望外な収穫 ~『仮面ライダー龍騎』と『久遠のシオン』~
こんにちは、埴輪です!
昨日、我が家に新しい冷蔵庫が届きました!
開くと明かりが
※1:MMORPG「ファイナルファンタジーXIV」上の友達
これで氷も作れますし、冷凍食品も保管できますし、ハーゲンダッツが一晩で液体になることもなくなるので嬉しいです!(ちなみに、今朝は洗濯機をオンラインで購入しました!)
──それはそれとして。
現在、職場の同僚に感化されて平成仮面ライダーを順番に観ているのですが、昨日、第三作の『仮面ライダー
戦わなければ生き残れない……このキャッチフレーズと、大まかなキャラクターしか記憶に残っておりませんでしたが、最初から最後まで、大いに楽しむことができました!
──でもって。
前述の通り、ほとんど記憶に残っていない……はずなのに、『龍騎』は私に多大な影響を与えていた作品だったということに、今回、初めて気付くこともできました。
その影響の根底となっているのが、『龍騎』に登場する『
ネタバレ防止のため、余り多くは記載しませんが、作中で描かれる『神崎士郎』の「決して諦めない」という部分に、当時の私は大いに共感したようで、後に書いた小説『久遠のシオン』に登場する『神崎』の名を持つキャラクターは、『龍騎』の『神崎士郎』がモデルになっているということに、今回、初めて気付くことができたのは、望外な収穫でした!
物語は覚えていないのに、「何か」を体が覚えている……不思議な感覚ですが、物語の持つ影響力の神髄は、そういうところにあるのではないかとも思います。
ある作品を覚えているか否かは、物語やキャラクターを覚えているか否かということだと思いますが、それだけではない「何か」を覚えているということも、大切なのではないかと。
むしろ、物語やキャラクター、果てはタイトルすら忘れ去ってしまっても残る「何か」……それこそが、作品の本質ではないかとすら思えるのです。
私には、『竜騎』の最終回だと思われる記憶がありました。
それはとても救いのないもので、だからこそ記憶に残っていると思いましたが、改めて最終回を見てみると、記憶通りのシーンは存在しませんでした。
その記憶の元になったであろうシーンはありましたが、イコールではない……これが何を意味するかといえば、私の記憶は自分が生み出した偽の記憶だったということです。
皆さんも、好きな作品の好きなシーンがあって、ただ、作品を実際に見直してみると、そんなシーンは出てこなかった……ということが、あるのではないでしょうか?
その記憶は単なる勘違いではなく、自分なりの解釈だったのではないかと思います。
もちろん、オリジナルの物語、キャラクター、シーンを正確に記憶するということも大切ですし、作品を正しく評価する上では、正しい情報、正しい記憶が必要だと思いますが、たとえオリジナルとは異なっていても、自分なりの解釈……「自分だけの作品」を持つということも、楽しみ方の一つなのではないかと思います!
なお、次に観る予定の『仮面ライダー
最後に、『久遠のシオン』のリンクを掲載させて頂きます。
『仮面ライダー竜騎』を好きな方……特に『神崎史郎』が好きな方は、ぜひ『久遠のシオン』をお読み頂き、その影響力の大きさを感じて頂ければ幸いです!
『久遠のシオン - Reminiscence -』
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