第7話

 翌朝。


 教室では、クラスメイトが思い思いに教室に散らばり、仲の良い友人と挨拶や世間話を交わしている。


「おっす、創一。……なんだか目の下に隈が出来ているけど、大丈夫か?」


 創一が教室に入ると、こちらの姿を認めた古橋賢治(ふるはし けんじ)が声を掛けてきた。


 賢治は中学校以来からの創一の親友だ。成績優秀であり、何かと頼りになるので、クラスメイトからの人望も厚く、学級委員長を務めている。もともと面倒見のいい性格をしているが、創一が数か月前に遭遇した『とある事件』が起きてから、何かに付けて創一の世話を焼くようになっている。


「おはよう、賢治。昨日の夜は、ちょっと寝付きが悪くてさ。多少、寝不足気味なんだよ」


「寝不足? なんだ、昨日は面白い深夜番組でも見ていたのか?」


「ん―……まあ、そんな感じかな。ふと夜中に目が覚めちゃって、なかなか寝られそうになくてさ。眠くなるまでテレビを見ていたんだよ」


 創一が適当に拵え話をして追求を逃れようとすると、背後から迫って来たクラスメイトの一人が創一の両肩を叩き、軽い調子で話に割り込んでくる。


「とか言いつつ、実は深夜に流れていた『水着アイドルのプール運動会』を見ていたんだろう?」


 創一の肩越しに軽薄な笑みを満面に浮かべているのは鳥居昴(とりい すばる)だ。何かと賑やかな性格をしており、顔立ちも整っているので、クラスの女子からは、そこそこ人気がある。しかし、下卑た話題を好んで持ちかけてくることが欠点だ。


「恥じるな、創一。我が同士よ。健全たる男なら、あの番組を見る為に夜中に起きるのは当然というものだ。なあ、陽太。お前も見ただろう?」


「いや、お前……女子が周りにいる時に、そんな話題を大っぴらに振って来るなよ……」


 昴の隣に立っている大柄のクラスメイト、望月陽太(もちづき ようた)が苦々しい表情を浮かべる。


 昴と同様、陽太も創一の仲の良い友人の一人だ。昴と陽太は御互いに馬が合うらしく、よく行動を共にしている。陽太は実直で人好きのする性格をしており、昴と同様、クラスのムードメーカーの立ち位置にいる。時には昴と悪乗りもすることもあるが、基本的には、昴の暴走に陽太が制御をかけるという関係である。


「お? 否定しないところを見ると、陽太もしっかり見たな?」


「いや、俺は……」


 昴の追究に陽太は狼狽しながら言葉を濁した。その様子から、陽太も水着番組を見たことが窺える。


「おいおい、誤魔化すなよ。創一も恥ずかしがるなって。俺たちは志を同じくする仲間じゃないか。じっくりと今回の番組内容を語り合おうぜ」


 昴は陽太の方に手を伸ばして引き寄せ、創一と同じように肩を組んだ。放っておけば、担任の教師が教室にやって来るまで、水着番組の話に巻き込まれるだろう。


「昴、その辺にしておけって。また鬼の風紀委員こと、心陽(こはる)がやって来るぞ」


 創一は呆れ気味に昴に警告した。


「やっべ、また心陽ちゃんに怒られ……って、そう言えば、心陽ちゃん、まだ教室に来ていないぜ」


「え? 心陽が?」


 創一は教室の中を見回した。確かに、心陽の姿は見当たらない。心陽は普段から早い時間に登校しているので、既に教室にいても可笑しくない筈である。


「ああ、春日さんなら、風紀委員会の臨時招集に行っていて、今はいないよ」


 賢治が答えた。さすがは学級委員長と言うべきか、学校行事に関することでは耳が早い。


「臨時招集? 何かあったのか?」


「僕は職員室で小耳に挟んだだけだから、詳しくは分からないけれど……」


 賢治が急に周りを気にするように声を潜める。


「どうやら、昨日の深夜に、街で女性が殺されたらしいんだ」


「マジかよ。街中で起きたのか?」


「それはまた、物騒な話だな」


 昴と陽太が興味深そうに呟いた。


「……街中で殺人事件か」


 創一は胸に引っ掛かるものを感じた。昨晩、心陽が電話で不審な男の話をしていたが、これも幻魔に関することなのだろうか。次に繭羽に逢ったら、このことを教えておこう。


 現在、創一は繭羽の行方を知らない。創一が今朝起きると、リビングのテーブルに上には、繭羽が書いたと思わしき置手紙を残されていた。置手紙には世話になったという旨のことだけが記されており、行方を示すようなことは書かれていなかった。


 ちなみに、創一は繭羽のバスタオル姿を目撃した事件の後、早めにベッドで寝てしまおうと思い、ロフトの上に引っ込んでいた。あんなことがあっては、繭羽も気まずいだろうし、創一としてもどんな表情でいればいいのか分からなかったからだ。


 繭羽が脱衣場から出てきた後も、特に向こうから声を掛けられることも無かったので、そのままベッドに横になっていた。しかし、いつ奇襲が来るか分からない状況と繭羽の存在に二重に緊張してしまい、なかなか寝付けなかった。


「……なあ、賢治。犯人は捕まったのか?」


「いや、そこまでは知らない。ただ、臨時招集が開かれていることから察するに、恐らく、まだなんじゃないかな」


「そうかもな。……と、鈴木先生が来たぞ。おい、昴。もう離してくれ。鈴木先生にどやされるぞ」


 教室内にクラス担任の鈴木が入って来た。創一は昴の肩組みから逃れ、自分の席につく。


 朝のホームルームが始まった。担任教師から細々とした連絡事項が伝えられる。その中には、やはりと言うべきか、深夜に起きたらしい殺人事件のことも含められていた。犯人は未だ捕まっておらず、逃走中らしい。その為、しばらくの間、部活動は中止となり、教員と風紀委員による下校指導がなされるらしい。


「……さて、陰気な連絡事項は以上だ。嫌な気分になっているだろうが、ここで気分転換の良い知らせがある」


 教室がにわかに色めき立つ。


「鈴木先生、良い知らせって、まさか……ついに結婚するんですか!」


 昴が調子よく冗談を飛ばした。


「ああ、実は先生もそろそろ……って、おいおい昴、先生がこれ以上結婚したら重婚で犯罪者になるぞ」


 担任教師の乗りの良い発言にクラスメイトが笑い立つ。創一はこういう気軽なクラスの雰囲気が気に入っていた。


「良い知らせというのは、私ではなくて、みんなに関係することだ。さあ、どうぞ入って」


 担任教師の呼び声に応じて、教室の扉が横に引かれ、誰かが入って来る。


 創一はその入室者の姿を見て、開いた口が塞がらなくなった。


「みんなに紹介しよう。こちら、神代繭羽さんだ。本来は春休み明けに編入する予定であったそうだが、ちょっとした家庭の事情で編入時期が遅れてしまったそうだ。とにかく、新しいクラスメイトだ。さあ、神代さん。自己紹介を」


「はい」


 繭羽は堂々とした態度で教壇の前に立つ。


「先生から紹介をあずかりました、神代繭羽です。趣味で茶道や弓道などを嗜んでいます。多少中途半端な時期の編入となってしまいましたが、よろしくお願いします」


 繭羽が自己紹介の結びに一礼した。


 その直後、クラスから湧き返るような歓声が上がった。


「やべぇ、すっげー可愛い!」

「うちのクラスにこんな子が入って来るなんて超ラッキーじゃん!」

「うわー、髪が長くて凄く綺麗。ああいう黒髪って憧れちゃうなぁ」

「茶道をやってる感じがする。なんだか気品があるもん」


 喧騒に包まれるクラスの中で、唯一、創一は困惑の表情を見せていた。


「静かに。お前たちの気持ちはよく分かるが、取り敢えず静かにしろ。話が進まないだろう」


 担任教師の声によって、クラス内の喧騒がいくらか緩和される。


「まったく、元気がいいのは構わんが、神代さんが困惑するだろう。さて、話を再開するが、神代さんは編入生ということもあって、この学校のことを詳しく知らない。そこで、昼休みにでも神代さんに校舎の案内をしてくれる人を募集したいわけだが、希望したい者は挙手を……」


 担任教師がそこまで言うと、男子女子を問わず、半数近いクラスメイトの手が挙がる。


「……して貰うつもりだったが、決めるのが面倒なので、学級委員長の古橋に任せようと思う。古橋、頼まれてくれるか?」


「え、僕ですか? まあ、特に予定は無いので構いませんけれど……」


「そうか。では、神代さん。時間がある時に古橋に案内して貰うといい。古橋は学級委員長だから、何か困ったことがあれば、古橋に頼るといい」


「分かりました。古橋君、よろしくお願いします」


 繭羽はそう言うと、賢治の方に会釈した。賢治もつられるように会釈を返す。


 途端、賢治に向けて、クラスの男子から密かに怨嗟(おんさ)の言葉が飛び交った。


 こうして、繭羽は創一のクラスの一員となる運びとなった。

 

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