赤い糸の境界線
夏休みが明けて1週間。体育祭の終わった放課後、誰もいなくなった黄昏時の教室で。
あたしは、グラウンドに響く声をぼんやり聞きながら、教卓に広げたハチマキの本数を確認していた。各クラスに配布されたハチマキは、全部で43本あるはずなのに、何度数えてもあと1本が足りない。……どうせ提出し忘れたまま持って帰ったのはあの男だろう。あたしは窓の向こうのグラウンドに目をやった。
体育祭のあった日でも部活は休みじゃないんだなぁと、なんだか感心してしまう。去年はどうだったっけ。確か夏休みも部活部活、明けてからも部活一色……だったのが遠い昔の出来事のようだ。
「あー、委員長、やっぱりまだ残ってたんだ」
ふいに声がして、帰りのHRには教室にいなかったハズの相澤が入ってきたかと思うと、教卓の真ん前の席にぐでっと上体をなだれ込ませながら言う。
相澤は相変わらずの危険人物だ。夏休みは会う事もなかったから学校外の生態は謎のままだけど、学校内でもどういうふうに過ごしているのかやっぱりよく掴めない。
「うあー、今日は炎天下で体育祭とか疲れたー……」
「はぁ? ほとんどサボってたクセに何言ってんの」
あと1本のハチマキの持ち主は、やっぱりコイツだった。相澤の肩に無造作に掛けられたハチマキをシュッと引っ張って取り戻した後、あたしは突っ伏している相澤の後頭部を、手近にあったバインダーでベシッと叩いた。
「でもさ、最後のリレーで俺が勝ったおかげで逆転優勝かっさらえたんだしさー、褒めてもらいたいくらいなんですけど」
確かに、最終競技の『学年対抗選抜リレー』でアンカーを押し付けられていた相澤は、その時間だけふらりと現れてバトンを受け取ると、何でもないように疾走し、あっさり1位でゴールしてしまったのだった。
「だから、あんたのそういうトコが嫌いなんだってば」
這いつくばるように毎日を頑張ってるあたしみたいな人間には、相澤みたいな存在はどうしたって眩しすぎて胸が苦しくなるのだ。それを本人に言ったって、ただの八つ当たりでしかないと分かってはいるんだけど。
–––でも、「嫌い」って言わなきゃ、この胸の奥のもどかしさに別の名前を付けなきゃいけなくなっちゃう気がして怖いんだ。
「おいおい嫌いとか言うなよ傷付くだろ。……よし、それ職員室に持ってったら片付け終了だよな? 一緒に帰ろ」
「は!?」
立ち上がった相澤は、やっぱりあたしよりずっと背が高い。そんな相澤が窓の外を指しながら言った。
「だって外もう暗くなってきてんじゃん。駅まで送らせて」
「送るって、ひ、1人で帰れるわよ! 半径1メートル以内に近付かないでよねこのストーカー野郎!!」
「はいはい、じゃあ1歩下がってしずしずとついて参りますから委員長様はお気になさらず」
「1歩って半径1メートルより近いじゃん……。もう好きにしなよ」
調子のいい相澤の言葉に、はあ、とため息をついて肩を落とすと、ふっと目の前が翳った。
「好きにしていいの?」
見上げると–––お互いの鼻先がくっつきそうな至近距離で、相澤がにっこりと笑っていた。長い睫毛に縁取られた鳶色の優しげな瞳に、一瞬だけすべてを持ってかれそうになる。
「ちちち近い! 顔近いってば馬鹿っ!!」
何とか我に返ってドンと相澤を押し退け、あたしは自分の鞄を抱きしめるようにしながら相澤を睨みつけた。
「だって、委員長が好きにしていいって言うから」
「そういう意味じゃない!」
そお? と笑って相澤があたしの頭をぽんぽんと撫でる。
「ほら、帰るよ。三浦あかり」
「……っ」
……ねえ神様。
勘違いなら『勘違いだ目を醒ませ』と。
この笑顔が、仕草が、あたし以外にも当然のように振り撒かれているんだとしたら、『自惚れるな現実を見ろ』と。
どうか手遅れになる前に、あたしに教えてやってください。
じゃないと、あたしは–––。
「こ、此処!! この辺からあたしの陣地だから! 相澤はこっから入ってこないでね絶対!!」
「何それ。……あかり、顔真っ赤だし」
「赤くないし! 勝手に髪とか触んないで!」
「はいはい」
何故か泣きそうになるのをこらえながら、あたしはわざと大股で、相澤と少しでも距離を置くために足早に歩き出した。
-END-
▼title/夜途
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