十五番目の世界にて

しび

プロローグ 「そろそろ限界です」

 十一月九日。

 いつものようにカーマイン婦人が薬を買いに、学生のアズライトが今気に入っている舞台俳優の話をしに来てくれた。熱冷ましのポーション九つ、外傷用軟膏五つ、ベランドナ一つ。それが今日の売り上げ。

 十数回繰り返された、これもまた決められたサイクル。


 微弱な風がカタカタと立て付けの悪い窓を鳴らしていた。

 随分と年季の入った木造の古家は、ちょっとした事でも悲鳴を上げる。この家の前のオーナーは二十歳にも満たない双子の少年達だったが、彼らもこんな風にして風の音を聞いていたのだろうか。その小さな悲鳴に負けず劣らず小さな呟きが彼女の鼓膜を叩いた。

「馬鹿でしょ、貴女」

「なっ――」

 それは十分に自覚している事だが。

 それでもやっぱり面と向かって言われれば良い気分はしないし、それより何より自分より確実に馬鹿な相手に馬鹿と言われたら、馬鹿と言った方が馬鹿なんだと言い返してみたくもなるものだ。子供の論争にしかならないので、ぐっと飲み下したけれど。

「もう、いいから放っておいて頂戴! しかも何、アンタ。それ言う為だけに来たの?」

「ええ、まぁ。楽しい話題に花咲かせつつ、愚かな貴女を嘲られたり出来たらなぁと思って参りました」

 頭痛がする。するけれども、具体的に痛む場所が分からない。確かめるように人差し指と中指を頭に這わせながら、この仮住まいにやってきた旧友にして、天敵の彼女を一瞥する。

 その名は、サシャ・イズ・カームハイク。クリムゾン・ウィッチ――緋色の魔女の通り名で知られる。

 あどけない無垢の表情。やや丸みを帯びた完璧な顔のライン。背は低く、一見すると子供のようにも見える。赤くて真っ直ぐな髪は枝毛のひとつも無いように見えたし、病的でやや青白すぎる感もある肌を包む赤いドレスはいかにも深窓の令嬢を窺わせる。が、たったひとつ。偽りのガラス玉のような瞳が全てを台無しにしていた。死んだ魚のような、何物も映さない濁った瞳。いつも半眼気味で眠たそうにしている。

「もう何度目ですか。このような事を続けて、アカシック・クロニクルの呪縛から逃れられると。本気で思っているのですか」

「ええ、思っているわよ」

「状況が変わった事と言えば、それによる歪みで魔物が更に壊滅的な力を持って生まれ変わった事ぐらいですが――」

 奥歯を噛む。それは、その通りだ。頭を悩ませる一因でもある。何度巻き戻してもどうしても生じてしまう。滅ぼす事が出来れば一番いいのだが、元々滅びから生じたものを滅するのは、そう容易い事ではない。

「呼び寄せられた歪みがこの街を滅ぼす。それが描かれた歴史だったはずです」

 いつもはへらへらと軽薄で、いらぬ傷口を広げてくれるだけのサシャは、たまに恐ろしくまともな事を口にするからなお嫌いだ。

「でも、もう始めちゃったのよ。全てが終わるまでは――」

「貴女はこの場所に縛られ、もしかすると永遠に時を失うのかもしれませんよ」

「それでも、いい」

 何処へでも行けて、何処へも行けなかったあの時に比べれば。

 不謹慎かもしれないが、今は大変充実している。

 部屋いっぱいを占領する巨大な釜の中、ぐつぐつ煮え滾る深緑色の怪しげな液体を掻き混ぜながら――明日の商品となる薬だ――、サシャの存在を頭から締め出そうとした。これしきで決心が鈍るわけでもないが、それでも揺さぶられる事は面白くない。

 そんな無言の威圧が理解できたのだろうか。サシャは肩を竦めてすっと踵を返す。部屋を出て行こうとして、扉のノブに手を掛けたところ、肩越しに、

「ウィッチクイーンが腸煮やしてますよ。そろそろ限界です。リピカ」

 そんな事は分かっている。しかし彼女のやり方では、駄目だ。強大な力を保有するが故、雑草を抜く為に土壌ごと持っていってしまうようなやり方では。

 サシャが去った後、彼女――リピカは釜の中の液体を掻き混ぜながら、なおもカタカタと悲鳴を上げる窓を何気なく見やり、嘆息した。その風は冬の到来を告げる北からのものだ。かつては四季折々さまざまな表情を見せたこの街リュリアーサも、今や秋の終わりと冬の始まりの僅かな間だけしかない。

 また終わりが近づく。

 それは壊れてしまったレコードのように、何度も何度も。

 たとえ、聴く者が居なくなったとしても、繰り返されるであろう破滅への歌。

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