桜色の涙
柴咲 遥
第1話 不安な日々
「柴咲さん・・・柴咲亜美さん1番診察室へどうぞ~」
「・・・はい 」
私は、誰にも届くことのない小さな声で返事をした。そして真っ白な壁が迫ってくるような、冷たくて無機質な診察室のドアをノックする。
「どうぞ」
この空間は幾度訪れても慣れることはなかった。
「先生 、 こんにちは・・・ 」
そして、いつものようにあいさつして、先生の右横にある丸い椅子に座る。
「こんにちは、 柴咲さん・・・ 調子は?どう?」
先生は私と目を合わそうとしない・・・それもいつものことだった。
「特に・・・ 変わったところは 」
そう言うと先生は徐に振り返って私の顔をジッと見つめる。
「ん~ 顔色も・・・悪くないわね・・・そうね 、 念のため 腫瘍マーカーとMRI予約しておきましょう 」
PC画面を見ながら先生は私にそう告げた。
横浜市内の総合病院 乳腺専門外来、 私の担当医 鈴木冨美 先生とはもう5年の付き合いになる。
年齢は私より7歳年上の45歳 私と同じバツイチだけど、とってもクールで頼れる先生、私はこの先生を信頼している。
(でも、患者にうそをつくのは少し下手・・・ )
「じゃあ、 来月10日に予約入れておくから 」
「はい、ありがとうございました」
会計を済ませてからバスで横浜駅に向かう。
(何度この風景を見てきただろう・・・ )
そんなことを思いながら、 ぼんやりとバスの車窓を眺める。
(仕事、そろそろ探さなきゃね、お母さんにも これ以上 迷惑掛かけられないし )
私は5年前、検診で乳癌が見つかった、幸いにも初期だったので乳房温存手術と放射線治療を行い、今年で5年目を迎える。
5年・・・生存率93パーセントは何とかクリア出来そうだった。
乳癌で私の人生は大きく変わった、病気で大好きだった仕事も失った。
治療で体力も落ちて働く気力も、生きる力も・・・なにより 心が死んでいくようで、どうしようもなく・・・そして怖くて寂しかった。
でも家族にだけは心配かけたくない、 そのことだけが私を強くしていった。
気分転換に横浜みなとみらいに寄り道してウィンドウショッピングをする。
( あぁ来月・・・また 歳 取っちゃうなぁ~ )
秋物のパンプスを見ながら想いをめぐらせモールの中をブラブラする。
1時間ほどぶらついてから 家へ帰る、私が今住んでいるのは生まれ育った大好きな街、『鎌倉』5年前私はこの街に戻ってきた。
横浜から鎌倉へJR横須賀線から見える車窓・・・今まで何気なく見ていたこの風景もなんだか愛おしく感じる。
鎌倉駅を出て駐輪場で自転車を探す、2年前まで娘の遥が通学に使っていた赤いフレームの自転車を今は私が愛用している。
( 買い物して行こうかな )
携帯で家に電話する。
「あっお母さん、今夜の夕食どうする?今 駅に着いたけど、えっ?うん、わかったありがとう、じゃあ・・・これから帰るね 」
(今夜はロールキャベツか・・・)
私が大好きなロールキャベツを作って、待っていてくれる母、本当にありがたい。
私に何か大事なことがある時は、いつも母のロールキャベツ・・・運動会の前日だったり期末テストの夜食、そうそう高校受験の前日もロールキャベツだったっけ。
母のロールキャベツを食べた翌日は必ずすべてうまくいく、そんなジンクスがあった。
( 私のこと・・・ きっと心配 してるんだろうな )
電話では何も訊かないけど、 母の心配している気持ちが痛いほどわかる、私も一応母親だから。
鎌倉駅から私の家までは自転車で飛ばして約10分、帰りは横須賀線の高架橋をくぐり抜けてから少し上り坂だからいつも15分くらいはかかる。
9月下旬だけど、まだ気温は25℃以上ある夏日、少し汗ばんでくる、下馬交差点を右折すると、この自転車を買った田村自転車店が見えてくる。
「こんにちはぁ」
「こんにちは~今帰り?自転車 調子悪かったらいつでも寄ってよぉ」
「は~い」
いつも田村のおじさんが声をかけてくれる。
私が子供のころからのお付き合い、幼稚園の年長の時初めて買ってもらった自転車もここで見つけた、鎌倉にはこういったお店がいくつもある。
江ノ電の踏切を超えて一気に坂道を直走る。
「ハァハァ・・・」
少しペダルを強く漕いだだけで息が上がる、六地蔵交差点を過ぎてしばらくいった交差点を左折すると白い壁の家が見えてくる。
ここが私の生まれた家、今は母とふたり暮らし。
門を開けて自転車を入れるとHARUが嬉しそうに駆け寄ってくる。
「HARUただいま~ 」
私がそう言うとHARUはいつも大きな声で3度 吼える。
「よしよし・・・HARU寂しかった?んぅあとで散歩行こうね~」
寂しかったのはHARUだけじゃなく本当は私の方、HARUは娘の遥がハワイに行った2年前に我が家にきた秋田犬だった。
娘が私のことを心配して 秋田に住む叔母さんに頼んで家に来てくれた。
今じゃHARUが私の一番の相談相手かもしれない。
しばらくHARUを抱きしめる、HARUは私の気持ちをすべて知ってるかのようにクゥ~ンと悲しげな声を上げた。
「HARU、ありがとね、もう大丈夫だから・・・」
そう呟いて家に入る。
「ただいまぁ~」
「おかえりぃ~」
キッチンからホッとするそして食欲をそそるロールキャベツの匂いがしてくる。
「お腹?すいてる ?もう少しでできるけど」
「うん、お腹ペコペコ、 じゃあ着替えてくるね 」
母はいつもそう・・・心配していても自分からは決して訊いてこない。
「おいしい~ 何度食べてもお母さんのロールキャベツは最高だね!なんで私が作るとこうなんないのかなぁ?」
「そぉ?いつもは何も言わない人だったけど、お父さんも大好きだったのよこの
ロールキャベツ 」
「えぇ~そうだったの?知らなかったぁ・・・ 」
父の話をする母の顔はいつも嬉しそうだった、今度は私が母のことを守らないと。
父は8年前、アメリカに赴任中交通事故で亡くなった、遺体の確認のため家族を代表して私がアメリカに飛んだ。
あの時のことは、ついこの前の様に覚えている、そしてそのことは私の心の中に閉じ込めている。
父は運転していなかった、運転して事故を起こしたのは私たちが知らない女性、父はその車の助手席に乗っていて事故に遭った。
そのことは母は知らない、もちろんその女性と父との関係も。
(このロールキャベツの味もちゃんと、伝えていかなきゃ・・・)
「お母さん、今度・・・遥が帰ってきたら、ロールキャベツの作り方教えてあげてね」
「・・・えっ?」
母は少し驚いた顔で振り向いた。
「亜美、あなた・・・」
「うん、大丈夫だから・・・私は 」
「そう・・・」
「ごちそうさまでしたぁ、あぁ~美味しかった~洗い物あと私がやるから、終わったらHARUの散歩行ってくるね」
「HARU・・・行くよ!」
HARUが嬉しそうに走って私に体当たりしてくる。
「こらぁ~HARU」
首輪にリードを付けて一緒に歩き出す。
由比ガ浜までのいつものコース、こうしてHARUと散歩する時間が今の私には一番心休まる時間だった。
由比ガ浜について浜辺で少し休む、穏やかな波の音が聴こえる、海の向こうに秋の月が浮かんでいる。
(もしもまだ・・・願いがひとつ叶うとしたら・・・)
波の音を聴きながらそんなことを考えてしまう。
(恋、 恋がしたい・・・もう一度 一生忘れることの出来ないような恋をしてみたい)
そんなことを考えてると思わず涙が溢れ出す・・・母の前では泣けない、絶対に涙は見せないって決めているから、泣くときはいつもここ。
「平気だから、HARU・・・」
頬を伝わる涙をHARUは悲しそうな声を上げて舐めてくれる。
ここで思い切り泣いて笑顔で家に戻ろう。
「そろそろ、帰ろっかHARU」
翌日、PCで派遣会社へ登録をする、前の会社でのスキルを最大限生かせる会社を希望する。
前の会社は主にリスクマネジメントとコンプライアンス部門で働いていた毎晩遅くまで働いてあの時は大変だったけど、充実した日々だった。
(またあの時みたいに働けるのかな・・・)
「あっ 美咲からメール」
山内美咲とは前の会社で同期入社、そして一番の親友で戦友でもあった。
私が病気で大好きな会社を辞めなきゃいけなくなった時も、美咲は一緒に泣いてくれた。
彼女はマネージャーに昇進して、今では会社でなくてはならない存在になっていた。
私はそんな美咲が羨ましかった。
<亜美~ 調子はどうですか? 私は持病の腰痛で、最近ヨガ教室に通っています。クッキングスクールは2週間しか続かなかったけど今度は大丈夫そうです♪やっぱ料理は作るより食べるヾ(~O~;) だよね~ そうそう 豚肉料理の美味しいお店 見つけたんだぁ~ 『ぶーみん ヴィノム』ってお店、今度行こうよ~給料出たからご馳走するよぉ~じゃあね♪>
(こうやっていつも心配してくれるそんな親友がいる私は本当に幸せだ)
すぐ美咲にメールを返信する。
<美咲、いつもありがとね♪ いつも いつも 感謝です('-'*)アリガト♪ 豚肉料理 楽しみです。そろそろ仕事探そうかなぁってさっき派遣会社に登録したところ、今度 ゆっくり報告します>
「亜美~お風呂 沸いてるわよぉ~」
「は~い」
(明日、派遣会社に連絡してみよう・・・)
今日は少し疲れた・・・半身浴で30分ゆっくりとぬるめのお湯に浸かってからベッドにもぐりこむ。
翌日 登録してあった派遣会社の担当者に連絡を入れる。
「ん~ 柴咲さんの希望に副える会社は・・・ちょっと厳しいかもしれないですね~」
電話の向こうで 担当者がPCのキーボードを叩く音が聞こえる。
「そうですか・・・」
以前の会社でどれだけの実績があっても・・・38歳の女性が簡単に希望の職種につけるとは思っていない。
「待ちます、そんなに切羽詰まってないんで・・・」
「・・・そうですかぁ、じゃあ また連絡しますんで」
「よろしく おねがいします・・・」
(はぁ~)
電話を切った後、思わず出るため息。
「そんなに、急いで探すことないのに・・・」
母は昔からどっしり構えているタイプっていうか。
「何とかなるわよって 」感じで・・・
「そうなんだけど、働きたいのよ・・・」
そう言ってHARUを散歩に連れ出した。
「今日は駅のほうに行ってみよっか 」
HARUは嬉しそうに尻尾を振った。
久しぶりに 段葛の桜並木をHARUと歩く、夏、あれだけ緑色に包まれていた桜並木も深いオレンジ色に染まっている。
「もう・・・秋なんだね~」
本当に時が経つのが早く感じる。
2010年10月1日金曜日、あれから派遣会社の担当者からは数回連絡があったがとても希望に副うような職種はなくて、母の言葉に甘えてのんびり過ごしている。
HARUだけは毎日私が散歩に連れて行くことに喜んでいるようだった。
母とふたり 昼食の親子丼を食べていると派遣会社の担当者から連絡があった。
「はい、 はい・・・わかりました。はい、よろしくお願いします」
「どうしたの?」
「うん、 面接の連絡、受けてみようかな」
「そう、どんな会社なの?」
「なんだか歴史のあるメーカーみたい、 コンプライアンスを強化したいんだって」
「ふぅ~ん、 いつ?」
「もしOKなら来週の月曜日どうですか?って」
「どうするの?」
「受けてみる・・・私」
「そう、あまりあせらないで・・・がんばって」
母はお茶を入れながら 優しく励ましてくれた。
久しぶりの面接、クローゼットから明日着ていくスーツを選ぶ。
「う~んなんか地味・・・これじゃあねぇ、なんか変?ん~この際、買っちゃおっかなぁ 」
そう思ったが、思い止まる、あと何度着るかもわからないスーツに出費する余裕はない。
そしてもう一度鏡を見る。
「これでまっ いっか 」
( 最近 化粧もあまりしていないしなぁ・・・ )
また鏡を覗き込む、髪もパサパサ・・・艶もない。
「よし、 髪切に行こう、そういえばこの前 駅前でチラシ配ってたっけ、あった!チラシ~」
大船駅前にオープンしたヘアーサロンに予約の連絡をいれると、キャンセルが出たみたいで1時間後の予約が取れた、 ラッキー。
大船駅に着く、お店は東口の目の前、早速お店に入る。
「予約していた柴咲ですけど・・・」
「お待ちしていました~こちらにどうぞぉ」
外の光が差し込む明るい店内に女性のスタイリストが7名ほど、テキパキ動いている。
オープン価格でカットとカラーを頼む、髪を切るのは久しぶり、ヘアカタログで髪型を選んでお願いする。
本当はショートにしてみたいって思ってた、ヘアスタイルを変えても今が変わるわけじゃないってわかってるけど、またいつもの無難な髪型を選ぶ。
初めて入ったお店でちょっと不安だったけど、スタイリストの方もとても気さくでカラーリングも気に入った。
(また来よう・・・)
明日は面接、 いつものように半身浴でリラックスした後、化粧水をいつもより念入りにつけてベッドに入る。
10月4日月曜日、朝7時、ベッドから起きてカーテンを開ける。
「んうぅ~ん」
思い切り背伸びをする。
「よし、いい天気」
私は子供のころから晴れ女なのだ。
面接は午前10時から場所は新橋だった、キッチンで鯵の干物が焼ける匂いがする、母が根野菜の味噌汁と卵焼き、昨晩の筑前煮を盛りつけている。
「おはよう~」
「おはよう、何時に出るの? あら・・・その髪型 いいじゃない」
「そぉ、新橋に10時だから・・・余裕見て8時に出れば大丈夫、いただきます」
やっぱり母が作った朝ごはんは元気が出る、昨日選んだスーツに着替え 少し念入りに化粧をする。
(仕事決まったら化粧品も買わなきゃなぁ・・・)
久しぶりに履く黒のパンプス、脚が痛くなんないか・・・少し心配 。
「行ってきま~す」
「気をつけてね~ あっ帰りに CALVAでケーキでも買ってきてよ」
「えぇ ~まだ仕事・・・決まった わけじゃないのに? 」
「いいじゃない、久しぶりに食べたいのよぉCALVAのケーキ 」
「うん、わかった。じゃあ、行ってくるねHARU 帰ってきたら散歩いこうね」
そう言って自転車で鎌倉駅に向かう、爽やかな秋風・・・どこからか金木犀の香りも漂ってくる。
久々のパンプスで自転車のペダルが漕ぎにくい、 駐輪場に自転車を置き改札を抜けてホームに立つ。
通勤時間帯を少し過ぎたせいかホームの人ごみは予想していたより少ない。
大船駅で東海道線に乗り換える、面接が終わった後に鈴木先生のところに予約を入れてあった、そのことは母には告げていない。
横浜駅から川崎の工場と倉庫街を過ぎて品川のオフィスビルが迫ってくる、大阪に向かう新幹線とクロスするのが見える。
そして新橋駅に降り立つ。(新橋なんて何年ぶりだろ・・・)
派遣会社の担当者から送られてきた地図を見ながら歩く、日比谷口を出てSL広場を抜けて10分ほど歩くと目的のビルが見えてきた。
「えぇっと、ここの5階か・・・」
古いエレベーターに乗って5階に上がる。(何だか少しカビ臭い・・・)
5階に上がるとホールに無造作に置かれたダンボールが積み上げてある、一度深呼吸をしてドアをノックする。
「失礼します・・・」
ドアを開けるとカウンター越しに数人の社員が一斉にこちらを振り返る。
「あのぉ・・・今日10時より面接にお伺いしました、 柴咲と申します」
「。。。」
「あっあぁ柴咲さんね、じゃあその奥の応接室に入ってください」
年配の担当者らしき人がそう言って右奥を指差した。
応接室に入ると、正面に創業者と思われるお爺さんの写真がかかっている、やっぱりここもカビ臭い、ギシギシ音がするソファアが気になる。
5分ほどすると…さっき指差した50代の男性が入ってきた、ソファアから立ってあいさつをする。
ギシィ~と大きな音が応接室に響き渡る。
「柴咲と申します、よろしくお願い致します」
「あぁ~柴咲さんね・・・どうぞ 座って」
「あっ、失礼します」
「えぇ~と ふぅ~ん 39歳かぁ~いやぁ~見えないねぇ」
そう言って眼鏡を上げながら私の顔をまじまじと見る。
(まだ、38歳ですけど・・・)
「へぇ~前の会社じゃあ、えぇ~ コン、 コンプライアンス部門にいたんだねぇ~」
「はい、5年ほど・・・」
そう言いかけると担当者は信じられない言葉を発した。
「うちみたいな ところはコンプライアンスとかあんまり、関係ないもんねぇ~あなたバツ1なの?」
「 え?はい、そうですか・・・ 」
その後5分ほど世間話をしたが内容は全く思い出せない。
面接を終えてビルを出る、そして新橋駅に向かって歩き出す、悔しくて、情けなくて、涙が溢れ出す。
(私、なんのために・・・)
気づいたら、帰りの電車の中・・・品川駅を過ぎていた。
(まっ、こんなこんなもんか)
横浜駅で途中下車する。
(あぁ~おなか空いちゃった・・・ )
鈴木先生の予約は14時。(今日はひとりでランチか)
なんだか無性に『パエリア』が食べたかった、 ルミネ6階にスペイン料理のお店があるのを思い出す。
エレベーターで6階に上がる、まだ12時前で混雑していなかった。
(あった~ Amapola)
数年前に娘の遥と1度来たことがあった、スペインをイメージして赤を基調にした店内は華やかでかわいかった。
海の幸いっぱいのパエリア ランチをオーダーする。
それにしても、ひどい面接だった・・・ 期待しすぎてしまったのかもしれないけど、やはり38・・・39歳の女がキャリアを生かしてひとり働くっていうのはそう簡単なことじゃないんだって、 頭の中じゃわたっていたつもりなんだけどな。
「お待たせしましたぁ~海の幸たっぷりのパエリアですぅ」
「うぁ・・・ありがと」
「ごゆっくりどうぞ」
パエリアの入った鍋からいい香りがしてくる、一口食べる・・・海の幸の旨みエキスを吸い込んだサフランライスが口の中で弾ける。
(うぅ~ン、 美味しい)
パエリアをペロリと平らげてバスで病院へ向かう。
「ふぅ~お腹いっぱいだぁ~幸せ~」
午前中受けた 最悪な面接のことなどすっかり忘れていた。
そしてまたいつものように、待合室で名前を呼ばれるのを待つ。
「柴咲さん、柴咲 亜美さん・・・」
「はぃ・・・」
私はまた、小さな声で返事をして、診察室に入っていく。
「こんにちは、柴咲さん 調子は?どぉ?」
「はい、特に変わったところは 」
鈴木先生はそう言っていつものようにPC画面を凝視している、そしてこちらを振り返り私の顔をいつものようにじっと見つめる。
「・・・なんかいいこと、あった?」
「えっ? 全然いいことなんて・・・」
(いいことなんてあるはずない)
「そぉ? 何だか嬉しそう・・・」
「そうですか?気のせいですよぉ~」
「じゃあ、次の定期健診まで、また あまり・・・無理しないでね」
「先生のほうも・・・ありがとうございました」
そう笑顔で答えた。
会計を終えてバスで横浜駅へ戻る。
(夕日がきれい・・・明日も晴れるといいなぁ)
(あっケーキ、CALVA寄って帰んないと)
大船駅で途中下車する、昨年の8月1日オープンしたこのお店は、ご兄弟でパンとケーキを焼いている素敵なお店、私もオープンした頃からこの店のファンになった。
(確かお兄さんの方がパン屋さんで、弟さんがケーキ屋さんだったかな?) お店は大船駅東口から歩いてすぐお店の中は小さいけど、中に入るといつもワクワクする。
「こんにちはぁ」
「あれぇ~久しぶりですねぇ お元気でしたか?」
「はい、今日は母に頼まれてケーキを・・・ 」
(本当は私が一番食べたいのに・・・)
「そうですか、ごゆっくり選んでください」
「はい、うわぁ~このパンも美味しそう」
(パエリア食べたばっかりなのに・・・)
ショーケースに顔をくっつけてケーキを真剣に選ぶ。
「じゃあ、モンブランを2個と、エクレアショコラとキャラメルを1個ずつ
お願いします」
「ありがとうございます」
ケーキを箱に入れる間、我慢できずにじゃがいもベーコンと季節の野菜ののったスキャッチャータをお盆の上にのせる。
(あっ、アップルパイ忘れるとこだった)
ケーキとパンを同じ手提げに入れてもらって店を出る。
(また買いすぎちゃった)
鎌倉駅に着いて、自転車のかごに慎重にケーキを入れてゆっくりと家に向かって走り出す、秋風が吹いて少し肌寒い。
家に着き自転車を中に入れると、HARUが駆け寄って私に体当たりを食らわした。
「もう~HARU~ダメじゃない」
危うく持っていたケーキの箱を落としそうになる、後で散歩連れて行くから ただいまぁ~」
「おかえりなさい、あらぁずいぶん買ってきたわねぇ~やけ食いでもするの?」
そう言って母は笑った。
(やけ食い・・・か)
母はすべてわかっている様だった。
「派遣会社の方から電話あったのよ・・・」
「そぉ、派遣会社、変えてみようかな・・・」
「ふぅ~ん、亜美が後悔しなければ、それでいいんじゃない」
母はいつものようにそう言った。
母の口癖、後悔しないようにって・・・高校の時一度訊いたことがある。
「お母さんは後悔したことないの?」
って、そしたら私の目を見てこう言った。
「私は今まで、 ひとつも後悔したことなんてないわよ」って。
それもすごいって思う・・・私にはムリ。
「わかった、着替えてくるね」
そう言って2階に上がった。
「亜美がCALVAのパンも買ってくるって思っていたから、今夜はクリームシチューにしたわよぉ」
キッチンから母の大きな声が届く。
「・・・」
母はやっぱり何でもお見通しだ。
HARUと散歩をして家に帰る、買ってきたモンブランと紅茶を飲みながらPCと向き合う。
( あっ遥からのメール・・・ )
<Aloha Pehea `oe? 鎌倉はもう秋らしくなった?もうすぐ誕生日だね♪
プレゼント贈るから楽しみにしていてね ヽ(*^^*)ノ 勉強も もちろん頑張っているから心配しないで それじゃ~ Aloha au ia `oe >
(Aloha au ia `oe?なんて意味?)
今度 帰ってきた時に訊いてみよう、娘の遥は元気そうだこうやって週に1度はこうしてメールでやりとりしている。
親バカかも知れないが、思いやりがあって17歳にしてはとてもしっかりしている。私の最愛の娘であって良き友達だったり、数少ない 相談相手だったりする。
(最近は年に2回くらいしか逢えないけど)
早速、返事を送る。
<遥、元気ですか?鎌倉は桜の葉も色づいてもう少しで遥が大好きな焼き芋が恋しい季節です。今日仕事の面接に行ってきました、ちょっと私には合いそうにない会社だったから明日からまた就職活動です♪お正月には帰ってくるの?風邪引かないようにね☆>
(ハワイは風邪・・・大丈夫か?)
(あっ美咲からのメール)
<亜美~もうすぐ誕生日だね~♪ 10月8日金曜日空いてたいらこの前メールした豚肉料理とワインのお店 予約するけど都合は?>
すぐにOKのメールを送る。
<美咲 ありがと♪10月15日金曜日大丈夫です…□Dヽ(^○^)イタダキマース!!面接行ってきたけどNGでした派遣会社変えてみてまた頑張るよ!>
すぐに美咲から返信がきた。
<亜美はそんな安売りしちゃダメだよ(`Д´) ムキー 亜美の能力を生かせる会社探せる派遣会社、私も当たってみるからね!じゃあ15日金曜日ふたりで予約入れておくね♪楽しみぃ~>
「ありがとう 美咲・・・」
それからHARUの朝夕の散歩と、母からの「暇だったらガーデニングでも手伝ってよ」の一言で毎日庭仕事、腰が痛い。
明日は美咲との女子会だ、その後派遣会社からは何の連絡も来なかった。
15日金曜日、待ち合わせは京浜急行品川駅改札、18時だった早く出て久しぶりに銀座の街をを歩く。
(ファンデーション・・・買っておこうかな)
ちょうど通りがかった 松屋の1階化粧品フロアに入る。
(最近こういたとこ 来てないからな~)どのお店に行っていいのか?迷ってしまう。
ヘレナ?ルビンスタイン・・・同い年くらいのBAさんに声を掛けられる。
「何かお探しですか?」
「あっ、え~と・・・ファンデを」
言われるままに、カウンターでタッチアップしてもらう。
(え?すごい・・・なに? 何だか別人みたい・・・)
顔全体が明るく見える、なにもつけていないかのように素肌っぽいのに・・・ シミやくすみをちゃんとカバーしてくれているんだ。
ファンデ-ションの進化に驚いて迷わず買ってしまった。
(5,700円か・・・予想外の出費、早く仕事見つけなきゃ・・・)
(あっ、そろそろ行かないと )
地下鉄で品川行きに向かう。
18時少し前に品川駅に着くと美咲からのメール。
<ごめん、 仕事押しちゃって10分遅れます★>
<大丈夫、無理しないで 待ってるから♪>
私と違って美咲は忙しいんだ・・・仕事を終えた人々が改札に押し寄せてくる人ごみの中でも感じてしまう孤独 。
「ごめん 待ったぁ~ 」
振り返ると美咲が大きな声で手を振りながら走ってくるのが見えた。
「美咲・・・」
あふれ出しそうな涙をこらえて笑顔で手を振り返す。
(ダメよ泣いたら、メイク落ちちゃうじゃない)
「あれぇ、亜美メイク・・・ファンデ変えたの?なんかキレイになったぁ~ヘアスタイルもぉ、カワイイ」
「ホント?さっき銀座でメイクしてもらったんだ~ ファンデ買っちゃったぁ」
「うん、いいよ、スゴクいい、亜美・・・元気そうでよかった」
「うん、ありがと」
こんな短い会話でも、美咲が本当に私のことを心配していてくれたことが伝わってくる。
美咲の予約してくれたお店に移動する、地下鉄の中でも美咲の話に笑いっぱなしで、あっという間にお店に着く。
カウンター越しにキッチンが見える小さなお店、壁一面の棚にはワインボトルが並んでいて圧倒される。
(あっ そっか ヴィノムはラテン語でワインって意味か)
「亜美、 おなか?すいてる?」
「うん、けっこう・・・すいてる」
「私も、じゃあ~」
そう言うと美咲は、ブルスケッタ煮込み料理とサラダそしてスペアリブを注文して、それに合うワインもチョイスしてもらう。
料理が出てくる間も美咲はずっと喋りっぱなしで、私も笑いっぱなし。
ブルケッタ、サラダ・・・次々と料理が運ばれてくる、ワインも料理にマッチしてとても美味しい。
美咲はこれで4杯目、私も2杯目・・・イタリア フランス アルゼンチン。
「亜美、これ・・・誕生日おめでとう」
少し酔っ払った美咲が、そう言ってピンク色に赤いリボンがかかった箱を私に渡した。
「美咲、ありがと、ホントありがとね・・・」
また、涙が溢れ出す。
「泣かないでよぉ、私だって・・・ね、飲もう、もう一杯」
そう言って美咲は笑った。
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