放課後攻防戦
黒木 京也
放課後攻防戦
放課後。俺と彼女は、居残り課題と格闘していた。
なぜそんなものを課せられたか? 理由は簡単だ。夏休みの宿題が、終わらなかったから。
「甘いね。私は終らなかったんじゃない。終わらせなかったの」
「一緒だろが」
「違う。あんたは見苦しくも教室で足掻いていたけど、私はあんたが宿題を出来なかったのを見てとった瞬間、宿題を破り捨てた。全然違う」
「いや、何してんのお前」
誰もいない教室。俺と彼女は二人、机を寄せ合い、せっせとペンを動かす。
それなりに長い付き合いだ。中学一年からだから、今年で六年目。付き合いといっても、彼氏彼女といった色っぽい間柄ではない。
敢えて言葉を選ぶならば、戦友。
数々の補修授業を共にくぐり抜けてきた。よく一緒に学校をサボダージュしたりもする。お受験戦争も共に戦い、そして華々しく散り、そろって私立の高校に入ったりもした。今では笑い話だ。……戦友というより、腐れ縁な気もしてきた。
だから……
「なぁ、お前俺のこと好きだろ?」
「よくわかったね。エスパー?」
おもむろに、無表情をよそおったまま、彼女に尋ねる。応対する彼女も、これまた無表情で肯定する。
そう切り返してきたか。それならば。
「どれくらい好き?」
「あんたのために受かった高校蹴るくらいには」
思いもよらぬ強烈なカミングアウトに、空気が凍りついた。
「…………マジ?」
「冗談」
「ふざけんな死ね」
固い雰囲気が、一瞬で霧散する。
悪辣な爆弾落としやがって。罪悪感とか申し訳なさでブルーになりかけたではないか。
「話戻すけど、どれくらい好き?」
「結構好き」
「尽くしちゃうくらい?」
「うんうん」
「じゃあ俺がニートになったら養って」
「ヒモ? それは嫌」
気を取り直して、俺は質問を再開する。自分からしておいて難だが、うんって言われたら反応に困るところだった。助かった。
要はこういった冗談を言い合える位の仲だ。
ペンがノートに擦れる音が、延々と響く。今やっているのは国語の課題だ。
『走れメロス』
冒頭でいきなり激怒する男が主人公だ。古今東西、あれほどインパクトがある冒頭なお話を探すのは、なかなか難しいかもしれない。
「霜月さんって、美人だよな」
「……私は激怒した」
「なんでだよ」
「私に美人とか言ってくれたことないのに」
「いや、だって霜月さんの方が……」
乾いた音がした。横を見ると、彼女のシャープペンシルが、ノートに突き刺さっていた。
会話が途絶える。ふと、面白いものを見つけた。
「おい、何か花がついてるぞ」
制服の上に羽織られた、紺色のカーディガン。その肩口に、白くて小さな花が付着していた。
指先で摘まみあげる。本当に小さな花だ。
「ああ、ここ来る前に温室寄ったから。その時ついたのかも」
彼女は園芸部だ。
「もっと大きくて白い花とかないかな? 綺麗なやつ」
「……何で?」
「いや、お前の髪に飾ったら、似合うかも……と」
「わざと言ってるでしょ?」
「うん、わりと。たぶんお前の茶髪より、霜月さんの黒髪の方が栄える」
「絞め殺してやりたいわ」
不意に滑らかな旋律が流れてくる。『エーデルワイス』のメロディー。どうやら、十七時になったらしい。この高校の曲のチョイスは、三年目の今でも捉えがたい。
音の調べが途絶えた瞬間、不意に俺の腹虫が鳴る。
「菓子パン、あるけど?」
「食う」
「シナモンロールとブリオッシュショコラ。どっちがいい?」
「ブリオッシュ」
「じゃあ、シナモンね」
逆寄越すなよ。予想は出来たけどさ。
苦い顔でシナモンロールを受けとる。この独特な匂いが、どうにも苦手だ。だが、腹は早よ食いもん寄越せと言わんばかりにくうくう鳴っている。
「私の足の甲にキスしてくれたら、逆のをあげてもいいよ?」
パンと睨めっこする俺に、彼女は挑発的に笑う。
「何で足の甲?」
「服従の印らしいよ」
「……唇じゃダメ?」
「……いいよ」
しないけどな。
俺はパッケージを開け、シナモンロールにかぶりつく。……やっぱり苦手な匂いだった。
隣をみると、彼女は机に突っ伏していた。
「何してんの?」
「何事もなかったようにスルーするよね。あんたは」
「いや、腹へったし」
「ですよねー」
それに、自分から何て嫌だね。内心でそう呟きながら、外を見る。秋口に入っているからか、辺りは既に薄暗い。
「俺の部屋来る?」
「……行く」
「まぁ、冗談だけど」
「ふざけんな死ね」
そういえば、課題殆ど終らなかったな。
彼女が机から頭を起こし、こちらをじっと見つめて来る。鳶色の目だ。黒もいいが、俺はこっちの色の方がいい。
「あんた、結局冬子ちゃんが好きな訳?」
「ん、いや、霜月さんじゃないな」
あの人は、美人さんだけど、なんというか近寄りがたいのだ。
「……じゃあ誰?」
「竜崎さん」
「先輩かよ! もう大学生じゃん!」
「ついでに彼氏持ち」
「略奪かよ! 嫌だよなんか! 聞かなきゃよかった!」
「まぁ、それも冗談だけどさ」
あ、また突っ伏した。面白いくらい耳が赤かった。
死ねばいいのに。何て物騒な呟きも聞こえてくる。
「あ、でも、お前も結構好きだわ」
「このタイミングで言うの? 冗談連発した後で? 喜ぶとここれ?」
うん、知ってる。ついでに声が泣きそうに震えているのも知ってる。
「ドトール行こうぜ」
「ケーキセット」
奢れという事らしい。
まぁ、これくらいなら苦ではない。今日の攻防戦は、またしても勝者はいないままに終わる。
「ケーキ食べて、その後は?」
「え? 帰るけど?」
「ふざけんな死ね」
そっけないのはわざとだ。
飛んでくるペンケースを受け止めつつ、俺は帰り支度をする。隣の彼女も同様だ。
これは攻防戦。冗談と、悪態と、ちょっぴりの下心を武器に、今日も俺は彼女と刃を交える。
お前の気持ちは知っている。
俺の気持ちも知っているだろう?
だから早く、告白してこい。そうすれば、俺の勝ちだ。
「あ、そうそう。私ね、彼氏出来たよ」
「…………は?」
世界が崩壊する。そして――。
「ま、冗談だけど」
すぐに再生した。
悪戯っぽい表情になる彼女。心臓に悪い。武器のカテゴリーに悪意も追加しよう。
鞄を持ち並んで歩く。気持ち彼女が先導気味。
「でも、告白されたのはリアルだったりする」
こちらを振り返りながら彼女は薄ら笑いを浮かべた。
目が語っている。ハヤクシナイト、ジョウダンガジョウダンジャナクナルヨ? と。不覚にも、ゾクッとした。
「ドトール行ったあと、どうする……?」
「そうだなぁ……」
再びの質問に、俺はぼんやりと上を向く。
校舎の天井が見えただけだった。薄暗い廊下に、二人分の足音が反響する。
「俺の部屋来るか?」
「うん、行く」
攻防戦は、延長戦に入る。
さて、勝つのはどっちだ?
放課後攻防戦 黒木 京也 @kuromukudori
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