インターミッション:コンフィデンス
田沼
遠からず老中に任じられると目される身ともなると、日々のスケジュールはパンパンである。意次は日の出から丑三つ時までひたすら公務に従事せねば裁ききれないほどに多忙を極めている。懇意にしているとはいえ、在野の学者の世迷い言など放っておけばいいのだが、そこは惚れた弱みである。頼まれたからには、どうにかせねばなるまい。それに、源内に貸しを作っておくことは、借り返すこと以上に有益である。チャンスのあるときに恩を売っておけば、多少のわがままは、しょうがねえな、の一言で済ませてもらえるのだ。
しかし、上様との予定は最優先事項であり、融通は利かせられない。となれば、融通を利かせられる、意次より立場が下の者にしわ寄せを回すしかない。禁書目付の
「仲田新左衛門仰せによりただいままかりこしました」
「うむ。早うからご苦労である」
「田沼様のお呼出しとあらば母親の葬式であろうとも」
「おためごかしはよい。親の葬式は出ろ」
「はは」
田沼意次は、脇にあった包みを新左衛門に差し出した。
「これを改めよ」
「は」
新左衛門が包みを開くと、一枚の版木が出て来た。反転しているので、何が書いてあるかよくわからない。
「これは……?」
「うむ」
意次は黙って腕を組んだまま目をつぶっている。
新左衛門は黙って上司が口を開くのを待っていた。こんな早朝に呼び出すぐらいだから、相当な任務に違いない。心して指示を仰がねばなるまい。緊張で掌が汗で濡れてきた。じっと下を向いたまま待っているが意次は何も言い出さない。あまりに待たせるので畳の目を数えはじめた。百を超えていくつまで数えたか忘れた頃に、ついに意次が口を開いた。
「ときに。貴様は『太閤埋蔵金』を知っておるか?」
「は?」
あまりに予想外のことに、思わず聞き返した。太鼓美味い雑巾?
「太閤殿下の埋蔵金じゃ。石田三成が隠したと伝えられておる」
「申し訳ございません。それがしの不勉強にございます。存じ上げませぬ」
「うむ」
「太閤殿下というのがまずわかりません」
「禁書目付ともあろうものが情けない」
「申し訳ございません!」
新左衛門は納得の行かなさを腹にしまって、平になった。
「うむ。まあよい。続きがある」
「は」
「太閤殿下というのは、大権現様が
「はあ」
「うーむ。共通の知識がないと説明が難しいのう」
「申し訳ございません」
意次は新左衛門がかわいそうになってきた。そもそも豊臣秀吉のことなど、幕府では教えていないのである。歴史を深く学ぶ学者ならいざ知らず、新左衛門のような目付ぐらいの人材では、そのような歴史の素養など薄くて当然である。そもそも豊臣の歴史書の大半は禁書になっている。禁書目付といえども、禁書を紐とくことは許されない。そういう意味では、仲田新左衛門は任務に忠実であると言える。
「ああ、新左衛門。面をあげい。何もそちをいじめようと思っておるわけではないのだ」
「はは」
「とにかくだ、大昔の天下人の残した金がたくさんあってのう」
「はい」
「それを手下だった石田がどこかに隠しておるのだ」
「はい」
「その額、四億五千万両」
「は?」
「現代の日本円にして、だいたい二百兆円じゃ」
「何を申されているのか皆目見当がつきません」
「そうじゃろうのう」
意次は少々困って来た。話が壮大すぎて、まったく相手に響かないのだ。源内を恨んだが、当の本人はいまごろ鈴木
「とにかくだ。太閤埋蔵金という大金が、この日の本のいずこかに隠してあるということじゃ」
「それは誠にございますか。早く見つけ出して幕府で管理せねばなりますまい」
根っからの真面目官僚である。この件でこういう人材を相手にするのは、意次とて少々気が重い。
「まあとにかく、楽にして聞け。わしも疲れて来た」
「はぁ」
「でまあ、その、埋蔵金のありかがな、禁書の中に含まれて、おる、ということがだ、明らかになったということだ」
「それは誠にございますか。早く禁書を調べ上げて発見して幕府で」
「うるさい」
「はは!!」
仲田新左衛門は床すれすれに頭を下げた。もう意次はめんどくさくなった。
「禁書ゆえ、調べてはいかん」
「はあ」
「あと、これから出てくる禁書も、どこに埋蔵金の手掛かりが書かれているやもしれんので」
「はは」
「禁書になったものは、一切処分してはならん」
「はは!」
「巻本、写本、刊本、版木、その他あらゆるものをすべて収納庫に収め、これを徹底管理せよ。普請もすべてそちに任せる」
「かしこまりました」
意次は生真面目にかしこまる仲田新左衛門が不憫でならなかったが、まあだいたい話は伝わったのでよしとした。おっと、忘れるところだった。肝心の指示をせねばなるまい。
「でだ、この内容のすべてを、その版木に起こしてあるゆえ」
意次は、新左衛門の手にしている板切れを指差して言った。
「今後一切の禁書目録には必ず付け加えるように。過去のものにもさかのぼってな」
禁書目付仲田新左衛門は田沼意次の命をかみしめ、版木を持って田沼邸を後にした。
「四億五千万両じゃと」
田沼意次は、庭で朝練に精を出す我が子竜助をやさしく眺めながらつぶやいた。竜助は素振りを止め、父に向き直った。
「何かおっしゃりましたか父上」
「ははは。四億五千万両の金を、石田三成はどうやって運んだのかのうと、思ってな」
「それは大金なのですか?」
「うむ。とてつもない大金じゃ」
「であれば、父上」
竜助は真っすぐな汚れのない瞳で、父親に言った。
「それは大勢で運んだのでありましょう」
田沼意次は久しぶりに大声で笑った。
笑い声に反応して、遠くで
こうして物語は始まったのである。
本編(巻ノ壱 キルアクロウ)へ続く
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