第13話

「――――はあっ!」 


 繭羽はキマイラの前足の一本を狙い、大太刀を伏せながら大きく踏み込んだ。


 側方からキマイラの前足が叩き殺すように迫り来る。こちらに肉迫する前足を先に叩き斬ろうと迎撃の構えを取ったが、前足の動きが中途で止まる。怪訝に思う刹那、正面から獅子の頭部が大口を開けて噛み砕こうと迫った。



咄嗟の判断でキマイラの腹の下に滑り込む。瞬時に体勢を整えて腹を切り裂こうとしたところ、尾蛇の毒液がこちらに向かって吐き出された。思わず側方へ転がり、起き上がりと同時に大太刀を横薙ぎにして、再度前足の一本を斬り飛ばそうとする。しかし、大太刀が当たる前にキマイラの姿が忽然と視界から消える。


 見上げれば、上空で横向きに身を捩じるキマイラの姿があった。キマイラの背に生えた龍の頭部が動き、屋上に向けて炎の息吹が吐き出される。たまらずその場から跳び退り、給水塔の上に着地する。直後、屋上の一面が炎の息吹に焼き払われた。


 着地の隙を狙って黒炎の斬撃を数発打ち放つ。しかし、キマイラは着地と同時に側方へ跳び、隣接するビルの屋上へ移動した。追撃として黒炎の斬撃を更に放つものの、キマイラの龍の頭部から吐き出される炎の息吹に相殺されてしまう。


「くっ、ちょこまかと煩(わず)わしい……!」


 さっきの接近でキマイラの足に深手を負わせられなかったのは惜しかった。


 先ほどから、このキマイラには他のビルへ跳び移る傾向が見られる。恐らく、巨体のキマイラからしてみれば、ビルの屋上は手狭で動きづらいから、反撃よりも回避を優先しているのだろう。


 なかなか大太刀の一撃が決まらないこと歯痒いが、キマイラがビルの屋上を跳び移って移動を繰り返していることは好都合だった。お蔭で、創一やクラスメイトがいる地点から距離を開くことが出来ている。


(このキマイラ型……頭の数は三つか。それだけ自我や想念体の統合が取れていないってことなのでしょうね)


 幻魔は大きく二つに分類される。


 一つ目は、人の形を成したまま戦闘を行い、魔術を自在に行使する人型幻魔。この人型は統一された自我を持っており、想念体の構成も安定している。人型幻魔にはリリアが該当する。


 二つ目は、いくつかの動物の姿を合成したような異形で現れるキマイラ型幻魔。キマイラ型は自我の統一が不十分であり、高度な精神制御を行えないので、セーヌ結界や境界渡りのアリス術式など、必要最低限の魔術しか扱えないのが常である。現実界における普段の活動は人型で行うけれど、意志疎通を行う為の言語能力が低く、戦闘時にはディヴォウラーの頃の姿を取ることが多い。キマイラ型が概して巨大で異形となる理由は、自我の統合と想念体の制御が未熟な為、体が膨れ上がってしまうからである。


 攻魔師の間では、自我や想念体の統合が完全で魔術すら扱える人型幻魔が強敵と見なされている一方、魔術を十分に扱えない上に獣の如き知性と戦闘方法しか行えないキマイラ型は弱敵と見なされている。また、キマイラ型は自身の幻魔特有の気配を抑えることが出来ないので、人型よりも狩られやすい傾向にある。


(それにしても、このキマイラ型……どうして手負いなのかしら?)


 キマイラは、繭羽と戦闘を開始する以前から、既に体のあちらこちらを負傷していた。獅子の頭部は片目が潰れ、竜の翼は片翼がもがれている。全身に裂傷を帯びており、数ヶ所の酷い突き傷も見受けられる。


 セーヌ結界が張られた直後に突入したから、自分と交戦する直前に何者かと戦闘して負傷したとは考えづらい。すると、それ以前に何者かに深手を負わされ、逃げ延びたと考えるのが妥当だろう。


(しかし、それなら誰に襲われた……?)


 繭羽が疑問を抱く中、キマイラの獅子の口が大きく開き、大量の空気を吸い込んだ。


 何かを吐き出すのか、と繭羽が警戒を強める中、獅子の口から耳をつんざく純粋な雄叫びが放たれた。膨大な音の衝撃に周囲のビルの窓ガラスが砕け散る。


 あまりの音量に、繭羽は顔を顰(しか)めて片耳を覆った。


(何……音波攻撃? それとも萎縮狙いの単なる威嚇?)


 繭羽がその雄叫びの真意を図りかねていると、キマイラは体の向きを変え、繭羽から逃れるように次から次へと別のビルに跳び移る。


 先ほどの雄叫びの意図は掴めないが、とにかく幻魔を野放しにする訳にはいかない。


 キマイラがジグザグにビルを跳び移る一方、繭羽は最短経路でキマイラに迫る。


 キマイラ型の幻魔は獣の姿をとるので、一見するところでは、高い俊敏性を有していると予想される。しかし、実際は俊敏性に欠けるという事実がある。キマイラ型は、数種の獣の特徴を合わせ持つが故に、体の平衡や重心を崩しやすく、各部位の連動が滑らかに行えないからである。


 繭羽がキマイラとの距離を数メートルに縮めたところで、キマイラの尾蛇が毒液を撒き散らした。


 繭羽は空中での回避は不可能と判断すると、即座に黒炎の斬撃を放つ。毒液が深黒の火焔によって蒸発し、毒霧となった。繭羽は呼吸を止め、目を瞑って毒霧をやり過ごす。


 その直後、毒液では仕留められないと判断したのか、尾蛇本体が牙を剝き出しにして襲い掛かって来た。


「ふふっ。あなたも蛇なら、熱が好きなのでしょう?」


 繭羽は不敵な笑みを浮かべると、黒炎の火焔を自身の斜め前方に放った。


 尾蛇が黒炎の赤外線に反応して、ほんの僅かの間、そちらに気を取られる。


 その隙を突き、繭羽は体を捩じる勢いのままに大太刀を振り上げ、尾蛇の頭を顎の下から切断した。斬り飛ばされた蛇の頭が、くるくると宙を舞う。


 キマイラは痛刻の唸りを上げると、逃れるようにビルの屋上から地面へ飛び降りた。その真下には、当然ながら、人が大勢行きかう通りがある。逃走がてら、人間を食らう腹積もりかもしれない。


「――させるかぁっ!」


 繭羽は屋上の鉄柵に足を掛けると、鉄柵がひん曲がる程の脚力で蹴り跳ばし、空気を穿つような速度で宙へ飛び出した。


 キマイラは単なる自由落下であり、加えて下面の表面積が広いので、大きな空気抵抗を受ける。それに対して、小柄な繭羽の空気抵抗は圧倒的に小さく、ましてや鉄柵を蹴り跳ばずという猛烈な初速度も得ていた。必然的に、ものの数秒で繭羽とキマイラの距離は縮まった。


(これで――この一撃で仕留めるっ!)


  繭羽はキマイラの脇腹を縦に斬り裂くべく、大太刀を最上段に振りかぶった。


  ぐるり。


 突然、自由落下するキマイラの龍の頭部がこちらに振り向いた。口を開き、大量の空気を吸い込む。


 次の瞬間、龍の頭部が吐き出した炎の息吹に、繭羽の体は包み込まれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る