三貴子

オーチル

第1話

『力ある者は、その力をみだりに使ってはならない…』。


私の姉上である天照大神は常々そう仰っていた。


それ故、弟の素盞鳴が乱暴狼藉を働いても、妹の稚日女が素盞鳴のせいで瀕死の重傷を負ったときも、ただ天岩戸で祷っておられた。


もし姉上が素盞鳴と同じ性格なら、天岩戸を抉じ開けた天手力男ばかりか、その場にいた皆が焼き尽くされていたことであろう。


櫛名田比売、大市比売という良き伴侶を得ながらも一向に心穏やかになることの無い素盞嗚に我慢ならなくなったのであろう。


姉上は乱暴狼藉を繰り返す素盞鳴に仕置きをすると仰られた。私は姉上を説得し、姉である天照大神と弟である素盞嗚の仲裁に入った。


私が間に入らなければきっと素盞嗚は唯ではすまないだろう。


姉上も素盞嗚が稚日女の所に見舞いに行けばこれまでの事は水に流すと仰っておられる。素盞嗚も今回ばかりは素直に言う事を聞いてくれればよいのだが…。


素盞嗚が来たのであろう、静かな森がざわめき出した。


私と姉上が何時もと違う姿である事に驚いた様子であったが、直ぐに値踏みするよう私と姉上を睨み付けた


姉上の方は表情を変えることなくじっと素盞嗚を睨み付けていた。


「素盞嗚よ、天照大神はお主が稚日姫のところに見舞いに行けば、これまでの事は水に流すと仰っておられる。お主のせいで稚日姫は大怪我を負ったのだ、一度くらい見舞ってやるのが筋だとは思わぬか?」


私は素盞嗚に諭すように言ったが、私の言葉は素盞嗚に届かなかった。


素盞嗚は悪態をついた挙句、自分を稚日姫のところに連れて行きたくば腕ずくで連れてってみせよと言い放ち、姉上を挑発するように剣を振り回した。


「素盞嗚、お前という奴は天照大神のお心が分からないのか!天照大神はどのような思いで…」


「もうよい!」


姉上の言葉に森のざわめきさえも止まり静寂が訪れる


素盞嗚に何を言ったところで無駄だと思ったのであろう、私に下がるように合図をすると静かに前でて素盞嗚に正対した。


「一度天照大神と手合わせしてみたかった。」口の片端を吊り上げ、神とは思えぬ凶悪な笑みを浮かべると、気勢を上げ姉上に剛剣を振り下ろした。


姉上はヒラリと身をかわすと、姉上が立っていた石畳は粉々に砕け散った。


唸りを上げ振り下ろされる剛剣を、姉上はヒラリヒラリと交わす。


「逃げるだけでは勝てないぞ!!」高笑いをしながらそう言い放ち、ウサギを追い立てるようになおも剛剣振り下ろした。


素盞嗚の剣をしばらくかわし続けた姉上であったが、優雅な動きで素盞嗚の剛剣を払うと、すばやく懐に入り込み投げ飛ばした。


これまで地に膝すらついたことのない素盞嗚が、綺麗に背中から地に叩き付けられた。


素盞嗚は一瞬何が起きたのか分からないようで、忙しなく瞬きをし辺りを見回した。


ゆっくりと立ち上るその背中からは隠しようも無い怒り霊気が湧き起こっていた。


戦う事において常に、頂点に立っていた素盞嗚にとって姉上に投げ飛ばされた事は余程屈辱だったのであろう、素盞嗚は怒りに奮え、眼は怪しいまでに光輝いていた。


素盞嗚は雄叫びえ上げると、己の力を解放する。すると素盞嗚の身体はみるみる大きくなった。


怒り狂い巨大化した素盞嗚は、巨体に似合わぬ速さで拳を振り下ろした。


素盞嗚の全ての力を込めた拳を姉上は避けることなく受け止めた。凄まじい素盞嗚の力に地面は陥没し、姉上の身体が音を立て眩い光を放ちながら崩れていく…。


姉上を叩き潰した事に満足なのだろうか素盞嗚は邪悪な微笑みを浮かべた…これから自らに訪れる悲劇も知らずに…。


我らと素盞嗚の違い…我らはみだりに力を使わぬ為に常に力を使い、素盞嗚や他の神と同じような姿をしているのだ。


本来の我らの姿は、我らが作り出した人間とは似ても似つかぬ姿をしている。


その姿は母上を彷彿とし我らを見れば人間はおろか神さえも恐れ戦くであろう…。


音を立て眩い光を放ち崩れていく姉上の身体が一際輝くと、素盞嗚の拳を押し上げていった。


拳の下から見える天照大神のその姿は、怒り狂った素盞嗚でさえもを怯えさせる天照大神本来の姿であった。


姉上は髪の毛であったものが、大蛇のように素盞嗚の身体に巻きつき締め上げた。


素盞嗚の力をもってしても姉上の髪の毛であったものを振り払うことはできず、激痛にもがき苦しむことしかできない。


本来の姿の天照大神に慈悲の心はない、素盞嗚の身体に巻きついた髪の毛であったものが、光り輝くと一気に燃え上がった。


炎に包まれた素盞嗚は断末魔をあげ身動きできぬ身体を必死に動かし、炎を振り払おうとする。


巨体を維持することができなくなった素盞嗚が炎に焼けれながら本来の姿に戻っていく。


姉上は息も絶え絶えになった素盞嗚の身体から縛めを解いた。


もはや息をする事もままならない素盞嗚の前に立つと、腕を高く上げ真っ赤に燃える大きな大きな火の玉を創りあげた。


姉上は弟を滅するつもりなのか…。


「天照大神!貴女の力は十分に見せ付けた。ここまですれば十分であろう!素盞嗚を許してやってくれ!」


神が滅すれば、その神を崇める奉る人間に深刻な影響を与えることは百も承知なはず…


今まで素盞嗚を縛めていた髪の毛であったものが、大蛇が威嚇するように私の前で蠢き出す、


(邪魔をするなということか…)しかし、なんとしても止めなければ…。


姉上とて私と戦えば無傷ではすまないはず…


火の玉がさらに大きくなり、私が姉上を止めようと剣を抜こうとした時、無数の光の玉が現れ傷ついた素盞嗚の身体を包む。


その光の玉から櫛名田比売や大市比売、二人と素盞嗚の間に生まれた子達、素盞嗚に連なる者達が自分の身を挺して恐ろしい姿の天照大神から守る。


ここは三貴子以外がおいそれと立ち入って良い処ではないし、その上天照大神に歯向かう歯以ての外。


例え素盞嗚に連なる者達が皆、姉上に戦いを挑んだところで、天照大神に傷ひとつつけることすらできない。


素盞嗚に連なる者皆、素盞嗚の変わり果てた姿に泣き崩れ、恐ろしい姿に変わり果てた天照大神恐れ震えているが皆一様に、しっかりと天照大神を睨み付け素盞嗚と運命を共にする堅い意思が読み取れた。


「天照大神!この者たちまで滅するつもりなのか!!………姉上!!」


私の言葉に理性を取り戻したのか、それとも気が済んだのか、大きな大きな真っ赤な火の玉が姉上の手の中に吸い込まれ消えた。


姉上は素盞嗚達にくるりと背を向けると、徐々に先ほどまでの姿に戻りながら、大宮能売を呼び寄せ言付けると何事もなかったように歩き出した。


大宮能売は姉上の下から私のところへ来ると


「皆の前では、姉上とはお呼びにならないようにと仰せられております…それと、これから稚日姫神の処へお見舞いに行かれるのでそのお供をなさるようにと仰せられております。…後のことはご心配なく…もう直ぐ少彦名神がいらっしゃいますので…」


そういうと大宮能売は恭しく頭を下げ他の侍女と共に素盞嗚達の処へ向かった。


私は姉上の下に足早に向かうと声をかけた「少彦名神を呼び寄せていたとは…すべて天照大神のお考え通りだったのか…」


「…二人だけの時は、姉上と呼んでも構わぬ…それよりも月読…いつもの姿に戻しておくが良い…そなたの今の姿を稚日姫が見て卒倒しては困る…」


そういうと姉上は素盞嗚達目をやると、また何事もなかったように歩き出した。


素盞嗚達に目をやる姉上の顔が悲しく見えたのは気のせいであろうか…

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

三貴子 オーチル @onehyphenfive_AQ

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ