異世界教室

からくり先生

第1話図書室にて

 「さて!授業を始めましょうか」

 黒縁眼鏡をクイッと持ち上げ、教室を見渡す。

 小学校にしては少し広めの教室。その教室に机をきれいに並べ、行儀よく座る子供達に授業の始まりを告げる。

「「「は~い!」」」

 子供達の元気の良い返事が気持ちよく鼓膜を叩き、私のやる気を奮い立たせた。

「じゃあ出席を取ります―――」

「先生!!」

 私の出席確認を遮り、一人の生徒が叫んだ。

「どうしました?」

「先生!!せんせ~い!」

 その生徒は私の声が聞こえていないのか、先生と叫び続ける。

「だからどうしましたか?」

「先生!先生!!」

 仕舞しまいには私のそばまで寄ってきて体を揺さぶり始めた。

 さすがにおかしいと思って他の生徒を見渡す。異変なし。教室を見渡す。異変なし。もう一度生徒を見渡す。異変な――ん??

 再確認のために机に座っている生徒達を見渡すと、一度目のときには感じなかった違和感を感じた。しかし、その違和感の正体が分からず、近くにいた生徒に視線を落とす。・・・あ。

 違和感の正体は意外にもたやすく見つけられた。

 しかし、それは人間にはあってはならないもの―――だった。

 違和感が実感へと変わり、体を仰け反らす。

 私の体はバランスを失い尻餅を――つかない!?

 尻餅をついたさきに地面が無く、私は暗闇の中に放り出された―――


   ***


 「うわっ!」

 覚醒し切れていない私を迎えたのは驚愕の声。

 「先生寝ちゃ駄目じゃん。しかも声かけても揺らしても起きねーし。」

 どうやら先程の奇妙な現象の正体は夢だったらしい。ついでにあの生徒の正体は目の前にいるこいつ、谷本たにもと 幸太郎こうたろうだったらしい。

 「まだ先生じゃないって言ってるでしょう。私の名前は三河みかわ 慎介しんすけです」

 先生になれてもいないのに先生と呼ばれることに不快感を抱き、訂正する。

 「だったらその口調やめな。先生っぽさがそれはもう肉汁のように溢れ出ているぜ!」

 幸太郎は意味不明なことを言い放つと、なぜかドヤ顔でこっちを見ている。

 「意味が分かりませんね」

 そう言い捨て、幸太郎を一瞥する。

 幸太郎が言っていた私の口調。これは、先生にあこがれ始めた幼稚園のときから今に至るまでに見てきた学園もののアニメ、ドラマ、漫画などの影響が大きい。

 それらを見ている中で自分の理想の先生像を作り出した結果がこの口調だ。

 おかげで周りからは先生と呼ばれている。

 「まったくよ~。せっかくお前が起きるのを待っていてやったっていうのに。何だよその言い草は!!」

 私の言葉で傷ついていたらしい幸太郎の言葉に気付かされ、辺りを見渡す。

 私が寝ていたのは高校の教室。窓から見える校庭には既に唐紅からくれないが落ちており、その残り火が私達の頬を染め上げている。

 教室には私と幸太郎以外おらず、寂しさが漂っている。

 「図書室に行きましょうか」

 寂寞せきばくを感じるのが怖くて幸太郎に声をかける。

 「今日もか。おまえはいつも勉強熱心だな」

 自分の夢を叶えるためならば当然だと思うのだけれど、幸太郎にはいつもこう言われ、いつも疑問を抱かされる。

 「だけど俺は今日パスな。バイトあっから」

 しかし、幸太郎は私の疑問に気がつくことも無く、そう放って教室を出て行ってしまった。

 今度こそ寂寞を実感するに足る状況になり、今すぐ教室から逃げ出したい念に駆られる。

 私は教室から出て行った生徒達の軌跡を辿り、消えかけの残り火がともる教室を後にした。


   ***


 「失礼します」

 窓から学校に差し込む光はすでに月明かりだけになっており、図書室は蛍光灯の人工的な光に照らされていた。

 中には司書の先生と初めて見る女の子が一人。広い図書室にポツンと佇む彼女はやけに物寂しさを漂わせていた。

 「先生。今日は何時まであいていますか?」

 カウンターの中で本を読んでいた司書の先生に声を掛ける。その後ろには『本なら何でも揃う!』と書かれたポスターが貼り付けられていた。

 「あぁ慎介君。いつもどおり20時までよ」

 「ありがとうございます」

 目の前の先生に軽く一礼。そして、一人佇む彼女に一瞥をくれる。

 「それと先生。あの娘は?見ない子ですが」

 「ん?あの娘?佐伯さえき時雨しぐれさんよ。最近転校してきたのよ」

 「放課後に残って勉強をするなんて物好きですね」

 「あなたがそれを言うの?ふふっ。折角だから声をかけてあげて?あの娘いつも一人だから。」

 そう言うと先生はテキストの世界に入り込んでしまった。

 いつも一人ということは転校してきて学校にまだ馴染めていないのかもしれないな・・・よし。

 私のモットーは『思い立ったらすぐ行動』。彼女の元に向かった。

 「すみません。隣いいですか?」

 彼女の元に行ったはいいものの、なんと声を掛ければ良いのか分からず、とりあえず隣に座らせてもらえるように聞いてみる。

 「えぇ。どうぞ」

 彼女は簡単に答え、私には興味が無いのか先生と同様すぐにテキストの世界にのめり込む。

 了承を得たところで木製の温かみのある椅子を引き、机に数学の参考書を広げる。今日は120ページくらいまでは行きたいな。

 今日のノルマを決め、時計を確認。20時までのタイムリミットを計算。残り1時間か余裕だな。

 心に余裕ができてきたところでふと、彼女が何を読んでいるかが気になり横目で彼女に視線をやる。

 その時、彼女の全様を初めてしっかりと視認でき、その姿に目を奪われた。 

 艶のある黒髪を短くまとめ、女の子らしい華奢な肩は男としての守護本能をくすぐられる。目はパッチリとしており長い睫毛が蛍光灯の光を遮っている。低めの鼻は日本人らしさを強調しており大和撫子という言葉が良く似合う人だと感じた。

 ふと視線を感じ、急いで振り返る。視線の先にはニヤニヤと不快な笑みを浮かべる先生がカウンターからこちらを覗き見る姿が見えた。

 「どうかしたの?」

 突然隣で静かに鳴る鈴の音。ではなく佐伯さんの声。

 その風情ある音は私の耳を奪う。後ろではまた先生が笑みを浮かべている気がするが気のせいではないだろう。

 「いや。なんでもないです」

 どこか言い訳がましくなっているのも気のせいではないだろう。その私の態度に彼女は小首をかしげた。

 「あなた。学年は?名前は?毎日ここにいるの?先生と仲よさそうだけど」

 藪から棒に展開される質問攻めに驚き反応が遅れる。その間に佐伯さんは30cm程しかなかった距離をさらに詰めて来る。ねぇ――と。

 「わ、私は、3年の三河慎介と申します。ここへは一応毎日。家は忙しくて勉強させてくれないので」

 「なんで勉強してるの?頭よさそうなのに」

 彼女は息もつかさぬ勢いで問いをぶつけてくる。いつの間にかさっきまで読んでいた本は机の上に置かれていた。栞も挟まずに。

 「教師を目指しているのです。頭、良くないので勉強しないとなれない・・です」

 それだけ聞くと彼女は「ふーん」と鼻を鳴らすと、机に突っ伏し目を閉じた。と思うと、すぐに寝息をたて始めてしまった。

 何がしたかったんだろうか。素朴な疑問が頭をよぎるが、その疑問を振り払うように目の前に広がるテキストの数列に目を落とす。

 しかし、いつの間にか目に入っていたのは今まで彼女が読んでいた本。その本は焦げた後や破られた後など普通に読まれていたら在り得ない傷跡が残っており、さらにはどこの国の言語かも分からない言葉が羅列していた。決して読みたいと思えるような代物ではない。なのに、私の目はその本から離れようとせず、私の脊髄は反射反応のようにその本を開けと叫び散らしている。

 やはりその命令には逆らえず、私の手はゆっくりと本に近づき、表紙をめくり始める。目は自然と見開かれ瞬きすることさえ許さない。

 とうとう本がめくられると、見開かれた目に飛び込んできたのは見たことも無いはずの言語。理解できるはずの無い言語。しかし、私の脳はその全てを理解する。いや、理解してしまった。

 本の中を見てからは手が止まらず、脳の中は脳汁で溢れかえっていた。

 本の内容は正直理解しがたいものばかりだった。よく出てきた単語は『異世界』『戦争』『召喚』魔方陣なんかも出て来ていた。

 理解しがたい事のはずなのに脳汁は止まらない。

 いつの間にか参考書は床に落ちていた。

 そして、あるページで手が止まる。そのページには印が付けられており、読み込まれた跡がくっきりと残っていた。

 しかし、そのページの言葉だけは理解することができなかった。


***


 なにやら周りが騒がしい。特に近くで聞こえるのは幼い女の子と男の子の声。

 二人は何かを話し合っているようで「どうする?」「駄目だよ」などと言い争っている。

 どうやら私は図書室で眠ってしまったらしい。先生も起こしてくれればいいのに。

それにどうして小さな子供が此処に居るのだろうか。その疑問を紐解くために眠り眼を開く。

 目に映ったのは佐伯さん。どうやら彼女もそのまま寝てしまっていたらしい。

 「この人たちどうしよう」

 「お母さん達に聞いたほうがいいかな?」

 意識がはっきりしていく中で聞こえてくる言葉。その発信源の方に視線を持っていく。そこには思ったとおり小学生ほどの女の子と男の子。いや前言撤回。そこには小学生ほどの女の子と男の子・・・それとケモミミ。ケモミミ!?

 「あ、起きた」

 男の子が私を見つめる。

 男の子の声で気付き、女の子も無垢な瞳を私の向ける。

 二人のケモミミは私に注意を向けるように私のほうを向き、ピクピクと微動を繰り返している。

 「あらどうしたの?そんなとこに屈み込んで」

 こちらに向けられている声。どうやら2人の子供に掛けられたらしいその声は、女性らしい口調で、しかしなぜか野性味が感じられる声だった。

 「あ、お母さん!!」

 「お母さん。この人・・・」

 やはりその人はこの子達の母親らしい。

 「!!!だ、大丈夫ですか!?!?」

 この子達の母親は眠りこける私達の姿見えたらしく、足音が早足に近づいてくる。

 「だ、大丈夫です。眠っていただけですから!?」

 未だにはっきりとしていなかった意識を叩き起こし、体を跳ね起こし、駆け寄ってくる母親に無事を伝える。その為に、教師になるための基本の『目を見て話す』を実行する。・・・私は目を見た。見てしまった。

 眼前で慌てふためく二足歩行の2mは超えた大きな狼を。

 そこで私の記憶は途絶えてしまっている。

  

 


 



 

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