短編詰め合わせ

陽鳥

第1話 なき殻の断片



 目が覚めたら空は薄墨色だった。私は、無事に孵化したみたいだった。隣にあなたの殻が、ぎざぎざの水晶みたいになって、在った。

たくさん産まれればそれだけ、少しでも多くが生き残れる。たくさん産まれれば、少しでも多くが死ぬ。そのことは初めから知っている。

あなたではなく、私が。――事実だけを受け入れるように大きな欠伸をして、喉の奥から溢れてくる言葉と一緒に、胸いっぱいの酸素を飲みこんだ。少しでも油断すれば、私の中からあなたは失われていくだろう。抗うすべはないのかもしれないけれど。



それは何か特別な意味を持ったことではなかった。私は自分のくちびるであなたのくちびるに触れ、喉の奥から溢れてくるものを与えた。いうなれば親鳥が子に食事を与えるような、給餌行為のひとつだった。あるいは、くだらないことばかり吐くその口をふさいでしまうための、もっとも簡単な行為だ。



もう一度、綺麗な球形の卵を三つ手に取った。片手で全部持てるくらいの小さなものだけれど、重さとぬくもりを、確かに秘めていることを感じた。表面についた砂粒を軽く払ってから、二つを躊躇なくぶつけ合わせる。残ったもう一つはどうしようもなかったので、するりと上着のポケットに収めておくことにした。さっきとは逆のポケット。割れた二つの卵の、ぎざぎざの縁に口を付けて、温かい中身を滑りこませた。

「それはまた、大胆に罪深い行為だ」と、あなたは笑った。



なぜ海が嫌いなのか、あなたに説明することはとても難しかった。誰かが私という存在をデザインしたときから、おそらくその感情は私を織りなす繊維の一本一本に染めこまれているのだと思う。それこそ海の水が喉を焼く塩辛さを本質として抱いているように。私はあなたをそこに認めるのと同じくらい当たり前に、海を受け入れられないものだと感じていた。

気づけば私たちの横に、大きな海亀が一頭、いた。賢者のような横顔に、どこか切迫した表情を浮かべている、そう感じたのはあなたのせいかもしれないが。亀は私たちの存在を認めてなどいないように、亀なりの大股で確かに進んできた。私たちは彼女がゆっくりと穴を掘り、その優しい砂の中に卵を残していく様を見ていた。母親が去ってもそれらはまだ、柔らかな光を少しだけ放っているようだった。砂をかき分けるようにして私はそれに手を伸ばし、一つを手に取って――あなたの視線に気付いて、ポケットにそれを収めた。

「君はなんでそんなことばっかりしているのかな」

「あなたに教える必要なんてない」

 私はあなたから視線を逸らした。そうして遠い海の向こうを見た。見た、といっても、私の視線は深く静かに揺れる水の上を滑っていくだけで、何も捉えることはできない。私は何を見ているんだろう。何を見ようとしているんだろう。


 ✝


 きらきらした破片を手でもてあそぶ。


 

 あの海亀は卵とともに、その思慮深そうな両の眼から透明な雫を落としていた。それはしっとりと湿った砂に染み込んで、またひとつそこを濡らした。あなたはきづかなかったのかもしれないけれど、そうではなくて敢えて何も触れなかったのかもしれない、と思い至って少し、自分が顔をしかめていることに気付く。



 なんでこんなことを思い出したのかよくわからなかったけれど、心の中に再現されたあの飢餓感は私を不安にさせた。記憶と同じ波の音の中に立っていることに気付いて、わずかに納得した。いつまでもこの音から逃れることはできない。



 船に乗ったことがある。乗ったことがあるのかは定かではないけれど、その違いは些細なことだ。兎に角、ぎゅうぎゅう詰めの船内で、乗員たちは殺しきれない息と存在を抱えながら、空気とスペースを黙って奪い合っていた。何かを待っているようで、理由すら与えられることなく私は絶望みたいな感情を抱いたけれど、それにも名前は与えられずにただただ膝を抱えて、左右にも上下にも揺られながら足先が少しずつ熱を失っていくのを感じていた。そこにあなたもいたかもしれない。いなかったかもしれないけれど、その違いもまた些細なことだった。



 喉の奥へ透明なものが滑り落ちていく感覚は好きだった。私の中のいらない熱を、わずかでも取り除いてくれるような気がした。生き物が這っていった跡のように、鎖骨の内側あたりに粘り気のある液体が付着しているかもしれない、と思った。そこから少しずつ、飲みこんだはずのものが私の中で大きくなって、いつかは私の内側から顔を出すかもしれない、それはそれで素敵だった。

「罪深いとか、そんなの誰にも判断できないことじゃないの」

「誰だって、生まれた時から穢れてるさ」

 あなたの言うことにはいつも意味なんてなかった。私のすることに意味がないように。ただ独りよがりの感情を、退屈まぎれに吐いているだけだ。



 あなたが息づいていたはずの殻、その破片をつまみ上げる。限りなく透明に近い、薄らと乳白色を帯びたそれをじっと見つめてみた。

 鋭く尖ったそれが、そっとくちびるに触れた。ざり、ざり、と私の口の中で、破片は幾つもの破片になる。薄くて鋭いものたちが、まじりあい、喉の奥へ向かっていく。

 すべてを飲み込んで、私は一つため息をついた。そうして次の瞬間には、波が私をさらっていった。

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