五転
『もしもし』
女の声だ。
聞きおぼえが、あるようなないような。
「もしもし」
柊は内心首を傾げつつ、とりあえず返事をする。
『ああ、柊くん。
よかった。まだ番号変わっていなかったんだ』
「な、奈真美!」
柊は叫んだ。
それから、ジト目で自分の方をうかがいはじめた杜子の視線に気づき、声をひそめる。
「お、お前。
なんだって今頃。
いきなり」
柊の声は震えていた。
声の主が柊が知る女性の中で一番調子がよく、一番思慮と想像力に欠け、一番他人の迷惑を顧みない性格の持ち主であったからである。
そのような性格「だからこそ」、つき合っていた当時、柊自身とも相性がよかったわけであるが、柊自身の評価によれば、「だからこそ」別れるのも早かった、ということになる。
『そう、わたし。
元気にしてたぁ?』
そういうと奈真美は、えへへ、と声に出して笑った。
このような笑い方をする女を、柊はひとりしか知らない。
『なに?
今、忙しいの?』
「非常に、忙しい。
職場の引っ越しの最中でね。
なにせ生きている荷物はふつうの運送屋では扱ってくれないから、なんとかして自分で運ばなくてはいけない」
柊は極力ぶっきらぼうな声を出したつもりだったが、もちろん、奈真美には通用しなかった。
『あ、そう。
忙しいの。
だったら手っ取り早く用件をいっちゃうね。
あのね。
今こっちにママが来ているのよ。
それでね。
なんかお見合いの話を持ってきているんだけど、わたしそれ嫌なわけね。
だからね。
今、結婚を前提におつき合いしている人がいますっていっちゃんたの。思わず。
聞いてる?
そういうわけで、恋人役よろしく。
ああ、引っ越しなんだってね。
じゃあ引っ越し先は……どうやら教えてくれそうにないから、こっちで勝手に調べさせてもらうから。
逃げられると嫌だから、抜き打ちでそっちにいくから』
一方的にしゃべるだけしゃべると、さっさと通話を切ってしまった。
「柊さん」
杜子に呼びかけられて、はっと我にかえった。
「今の相手、女の人でしたよね?」
「……認めたくはないけどな」
なにかにつけて調子のいい柊がこのときばかりはあっさりと認めてしまったのは、やはり受けたショックが大きすぎたせいであろう。
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