第16話 不吉な来訪者
前回よりも早い時間に到着した。
相変わらず気味の悪いモノが渦巻いている庭を一瞥して、インターフォンに手を伸ばす。
「今日はいるみたいだよ。なかに人の気配がする」
いつの間にか横に立ったライが言う。
こうしていると、友人の家に遊びに来た姉弟みたいに見えるだろうか。しかし、初夏の宵の来訪者は不吉な荷物を運ぶ処刑人かもしれない。一迅の乾いた風が玄関ポーチの脇の百日紅の枝を揺らしていった。
しばらくすると、落ち着いた声が答えた。
「どなたですか」
「縞田由香里さんにお届け物です」
「お待ちください」
前回と同じように同じ調子で、しかしこちらを全く覚えていないような様子で由香里は出てきた。帰宅したばかりなのか、制服を着たままだった。緑色のリボンがブラウスの胸元で揺れている。その背後にも渦を巻く黒い流れが見える。
「こちらの荷物は必ずご本人が、なるべく早く開けてください」
香りは少し不思議そうな顔で環をじっと見たが、小さくうなずくと、そのまますべるように家の中に消えた。
「開けるかな。きっと今度は開けるよね」
意地悪そうな声でつぶやくライに少しいらだった。しかし、悪いことが起きると薄々感じながら、由香里に早く開けろと言った自分のずるさもわかっていたから、何も言わなかった。
早くこの仕事を終えたいという浅ましさが後ろめたい。
しばらく様子を見ようと、バイクを止めた駐車場に戻ろうとしたとき、家の中から悲鳴とドスンドスンという物音がした。
環より一足早くライが走った。
汚泥のような流れにためらいなく踏み込むと「去ね」とひと言。
即座に汚泥は弾かれるように霧散した。
玄関の鍵はかかっている。
ライを追って庭側に回り込むと、掃き出し窓が少し開いていた。環はやっと追いつくと、ためらいなく室内に入った。
「由香里ちゃん!」
入った部屋はリビングのようで、フローリングにソファとテレビが置いてある。室内は明るく、その向こうのダイニングとキッチンまで見渡すことができた。
そして、ダイニングテーブルの横に由香里が倒れていた。
もちろんテーブルの上には、開封された坤便が乗っている。
「由香里ちゃん!」
もう一度声をかけて抱き起こしてみると、胸が上下しているのがわかった。
「気を失ッテいるだけサ。しかし、坤便がホんとウに弁当箱だったトハな。中に入っていたモノはサテどこに……!!」
元の姿に戻って鼻をひくつかせたライは、驚いたように目を見開いている。あまりにもこちらを凝視するので、背後に何かがいるのかとおそるおそる振り返ってみたが何もない。
腕の中にぐったりした由香里がいるだけだ。
「この娘のナカニ入ってオルは、なにゆエ」
「坤便の中身の呪いが、由香里ちゃんの中に入っちゃったの? この子は死んでしまうの?」
「おそらく命にサワリはないが、わからヌ。なんのつモリなのか……」
いっこうに目を開かない由香里の身体も心配だ。しかし救急車を呼ぶにも、この状況をなんと説明したものか。
ガチャッと物音がした。
振り向くと由香里の父親が立っていた。
その表情は固く、唇が真っ青になっていた。
「おま、おま、おまえら、ななななななにをしたあああ」
状況を説明しても、聞く耳は一切もたなそうな反応に、環は焦りうろたえた。警察を呼ばれるか、近所が大騒ぎになるか。パトカーで連行される自分の姿が脳裏に浮かんだ。この場をうまく切り抜けられるようなスキルをもっていたら、いい年をして引きこもっていないし、人生もずいぶん楽だったろう。
「うるサイ、おマえ」
ライが言うと、父親は凍り付いたように動かなくなった。
口をぱくぱくさせ、目をぎょろぎょろと動かしているところをみると、ライが金縛りのような状態にしたとみえる。
「あら、あんた意外とやるわね」
「騒がレルと面倒だかラな。おイ、声なラ少し出るダロ。答えヨ、この娘を
男は首を激しく振る。
目の前の大きな犬がしゃべったこと、自分の身体が説明のつかない状態になっていることに怒り、戸惑い、最後には怯えたようだ。冷や汗をダラダラ流しながら、喉から絞り出すようにか細い声を発した。
「お……俺、はなにも知らない。女房、が出て行った時には、もう、魂が抜けたみたいに、なって、たんだ」
「明らかに様子がおかしいのに、どうして放置したのよ」
「に、女房が出て行ったことで、由香里、が落ち着いたと、思ったんだ。むしろ、いまの方が楽だし、問題ない、じゃないか」
母親が出て行ったことで由香里の異常行動がピタリと止まったのであれば、表面的には問題はない。むしろ、原因は母親にあったのだろうからもう大丈夫だと判断したと言いたいのだろう。
「では、なにゆエ、その荷物を捨てタ」
「そ、それは……女房からだと思ったんだ。由香里がそれを見て、母親を思い出してまた暴れ出したら、俺にはどうにもできない。あんな……気が狂ったような由香里はおそろ、しい」
「最っ低の父親だな。もとはといえば、あんたが悪いんじゃないのか」
環の口調は自然ときつくなる。自分のことしか考えていない、保身の塊のような男に腹が立った。災いが自分に降りかからなければそれでいい、助けたり関わったりして自分に降りかかるなんてとんでもない……。
自分を取り巻く周囲の冷たい目、背を向ける友人、いないもののように扱われた記憶、そんなものが固く蓋をした心臓からゴプッと音をたててあふれてきた。
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