第27話
創一は自分のクラスの教室に入った。
いつも通り、教室のあちらこちらでは、親しい友人と集まって、クラスメイトが思い思いに世間話で盛り上がっている。
「おはよう、心陽、賢治」
創一は会話をしている心陽と賢治を見つけると、そちらに歩いて行った。
「あ、創ちゃん、おはよー」
「おはよう、創一。……創一はインフルエンザ、大丈夫だったか?」
「いや、僕へ別に。誰かまだ掛かっているのか?」
「二年生はちらほらいるって感じかな。一年生と三年生はまだ多いみたいだね。元々、一年生と三年生を中心に罹患者が増えたからね」
「そう言えば、そうだったな。昴や陽太もまだ治っていないって感じか?」
「いや、あの二人なら元気だと思うよ。一昨日、商店街へ文房具を買いに行った時、買い食いしている姿を見かけたからさ」
「そっか。それは良かった」
少ししてホームルームの時間となり、担任の鈴木先生が連絡事項などを告げている。
創一はぼんやりと窓の外を見上げながら、五日前――エデンの園から帰還した後のことを思い出した。
繭羽が輪廻壊絶なる術式を発動した後、すぐにセーヌ結界は消失して、同時にエデンの園も焼失した。そして、創一は現実の世界に戻って来ることが出来た。
最初、創一は学校の敷地内の端にある一画に立っていた。エデンの園での移動が反映された所為だろう。校庭に戻ると、夕陽も山蔭に落ちかけた薄暗いそこには、学生を中心とした大量の人々が倒れていた。その中には連鎖尽崩の影響を強く受けなかった者もいたらしく、よろよろと立ち上がる者も何十人かいた。気を失った人々は、すぐさま駆け付けた救急車によって搬送された。
今回の集団失神には、幻魔や魔術が関係していたこともある所為か、世界の修正力という秩序維持の力が働いたらしく、学校内で季節外れの大規模なインフルエンザの感染が起きたということで話が進んでいた。失神の事実も消し去られ、生徒の体調不良の原因は全てインフルエンザによるものとして扱われていた。
正直なところ、インフルエンザでは話のこじつけが過ぎるのではないか……そう思いはしたけれど、学校で生徒が大量に体調不良を起こす場合はインフルエンザやノロウイルスなどによる集団感染が一般的なので、それはそれで筋が通っているのだろう。
インフルエンザの蔓延ということで話は進んでいるので、結果として五日間の学校閉鎖となり、今日が閉鎖明けの登校日となった。
これは学校閉鎖の間に分かったことなのだけれど、どうやら自分以外は誰も校庭で開かれた全校集会のことを憶えていないようであった。あの時のことを憶えているか、試しに心陽や賢治に電話で尋ねてみたものの、何の話をしているんだと言わんばかりの口調で怪訝な反応をされてしまった。
憶えていないことと言えば、もう一つ、誰もが忘れてしまっていたことがある。
それは――繭羽の存在だ。
クラスメイトは勿論、比較的親しい交友があった筈の心陽まで、繭羽に関する記憶が一切消えていた。恐らく、世界の秩序にとって、繭羽の存在の記録が一般人にとって不都合な物となった所為だろう。
それもその筈であり、繭羽は幻魔たるリリアとの戦闘の果てに――死んだからだ。
エデンの園から現実に戻った時、すぐ近くに繭羽が倒れていた。リリアの姿は見当たらなかったので、討滅に成功したのだろう。
仰向けに倒れている繭羽の体を抱き起した時、既に命は尽きていた。体はまだ温かみは帯びていたけれど、確実に冷たくなり始めていた。呼吸は全くしておらず、脈拍も全く感じられなかった。
繭羽が救急車に運び込まれた際、第一発見者であり親しい者ということで、自分も救急車に同乗した。救命隊の方は様々な蘇生処置を試みてくれたものの、生体監視装置の示すバイタルサインは絶望的なものであった。救急車が病院に到着すると、迅速に集中治療室へ運び込まれた。
自分の擦過傷などの手当てをして貰いながら繭羽の安否報告を待っていると、繭羽を担当した救急救命医の方がやって来て、死亡を確認したと告げられた。心肺停止から時間が経ちすぎており、脳死は免れ得ず、蘇生の見込みは無いとのことだった。
その後、遺体となった繭羽に会せて貰った。ベッドの横たわる繭羽の顔は、死人のものとは思えず、つい数時間前までは生きていた姿を思い出して、眼前の事実が夢か幻なのではないかと感じた。
繭羽は身元不明者として、病院で一時的に預かる運びとなった。今頃は霊安室に安置され、居るかも分からない親族の到着を待つ形となっているだろう。
創一は繭羽との出会いを振り返る。ほんの四日間の付き合いでしかなかったけれど、繭羽は自分に多くの物をもたらした。
繭羽と出逢わなければ、自分は生きてここにいなかったかもしれない。幻魔やディヴォウラー、魂を砕くことで発動する魔術、この世界の傍らに存在するパンタレイのことを深く知る機会は無かっただろう。
繭羽は、自分にとって常識の破壊者であり、非常識な異世界への案内人であった。繭羽との行動には、常に未知への興奮が伴い、現実のしがらみから解き放つような自由と解放感に満ち充ちていた。
今の自分の心には、ぼっかりと空虚な大穴が空いているような気がする。それは異なる世界の案内人を失ったこともあるのだろうけれど、何にも増して――記憶喪失から初めて得られた、今の自分にとって初めての友人を失った深い悲しみ故なのだろう。
もう、彼女の姿を見ることはない。戦闘の際に見せた戦慄を招くような凛々しさや強靭な意志に満ちた眼差し、折に触れて見せた可憐な笑顔、様々な感情に彩られた声音――それら全て、完全に過去の物となってしまった。
自分にもっと力があれば、この最悪の結末を回避出来たのだろうか。いずれはこの街を離れてしまうとしても、再び彼女の笑う姿を目にすることが出来たのだろうか。
もし、最初の出会いの時からやり直せるのであれば……。
創一は感傷的な想いに涙が零れそうになった。
「えー、では、朝のホームルームの連絡事項は終わりだ。次に……」
意識の片隅で、担任教師の話がぼんやりと聞こえて来る。けれど、全く耳に入って来ない。ここ数日間、何もする気が起きなかったように、今は自分の心の世界に閉じこもっていたかった。
がらり、と教室の戸を引く音が聞こえた。恐らく、担任教師が教室から出て行った音なのだろう。創一はそう思い、鞄から一時限目の授業に使う教科書を取り出そうとした。
「――みなさん、初めまして」
ふと、
教壇の方から聞こえた声に、
聞き覚えのある声音に――創一の思考は止まった。
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