第2話

 昼休み、退屈しのぎに始めた話だった。


「えー、それ、アミが失礼な言い方したんじゃないのー? アミって、きついとこあるし」


「いや、アミのせいじゃないと思う。田舎って、そういうことあるんだよ。排他的っていうのかな。余所者を嫌う性質があるんだ。その分、内輪の繋がりが強かったりするの」


「あー、また一馬かずまがアミ庇ってる」


「そんなじゃないって! 俺はただ――」


「はいはい。一馬くんはアミちゃんが大好きだものねー。でもさ、私もアミが失礼だったとは思えないなー。アミって私達にはきついこと言うけど、礼儀にけっこう煩いじゃん? 家に遊びにきてもわざわざ親に挨拶するし。大人受けする子じゃん?」


「ただ単に耳が遠かったんじゃねぇの? 家の婆さんもさ、叫ぶようにしないと聞えないのよ。叫ぶようにしたって都合の悪いことは聞えてないけど。爺さん婆さんって、便利な耳をもってるんだよ。そういう意味じゃさ、急いでいて、アミに話しかけられたのが鬱陶しかったんじゃないのか?」


「えー、ひどー。田舎って、もっと心の優しい人たちが住んでるんだと思ってた。泊めてって言ったら、泊めてくれるようなさあ。テレビではそうじゃん?」


「あんなのテレビ局が前もって話を通してあるに決まってんだろ? バッカじゃねぇの。俺の考えはこうだな。婆さん、アミを狐か狸だと思ったんだよ」


「きつねー? たぬきー?」


「そう。だってさ、道のない山から突然女の子が降りてきたんだぜ? どう考えたって怪しいだろ。だから、婆さん、狐か狸が化けて出てきたと思ったんじゃないか?」


「それこそバッカじゃねぇのって話でしょー。あんた、狐や狸が本当に人を化かすと思ってるのー? 幼稚ー」


「俺じゃなくて、婆さんがそう思ったって言ってんの! 田舎の婆さんとかは、そういう迷信を信じるもんなんだよ」


「ふーん。じゃ、案外さ、ここにいるアミも、狐か狸だったりして」


「えーなにそれ。ちょっと不気味ー。本当のアミは山から帰ってきてないってわけー?」


「うわあ、なんかホラーな話になってきたし」


 面白さ半分、怖さ半分、男の子も女の子も、腕を抱えて震える真似をしたり笑ったり。そんな中、アミだけは真面目な顔をして考えつづけた。


(なんだったんだろ、あれ)


 あの日、お婆さんにはアミの声が聞えていた。

 それは間違いない。一度立ち止まったのは、声をかけられたことに気づいた証拠。忙しそうだった、という風でもない。お婆さんはアミが声をかけた瞬間、足を速めた。振り返らず去って行った。それも、何かを恐れて逃げるように……。


 そう考えると、狐狸の類いだと疑われた、というのがもっともピンとくる。けど、そんな迷信を信じて人を無視することなどあるだろうか?


(なんであんなことが起こったの? お婆さんは何から逃げ出したの?)


「君、なんて声かけましたの」


 アミたちがガヤガヤ盛り上がっていると、後ろから声がかかった。振り返ると、メガネをかけた巨体が、手に持った扇子で顔をバタバタと扇いでいる。


 地理を教える教師、小室文太郎こむろぶんたろう――通称・ブンだ。


「あ、ヤベ、時間」


 気がつくと、予鈴が鳴り終わって午後の授業が始まろうとしている。皆は慌てて腰をあげたが、それをブンが「ええよ」と呼び止めた。


「面白い話やし、最後まで聞いていったら。君達も答えが知りたいやろ」


「えー、じゃあブンちゃん、アミがなんで無視されたかわかるの?」


「大方ね」


 女生徒から「ブンちゃん」と呼ばれたことを気にする様子もなく、ブンは肉付きの良い色白の顔をニンマリさせる。


 ブンは三十路の独身教師。


 太っていなければ整った顔をしているのに、肉のせいでカエルに似ている。でもその顔もどこか愛嬌があって、ブンちゃん、ブンちゃん、と女生徒の間では人気があった。トレードマークの扇子をつねにベルトに差し、年がら年中汗をかいてはそれで扇いでいる。


「それで君――ええと、百千(ももち)アミさんやったかな? なんて声をかけはったの。一声呼ひとこえよびしたんとちゃいます?」


「一声? なんです、それ」


「一声といいますのはな、例えば名前を呼ぶときに○○さん、と一度だけ呼ぶことですわ。あの、とか、おい、とか声をかける際も一度で呼ぶことを、一声で呼ぶ、と言います。逆に、○○さん○○さん、もしもし、なんて呼ぶことを、二声で呼ぶ、と言いまして、民俗信仰みんぞくしんこうの中ではわりかし重要なことなんですわ」


「民俗信仰?」


「その土地に伝わる迷信やらしきたり、タブーのことです。で、君、やっぱり一声にお婆さんのことを呼んだのとちゃうの?」


「そうですね……。言われてみれば、確かにそうだったかも――」


 アミは「お婆さん」「あの」と声をかけた。ブンの解説と照らし合わせると、確かに一声。


「それはあきませんわ」


「え? なんで?」


 いきなり「あきません」なんて言われて、面食らう。自分の行動のどこに「あきません」があっただろうか?


「君が声をかけたのは夕暮れ時、日が傾いてからですやろ?」


「え? あ、はい。そうですけど、なんで――」


 それを知ってるの、と聞こうとしたのに、またもや「あかんなー」と否定される。


(なによ、さっきから意味わかんない)


 あかん、あかんと連呼して、ひたすら一人で納得しているブン。だんだん腹がたってくる。ブンの話を聞いていると、無視された自分こそが失礼千万だと言われているようなのだ。


「先生、私、全然わからないんですけど。私が何をしたって言うんですか? 一人で楽しんでないで、ちゃんと教えてもらえません?」


「いややなぁ、怒らんといてよ。あんまり君がぴったんこなことやってるから、つい感心してしまったんや」


「怒ってませんから、説明」


「怒ってるやん」


「いいから早く教えてよ」


「怖ー。べっぴんさんが怒ると格別やねえ。はいはい、あんまふざけてるとシバかれるよって、教えましょ。まずね――」


 ブンは教壇にのぼるとチョークをとり、すらすらっと黒板に何やら書いた。


「君ら、これ、知ってるかな」


「あう、ま、が、とき?」


 男の子の一人が読むと、「ちゃうちゃう」とブンが手を振る。


「これはな、おうまがどき、と読むのや。夕暮れ時、黄昏時を、逢魔おうまどきと呼ぶことがある。怪談なんかで聞いたことないか? この時間はな、読んで字の如く、魔と逢う時間、つまり、こっち側ではなく、むこう側の連中と出会ってしまう時間なんやなあ」


 むこう側――。


 どき、と胸が鳴る。あの山間で感じた、異世界に迷い込んでしまったような恐怖が再びアミの身体を這い回った。


「この逢魔が時にはな、昔から特別な礼節――ルールがある。むこうがわの連中に出会わんようにする決まり事があるんや。それを君は破ってしもうたんや」


 ブンがアミを見つめる。肉厚で細い目がさらに細くなって、糸のようになる。楽しげな目だった。


「君がお婆さんを呼んだ呼び方、あれな、幽霊の呼び方やってん。人間はそんなふうに呼んだらあかんのや」

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