闘争心という正義

伊豆 可未名

まえがき

私はミリタリーものが好きだ

 私がミリタリーものを好きになったきっかけは高二の時に読んだ『終戦のローレライ』だ。それからずっと戦争に関することについてずっと考えてきた。小説を読んだり、映画を観たり。でも、大学の文学部に入って人類の歴史を学んでいくうちに、「私のミリタリー趣味って不謹慎じゃない……?」と思うようになった。


 日本は平和の国なのに、バトルものなどを含め、戦いの作品が数多くあり、しかもそれは純粋な戦いだけでなく、艦隊を女の子にするとか、戦車に女の子を乗せるとか、なんかもうわけわかんないことになっている。サバイバルゲームという疑似地上戦をわざわざやったりもする。

 もっと広義な話になれば、イジメだって平和を壊すものだし、「企業戦士」なんていう言葉まであるくらいだし、日本で本当に平和を望んで生活している人っていないんじゃないかと思ってしまう。

 安保法反対デモや尖閣問題、辺野古基地移設問題など、戦争に関係する問題が山積みで、反戦平和が日本の大前提になっているのに、日本で生活している人達はそんなに平和を愛している感じがしない。博愛が正義だと思ってお手柔らかになんかしていられないんだ。


 それで私は「闘争心(闘争本能)」という言葉を思い出した。どんなに頑張ってもこいつには抗えないんだ。フロイト先生も「戦争はなくならないと思うので、どう付き合っていくかを考えた方がいいですね」(『人はなぜ戦争をするのか エロスとタナトス』からのかなりいい加減な要約)とアインシュタイン先生に言ったくらいだから。


 このエッセイは私が「闘争心」について考えた記録みたいなものです。評論というには甘すぎるし覚書というほどの長さじゃない。こんな解決策があるよ、なんて提案できるわけでもない。ただ、私は自分が生きていていい理由が欲しいだけ。

 最近調子が悪い、どことなく不安なことがある、など、生活に納得がいっていない人がいましたら、もしかしたら微力ながらお力添えできるかもしれません。

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