「小説」以外を書いてもいいようなので
あがたはばね
「不惑」のオタク人生とは
『不惑』
つまり、40歳である。孔子って奴はスゴいな。40歳で惑うことが無くなったらしい。俺なんかは今でも惑い苦しみ恐れていると言うのに。
椿三十郎のように『もうすぐ四十郎だがな』とおとぼけを決めることももう出来ない。賃貸のワンルームマンションに住まいながら、NetflixやHuluの配信動画を楽しみ、タマにAVなどを見たり、年甲斐も無くアニソンアーティストのライブに行ったり、ニチアサヒーロータイムのTwitter実況に参加したりのボンクラな日々を繰り返している。
多分21世紀初頭から何一つ変わっていない。
そんな男が何故か『小説』投稿サイトに『小説以外』を思いつきで書き始めた。全くのノープランである。何を書くのかさえまともに決め手は居ない。そもそも「連載」するかどうかさえも怪しいものだ。投稿のボタンを押した瞬間に飽きてしまうことさえあり得る。
Blogでやれ、というご意見が上がることは十分に想定されるが、そんなご意見は覚悟の上で今キーボードを叩いている。「小説投稿サービス」に、単なる無名の一市民が、適当に小説でさえ無い日々のよしなしごとを書き付ける事をよしとする。自由というのはそういうことのはずだ。
男は40になったら顔に責任を持てと行ったのは、J・F・ケネディだったか。鏡を見ると、どう見ても責任を持った男の面構えには見えなかった。見えなかったが、それでも生きていかざるを得ない。
現在の楽しみは、まもなく開演するμ'sのファイナルライブ(責任の軽い40歳は年度開始日に休暇が取れるのだ!)への参戦と、その次の週にある水樹奈々の東京ドームライブだ。7年ほど前に唐突に水樹奈々が良いなと思ってしまってから、ニワカに声優系ライブやらアニソン系フェスやらに通うようになり、今はこれが『死ねない理由』になってしまった。
特に夢も希望も無いが、かといって絶望も無いボンクラな男にとって『死ねない理由』は重要だ。明日を生きる理由があれば、張り合いが出る。そんな理由無しでも、ふらふら惰性で仕事をしながら給金を貰って飯を食うことも出来るが、遠くないうちにおそらくそれに飽きてしまうことになる。そういう日々を過ごさずに済む理由なら、どんな些細なモノでも、幼稚なモノでも、『死ねない理由』をセッティング出来れば、ひとまず生きられる。
こんな生き方で、あと30年生きながらえることが出来るだろうか…。そんな不安も訪れるが、『死ねない理由』の前では些末なことだ。刹那的に楽しみを積み上げて、それで明るく生きていく。そんな人生だって、悪くは無い。そう思いたい。
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