四話 超高速・三河一向一揆
昔々、ある所に、本多平八郎忠勝という少年がいました。
代々松平家に仕える忠臣の家系ですので、平八郎も大真面目に忠義心を胸中に育みました。
戦死した父の代わり育ててくれた本多の親戚一同も、同じように忠義心に溢れていると信じていました。
ところがどっこい。
本證寺に不法侵入した無法者を酒井正親という武士が逮捕した事件を契機に、守護不入の権利が侵害されたとして、一向宗が一揆を起こしたのです。
本多家の大半は、昔から信仰している一向宗に加担すると決めました。
平八郎は、親戚達の忠義心とは、信仰の義理と秤にかけて傾く程度の代物だと知りました。
「それじゃあ、二君に仕えるのと同じだろうがっ!!」
平八郎は、信仰している仏教を、一向宗から浄土宗に改宗しました。
平八郎は、単騎で岡崎城に戻りました。
主君は、超絶喜んでくれました。
平八郎は、何があろうとも、主君を守ると誓い直しました。
本多平八郎忠勝は、以後引退するまで、主君の側から離れませんでした。
昔々、ある所に、本多正信という少年がいました。
リベラルな思考が大好きな少年で、本多一族だから忠義を尽くそうなんて古臭い風習には染まりませんでした。
本多一族が槍働きを選ぶ中、正信は鷹匠としてスタートしました。
この職業なら、上司と会うのは上司が丸一日遊興に費やすと決めた日だけで済みます(誇張)。
ところがどっっこい。
上司とはウマが合い、親友に成りました。
知能が高いリベラル派同士、会話が尽きません。
周囲から嫉妬される位に、仲良しになりました。
だがしかし。
三河で一向宗が既得権益を認めろと一揆を起こすと、親友との意見は真逆に別れました。
親友は、一向宗の三河支部を悪徳宗教団体と見做しました。
親友は、一揆に加担した寺を、僧も信者も丸ごと焼き殺す気でいました。
正信は、デメリットを説いて過剰な報復を止めさせました。最近同居を始めた親友の実母も説得役に加えて、何とか温和な対策を納得させました。
親友の暗黒面を見てしまった正信は、しばらく旅に出たくなりました。
四話 ♪本多本多本多本多 超高速・三河一向一揆
正月早々、西三河の一向宗勢力は、岡崎城に向けて進軍を始めた。
本證寺の僧兵一千を本隊に、三河武士二千、松平傍流一千、今川の残党勢力一千、一般参加者二千、合わせて六千名の大軍が、岡崎城を目指す。
本證寺から岡崎城までは二里半(約十キロメートル)の道程なので、日帰りの可能な一揆である。
交通整理は自然と地元の三河武士の役割になった。
「はい、列を乱さないで。冬でも、田んぼに入っちゃダメですよ」
「食料は一向宗の方から十分に出ますので、略奪はしないで下さい」
「あくまで抗議活動ですからね。戦が始まるような真似は、可能な限り避けて下さい」
一般参加者は、ロクな武器すら持たずに一揆に加わった者も多い。竹槍を持っていればいい方である。おとなしく、誘導に従っている。
反家康の為に集まった松平傍流や今川サイドの武将も、今の所は大人しく交通誘導に従っている。彼らだけでは岡崎城を落とせないので、暫くは様子見に徹する。
彼ら反家康勢力が事態の悪化・暴動化を望むとすれば、事態の改善・沈静化を切に願っているのが、この一向一揆の代表である本證寺・空誓と、その片腕の円光寺・順正だった。
「二千? まだ二千も残っているのか」
岡崎城の兵力を聞いて、空誓は少しビビる。
今日集まっている一向一揆の総数は六千を超えているが、期待できる戦力は、空誓の指揮には従いそうもないプロの武士ばかり。後は雑魚ばっか。
「やはり、勝つのは無理かな?」
一向一揆の本陣で、空誓は本多正信に解説を頼む。
本多正信は、軍師のポジションで空誓を都合よく制御する。
「今日この場では、岡崎城まで攻め込んだという実績を作っただけで十分。家康がそこまで危ない目に遭っていると知れば、三河全域で離反者は増えるでしょう」
言葉の意味を空誓の頭に浸透させてから、戦略方針を徹底させる。
「後は各自が寺や砦に籠もって、反家康運動を続ければいいのです。各自が近隣を支配下に置けば、西三河は一年も経たずに一向宗の支配する土地に成ります」
ぬけぬけと言ってくれるので、同じ潜入目的の鳥居忠弘ですら信じかけた。
(マジで裏切っていないか、この御仁?)
殿の側近として付き合いの長い忠弘ですら、疑ってしまう。
一向宗の間での正信の評判の良さは、家康家臣団内部とは真逆である。空誓からも、軍師として本陣に招かれる程の信頼を寄せられている。
元の職業と同じく、本陣の雑用係にされた忠弘とは違う。
(いや、同業者だと嫉妬して、正信の智謀をマトモに評価できないのか)
比較するのも馬鹿らしい程の扱いの差に、忠弘は正信への評価を改める。
(この男は、危険だ。味方であろうと)
味方の九割以上が嫌がる策を出す時、正信の策は三河に勝利をもたらした。
では、一向宗の三河支部代表に支持された正信の策は、何をもたらすのか?
元々浮いていた正信の危険性の正体を、忠弘は目の当たりにしている。
「大規模の兵力で、このまま岡崎城を攻め続けた方がいい。何日かけようとも」
順正が、正信への警戒心を露わに、話を蒸し返す。
正信に冷たく見下されても、順正は自説を曲げない。
「解散して各自の砦に戻ってしまえば、各個撃破されるだけです」
鳥居忠弘は、順正に同意見だ。
そうされては不味いが。
忠弘が内心で気を揉んでいると、三河一向宗の軍師から注釈が入る。
「家康が各個撃破に来たら、付近の砦から出撃して、包囲殲滅すればいい。城を攻めるより、相手を倒し易い」
「一向宗に、家康を包囲出来るほど機敏な軍事行動が取れますか?」
順正は、あくまで正信の策の危険性を主張する。
家康の巧みな用兵は、狼の様な織田軍の動きすら、平気で躱す。
「出来ないなら、そもそも戦国大名を相手に戦をするな」
正信は、順正を無下に扱う。
「頼りにしております」
黙り込む順正を脇に、空誓が揉み手で正信を持ち上げる。
(これが一向一揆の頭目かよ)
鳥居忠弘は、顔に出さないようにしながら、うんざりする。どう見ても、家康と戦える男ではない。というか、軍事に関わるべきではない。
(やっぱり、宗教団体は軍事と無縁に限るよなあ)
鳥居忠弘は、政治能力が2ポイント上がった。
更にうんざりする事態が進む。
下げた本陣の士気を本多正信は、さり気なく上げようとする。
「どうです。間近で見る岡崎城は」
そう問われると、空誓は自信を持って答える。
「ショボいね」
城塞寺院・本證寺と比べてしまうと、舐めた意見が口に出る。
二つの川の合流地点にある丘陵地帯に造られているので、攻める方は極めて攻め辛い。
ただし、囲んで兵糧を断つのは簡単である。
一向一揆が大人数で岡崎城周辺に布陣した段階で、実は既に勝ったも同然なのだ。
「あんまり、見所の有る城じゃないね」
しかし、空誓の目の付け所は、城の規模とか外観にある。
「あんな城は要らないから、とっとと用を済ませよう」
岡崎城の名誉の為に追記すると、この後から増改築が進み、三重の天守閣を備えた見事な美城へと進化します。現在では、『日本百名城』で四十五番にランキングされており、空誓の感想は、一五六三年当時の古臭い物です。はい。
「では…」
正信は、忠弘に視線を向ける。
「城に使者を出しましょう」
(帰れる〜!!?)
と期待する忠弘に、正信は『うんざりする要件』を付け加える。
「いいか、忠弘殿。空誓様の書状を届けるだけではないぞ」
正信は、忠弘の視線をガッチリと捕まえて言い渡す。
「岡崎城に着いたら、瀬名姫を保護しなさい」
何を言われているのか、鳥居忠弘のキャパシティを超えている。
「え?」
「え?」
空誓まで、頭がショートした。
構わず、正信は重大かつ余計な用事の必要性を述べる。
「この一向一揆には、今川方の武将も少なくない。彼らは、我ら一向宗に協力はしても、命令は聞かない。彼らに言う事を聞かせるには、瀬名姫を手に入れておくのが肝要だ。それに岡崎城に居るより、今は空誓様のお側に置く方が、瀬名姫も安全だ」
空誓が、頬を赤く染める。
顔がエロい。
「えええええええええええええ」
正信の表向きの言い分と裏の目的を一挙に理解してしまい、忠弘は動揺しまくる。
(いいのかこれ? いいのか? 確かに持て余しているけど、いいのかこれ?)
パニクる忠弘に、正信は優しく助言する。
「大丈夫」
こういう時だけ、正信は優しく微笑む。
「後は、家康の判断する事だから」
使者として馬で岡崎城に戻ってきた忠弘を、兄の元忠が城門の外に出て迎えてくれた。
「来てくれたんだね! 兄さん!」
「この不忠者めがっーー!!」
再会するなり、兄は弟の顔に右ストレートを打ち込んだ。
「殿を裏切っておきながら、よくもノコノコと顔を」
弟に馬乗りになってマジに連打。
偽装目的の三文芝居でも、本気で殴る兄だった。
「…元忠殿。使者を殴るのは、いけません」
服部半蔵が止めて、元忠はようやく連打を止めた。
舌打ちをして退くと、親の仇でも見るような形相で弟を睨む。
「命拾いしたな、裏切り者め。用を済ませたら、この兄に殴り殺されに戻って来い」
「嫌だよ馬鹿野郎!」
兄の顔を蹴り返し、半蔵の後ろに隠れる。
元忠は、気絶したふりをして、倒れる。
「あんたなんか、大っっ嫌いだ!!!!」
鼻血と号泣の混じる、演技の必要の全くない叫びだった。
どう見ても、敵味方に本当に別れた兄弟に見える。
「…やり過ぎだ」
半蔵ですら、思わずつぶやく。
「やっぱり? やっぱり、あの馬鹿兄貴は、やり過ぎなのですね? そうだと思っていたんだ!! ずっと! いつも! 毎日!」
「うん、いいから、早く用を済まそうな」
計画が狂わないように、半蔵は事を進める。
岡崎城から使者の鳥居忠弘の乗る馬が、真っ直ぐ一向一揆の本陣へと帰って来る。
同時に城から降りてきた『如何にも高貴な女性を護送する一団』が、一向一揆の陣に沿って西へ向かう。
「あれが瀬名姫? どうして本陣にお連れしないの?! 拙僧に顔を見せずに、本證寺に行く気か?」
空誓に責められて忠弘は、家康に言われた通りの台詞を述べる。
「家康は、瀬名姫が充分に城から離れた頃合で、攻めに出るつもりです。本陣は狙われますので、瀬名姫様は、先に本證寺に向かわせました」
「…ああ、そう」
岡崎城から本證寺まで、どうせ日帰り出来る距離である。
「まあ、今夜には、全部拝めるか」
空誓は、下心を落ち着かせる。
家康からの返書を受け取り、封を開けて中身を確認する。
「・・・」
家康からの書状には、『厭離穢土(おんりえど) 欣求浄土(ごんぐじょうど)』とだけ書かれていた。浄土宗の用語であり、家康の馬印に揚げられている文言である。
「今の世は戦乱で穢れきっている。平和な浄土を今の世に作ろう」という意味で、家康の戦争でのポリシーを内外に伝えている。
最終的に戦国時代そのものを終焉させようという大望を、家康は武装した宗教団体の首魁に、そのままぶつけた。
「…どういう魂胆だ」
何か重大な問いを掛けられた事を悟り、空誓は返書を見詰める。
空誓が、何を相手に戦を始めたのか徐々に理解し始めた頃。
本陣の外縁から、戦いの喧騒が聞こえ始める。
隣席の本多正信が、腰を浮かす。
空誓は、本陣が攻撃される事を思い出す。
「ああ、すまん、号令を出すのは、拙僧だった」
正信の方には、空誓を気にかける余裕が無かった。
より正確には、余裕が全く無くなった事を自覚したのは、本多正信だけだった。
「ふうん、そうかあ。彼奴め、手加減無しか」
空誓その他の本陣スタッフの視線が、正信の視線の先に集まる。
岡崎城から本陣まで、真っ直ぐに、単騎が突き進む。
鳥居忠弘が通ったばかりなので、岡崎城から本陣までの道筋は、瞭然。
その道筋を一騎の武者が、血の道に作り変えている。
馬から降りずに、駆け足で本陣を突き破っている。
鹿の角を付けた黒漆の兜を被り、肩から大数珠を提げた三河武士は、誰も近寄らせない。
単騎で軍勢の本陣へと平気で入って来る三河武士は、進撃速度を鈍らせない。
多勢に無勢という言葉を無意味にする三河武士は、一人しかいない。
「平八郎…」
敵として本多平八郎忠勝を正面から遠望し、正信は冷や汗しか出ない。
空誓は、自分の観ている光景に、度肝を抜かれて惚ける。
本多忠勝が馬上から振るう長槍が、近付く者を一合に及ばず薙ぎ払っている。
通常の長槍(約四・五メートル)よりも五尺は長い二丈余(約六メートル)の攻撃範囲を誇る上に、曇りなく輝く笹穂型の槍身が、壮絶な斬れ味を発揮している。
鎧も武器も、その槍身の前では豆腐も同然に断たれていく。
稲妻が天地を切り裂くように、本多忠勝の騎馬が本陣を貫いていく。
「これが『蜻蛉切』の威力か」
正信は、忠勝に蜻蛉切を任せた家康の判断に呻く。
半蔵や守綱の個人技では、こういう威力は出ない。
武将として、敵陣の何処を突けばいいか瞬時に見抜ける忠勝だからこそ、この芸当が可能なのだ。
「忠勝の才能を、自分は少しも見抜けなかった」
人を見る目でも叶わない事に、正信は痛快な敗北感を感じる。
弓で狙おうにも、大軍の中なので、外れると味方に当たる。それでも構わずに放つ矢も、忠勝は蜻蛉切で難なく振り払う。
「…鉄砲は?」
単騎で流血山河を作りながら接近してくる忠勝に、空誓は至極当然の打開策を推す。
「こういう時には、鉄砲だろ?! 鉄砲を持っている奴は、彼奴だけを狙え!」
空誓の命令は実行に移されなかった。
一向一揆勢の中で鉄砲を持っている者・総勢三十二名は、忠勝の突撃と同時に、潜入していた伊賀忍者に暗殺され、鉄砲を没収されていた。
空誓の目に、鼻毛が見える距離にまで、忠勝が近付く。その後ろに倒れている屍の数は、数える気にもなれない。
もう怖くて、誰も忠勝を攻撃しようとしない。
「正信っ!!」
年下の忠勝に呼び捨てにされて、正信はうんざりする。
「俺と勝負しろっ、正信っ!」
(私怨で此処まで来たな、この馬鹿野郎)
本当なら、家康の本隊と共に出撃のはずだ。
「お前だけは、俺の手で討つっ!」
武人として純情な忠勝にとって、正信の戦略は吐き気がする下策である。殴りたくなるのも、理解はできる。
「手向いはしない。勝手に殺せ」
正信は武器を構えず、忠勝の挑発を適当に流す。
忠勝が馬上から、思い切り正信を怒鳴りつける。
「武器を取らない奴を殺せるかっ、この腹黒野郎っ!」
忠勝がデビューしたての蜻蛉切を振り回すと、空誓が大将としての根性を見せる。
「この仏敵めが!」
友達の正信を助けようと、大きな鉄棒を振るって攻め掛かる。
忠勝は一振りで鉄棒を払おうとするが、逆に蜻蛉切を弾き返される。
本證寺十代・空誓、意外と怪力である。
「仏敵退散!」
勢いで攻撃に出る空誓に続いて順正が、鉄棒で馬に殴りかかる。僧兵を率いて武家に挑むだけあって、こちらも怪力自慢。
忠勝は、今日初めて足止めを食らった。
忠勝が怪力僧二人を相手に遊んでいる間に,渡辺守綱は岡崎城の門前に姿を晒す。
身内相手の戦いなので適当に観戦する気でいたが、蜻蛉切が後輩の手で華々しいデビューを飾ったのを見て、嫉妬で頭に血が上った。
来なくてもいいのに、城門まで進んで目立とうとする。
「悔しいか?」
門前で、服部半蔵が鬼面で揶揄う。
「敵として見ると、憎たらしいな、その鬼面」
守綱は馬から降りて、半蔵に槍を向ける。
「お家芸の鬼退治でも再開するかね?」
半蔵も、短槍二本を両手に握って相対する。家康から拝領した持ち槍を、三河武士の血で汚さない為の装備変更である。
岡崎城の内外で、トップクラスの武将同士の対決に盛り上がる。
米津「俺、半蔵に二百文」
内藤「半蔵に矢を五十本」
榊原亀丸「半蔵殿に、十文」
鳥居元忠「守綱に具足一組」
大久保忠世「半蔵に餅三つ」
酒井忠次「半蔵に米二俵」
「俺に賭けなかった奴、覚えていろよ!」
守綱が、城内に怒声を投げる。
服部半蔵の方から、仕掛けた。
左右違うタイミングで繰り出される短槍の旋風が、守綱を防戦一方に追い立てる、ように見えた。
「緩いぞ、半蔵」
周囲の目には全く見えない隙を突いて、守綱が半蔵の腰に蹴りを入れる。
ちょっとムカついた半蔵は、素早く動いて残像攻撃を仕掛ける。
傍目には半蔵の姿が四五人に分裂したかのように見えたが、守綱は引っ掛からずに同じ場所を蹴り飛ばす。
「だから緩いって」
かなりムカついた半蔵は、本気で機動する。
守綱の眼前から、半蔵の姿が消える。
守綱が大きく仰け反って身を躱す。
上空から襲い掛かった半蔵の刃が、守綱の右頬に傷を付ける。
顔からの出血に、守綱からクレームが入る。
「本気を出すなんて、酷いじゃないか」
「もっと手加減して欲しいのか?」
「いや、しなくていい」
守綱が、槍を本気で構える。
殺気が練り上げられ、一撃放必中で心臓を貫きそうなオーラを発しながら、半蔵に狙いをつける。
そのタイミングで、岡崎城の城門が開く。
松平家康が、戦装束で姿を現す。
背後には、出撃準備を整えた二千の三河武士。
「守綱!」
武器を構えずに両手を拡げて、家康は満面の笑顔で守綱に語りかける。
「一緒に岡崎城に帰ろう!」
フレンドリーな家康を見て守綱は、三文芝居の段取りを思い出す。
「い、いえ、そのう、殿。自分は〜」
本多正信と打ち合わせていた台詞を忘れて、守綱はオロオロする。
(え〜と、台詞を言ってから投降。台詞を言ってから投降)
台詞が出てこないので、家康の方でアドリブを利かせる。
「何も言わなくていい! 全部許すから、そのまま帰って来い!」
主人に情けをかけられて、守綱のプライドがグラグラと揺らぐ。
(なんか、おれ、お使いも出来ないバカみたい)
見かねた半蔵が、親切で申し出る。
「台詞は俺も覚えているから、教えようか?」
プライドにもう一撃喰らって、守綱が半泣きしながら逃げ出す。
逃げる守綱を、家康が追いかける。
「待て、守綱! どうして逃げる?!」
「会わせる顔が、ございませぬ〜!」
「待て〜!」
一向一揆に参加した三河武士の中で最強の男が、家康に追われて逃げ出している。その光景は、一向一揆勢の士気を更に下げた。予定とは違うが、効果は絶大。
加えて本陣では…
後先考えずに鉄棒で連打を続けた怪力僧二人の息が、上り始める。手を緩めたら『蜻蛉切』で反撃されてジ・エンドなので必死に鉄棒を振り回していたが、それも限界。
本多忠勝は、冷静に防御から攻撃に転じようとする。
「待った!」
本多正信が、間に入って忠勝を止める。
「何だっ? 舌先三寸は、効かないぞっ」
「それは知っている」
正信は、忠勝の気性をよく心得ている。
たぶん、本人より。
「空誓殿。撤退しましょう」
「い、いや、しかし」
「本多忠勝は、逃げる者を討ったりしません。追い首は大嫌いなのです」
「あっ、こらっ」
忠勝が慌てる。
空誓の目に、理解の火が灯る。
鉄棒を捨てると、本證寺までの撤退を叫んで走り出す。
「撤退だ! 撤退しろ! 皆、元の砦まで逃げろ!」
「待てっこらっ」
呼び止めようと、みんな忠勝を怖がって逃げていく。
合わせて家康の本隊も岡崎城から出た。
家康に対して好戦的な部隊も、ここまで足並みが乱れた状態で仕掛けたりはしない。一揆代表者のお勧め通り、各々の本拠地に戻ろうと転進する。
逃げる者を背中から攻撃出来ない忠勝は、まだ声の届く距離にいる正信だけを追う。
片足の不自由な正信は、すぐに追い付かれる。
「正信っ」
「何だ?」
「お前、一向宗と心中する気かっ?」
忠勝の理解では、家康は帰参者に対して無条件で許す肚である。
それを知るはずの正信から、忠勝は本当の戦意を感じる。だからこそ、槍を向けた。
「殿は傷つけないし、一向宗の門徒たちも、可能な限り守る。両方出来るのは、俺だけだ」
一向宗門徒としての本多正信は、非常にストイックで同胞思いだ。
正信だけは、主君か宗教かの二択ではなく、両方の面子を立てようと心を砕いている。
忠勝は、この三河一向一揆で最も葛藤しているのは、正信自身だと理解する。
既に苦戦している相手に、喧嘩を売る忠勝ではない。
たとえ大嫌いな正信でも。
「殿の所に帰る。伝言はあるかっ?」
どうやら忠勝が見逃してくれそうなので、正信は安堵しながら好意に甘える。
「手加減無用と、伝えてくれ」
「イヤミか」
伝言を聞いて、家康が呻く。
親友である正信がどう言葉を尽くしても、一向宗への特権を認めずに対決を選んだのは家康だ。
特権を認めてしまえば、三河は大きな伏兵を内に飼う事になる。
将来、武田や北条との戦になれば、軍閥と化している一向宗三河支部が、内応する可能性が高い。
一国の主として、家康は潜在的敵対勢力を看過出来ない。
(それを分かった上で逆らうのだから、お前の信心は筋金入りだ)
家康が、爪を噛み始める。
正信を失いたくないので降伏の条件を下げまくったというのに、当の本人は最後まで戦う気でいる。
他国との大戦の際に裏切りそうな勢力を炙り出すには丁度良い内紛ではあるが、一番の知恵袋に死なれては、採算が合わない。
「攻め時ですぞ、殿」
家老・酒井忠次は、そういう機微を知った上で、家康の意識を目前の戦場に引きずり戻す。
先刻まで岡崎城を囲んでいた大軍勢は、バラけて家康に背中を見せている。ど素人の僧兵を大将に頂いた一向一揆は、殿(しんがり。軍の最後尾を守る部隊の事。死亡率が極めて高い)も決めずに、撤退を始めた。
どの陣営を壊滅させるのも、今なら容易である。
「さあて、では…」
三河で家康に靡きそうにない軍勢の背後を突こうと向けた視線の先で、一隊が踏み留まっているのを見咎める。
どうも、自主的に殿を務めようとしているように見える。
「…忠次。あれは、殿(しんがり)のつもりで間違いないか?」
忠次は、意見を求められて正直に答える。
「間違いなく、殿の動きです」
その一隊は、家康の軍勢の真正面に位置している。
「何故だ!?」
家康が激昂して、爪を噛み始める。
三河衆が死なないように手を尽くしているのに、わざわざ一向一揆を守るために命を張ろうとする者もいる。その頑固さに、家康は腹を立てる。
「邪魔ですから、一揉みに殺しますか?」
忠次が、甥の癇癪をブラックジョークで揶揄う。
「内藤正成を呼べ」
家康は、相手の身内に処理を委ねた。
石川十郎左衛門は、口数の少ない三河武士だ。
石川家の面々が忠義と信仰の板挟みにされて『日和見』を選んでも、わざわざ嫌味を言わなかった。
「三河衆は、仏敵と戦うのが嫌ですか?」
「家康は、仏にはほど遠いですぞ。あんな喰わせ者より、仏への信心を欠かさずに」
「宗門を裏切ると、地獄に落ちますぞ」
僧兵共の下らない挑発や扇動も、捨てて置いた。
相手にするには、レベルが低過ぎる。
殺しても、手柄に成らないし。
石川十郎左衛門は、僧兵たちが分不相応の相手に挑んで殺されるに任せた。
実際、本多忠勝による僧兵の大量屠殺は痛快だった。
宗教を盾にした極道者たちの末路は、刃の錆に尽きる。
石川十郎左衛門が主と見込んだ男は、戦場から悪性の者だけを排除していく。
(良い手際だ)
石川十郎左衛門は、主に惚れ直した。
事態が変わったのは、主が岡崎城から出撃してからだ。
見慣れた婿殿の長弓の隣に、孫の長弓が並んでいる。
(正貞…)
主が渡辺守綱を追い回し、一向一揆の本陣が撤退を始めた頃。
石川十郎左衛門は、孫の初陣を敵陣から見る羽目になった。
途端、日和見を貫いて撤退しつつある無様な陣営に属しているのが、耐えられなくなる。
(こんな姿を見せる訳にはいかない)
石川十郎左衛門は、孫への見栄から覚悟を決めてしまった。
内藤正成は、長男を伴って本隊の進路上に立ち塞がった舅の部隊に向き合う。
たった二十名の兵を率いて殿に回る覚悟は見事だが、本人以外はガクブルである。
正成は、投降勧告をしてみる。
「舅殿! 殿のお役目、見届けましたぞ! 見事です! 某に降ってくだされ!」
石川の部下たちは早々に武器を置いて座り込むが、舅は槍を持ったまま歩を進める。
「孫の前だ!! 三河武士の根性を見せる!」
舅は大喝し、一人で進軍する。
どうやら、孫の前で華々しく散る覚悟のようだ。
「爺様…」
正成の長男・正貞は、祖父の意地の張り方に、焦れた。振り返ると後方の主君が、半蔵並みに怖い顔をしているのが分かる。
「舅殿。邪魔ですよ」
付き合っていられないので、内藤正成は弓を放つ。
舅の右膝に、矢が刺さる。
殺さずに戦闘力を奪うためだが、舅は片足でも進軍を続ける。
正成は、左膝にも矢を放った。
石川十郎左衛門は前のめりに倒れ、倒れても這って進もうとする。ここまで根性を見せられると、褒めるしかない。
「正貞。爺様を生け捕って、手当てしてやれ」
正貞は、泣きながら爺様の手当てに駆けた。
「老兵は満足したようですな」
酒井忠次は、時間のロスを殆どせずに殿を排除できたので、平常心だった。
「俺は全く満足していない」
忠次に不機嫌を隠さず、家康は寸止めされていた殺意を号令に乗せる。
「殺せ、殺せ殺せ殺せ殺せ殺せーー!!
家中を割るように唆す奴らを殺せ!
一族同士で戦わせる事を信心の証と抜かす似非坊主共を殺せ!
この岡崎城を攻めた僧兵どもを、根絶やしにせよ!!!!」
松平家康は、攻撃を僧兵のみに絞った。
親友の助言に従い、一切手加減をしなかった。
背後から駆け足で押し寄せる軍勢を見ても、本證寺の僧兵部隊は未だ足を速めていなかった。
悪名高い信長の『比叡山延暦寺焼き討ち』が起きるのは八年も後なので、僧兵戦力の殲滅を第一に家康が行動しているとは、全く考えていない。
早く立ち去るように、脅しをかけに来たとしか、考えていない。
武装しているとはいえ、背中を見せている聖職者を討ちに来たとは、思わない。
彼らが仏よりも家康を選んだ修羅である事を、実感出来ていなかった。
警戒心の強い順正は、これが本気で殺戮をしに寄せて来た軍勢だと気付く。
「貴様、殿を決めなかったのは、これが狙いか?」
順正が、馬を都合して先に逃げようとする正信に詰め寄る。
「殿を決めなかった? バカを申すな。言い出しっぺの我々が、こうして殿を務めているではないか」
睨む順正に正信は、しれっと返す。
「我々の犠牲で、一般門徒は助かる」
家康はこの程度の軍勢に敗北するような将ではないし、僧兵が戦死するのは自己責任だ。
本多正信が今日この戦場で守りたいのは、無防備な一般門徒である。
(死ぬのは、殺し合いを稼業に選んだ者だけでいい)
正信は、友である家康と敵対してまで、その美学を貫く。
順正には、正信を追求する時間は与えられなかった。
既に、矢が届く距離まで、家康の軍勢は詰めている。
「皆の衆! 全速力で逃げろ!」
順正の叫びに呼応する僧兵は、少なかった。
順正が臆病風に吹かれる者ではないと知る者だけが、足を早める。
一向一揆の本隊である本證寺の僧兵部隊一千名は、後ろから押し寄せた家康の軍勢二千名に、手早く刈られていく。
後方の惨状を見て、武具を捨てて全速力で西へと走った者だけが、本職の刃から逃れる事が出来た。
家康は岡崎城からあまり離れないように兵を動かしたので、追撃した距離はそれほどでもない。それでも僧兵部隊は、この攻撃で壊滅した。
僧兵たちの末路を見た一般参加者たちは、二度と一向一揆に参加しなくなった。
空誓他五十名程の敗残僧兵だけが、日没直前に本證寺に帰り着く。
「大丈夫だ。勝つぞ。勝つぞ。今日がダメでも、最後には勝つぞ。減った兵力は、全国の信者から幾らでも補充でき…」
生き残りを励ましていた空誓は、夕陽に混じる炎上風景を見て、愕然とする。
本證寺が、大火事。
寺の人員は、総出で消火に当たっている。
ひょっとして家康の別働隊が先回りしたのかと周囲を見回すが、戦の焼き討ちではないらしい。
火事を遠巻きに見ている本多正信(馬で逃げて先に着いた)に聞いてみると、アホな事情が分かった。
「本證寺に逃げ込んだ瀬名姫様の一行が、茶湯を飲もうと火を起こしたら、火事になってしまったそうだ」。
空誓は、安堵した。
「なあんだ、事故か」
「そんな訳あるか!?」
順正が、空誓を蹴り飛ばす。
「騙されたのですよ! その瀬名姫は偽者に決まっている! 敵の間者ですよ!」
正信は、大真面目な顔で主人の正妻を弁護する。
「でも、失火して申し訳ないからと、侍女達と一緒に桶で水をかけていなさった」
空誓が感動し、順正が疑心暗鬼をちょびっと反省すると、追加情報。
「でも、ドジっ子なのか、水じゃなくて油を桶でかけてしまったそうだ」
本證寺が、燃え落ちる。
空誓が、気絶する。
順正は、憤激しながら瀬名姫一行の姿を探し始める。
「何処に居る?」
犬歯をむき出しにして正信に尋ねると、正信は首を傾げる。
「分からん」
順正は威嚇の唸り声を正信に浴びせてから、去った。
「…本当に分からんのに」
正信は、瀬名姫の動向に沈考する。
家康なら、寺を焼くような指示は出さない。
瀬名姫の独断である可能性が高い。
だとしたら、相当に危ない気質の持ち主である。
(やはり、余計な情けだったかもしれぬぞ、半蔵)
空誓達と出会さないように北周りの迂回ルートに入った瀬名姫&侍女一行は、今後の動向を再確認する。
「京の親類を頼る選択肢は、本当に選ばないのですね?」
月乃の問いに、馬上の瀬名姫は首を横に振る。
「子供二人と暮らせる場所に残ります。焼き討ちの手柄で、待遇改善も期待できましょう」
焼き討ちを指示した人物とは思えない、涼しい美顔。
一向一揆が収まるまで、三河から京へ避難させようという家康の気遣い(厄介払い)を、瀬名姫は焼き捨てた。この状況でわざわざ一向宗の寺を焼くなど、まさに火に油を注ぐ行為。
これを家康が功績と認めるか悪質な妨害として怒るかは、月乃には判断不能。
瀬名姫に乗せられて「ひゃっほー!」と焼き討ちに加担した更紗や陽花も、今は半蔵の反応を気にして気落ちしている。
「だから自分は反対したのです」
夏美が日没にお似合いの昏い顔で言い立てるが、瀬名姫は聞き流す。
「一揆の決着が、岡崎城の戦いで着いていたら、これは余計な破壊工作です。僧兵が戦で殺されるのは自己責任ですが、寺を焼くのは多くの反感を買います」
夏美の指摘に、更紗は心外そうに反論する。
「一棟しか焼かなかったぞ」
夏美が、化け物を見るような目で更紗を見返すが、更紗は主張を続ける。
「この下柘植更紗とオマケの音羽陽花が、敵陣に潜入したのに一棟だけしか焼かなかった」
そして更紗は、無表情ながらも聞き訳のない愚か者を見る目で、夏美に問う。
「慈悲深いとは思わんか?」
「お前、三河在住の門徒の家を全部回って、『更紗は放火する時は全焼狙いですが、今回だけは一棟で済ませました』って、自己弁護してみろや」
夏美と更紗が不毛なデスマッチを始めかけたので、陽花が止めに入る。
「人聞きが悪いですよ、あれは失火です。放火じゃないです。うっかり火が出てしまっただけです。焼き討ちに同意なんてしていません。水の代わりに、油をかけてしまっただけなんです。そういう事にしましょう」
陽花がマジに泣き入れているので、一行は事情を察する。
音羽陽花の家は、曾祖父の代から熱心な一向宗の門徒である。
「南無阿弥陀仏って唱えておけば、何でも許してもらえる教義じゃなかったかしら?」
瀬名姫が、うろ覚えの一向宗知識を持ち出して慰めようとする。
「家族に知られたら、火薬の調合を手伝ってもらえなくなる!」
信仰心とは、あまり関係がない苦悩だった。
「後方、来ています」
夏美が、街道後方からの集団駆け足を聞き取る。
「駆けます」
月乃は瀬名姫の馬を誘導しながら、駆け足に入る。
女忍者四人の走法は、後方の集団との距離を縮めさせない。
やがて陽がほとんど差さなくなり、後方集団の人数が松明で明らかになる。
松明の数だけで、二百は越している。
「逃げられますか?」
瀬名姫の問いに、月乃は即答する。
「可能です」
その返事に、残念そうな顔をした気がして、月乃は悪寒を覚えた。
背後の松明の群れが、大きく揺らいで、止まる。
諦めたのではなく、何者かに襲われている。
夜道に、「鬼が出たー!」「鬼っーーーー!!!!」「おかあちゃ〜〜ん」という叫びが聞こえた。
やがて、松明の群れは一斉に引き返し始める。
誰が助けに来たのか分かって、月乃たちは走法を通常の歩行に戻す。
「いいわねえ。あなた達の旦那は、すぐに助けに来るから」
瀬名姫のボヤきに、月乃達はニヤけ笑いを隠せなかった。
その後の三河一向一揆は、家康の軍事的手腕を思い知らされるだけのイベントだった。
家康に味方する三河武士の城や砦を囲む。
↓
家康が救援に来る。
↓
家康を取り囲もうとする。
↓
家康を包囲できず、各個撃破される。
これの繰り返しの一年となった。
一揆側の指揮官がどう頑張っても、家康の軍を複数の部隊で包囲する事は出来なかった。
ならばと初日のように大人数をまとめて岡崎城の再包囲に向かっても、本多忠勝が蜻蛉切装備で姿を見せると、皆が戦わずに逃げ出してしまう。
アホみたいに連戦連敗でも本證寺・空誓が戦いを続けられるのは、全国の一向宗門徒が応援に駆けつけてくれるからだが、それにも限界がある。
一向宗の本店である石山本願寺から、家康との和解に応じるように勧告が来た。
「三河支部を見捨てるつもりかあ〜〜??」
空誓が本願寺の使者に詰め寄るが、正信が止める。止めつつも、使者に弁を向ける。
「連敗中ですが、何年も一揆を続ければ、相手が根負けします。一揆を永く続ける事こそが…」
使者、下間頼廉(しもつま・らいれん)は正信の弁を、片手を上げて遮る。
並の使者では正信に言い包められると見越して、本願寺は破格の人物を直接出向かせた。
「尋常なら、そうする。それで問題は無い」
実際に越中や加賀の一向一揆は、八十年以上も続いている。
本願寺のボス顕如に仕えて名高い軍事顧問は、三河支部のプライドを傷付けないように、三河放棄の最終決定を伝える。
「空誓殿に落ち度が有る訳では無い。本多正信にも、失策は無い。相手が上杉謙信に匹敵する名将であると分かった以上、三河での一向一揆は無駄だ。手を引く」
空誓は、右手に握った順正の遺髪(開戦から一ヶ月で戦死)を振り回して、抵抗する。
「仏敵が強いからといって、退くのが本願寺ですか? 血を流している同志を見捨てるのが、顕如の考えですか? なら、顕如が三河で戦って、拙僧を本願寺の…」
下間頼廉が、空誓の肩に手を置く。
気安く窘めている様にも見えたが、そのまま握り締めて鎖骨を折る。
「同志故、一度目の非礼は此れだけで済まそう。二度目は、首の骨を砕く。墓にも入れずに、野に捨てる」
苦痛に泣き崩れる空誓を放り、下間頼廉は正信に向き直る。
「本多正信。松平家康との和解が済み次第、本願寺まで足を運んで欲しい」
下間頼廉は、無表情だが熱の篭った視線を、正信に向ける。
「名将との戦い方を、我々は学ばねばならない。三河一向一揆の経験を、本願寺に伝えて欲しい」
断れそうにないので、正信は長旅を決意する。
本多正信が再び三河に戻って来るまで、十八年も掛かるオデッセイに成るとは、知りようもなかった。
服部半蔵は、再建中の本證寺に下間頼廉が現れたと聞いて、久しぶりに父・保長(やすなが)に意見を求めた。
「奴ら、珍しく三河から撤収するつもりです。本気でしょうか?」
縁側で将棋を指しながら話題を振ると、父は半蔵の陣営を八つ裂きにした。
「弱くなったな、お前。昔は皆殺しにする気で指しておったのに」
「…城務めで遠慮深くなったもので」
「宮仕えは、油断すると直ぐに外の様子が分からなくなる。己の手仕事ばかりに夢中になるからな。それは、足利将軍に仕えた頃に、わしも経験した」
父は、二戦目の用意を始める。
自陣に通常の三倍の駒を揃えたので、半蔵は危うく卑怯者と叫びそうになった。
「全国に少なからぬ信者を持つ一向宗は、その気になれば何十年でも戦える。三河でも、そう出来たはずだ。それが、僅か一年で逃げ支度を始めた」
父は、三倍の駒で普通に半蔵と二戦目を開始する。
「ネズミが地震の前に、危ない場所から逃げるのと同じだ」
半蔵は、桂馬を父の王将に投げ付けて排除しようとする。
父は、難なく指で受け止めて王将を守る。
「その手が通用しない相手だぞ」
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