9日目 ~賽の河原に地蔵菩薩はくるか?~

こんにちは、埴輪です!


今日は新作小説を頑張るぞ! ……と意気込んで午前中から作業を進めていましたが、まさに積み重ね……「賽の河原」だというのが実感でした!


我ながら酷い発想で恐縮ですが、「地蔵菩薩」が助けてくれるという話もあるので、それを信じて積み重ね続けたいと思います!


――それはそれとして。


こうして楽しくも大変な作業を進めていると、すぐにでも小説を書き出したくなる衝動に駆られますし、きっと、書き進めることもできるだろうとも思います。


勢いが大事だというのもよく分かりますし、そうやって書き上げた作品が賞を獲ったという逸話もあります。(確か「バッカーノ!」もそうだったじゃないかな?)


とはいえ、そうした作品が全くのゼロから書き出されたかと言えばそんなことはないはずで、頭の中にそれを書くだけの材料があったのだと思います。

逆に言えば、頭の中にある材料だけで作品を書いたということであり、それは自分の実力がそのまま作品に反映されるということを示しています。


……それで賞を獲れたのだから凄いとしか言いようがありませんが、そうではない私が自分の実力以上の作品を書くにはどうすればいいかと考えると、とにかく材料を集めて、頭の中に詰め込むより他に方法はありません!


キャラクターや世界観などの設定を考えるのも、他でもない自分がそれを理解するためですし、理解したものは材料となって頭の中に入っていきます。


そんな中、私が一番恐れなければならないことは、頭の中にある材料が不足している状態でも、小説を書くことができてしまうことです。


これは十年に渡って小説を書き続けたことで身についた技術ではある一方、見切り発車でも作品を書き上げることができてしまうことも示しています。


もちろん、私は小説を書く時はいつも全身全霊をかけていますが、書くことに力を注げば注ぐほど、事前の準備が疎かに……というより、よりしっかりと準備をすることができれば、より良いものが書けるのではないかと思った次第です!


ですから、一気にではなくじっくりと、積み重ねていきたいと思います!


――でもって。


自戒の意味も込めて、以前にもご紹介した「荒木飛呂彦の漫画術」より、「達者風な絵を描くな」の一説をご紹介したいと思います!


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 印刷物であっても、印刷の裏側から、描き手がどんな気持ちでその絵を描いたかということが絶対に読者に伝わりますから、描くときにどんな気持ちでいるかは非常に大切です。たとえば、誠実に描いていなければ、いくらごまかしても、読者は見抜くと思います。

 よくサササササッと描いて、「俺、上手いだろう」というような絵を描く人がいますが、これは絵そのものがどうこうというより、手を抜いているのに抜いていないふりをするという態度そのものに好感が持てませんから、やめた方がいいと思います。(中略)「上手に見えるだろう」と思っているのは本人だけで、そうでないことは、きちんとわかるものなのです。

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……これは小説を始め、あらゆる創作物に当てはまることだと思います!

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