君に告げるサインは甘い
真咲 透子
頬へのキス 親愛
第1話 人間の皮をかぶった天使か、天使の皮をかぶった……
「ぼくね、おおきくなったらさえちゃんのおよめさんになりたい」
とたとた、とおぼつかない足取りでこちらへかけ寄り、私の服の袖をきゅっと掴みながら上目づかいで見つめる。その姿はまさしく天使だった。
この天使の名前はゆうくん。零れ落ちそうな大きな瞳にふわふわした柔らかな髪、ぷにぷにほっぺの彼は、その辺の女の子よりもはるかに可愛らしかった。家が隣で親同士も仲がよかったので、私はよく彼の遊び相手になってあげていた。
「かわいいぃぃぃぃ!!」
私はたまらずぎゅっと彼を抱きしめる。かわいいものが大好きな私はこのゆうくんが大のお気に入りで、一人っ子だったこともあり大変可愛がっていた。
「さえちゃん、ね?」
「うん、いいよおいで」
むしろウェルカムだぜ。彼は男の子なので正確にはおむこさんなのだが、ゆうくんのかわいさならお嫁さんでも全然大丈夫だろう。むしろ余裕で養うわ。うん、今からたくさん勉強しよう。
「やくそくだよ?」
「────!!!!」
天使はそう言うと、マシュマロのような唇を私の頬にくっつけた。キスと言うには余りにもつたない、子どものたわむれ。しかし私にとっては破壊力ばつぐんだった。私はそのままへなへなと地面へ伏せた。は、鼻血がでそう。
「さえちゃんだいじょうぶ?」
「…………ちょっとダメかも」
「えっとえっと……そうだ!!いたいのいたいのとんでいけ~」
「ぐほはっ」
「さ、さえちゃん!!」
この天使がかわいすぎて生きるのがつらい。キュン死にしてしまいそうだ。彼は倒れた私の背中をもみじの手でさすってくれている。あぁ食べてしまいたいくらいかわいい。もう大好き──これが私が11才、彼が5才のころの思い出だ。さみしいがこの天使がかわいいことを言ってくれるのは今だけだって、小学生の私は知っていた。きっとこの子は忘れてしまう。そうたかをくくっていたからいけなかったのか。
「さえちゃん、僕のお嫁さんになって」
「…………」
時はあっという間に過ぎ去り13年後。今日は悠の18歳の誕生日だ。私はプレゼントを渡す為に彼の家へとやってきた。立ち話もなんだから、と彼の部屋に招き入れられたのだが入った瞬間、突然ベットに押し倒された。
「あの、この状態は何かな?お姉さんにも分かるように説明してくれないかな」
「あのときの約束、覚えてる?僕は男だからさえちゃんのお嫁さんにはなれないけど、お婿さんにはなれるからね」
「悠くーん?」
「大丈夫だよさえちゃん。さえちゃんはこの紙にサインするだけでみんなうまくいくよ」
「お願い頼むから話を聞いて」
にっこり笑いながら婚姻届けの紙を突き付けてくるゆうくん──悠は成長するにつれて、かわいいながらもかっこよさを身につけていった。ふわふわの髪と大きな瞳は変わらずだが、あごはシャープになり身長は私の背をとっくに越していた。昔の彼はよく女の子に間違われていたのだが、可愛らしさは残っていても女の子にはもう見えなかった。
「そんな昔の話言われても」
「僕、いつも言ってたじゃない」
「こんなおばさん相手にしなくても、悠にはもっとかわいい女の子がいるでしょ」
そうなのだ。このルックスに加えて彼はここら辺で一番の進学校へ通っている。さらに度々部活の助っ人を頼まれており運動神経もよい。ハイスペックの塊のような存在だ。6歳も離れている女を相手にしなくても、学校の女の子は放っておかないだろう。……というか、制服姿の女の子が「あなたは悠君の何なんですか!?」と突撃してくることが度々あり、とばっちりも受けていたけどね。いやぁモテモテですな。さすが私の天使。
「目の前にいるじゃない」
「いやいやいやいや」
「そうだね、さえちゃんはかわいいけど美人だもんね」
「……悠、今すぐ眼科いきな」
彼に私はどう見えているのだろうか。お姉さん心配になってきたぞ?
「てか悠はまだ高校生でしょ?結婚は無理だよ」
「うちの両親もさえちゃんのパパさんママさんも了承済み。株やってるから結婚資金もあるよ」
「…………」
お父さんとお母さん何してくれちゃってんの!?いや2人とも悠には弱かったからなぁ。しかも株って。今どきの高校生はみんなそうなのか?超怖いんだけど。子供はお外で遊んできなさい。
「とりあずどいてよ」
「どいたらさえちゃん逃げるでしょ」
そりゃそうだ。この状態は非常にまずい。私の精神衛生的にもだが、彼はまだ未成年。そして私は成人している。確実にアウトだ。どうにかして切り抜けなければ。なんとかこの状況から逃げる算段を立てようとした。
「──紗英ちゃん」
私の耳元で悠がそっとささやいた。たったそれだけなのに、今までとは違う声音と空気に私は指先すら動かせなくなってしまった。意識すると止まらない、胸の高鳴り。覆いかぶさっている彼の息遣い、体温をダイレクトに感じてしまい熱が一気に上がった。息が、できない。
「僕、ずっとずっとずぅっとさえちゃんだけを見てきた。どんどん綺麗になっていくさえちゃんを傍で見ていて気が気じゃなかった。だからこの日がずっと待ち遠しかったんだ」
悠は私の瞳を覗き込んだ。彼の顔は窓から差し込んだ夕日に照らされて、いつもより大人っぽく見えた。
「さえちゃん、大好き。やっと────手に入れられる」
彼の指がそっと私の唇をなぞる。目を細めかすれた声で告げる目の前の男は誰なのだろうか。こんな人、私知らない。私の天使はどこにいった?いつも「さえちゃん、さえちゃん」って私のあとを一生懸命ついてくるかわいい天使。この男が食べてしまったのだろうか。
悠の出す色気にあてられうまく頭が働かない。ああどうしよう、私、このままじゃ、
「それとも────さえちゃんは、僕のこと、嫌いになった?」
すとん、
私の中で何かが落ちる音がした。
「────!かわいいぃぃぃぃぃぃ!!!!」
なにいまのかわいさ!!小首をかしげて瞳を潤ませて!捨てられそうになっている子犬のような手を差し伸べずにはいられない儚さとかわいさ!!その角度はだめだあざとすぎる。私の天使はやっぱりここにいた!!気づいたら悠の首にぎゅっと抱き付いていた。先ほどまでの雰囲気とは正反対のあどけない表情に私のHPは瀕死に近い。あぁもうかわいい大好き。私は悠のかわいさに悶えていたのでガチャリと音を立てたドアへの対応が一歩遅れた。
「悠、玄関にさえちゃんの靴があったけど、さえちゃんがここに来ているの──あらあらあらあら」
「──!!??」
声のする方へ顔を向けると、そこには悠のママさんがいた。「回覧板を届けに行ってるから今はいない」って言っていたので帰ってきたのだろう。私は思わず悠をべりっと引きはがした。さっきまでびくともしなかったのに。何で今発揮されるんだ、火事場のバカ力。明らかにただならぬ状況なのに、悠は涼しい顔でママさんに声をかけた。
「え、えっとあのそのここここれは」
「母さんおかえり」
「あらあら、ごめんなさいねぇ。おじゃまだったわね」
「本当だよ」
「さえちゃん、今日はごちそうを作るからお夕飯は食べていってね」
「あああああああああああの!!」
悠のママさんはそれだけ言うとそそくさと部屋を出ていった。申し訳ございません、お宅の息子さんをどうこうする気はこれっぽちもないんです、警察だけは勘弁してくれませんか。土下座しながら誠心誠意謝ったら許してくれるだろうか。
「これからもよろしくね、さえちゃん」
私の頬からちゅっとリップ音がした。え、私、了承した記憶はないのですが。そう思ったのだが花がほころぶようにふわり、と嬉しそうに笑う天使に私は何も言えなかった。
気まずいながらも悠のお宅のお夕飯をいただくことになった。悠もママさんも、お仕事から帰ってきたパパさんもみんな私を見ながら嬉しそうにニコニコしている。
誕生日なんて年に1度の大イベントだもんね!嬉しいに決まっているもんね!!
「おばさん嬉しいわぁ」「悠よかったな」「うん」「式はいつにする?」「ウエディングドレスは……」私は悠の誕生日を祝いにきたんだ。なのになんで私にも「おめでとう」なんて言うのかな?悠、ウエディングドレス着るの?私が保障する、絶対似合うよ!!
メニューは洋風で揃えられていたのに、大きな存在感を醸し出している赤飯には気づかないことにした。
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