理由

 髪が乾き切ると達夫は京の髪をくしで丁寧にといた。達夫は言った。

「なかなか洗ってなかったらしい割には引っかかりが少ない。いい髪質だな。将来美人さんになるぞ」

 京は顔を赤くした。 達夫は冷蔵庫を開け、オレンジジュースを出し、コップに注いで京に渡した。達夫は聞いた。

「風呂上がりにいいだろ?それともオレンジジュース嫌いか?」

「いいえ、大好きです」

 京はそう言うと、オレンジジュースをちびちびと飲み始めた。達夫は言った。

「歯磨きしたらその布団使って寝てていいぞ。あと歯ブラシとコップはこれを使ってくれ。あまり柔らかいヤツじゃないから、弱い力で磨けよ。歯磨き粉も使っていいからな」

 京は戸惑って言った。

「達夫さんはどこで寝るんですか?」

 達夫は言った。

「バスタオルの上で寝るよ。大丈夫、服さえちゃんと着てれば風邪は引かないさ。大人は丈夫だからな。じゃあシャワー浴びてくる…おっとそうだ、寝る前にはちゃんとトイレ行っておけよ」

 達夫は浴室に入ると時間もないので手早く歯磨きし体と髪を洗い流し、寝間着に着替えた。浴室を出るともう京は布団の中に潜り込み寝ていた。布団をめくるとうずくまって寝ている京が見えた。安らかな顔で眠る京に達夫は微笑み、バスタオルの上で寝転び、今まであったことを思い出していた。

 達夫にはずっと苦楽を共にしてきた大切な弟がいた。名前は河野カワノ勇気ユウキという。父親が家庭をかえりみなかったり、母親が出ていったりした中で、弟の勇気だけは達夫を裏切らなかった。達夫はいつも兄を気遣ってくれる勇気を大切に思っていた。しかし、不幸なことに勇気は生まれつき心臓が弱く、臓器移植しなければじきに死んでしまう身だった。そしてそのタイムリミットはすでに過ぎてしまっていた。いつ死んでもおかしくない状態になったのだ。勇気への移植に適合した心臓の臓器提供者が日本に居れば、消費者金融から借金してでも臓器移植はできるのだが、あいにく臓器提供者はいなかった。外国に行けば臓器提供者はいるのだが、海外へ行って臓器移植するには少なくとも5000万円、多くて1億4000万円くらいかかる。

 達夫は頑張って稼いでいたが、父親は実の息子が心臓病で死のうという時でもまだギャンブルも酒もタバコもやめず、弟の治療費は全て達夫が払っていた。達夫は銀行、親戚、知り合い、会社の同僚など全てに土下座して回ったが、金はなかなか集まらなかった。もはや普通の手段では勇気は助からなかった。達夫は罪悪感を背負いつつも、手段を選ばないことを決意し、金持ちで子持ちの家をリサーチして、子供に次々と声をかけた。

 しかし、だいたいの子供は達夫の人相と行為に無視か、声を上げて逃げたため、達夫は逃げるしかなかった。良心の呵責もあり、誘拐を諦めようかという時に、うつろな目でふらふらと買い物袋を提げて歩いていた京が通りかかった。京もまた、リサーチで引っかかった金持ちの家の子供だった。いや、今まで見てきた中でも最大級の金持ちであるはずの家の子供だった。達夫が声をかけると、京は素直に、どこか安堵した表情で達夫についてきたのだった。

(だが、予想外だった。あんな金持ちの家の子供が、ひどい扱いを受けているとは…。もっと下調べをして、京の姿もよく見て置かなければならなかった。…いや、そもそも誘拐などということが人道にも法律にも反していたんだ。)

(…だが、勇気を救うにはもうそれくらいしか手立てが…。…いや、よそう。考えてもどうにもならない。眠ろう。…明日も仕事だ…)

 達夫は目を瞑り、眠りについた。

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