五話 三ツ者 または吉法師はイカにして心配するのを止めて信玄と文通するようになったか

 昔々、尾張という国に、吉法師という少年がいました。

 物心ついた頃から、周囲の人々は戦ばかりしていました。

 いつまでも、いつまでも、戦をしています。

 勝ち戦、負け戦、引き分け、痛み分け、空振り、膠着、撤退、粛清、骨肉の争い、暗殺、暗殺、暗殺、駆け引き、政略結婚、焼き討ち、強奪、首実検、首供養、人質、調略、裏切り、下克上、下克上、下克上。

 吉法師は、父に尋ねてみました。

「戦国時代は、どうやったら終わりますか?」

「分からぬから、戦い通しよ」

 戦でも銭勘定でもクレバーな父にも分からないというので、吉法師は質問相手を替えました。

 室町幕府の征夷大将軍・足利義輝(十三代目)に質問しに行きました。

「ごめん。余は人望ないから。つーか、室町時代は、征夷大将軍の命令さえ無視される時代だから。戦で勝った方に『あー、もう、君が国主でいいや。おめでとう』って、事後承諾を与えるだけのグダグダ政府だから。ごめん」

 将軍様は『いいひと』でしたが、斜め下の返答でした。吉法師は質問する相手を替えました。

 今度は、手紙で質問をしました。

 尊敬できる大先輩・武田信玄に、リスペクト大爆発の手紙を書きました。

 武田信玄から、丁寧な答えが返ってきました。

「十分な武力と行政能力を持った戦国大名が京で政権を握れば、天下は安定します。

 その際、気を付ける事は、自軍の統制を完璧にしておく事です。将来裏切りそうな者は、自軍に加えてはいけません。そういう輩は、後々反対勢力と組んで、下克上を謀ります。

 細川家や三好家が京で実権を握っても安定しないのは、初めに自軍の統制を疎かにしていたのが原因です。兵数を頭数だけ揃えても、強い軍は出来ません。絶対に裏切らない者だけを、軍に加えなさい。目先の勝ち負けに惑わされてはいけない。

 信頼できる人こそが、最高の石垣であり、城なのです」

 吉法師は、満足な答えを得ました。

 同時に吉法師は、大先輩よりも先に京を支配しなくちゃと、こっそり決意しました。



 五話 三ツ者 または吉法師はイカにして心配するのを止めて信玄と文通するようになったか



 一五六四年(永禄七年)、一月。

 松平家康が正月明けの戦にも大勝した後、本證寺・空誓が漸く和解に応じた。

 誰も罪に問わないし、損害賠償も求めない。

 一揆を止める事そのものが、家康の出した和解の条件だった。

 家康の寛大さに、全米が涙した。

 離反した家臣達も99%戻り、松平傍流は家康の将器を認めて傘下に入った。最後まで家康に抵抗した今川側の武将は、再起不能に追い込んだ。

 ただ一点を除いて、三河は一年前よりも平和になった。

 

 和解が済んだ祝いにと、岡崎城では酒宴が開かれた。

 一年前の正月には敵味方に分かれた一同が、もう忘れたとばかりに酒を飲み交わしている。

「殿っ。退屈ですっ。誰も俺と戦おうとしないっ」

 一年前に『蜻蛉切の本多忠勝』として華々しく暴れまくった忠勝は、それ以後の丸一年間、蜻蛉切で誰も討っていない。相手は皆、本多忠勝を見ると、逃げた。逃げるしかない。逃げる以外の何をしろと?

 ネームバリューが全国規模に広まった上に破損する機会が皆無なので、製作者は喜んだであろうが。

 忠勝の愚痴に、家康はのんびりと笑顔で応じる。

「なら次は、裸一貫で出陣してみろ。誰も平八郎だとは気付かないだろう」

「いやっ、股間の逸物が蜻蛉切にそっくりなのでっ、バレるっ」

「んな訳あるか!」

 皆で馬鹿笑いしている中、亀丸改め榊原康政が、酒に飲まれないように気を張りながら、酒井忠次に質問を繰り返す。

「何で正信殿は、帰って来ないのですか?」

 非脳筋仲間の未帰還を憂いている若者に、忠次は真面目に答える。

「奴は、宗旨替えをしない男だからだ」

「…替えても、全く問題ないと思えますが」


 家康は、一向宗との和解が済み次第、三河での一向宗を禁止とした。

 三河に住みたければ、他の仏教宗派に変更する事。

 応じない寺は破却し、一向門徒は国外退去となる。

 この禁止令は、なんと上手く機能した。

 住み慣れた土地を離れてまで一向宗に拘る者は殆んどいなかった。

 空誓は流石に改宗せず、本願寺へと亡命。

 他にも、数名の三河武士が宗旨替えを受け入れられずに退去したが、これは例外の部類に入る。

 家康らしい、一見平和裏だが、実は詰んでいる決着だった。


「人によっては、宗教とは人生そのものらしい。伊奈親子も、三河から退去してしまった」

 伊奈親子の息子の方は、忠次と同じ名前が付いているので、酒井忠次は動向を覚えていた。

「まあ、次の大戦で、ひょっこり帰参するかもしれんよ。彼奴らみたいに」

 酒井忠次は、酒宴の中で一番大きい人集りの中心にいる兄弟を徳利で指す。


 酒井忠次は波風立てないように成瀬正義・正一兄弟をまとめて指したが、聴衆の目当ては弟の正一の武勇伝である。

 同僚を斬って出奔した血の気の多い兄と違い、正一は武田家に仕えて川中島の戦いを経験している。

 それも、最もマッドマックスな第四次の合戦を。


「武田と上杉は、どちらも忍者を使っての情報収集は念入りです。相手の出方を探りながらの睨み合いで終始する事が多く、第四次以外は膠着状態。最後の第五次に至っては、睨み合いだけで双方退きました」


 正一は酒杯で喉を潤しつつ、誰にでも分かり易い言葉を選んで情報を伝播させる。


「お互い、真っ当に戦っては、無事に済まない軍勢同士。第四次でも、上杉が退くと思っていましたよ。上杉の一万三千に対して、武田は二万です。退かない理由がない。つーか、退かなきゃおかしいですよ。おかしいですよ、あれ」


 結構、酒に負けつつある。


「計算外だったのは、上杉謙信のイカれた決断ですよ。信玄公が軍を二手に分けたからって、普通は攻めかかりません。別働隊が戻って来れば、挟み撃ちにされますから。短時間で信玄公を討とうと猛攻を掛けてきましたので、凄まじい消耗戦になりました」


 名将同士の正面衝突は、両軍の半数以上が死傷する大惨事となった。

 そこまで犠牲者を出しながら、結局引き分けである。


「どうかしています、上杉謙信。最後は単独で本陣まで攻め込んで、信玄公に斬り掛かるし。頭が吹っ飛び過ぎです、あれ」


 良い子は真似してはいけない、上杉謙信。


 そこまで聞いて、本多忠勝が質問する。

「どうして上杉謙信は、死なないのっ?」

 お前が言うな! の大合唱が湧き上がる。

 誰も忠勝と戦おうとしないとはいえ、矢や鉄砲で狙われる回数は逆に増えている。

 それでも擦り傷一つ負わない本多忠勝の武運は、もうオカシイ(笑)

「だって、単騎でそこまで突っ込んで生還とかっ、おかしいだろっ」

「お前の方が、もっとオカシイから」

 家康のツッコミにも、忠勝は首を捻る。

「某っ、別に傷一つ負わずに戦おうとか、思っていないっ! 結果として無傷なだけだっ」

 皆、忠勝の不死身に突っ込むのを諦めた。

 半蔵は、隣で忠勝の話に聞き入る松平伊忠(これただ)に警告する。

「真似するなよ」

「いえ、半分でも参考に出来れば」

「一部も参考にするな」

 止めないと毎度突出しすぎて死にそうになる松平伊忠に、半蔵は繰り返し警告する。

 猪武者ではあるが、昨年、一向一揆に乗じて侵入して来た武田軍と交戦し、退けている。相手の目的が威力偵察だとしても、褒めていい実力を持っている。

(もう次の戦いが始まっている)

 半蔵は、この酒宴の段階から、武田を相手に情報戦を開始している。

(まずは、成瀬正一を活用しないと) 

 最強時代の武田家の全てを見聞した成瀬正一は、その知識を三河の為に大いに役立てた。

 十年後に武田軍の猛攻を受けても徳川が滅びず、二十年後に武田軍を家康の傘下に吸収出来たのは、この成瀬正一の存在が大きい。

 もっとも、この段階では本人に自覚はない。

 酒宴の肴にされているだけ。

 首脳陣の一部を除き、武田が本気で南下してくる未来を想定していない。

(それを皆に告げるのは、殿か忠次殿の仕事だ)

 半蔵は、凪の時間を邪魔せずに、肚の中で方針を決める。

 半蔵と同じレベルで槍働きが出来る人材は、既に五指に余る程に揃っている。

 半蔵にしか出来ない、家康への貢献。

 それは、耳目をフルに使う忍者仕事になる。

 それも、既に全国規模の情報網を形成した、武田信玄を相手にしての諜報戦。

 この戦いに半蔵が破れた時、三河は武田に蹂躙される。

(ああ、俺は武田信玄と戦う訳か)

 先ほど聞いた川中島の上杉謙信を、頭がおかしいと笑えない状況である。

 そんな事を考えていたら、顔が自然と鬼面になる。

 周囲は半蔵の鬼面にはもう慣れたので、全然反応しない。

 酒井忠次が、唐突に立ち上がる。

「踊るぞ!」

 完全に酔っ払った酒井忠次が、伝説の宴会芸『海老すくい』(英語名シュリンプ・サルヴェーション・ダンス)を踊り始める。

 腰の振り方。

 顔の馬鹿さ加減。

 振り付けの間抜けオーバー。

 近隣諸国の鬼武者を敗走させる名将が、アホな馬鹿踊りを大真面目に踊っている。

 半蔵は、ついさっきまでの思案を忘れて、鬼面も忘れて笑い転げた。




 本願寺への対一流武将レクチャーも一通り終わった本多正信は、自由を満喫していた。

 石山本願寺には全国の信者達からの寄付金で、軍資金が唸っている。正信には相当な謝礼が支払われた。

 今後の人生で、何をするのも充分な額だった。

 正信は、諸国漫遊を選んだ。

 何せ故郷は一向宗出入り禁止。

 親友は、正信の想定以上に容赦なかった。

「殿が一向宗に入れば、もっと丸く収まったのに。ローマ帝国がキリスト教を取り込んだみたいに立ち回れば、もっと面白くなったろうに」

 やはりこのキャラは、味方でも危ない。

 正信が最初に訪れた観光スポットは、国際貿易都市・堺(現・大阪府堺市)。この戦国時代で珍しく、商人達による独立都市である。

 念入りに巡らされた柵と堀で守られた貿易港には、国際色豊かな風物が溢れている。此処には商品のみならず、世界中の人種と文化・文明が集まってくる。

 知的好奇心の強い正信には、この世で一番退屈しそうにない観光地だ。

 一向宗の案内状のお陰で、正信は寄宿場所を確保した上で観光出来る。

 はずだった。


 呉服屋でナウなヤングに馬鹿ウケな衣装を買おうと堺の町を一通り見た正信は、呉服屋なのに『茶屋』と屋号を付けた店を選ぶ。

 店先で手軽に湯茶を飲んでいる若い商人に店の評判を聞くと、オーバーリアクションで柏手を打ってからペラペラと喋る喋る喋る、喋る。


「屋号の由来を気になさるとは、通でんな、お客人。通の客は逃さしまへんで。この世で一番銭を落とすのは、通の客やさかい。わての名は、茶屋四郎次郎(ちゃや・しろうじろう)。本名とちゃいますが、この店の主人は代々これで行こう思てます。四郎や次郎なら何処にでもある名前やけど、四郎次郎と続ければ、印象強うおますやろ? まあ、中には四郎と次郎を足して割れば、三郎で済む言う人もおりますが、わては四郎次郎で行きまっせ。

 堺では新顔ですが、茶屋は京では既に老舗でっせ。うちで二代目ですから、老舗で間違いありません」


 正信より若いのに、店の主人本人だった。


「父は元信濃の武士で、中島明延、言います。呉服屋に転職して京で店開きよって、こうして店先でノンビリと茶を飲んでいましたんやて。

 これだけ聞くと、呑気やけど、運が良い事に大きな獲物が釣れましたねん」

「ふうん」

 正信は、自分も湯茶を貰いながら、それが薄めていない抹茶と気付いて仰天する。

「今の将軍様、足利義輝様が足を止めて茶を所望しましてなあ。以来、将軍様が度々茶を飲みに来るさかい、屋号を『茶屋』にしましてん。どや、粋な屋号でっしゃろ?」

「初対面の風来坊に抹茶を出すのも、粋かね?」

「茶より値の張る人間なんて、おらしまへん」

 茶屋四郎次郎は、本多正信と知って茶を出したのかどうか、明言しない。

 腹の探り合いは、正信の好物である。

「某、無職の元鷹匠です」

「無職でも顔に余裕が見えるのは、まとまった金を持っている証拠や。目が、日銭を稼ぐ者の目やない。どうやって暇を潰すか考えとる、道楽者の目や」

「道楽者…」

 言われて初めて、正信は今の自分の境遇を理解した。

 茶屋の読みは当たっている。

 正信は、当分仕事をする気がない。

「じゃあ、道楽者に見合った服を、見繕ってもらおうかな」

 茶屋四郎次郎は、笑顔を更に笑顔で崩す。得な福相である。

「よっしゃ、引き受けました。商いさせてもらいまっせ」 

 踊り上がりながら茶屋四郎次郎は、店内に正信を誘う。

 暖簾を潜ると、見慣れた鬼面が眼中に入る。


「・・・」

 服部半蔵が、修学旅行にディズニーランドを選んではしゃいでいる中学生を見る眼で正信を検分している。

 正信がリアクションに困っていると、半蔵の方が目を伏せる。

「や、いいんだ。いいんだ。君は今、自由だし。何も聞かないよ。俺は忙しいから」

「人を釣らせておいて、イヤミか?」

 四郎次郎の方は、二人を放って服飾選定に忙しくしている。

「酒井忠次殿には、『正信が戻って来ないせいで、嫁と子作り出来ない位に多忙になった。逢えたら、弱みを握って連れ戻せ』と、冗談を言われた」

「顔が冗談じゃないよ。半蔵、顔が冗談じゃないよ?」

 顔はいつもの半蔵だが、服装が大幅に変わっている。

 黒を基調とした着物は、黒豹の皮で各所を補填して実践的な鎧としても機能する戦闘服と化し、武将よりも忍者の仕様が色濃く反映されている。

「ええ戦闘服でっしゃろ?」

 正信の観察眼に、四郎次郎が営業を重ねる。

「西洋風の服は、忍び袋が付け易いわ扱い易いわで、織田の家中からもよく注文来ますねん。どうです?」

「いえ、普通に無駄にカッコイイのを」

「左様で」

 四郎次郎だけに選ばせておく危険性を鑑みて、正信は店内を見回す。

 純粋な和服は二割程度で、半数以上は西洋風推しの品揃え。西洋風の女性下着まで売ってある。

「…いや、普通に褌だろ、只の」

 下着のショーツに関しては、四百年前から東西の差異が全くない。

 なのに、西洋風というだけで、普通のガラ褌が何倍もの値段で売られている。

「東西の下着の一番の違いは、あれだ正信」

 半蔵の指差す方向に、褌を二連結させたような布地が飾られている。分類は、下着売り場である。

「よもや、尻専用下着?」

「いや、乳房専用下着だ」

「…母乳専用?」

 正信の認識では、胸に余計な布を巻くのは、母乳が出すぎて困る時ぐらいだ。

 服部半蔵の目が、くわっと開かれる。

「目的は、乳房の形を最盛期のままに保つ事。それぞれの形に合致した胸当てを装着し、前面に乳房を突き出すのだ」

「前面に突き出す?!」

 西洋の卑猥な発想に、ノーブラ天国日本で生まれ育った本多正信は衝撃を受ける。

「これを装着すれば、女の武器を一つ、常時発揮出来るという訳だ」

 服部半蔵は、大真面目にブラジャーを語る。

(此奴、四人の奥方達と励みすぎたのか?)

 そこまで考えて、正信はようやく半蔵の側に付きっきりだった女忍者四人組の不在に気付く。

「一人で堺へ?」

「月乃達なら、試着室に篭って半刻以上経つ」

 半蔵の顔が、苛立ちで鬼面になる。

「こないな顔ばかりしますよって、この半刻は客が逃げてしもうて、往生しとります。しゃあないから表で茶を飲んでいたら、正信さんが釣れましたよって。差し引きは零でんな」

 金色の羽織を持ってきた四郎次郎が、ドヤ笑顔で正信に見せる。

「派手すぎる」

「ほうかあ? うちの見立てでは、これが一っ番っ正信さんに似合うとる」

「一番値の付く服だろう?」

「わかります?」

「人任せにした俺がバカなんだよ」

 正信が自力で服を物色しようと決断する頃に、試着室から桜色の美人が現れる。


 忍者働きの服ばかり見知っている正信は、その美人が本当に月乃かどうか自信を持てない。

「あら、お久しぶり。こんな所でサボっていたのね」

 確かに月乃の声だった。

「はい、おかげさまで」

 月乃の放つ『幸せな人妻オーラ』に、正信は自然と頭を下げる。過去に戦場で看病された際、下の世話までしてもらった相手が、気圧される程の美人に化けているのは感慨深い。

 着ている服も、良く似合った品になっている。

 黒い袴の上に桜色の小袖を短く揃え、群青の襷で各所を動き易いように絞り上げている。

 活動的なスタイルを取りつつも、芳ばしい色香に満ちている月乃は、衣装の背に鷹の刺繍を付けていた。

 西洋式胸当て(ブラジャー)を着ている所為か、乳の張り具合もかなりセクシフル。

「鷹…」

 見惚れていた正信の脳が、当然の疑問を口にする。

「通常の忍び働きでは、ないのだな」

 こんなに目立つ衣装で、普通の忍者は働けない。

 半蔵が頷きながら、解説する。

「保険だ。服部半蔵の妻である事を、派手な装いで周知させる。その身分であるなら、敵に囚われても殺される危険が大幅に減る」

 随分と後ろ向きな保険である。

「というか、今度の相手には、情報の秘匿が望めなくてな。ある程度は放棄する」

「…何を敵に回した?」

 正信の態度が、剣呑になる。

「武田の忍者軍団、三ツ者」

 正信は、生まれて初めて口より先に手が動いた。

 歩行の助けに常備している杖を、無謀にも半蔵相手に振ろうとする。

 横から、夏美に腕を掴まれて未遂に終わる。

「正信殿らしからぬ、短慮です」

 黒い袴の上に葵色の小袖&背中に鮫の刺繍を縫い付けた夏美は、正信の腕に関節技を決めて、座らせる。

 夏美が西洋式胸当て(ブラジャー)を装備した効果は凄まじく、正信は夏美の方を直視出来なかった。

 目を向けると、視線の高さにダブル富士山が見えてしまい、ムラムラする。

(西洋式胸当て、恐るべし)

 半蔵が、真面目な顔で正信との会話を再開する。

「見るだけなら、減らないと思うよ」

「話を三ツ者に戻せ、ムッツリ半蔵」

「遠くない将来、三河と武田は戦う羽目になる」

「まあな」

 今川家の没落に従い、今川の領地はジリジリと北条・武田・三河に吸収されつつある。

 最終的には、北条・武田・三河が隣国となる。

 北条は無欲ではないものの、無理に領土拡張を図りはしない。

 だが、武田はする。

 他国への侵略を国是として大国に成長したお国柄なので、全ての外交ベクトルが『戦争を吹っ掛けて、ぶんどる!』になっている。

 軍事・政治・経済で一流の手腕を見せる武田信玄が、そういう国として完成させた。

「あの規模の忍者組織に対抗するには、人員を増やすしかない。三河周辺だけではなく、京や堺にも俺の拠点を作る」

「待て」

 正信が、半蔵の話を止める。

「三ツ者にどう対抗するかじゃなくて、三ツ者を敵に回さないで済む方法は取らないのかと聞いているのだよ」

「…うちの殿が、今川の軛から逃れて戦国大名を満喫している殿が、武田の傘下に入ると思うか?」

「入ればいい。今川と違って、三河だけを軍役で扱き使わないから、ずっとマシだ」

「…それをマシだと思える奴は、三河では少数派だよ」

 誰の風下に立っているかを気にしない『心の中はいつも自由だぜ』正信と違って、三河武士の大半は今川に酷使された過去がトラウマになり、独立性には敏感になっている。

 織田信長は、その辺の心情を汲んで清洲同盟を「五分の同盟」と定義した。以後、死ぬまで三河衆を『同盟者』として遇した。

 だがしかし、武田信玄は家康をそこまで甘やかすつもりがない。

「早ければ五年、遅くても十年以内には、かなりの確率でガチンコだな」

「だから、止めろよ!」

 再び切れかけた正信の後頭部に、火縄銃が突き付けられる。


「うるせえぞ、一般人。降りた奴がガタガタ抜かすな」


 黒い袴の上に赤と黒の小袖&背中に十字架の刺繍を縫い付けた陽花が、以前よりも凶悪性を増した逆立つ髪型で正信を見下ろす。

 陽花の体型は西洋式胸当てを装備しても変化はなかったが、胸元に重大な変化を晒している。

 十字架が提げられている。

「よりによって、基督教に改宗を?」

「いやあ、性に合ってるわあ。唯一無二の絶対神を崇める一神教って。宗教組織もシンプルだし。分派認めてないし。つーか、分派殺すし。皆殺しだし。パワーがパねえわ」

「分派した改革派に西洋で信者の数を食われているから、宣教師が東洋に来たのでは?」

 正信が裏事情を指摘したら、陽花がカンカンに怒って足蹴にし始める。

「あと、私の洗礼名はバルバラだから、今後はバルバラ音羽陽花と呼ぶように。気を遣え」

「バルバラ? 十四救難聖人ですね。確か火薬の暴発事故防止に、聖女バルバラの像を置く風習が…」

「何で一向門徒が、そんなに詳しいんだよ?!」

「本願寺の鉄砲担当者が、暴発防止の縁起担ぎは何でも試す変人で…話が逸れた」

 含み笑いをしながら正信の博識を観戦していた半蔵が、正信に向き直す。

「なあ、三河に戻らなくてもいいし、束縛もしない。でも、堺や京で妻たちが苦戦しているのを見掛けたら、助けてあげて欲しい」

 服部半蔵が、頭を下げる。

 頭を下げられなくても助けるつもりの正信だが、言いたい事は言っておく。

「いいか? 武田信玄と石山本願寺は、既に深い仲だぞ。顕如の嫁は、信玄の正室の妹。義兄弟の関係だ。互いに出兵を頼み合える関係を持っている。武田と戦うという事は、西側から本願寺の一向宗に攻められる危険が伴う。負け戦になるぞ」

「西側は、織田信長に任せるよ。その為の清洲同盟だ」

 半蔵の見通しに、正信は渋い顔をする。

「織田じゃあ、無理だよ」

 この時点での織田信長は、経済力はあるが尾張一国の国主に成れたばかり。実力不足は自覚しているので、部下には一向宗と事を構えないように厳命している。

 二十代では、信長より家康の方が好戦的だった(笑)

「お互いの背中を守り合う約束だ。果たせなければ、催促に行く」

「奥方を四人共連れて行けよ。あの人、女性には必要以上に優しいから」

「勿論。この後、お披露目の予定だ」


 後年、逆に信長の方が先に本願寺一向宗と戦闘に入り、それに釣られる形で武田が進軍する展開になるとは、この段階の半蔵や正信には思いも付かない。


「お披露目って…」

 正信は、あの更紗を思い出し、周囲を見回す。

 他の三人は、美人化・セクシー化・キリスト教徒化と濃い変貌を遂げている。

 元からキャラの濃い更紗が、堺でどんなフォームチェンジを遂げたのか、正信は心配になる。

「ふはははははははは」

 頭上から、あの更紗の笑い声。

「更紗は、此処だ。無職の正信」

 天井に、白色の小袖&背中に虎の刺繍を縫い付けた更紗が、ハエのように張り付いていた。

「とおっー!」

 掛け声を発しながら、更紗は正信の眼前に着地する。

 着地と同時に、小袖の下の部分が割れて、褌が露わになる。つーか、袴を履いていない。

 西洋式女性用褌は、日本製よりもデルタ宙域にピッタリフィットする代物だと、正信は目撃する。

「ふむ。やはり縞模様ですか」

 思わず見入ってコメントしてから、正信は慌てて目を逸らす。

「西洋式であろうと、更紗の褌は、シマ!」

 月乃が投げて寄越した黒い袴を、更紗は瞬着する。

「これ、更紗の正義」

 下柘植更紗は、日本で初めてシマパンを履いた女性である(注意・これは小説です)。


 ブレていない更紗を見て、正信は安堵した。

(更紗を見て安堵する日が来るとは)

「心配するのが、アホらしくなってきた」

 茶屋四郎次郎が、湯茶を入れ直して全員分持ってくる。

 茶碗運びを、正信と同じ亡命仲間の伊奈忠家・忠次親子が手伝っているので、茶屋は相当に三河の知識を仕入れていると察する。

「三ツ者いうても、手を下す仕事をするのは、甲斐や信濃にいる三ツ者だけですわ。国外のは、耳に挟んだネタを、信玄に送るだけさかい、そんなに心配せんでも、ええちゃいますか?」

「三ツ者に知り合いでも?」

 正信は四郎次郎が三ツ者かと考えたが、本人はあっさりとネタを晒す。

「父が三ツ者ですねん。住む所も職業も変えたいうのに、今でも役に立ちそうな情報を、信玄に送ってますのや。まあ、うちも知らされたのは、この堺に支店を出すと決めてからですよって、それ以上の仕事を知らんだけかもしれませんが」

 物騒な呉服商人親子である。 

「武田の本拠地以外では、三ツ者に会うても、構えんでええと思いますわ。三ツ者が全国規模で展開しているのは、文通するだけで出来る仕事だからやと、うちは見ております。伊賀や甲賀の忍者とは、違うた基準で採用されていますのや」

 正信は、半蔵に変化がないのを見て取り、もう半蔵は既知の事だと知る。

「父君が武田に付いているのに、三河に味方をなさるおつもりで?」

「ちゃうわ。父が武田に付いているからこそ、うちは逆に三河の方に付いておきますのや」

 そこまで言われて、正信は茶屋の魂胆を悟る。

「何方が勝ち残っても、いいように?」

「そうどす。なんぼ武田が強くても、信玄が死んだら、勢いはのうなりますやろ。あの人、もう四十を越えてますやん。対して三河の殿様は、二十歳以上若くて上り調子。今川の例もありますよって、十年後には、ひょっとしたらひょっとしますで? という訳で」

 四郎次郎は、正座し直して、両眼からギンギンに光を放出する。

「良い商い、させてもらいまっせ」



 小牧山城(現・愛知県)は、織田の旧本拠地・清洲から北へ五里(約二十キロ)の所にある。

 濃尾平野の中にポッコリと小山がある場所で、信長が初めて城を築かせた。

 美濃攻略の為だけに、信長は小牧山城に本拠地を移した。必要に合わせて本拠地を丸ごと移転する信長の極端な引っ越し人生は、ここから始まっている。


 二月に訪れた服部半蔵&忍者妻四人は、堅固な小牧山城を中心に、城下町が清洲以上の盛況を見せている姿に驚く。

「町って、たった数年で此処まで発展できる物なのですね」

 月乃が、現金な町の賑わいに少し引く。

 どれだけ賑わおうと、城の主はアレである。

「勝っているのか」

 半蔵が、かなり失礼な感想を口にする。

「微妙な戦況だったからねえ…げっ、同じ値段」

 バルバラ音羽陽花が、露店に売り出してあるカステラが堺と同じ値段で売られていたので驚く。

「変な国ですね。勝率五割程度なのに、銭廻りだけは堺や京に負けない」

 夏美が首を捻って不思議がるのも無理はない。

 織田の戦況は、決して強国のものではない。


 三河への侵攻を諦めた信長は、ここ数年は美濃攻略に専念している。

 美濃側は国主が代替わりして若いボンクラになり、以前は連戦連勝だった信長に負けるようになり、織田に鞍替えする者が続出するようになり、一気に信長の領地になるかと思われた。

 だがしかし。

 竹中半兵衛が美濃側の軍師として指揮を取った途端、形勢は再び織田の連敗に戻された。


「いくら軍師・竹中半兵衛が凄くても、相殺出来ない位に不安なボンクラなんだよ、美濃の斎藤龍興(たつおき)は。だから、美濃の有力武将は、次々と信長様に鞍替えしているのさ」

 木下藤吉郎秀吉が、ちゃっかり忍者妻四人組の中でトークに混じっている。

 月乃から『助平で軽薄で油断のならない猿面』と聞かされていたので、他の三人も直ぐに名前に思い至る。

「久しいな。信長様の元へ、挨拶に参った」

「何じゃい、城下町で美人を四人も侍らせて。見せびらかしに来たのかと思ったぜ」

 秀吉の方は、何時ものように馴れ馴れしくも、様子見である。

 桶狭間の戦いまで忍んで密会していた服部半蔵が、全く忍ばずに来訪したのだ。しかもアポなし。

「実はな、京や堺でも、諜報活動を行う事になった。織田にも断りを入れておこうと思って」

 秀吉の笑顔が、凍る。

 城下町でも人出の多い市場で、何も隠さずに、この台詞。   

「芸風が派手になったもんだ。まあ、信長様は、その方が好みかな」 

「じゃあ、繋ぎを頼めるかな?」

「そこまで偉くなってないよ。未だ。城で普通に、お目通りの手続きを踏んでくれ」

「あ〜あ。待たされるのか」

 更紗が、無表情なりに失望を溜め息で露わにする。

 秀吉のプライドに障った。

「でもまあ、半蔵の頼みだしなあ。とっておきの信長様情報を教えてあげよう。今日は、夕餉の後で信玄公への手紙を書く予定だから、他の用事は断っているぜ。訪ねに行くなら、その時刻が狙い目だ。あのお二人は、月に一度は文通してんだぜ」

 信長が信玄のペンフレンドと知り、半蔵は結構動揺する。

 動揺すると、失言も出る。

「まるで三ツ者みたいだな」

 半蔵の台詞に、秀吉は珍しくムッとして言い返す。

「向こうがそう思ってくれているうちは、殺されずに済むじゃないか。まともに戦おうとする、三河の方がイカれてるぜ」

 半蔵は、妻たちと一緒に笑顔で応えた。

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