煙るあいつは、
加科タオ
前
あいつが死んだと人づてに聞いた。
教えてくれたそいつは大分僕のことを気遣っていた。あいつが死んだ事が悲しいよりも、僕の方が心配だったみたいだ。だってお前、ほんとは仲良かっただろ。なんて言って。僕が、別に仲良くなんて無いから全然大丈夫。って言ったらすごく驚いて、それから不思議そうな顔をしていた。
どうやら葬式は明日らしい。
学校に行ったらクラスの数人が泣いていた。悲しんでいる同士が自然と寄り添って、そこに仲の良い悪いは関係なく、ただただ純粋に悲しさとか寂しさを分け合っていた。僕はそれを遠目で見てぼんやりと思った。あいつ、あんなに悲しんでくれる人がいたんだな。僕が死んだら、誰が泣くのだろう。考えて、上手く想像できなかった。面倒くさくなって考えるのをやめた。
朝のホームルームが終わって、すこし暗い顔をした担任が話しかけて来た。委員会、お前だけになっちゃったな。僕とあいつは同じ美化委員だった。もうひとり、代わりにやってもらおうか。担任は少しためらってそう言った。ひとりでいいです。そんなに大変な仕事じゃないし。代わりはいらないですよ。僕がそう言うと、担任は少し微笑んで、眉を下げた。そうか、あんまり気を落とすなよ。って。僕は黙って担任が去って行く背中を何となく見送った。気を落としているように見えるのだろうか。あいつが死んだと聞いてから、僕は一滴も涙を流していないというのに。
あいつがいなくなった今日が奇しくも美化委員の当番の日だった。死んだ事を教えてくれた友達が、手伝うよって言ったけれど、僕はひとりでいいよって断った。そっか、ってそいつはすこしばつが悪そうに笑った。
美化委員の仕事は校内に点在するどのクラスの物でもないゴミ箱の中身を集めて回る事が主だった。月に1、2回クラスごとに当番が回ってくる。広い校内を端から端まで移動する地味にめんどくさい仕事なので、この委員になりたがる奴はまずほとんどいなかった。僕とあいつもそうだった。ジャンケンで負け続けてお互い好まずにこの役についたのだ。
「いっつもジャンケンってなると負けちゃうんだ」
あいつはそう言って笑っていた。いつもヘラヘラとしたやつだった。なんにも面白くないのに、誰にでもヘラヘラと。なにがあってもそうやって笑っているので、特に嫌われもせず、何かといろんなことで頼られていた。悪く言えば、良いように面倒な事を押し付けられていた、損なやつだった。
ある当番の日。放課後。僕とあいつは二人で校内を回り、一人ひとつずつそれなりに中身が入ったゴミ袋を片手で持って、ゴミ捨て場まで歩いた。その間、なんでもない話をとぎれとぎれにした。続かない上辺だけの会話だったけれど、そんなに嫌じゃなかったのが不思議だったのをよく覚えている。緑のネットをどけて、錆びたかごに袋を放り投げる。僕がまたネットを戻していると、あいつの声が少し遠くから聞こえた。
「ねえねえ。これ何か知ってる?」
あいつはゴミ捨て場の奥にある、背の高い、煙突がついたストーブのような物の前にいた。例によってそれも錆びきってボロボロだ。なにそれ、って僕が言うとあいつは笑う。
「焼却炉ってやつ。昔はここでゴミを燃やしてたんだってさ」
あー、それがそうなんだ。なんか聞いた事はある。
「うん。親に聞いたんだ。ダイオキシン?ってやつが問題になってから使わなくなったとかなんとか」
ふーん。
「もしそんなのが問題にならなかったら、美化委員が燃やしてたのかもね。二人でさ、焼却炉使えたかも」
そう言ってから、あいつは一瞬笑顔を消して、空を見上げた。だから僕もそれに習って空を見る。すこし日が傾いている。これからオレンジに染まることを予感させる白んだ空だった。
「ねえ」
あいつの呼びかけに視線を戻す。あいつも僕を見ていた。どこからともなく風が吹き始めて、遠くの木が揺れる。おいでおいで、と手招きする。
「火、付けてみようか」
え。
驚く僕にあいつは笑う。いつもとは違う、すこしイタズラっぽい笑顔だ。木を揺らした風がここまでやってきて、あいつの前髪を掻き分けて通り抜けて行く。普段見えない眉毛が露わになり、それを見た僕は心臓がなんだかひどく痛んだ。
そこらへんに散らばった枝とか、葉っぱなんかを集めて焼却炉に放り込む。そのために開けようとして触った簡単な鍵がついた扉。こちら側に引いた瞬間ヒンジの部分から朽ち落ちて、僕らは地面に落ちたそれを見て二人、顔を見合わせて笑った。
「あ、ライターもってるよ。これで付けよう」
なんでそんなものもってるの。
「理科の実験で使って、なんかそのままポケットにいれてたんだよね。返そうかとも思ったけど、まあいっかって」
……意外とわっるいね。おまえって。
「……そんなにね、いい子じゃあないんだよ。みんながそう思うからそうしなきゃって思うだけで」
そう言ったあいつの横顔は相変わらず笑っていたが、どこか疲れているような、そんな気がした。
火をつけるのは意外に難しいもので、なかなか想像していたようには燃えてくれない。小さい火がついては消え、ついては消え、を繰り返すばかりでひとつの大きな炎にはならない。さっき放り込んだごみからよく燃えてくれそうな物をいくらか拝借し、やっと炎が大きく揺れた。
「煙がでてる」
ぽつりと独り言のように言って、あいつはまた空を見上げた。僕もまた同じように見上げてみる。ついに空にはオレンジ色が見え始め、青さはかなり薄れている。そこに立ち上り、上に行けば行くほど霞んでいく黒が混じった煙。僕はあいつの方を顔を戻さずに目だけで盗み見る。そこに笑顔は無く、黒い瞳は今だけ空の白んだ青とたまに射すオレンジに染まっている。あいつは空を見続け、僕もまた、あいつのその瞳を介して空を見続けた。
「燃えると何者でもなくなるんだよね」
急に動いた唇にどきりとして、僕はサッと目線をまた空へと戻す。
「あんなにいろんなものを詰めたのに、結局燃えたら何がなんだか分からない」
その声がやけに耳から胸へと響いて、僕はまたそっとあいつの顔を見た。いままでの人生で初めて見る、不思議な表情だった。無表情のような、でも、ちょっと違う。
うらやましいの?
言葉が頭で考えるより先に口に出た。それでもなんだかしっくりときた。あいつはこちらに顔を向けて、僕を見る。
「」
声にならない、息をふっと空気に馴染ませただけの返事をして、あいつは笑った。いつもの完璧すぎる物ではない。とても歪に、不細工に、笑った。僕の胸を痛ませるには十分なほどに。後ろにはまた木々が揺れる。おいでおいで、と僕らを誘う。
僕は一人で校内を回り、一人でふたつそれなりに中身が入ったゴミ袋を片手にひとつずつ持って、ゴミ捨て場まで歩いた。その間、いつもの声は聞こえない。緑のネットをどけて、錆びたかごに袋を放り投げる。僕がまたネットを戻していると、あいつの声が少し遠くから聞こえた気がした。
焼却炉の前に立つ。扉は壊れたまま地面に転がっていた。僕はそこらへんに散らばった枝とか葉っぱなんかを集めて焼却炉に放り込む。さっき集めたゴミからよく燃えそうなものをいくらか拝借して、それも一緒に燃やす。今度は簡単に火が大きく揺れた。
あいつが、まだどこかで無理して笑っている気がしていた。同じクラスでも、元々、頻繁に顔をあわせることなんてなかった。最後話したのがいつかもわからない。なんの言葉を交わしたのかさえ覚えていない。
なのに、あいつは、
見上げれば黒が混じった煙が高く登り、終わりは見えずに霞んで消えていく。
僕はまだ、あいつの死を理解できないでいる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます