小学館ライトノベル大賞への道 第四話「書きたいシーンの罠」

こんばんは、埴輪です!


お陰様で、本日「第四話」を書き終えることができました!

この四日で取りあえず「第一部」は完結……といったところでしょうか。

「グリムノーツ ~小さな音楽隊~」が四話完結で、丁度同じぐらいのボリュームだったことを考えると……長編小説の大変さが身に沁みます。


そして書き進めている時に感じたのは、「書きたいシーン」と「必要なシーン」は必ずしも一致するものではないということです。


「小説は書きたいものを書けばいい!」というのも間違いではないと思いますが、それは「書きたいシーンだけを書く」ことではないと思います。


……私は長年、この辺りを勘違いしていたんだなぁと、今更ながら思います。


もちろん、「書きたいシーン」というものがはあって然るべきですし、「このシーンを書きたいから、この小説を書いているんだ!」というのもありだと思います。


ただ、そこばかりに意識を向けていると、「そのシーンで読者に何を伝えたいのか?」という部分がおろそかになってしまうこともあると思います。


例えば、そこでは緊迫したバトルシーンを読者に楽しんで貰いたいと思っていたのに、何だかキャラの掛け合いが面白くなってしまって、そっちに集中するようになってしまったらどうなるでしょう?


キャラの掛け合い自体は確かに面白いかもしれませんが、それがもバトルシーンが売りの作品だった場合、読者は物足りなさを感じてしまうのではないでしょうか?


あるいは、その直前のシーンでここから緊迫のバトルシーンが始まることを期待させておきながら、実際はキャラの掛け合いに終始ししてしまったら、悪い意味で期待を裏切られる形になってしまうのではないかと思います。


こういうのって、実は作者にとっては気持ちのいいことなんですよね!

はっきり言って快感と言いますか、何せ自分が今まで想定していなかったアイディアが飛び出し、それが凄く面白いとくれば、それを採用しない手はないと、大いに盛り上がってしまうわけです!


ただ、そこがある意味落とし穴で、新たなアイディアを盛り込んだ結果、それまでのストーリー、そしてこれからのストーリーが破綻してしまったとしたら、本来その作品で作者が表現したかったことが、損なわれてしまいます。


私の場合は、特に台詞回しなどでこの傾向があるように思います。

「これは良い!」という台詞回しを思いついてしまうと、それをどうにか使えないかと頭をひねってしまうといいますか。


これは後から冷静に考えると、全然意味が通じない台詞であるばかりか、下手すると物語に矛盾を生じさせるような危険な台詞となっている場合もあります。


なので、これは先の話ですが、無事に十六話まで書き上げたら、丸一日は冷却期間を置き、その後全部を見直して調整していこうと思っています!


冷却期間の長さは人それぞれだと思いますが、とにかく頭をリセットし、フラットにすることは必要だと思います。


そう言った意味では、一日一話というペースを守るということは、特定の箇所に数日をかける……というようなアンバランスさを予防するだけでなく、一話単位で物語を俯瞰できるため、整合性を保ちやすいという利点があるようにも思います。


そう、バランス。

このバランスというのも、本当に大切なことだと思います!


……と、話がずれていきそうなので、今日はこの辺で!

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