってるのか知らないけど、遊びに行くんじゃないんだし……」


「遊びじゃないからこうなるのよ」


 シルヴィアは冷たい表情で言う。


「遊びじゃないからこんなに荷物が増えるのよ。あのね、あんた、あたしたちは魔術の調査に行くのよ? 調査するにはいろんな道具が必要で、データとか専門器具とか、魔術の触媒とかだって持っていかなきゃならないの。あんたにはわからないかもしれないけど、この中には大事なものがたくさん入ってるのよ」


 シルヴィアはセシルの顔を見て、ふんと鼻を鳴らす。


「なによ、その顔? まさか、遊び道具でも入ってると思ってたの? 馬鹿にしないでよ。あたしはマジスタ、この国一番の魔術師よ。その自負も誇りも責任もあたしにはあるんだから。あんたみたいな腰抜けと違ってね」


「……!」


 シルヴィアは笑いながらしゃべり続ける。


「あんた、騎士のくせにろくに剣も使えないんでしょ? 団内で噂になってるみたいよ。銀髪の女男はいつもびくびくしてて、本当に女みたいだって。ねえ、まさか今回もそのつもりできたの? あんたは何もする気なんかなくて、あたしの護衛をする気もなくて、ただ仕事だからきたの? 何も、自分で動く気はないの? また『自分は何もできません』って顔をするの? ……バッカじゃないの? そういうの、ただの言い訳だから。できないって言っていれば何もしなくていいんだもの。そりゃ楽よね。でも、そんなの言い訳でしかないわ。……あたし、そういうやつ、大っ嫌い」


 シルヴィアはエメラルドの瞳で、睨むようにセシルを見つめる。


「なによ。何か言い返してみなさいよ」


「…………」


 何も言えなかった。


 ――シルヴィアの言うことは、正しい。


 僕は……何も言えない。


「まあまあ」


 テレジオが朗らかに笑って二人の間に入り込む。


「喧嘩はやめましょうよ、二人とも。これからは僕たち、しばらく一つ屋根の下なんですから」


「……ふん」


 シルヴィアは挑発するような顔のままリビングの窓を開け、


「出発して」


 窓からわずかに顔を出し、御者台へ向かって声を張り上げた。

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