⑥花咲穂乃→宇都木歌鋭子パート「笹浦二高さんに脱帽!! ありがとうございましたッ!!」

◇キャスト◆

花咲はなさき穂乃ほの

宇都木うつぎ歌鋭子かえこ

呉沼くれぬま葦枝よしえ

錦戸にしきど嶺里みのり

梟崎ふくろうざき雪菜せつな

筑海高校女子ソフトボール部のみなさん

清水しみずしげる

清水しみず夏蓮かれん

篠原しのはら柚月ゆづき

中島なかじまえみ

舞園まいぞのあずさ

月島つきしま叶恵かなえ

牛島うしじまゆい

植本うえもときらら

星川ほしかわ美鈴みすず

東條とうじょうすみれ

菱川ひしかわりん

Mayメイ・C・Alphardアルファード

―――――――――――――――――――

 練習試合終了後の、三塁側筑海高校ベンチ。

 現在は、監督席から立った宇都木うつぎ歌鋭子かえこの元に全部員が集合し、短きミーティングを行っているところだ。


「勝ったとはいえ、相手はついこの間できたばかりの新チーム。苦戦の原因は、お前ら一人一人に改善点があるからだ。お前たちがどれほど未発達なのか、充分勉強になっただろう……」


 結果とは裏腹に、厳正で重苦しい空気が漂っている。先ほどの勝利で浮かれた者など、誰一人として存在しない。

 特に、監督の正面で構え聴く花咲はなさき穂乃ほのは人一倍重く捉え、皺寄せした眉間を少々下げていた。今回の最終打席で犯してしまった、己の愚行を脳裏で再生しながら。


『仲間には真心。相手には決心……最後の最後まで、忘れてた……』


 相手の笹浦二高側に恩恵ある旧友がいたとは言え、一時は筑海を敗北させることも考えてしまった身だ。逆転できたから良いものの、仮にアウトで負けていたらと想像すると、恐怖心が芽生えて仕方なかった。主将候補でありながら戦意を投げ捨てた過去は、何とも自分勝手過ぎたと痛む。



『これじゃあ失格だよ、主将キャプテン……』



 罪悪感の募りで、穂乃のまぶたが徐々に下がり落ちる。反省の念こそ抱いているが、それで簡単に許されるような軽罪けいざいだとは思っていない。名門というきらびやかな看板に、相容あいいれぬ泥を塗る真似をしたのだ。候補から除名される覚悟も、残念ながら準備していた。



「……まだまだ、能力が足りていないってことだ。今後の練習や三年の背中を見て、お前たち一人一人が直向ひたむけ……いいな?」


――「「「「ハイッ!!」」」」――



 立ち竦む穂乃が苦悩する中、腕組みの威厳ある立ち振舞いで歌鋭子が締め、筑海ソフト部の試合後ミーティングが終了した。バッテリーを務めた呉沼くれぬま葦枝よしえ錦戸にしきど嶺里みのりは肩のクールダウン、梟崎ふくろうざき雪菜せつなや残る部員たちも早速グランド整備へ駆け出そうと、穂乃を中心に置きながら散り散りに別れようとしたが。



「悪いんだが、まだワタシの話は終わってないんだ!」



 ふと歌鋭子が声を張り、部員たちから再び注目を集める。何やら試合とは別件の話題を秘めているようで、皆不思議と立ち並んでいた。


『宇都木監督……何を話すんだろう……?』


 一歩も動かなかった穂乃も、沈めていた顔を上げてまばたきを繰り返した。すると、妙に一拍空けた歌鋭子が、立て続けのミーティング内容をさらす。



「――少し早いんだが、来年のキャプテンを今決めようと思うんだ。花咲のように候補ではなく、正式に決定させる」



「――っ! ……」

 このタイミングで次期主将決定案を出されたことには、穂乃は声が出ずうつむいてしまう。候補の自分が失望されたからに違いない。前日には、気持ちが揺らがぬよう注意されていたのにと、狭い肩がより縮んでいた。


『仕方ないよ……わたしの犯した罪は、重い……』


 覚悟の現実が、いよいよ鮮明化していく。六年前から慣れ親しむ、この笹浦総合公園ソフトボール場で。


「毎年のように、キャプテンはお前たちの民意にゆだねる。誰か立候補する者、もしくは推薦したい者はいるか?」


 急遽きゅうきょ三塁ベンチで始まった、筑海ソフト部次期主将の指名。突然の開催でもあってか、部員たちもなかなか喉が動かず、張り詰めた静寂に包まれていた。

 しかし、穂乃だけは既に緊張感を失い、落胆した心身で会議に臨んでいた。立候補者及び推薦者がいないならば、このまま自分で他者を公言しようとも思い付き、隠密おんみつに熟考する。


『今回副主将を務めてくれた、錦戸さんが適任だ。三年生に混じってレギュラーだし、新チームのこともしっかり考えて動いてたし……わたし以上に、ずっと』


 一年次から共にレギュラー組の嶺里ならば、チームを上手くまとめ先導していけるだろう。実際に今回も、部の勢いを活気付けたのは彼女の存在に他ならない。先発投手への気配りや周囲への指示、また主砲としての脅威的な打撃も見せてくれた。


『わたしがまさる点なんて、一つも見当たらないほど……』


 ソフトボール経験者としての能力は言うまでもなく、周りへの配慮も欠かさず行える錦戸嶺里。明るくおおらかな彼女には沢山の支持者も付いてるはずだと、いざ穂乃が代表して挙手を試みようとしたが。


「はい監督さん!」

『――っ! 呉沼さん……』


 先に声まで挙げたのは、先発投手の役目を乗り越えた呉沼葦枝だ。穂乃と似て弱気で消極的な少女なのだが、後半戦同様の強気な面構えで出向いていた。


「呉沼……立候補か? 推薦か?」

「推薦です!」

「そうか。じゃあお前は、誰を選ぶ?」


 歌鋭子に対しハキハキと応答し、葦枝は瞳の尖りを決して止めなかった。是非とも推薦し主将になってもらいたいと、強い気持ちがあらわである。


『錦戸さんで決定だ……』


 取り囲む部員らからも目を集める葦枝に、穂乃も安心して横目を向けた。彼女と嶺里は中学生当時から仲が良く、その一方でバッテリーも任された名コンビだ。選抜しない要素など全く思い浮かばない。


 これで、副主将候補の嶺里は新たなる主将へ。

 そして、主将候補だった自分は一人の選手へ。


 そのように未来を決定付けた矢先である。



「はい! ぅちは是非、花咲さんにキャプテンやってほしいです!」



「……え、えっ!? 呉沼さんどうしてっ!?」

 最初は聞き違いだと思った。が、葦枝に紛れもなく苗字を呼ばれたことに気づき、遅れながらも穂乃は思わず問いただした。すると即座に目が合い、試合中には見せなかった静かな笑顔で理由を語られる。



「ピッチャーのぅちに、何度も声をかけて、最後まで支えてくれたから」



「呉沼さん……でもそれは、錦戸さんや梟崎さん、それにみんなだってやってたでしょ? わたしよりも、もっと良い適任者がいるって……」

 無意識だが、いつの間にか皆の前で否定を始めていた。一人からの推薦に拒否権を行使するように、穂乃はしつこく道理で攻めてしまう。少なくとも、自分には絶対当てはまらないと言わんばかりに。

 しかし、対する葦枝は微笑みを消さなかった。首を左右に振ってみせると、再度向き合ってまな言葉を贈る。



「ぅちのそばにまで来てくれたのは、花咲さんだけだったよ? 声をかけるたびに、何度も何度も背中を押してくれた……あれ、スゴく嬉しかったんだぁ」



「呉沼、さん……」

「だからぅちは、花咲さんが……いや……」

 反抗の音も尽きた穂乃は茫然と立ち、まばゆい葦枝に釘付けだった。最後の台詞が、心に深く刺さるすきまで生ませて。



「――穂乃に、キャプテンやってほしい!」



「――っ! ……」

 驚きとあわせて思い返すと、筑海ソフト部内では一度も呼ばれたことが無かった名前である。皮肉にも、今回相手チームの笹二ソフト部員からは常に鳴らされてきた、たった二文字で信頼と愛情が伝わる名呼なよびだった。


『考えてもなかった……今まで、周りからの呼ばれ方なんて……』


 筑海ソフト部員からの信頼を拒んでいたとは、訳が異なる。しかし、レギュラー且つ主将候補という肩書きのもと、上級生との練習ばかりに気を取られていたことが事実で、全く意識してこなかった概念である。知らぬ間に壁を作っていたのかもしれないと、今更ながら同級生の葦枝に気付かされたのだ。


「はい監督さん! うちも、穂乃を推薦します! “初心忘るルべからず”を、誰よりも秘めていたので!」

「ふ、梟崎さん……」


 六回表に入る前の円陣を思い出させるように、マネージャーの傍らファーストも務めた雪菜がていすると。


「はい!! あたしからも是非、穂乃でお願いします!! 勝利の結果を切り開いてくれた、勇敢な穂乃で!!」

「錦戸さん、まで……」


 穂乃自身推薦しようとたくらんでいた嶺里さえ、最終回の逆転劇を振り返らせるようとどろけば。



――「私もです!! 穂乃が一番意識高いので相応ふさわしいと思います!!」

――「やっぱり穂乃が適任です! 一番声を出して守備してましたので!」

――「ガンバれ穂乃~!! これからもよろしく!!」

――「穂乃ならできるって信じてるよ!」



「みんな……」

 見棄てられてもおかしくはない愚行を犯したはずが、穏便にまたたく声援に包まれる。計十八名の一二生少女たちから見つめられた穂乃には、ようやく緊張感が芽生え始めた。表情にも強張りが生まれ、思わずハーフパンツを握って強固してしまう。


「……」

「……よし。じゃあ花咲、前に来い」

「あ、はい!」


 歌鋭子に言われるがままに前へ出向き、穂乃は監督に肩を掴まれて一回転させられた。温かく迎え囲む選手たちと対面する状態に至ると、正式発表がおおやけにされる。



「来年のキャプテンは、花咲穂乃! 賛成の者は拍手で答えろ!」



――パチパチパチパチ!!



「みんな……あ、ありがとうございます! まだまだ未熟極まりないですが、しっかり自覚を持って精進していきます!!」



 歓迎という文字そのままを示す、手拍子と笑顔ばかりが視界に連なる。穂乃も嬉しさを御辞儀で表し、オレンジリボンと共に深く地に向いた。


『ありがと、呉沼さ……いや、ありがと、葦枝。それに、雪菜、嶺里……そして、みんな!』


 更なる拍手に耳と心を叩かれると、熱い何かが瞳に浮かび上がってくる気配を感じた。このままではこぼれてしまうと思い、穂乃はゆっくりと気を付けの姿勢に戻ると。


「良かったな、花咲……」

「宇都木監督、さん……」


 そばにいた歌鋭子の口先が耳元に寄せられ、周囲には聞こえない小声で囁かれた。部員たちの明るむ面々に包まれながら、監督から直々の祝福が静かにつむがれる。



「――やっとお前も、でたく筑海だな」



「――ッ!! ……グズッ、は……ウゥッ……ハイッ!!」

 か細く小さ過ぎる歌鋭子の声がけは、ついに穂乃の涙を伝わせた。両手で執拗しつように拭っても抑えきれず、次から次へとこぼれる雫をスパイクに弾かせる。



『宇都木監督は、気付いてたんだ……わたしが揺らいでたこと、だけじゃなくて……』



 突然の号泣には、もちろん部員たちからも揃って首をかしげられた。しかし、穂乃はそれでも堪えきれず喘息に満ちていく。このタイミングで主将を正式に決めようとした、歌鋭子の想いを悟ってしまったが故に。



『――キャプテン失格だって思ってたことも……グズッ、みんなから見棄てられるんじゃないかって心配してたことも、宇都木監督は見抜いてたんだ……』



 本来主将という存在が明らかにする時期は、三年生部員の引退と同時であることが基本だ。一チームの乱れを少しでも生じさせず統括とうかつするための、指導者側としてのおきてとも言える。次期の方針を考え公言することは、引退を架けた選手に失礼とも成り得るだろう。

 しかし今回に限っては、一人の少女を孤独の幻から救うべく、一人の監督が立ち上がり決行した処置である。犯した罪の否定こそ皆無だが、つぐなう機会を与えたに等しい。だからこそこの場で、何よりも笹浦二高との練習試合直後に、花咲穂乃を正式に主将へと任命した。同下級生部員たちの民意に従い、決して独りにはなっていないことも鮮明化させて。


『ありがと、宇都木監督。こんなダメダメなわたしなんかのために動いてくれて……過去と決別する、覚悟のチャンスを与えてくれて……』


 遅くとも今年の秋口には、今目の前にいる新たな仲間たちと共に戦うことだろう。辛い練習も励み合って乗り越え、絢爛けんらんに成長し、やがて様々なチームを相手と交えていくはずだ。今回のように、相手が笹浦二高だということも充分に想定されるが。



『でも、もう揺らがない。だってわたしには、新しい仲間たちがいるんだから! ……独りじゃないんだから!!』



 本日の試合を通じて、穂乃は清水しみず夏蓮かれんたちを戦友ライバルとして捉えることを決心した。高校二年生となった今、この筑海ソフト部で勝利するために、全身全霊全員で努力することを誓う。

 本物と呼ばれる選手を目指す、一人の挑戦者として。



『――このメンバーで、わたしたちで行こうね……インターハイ!』



 春陽がきらめき、多種多様の生き物たちが躍り出る青空の下。一塁ベンチでにぎわう笹浦二高の一方で、こちらの三塁ベンチでも、温かな拍手と笑顔が降り続いていた。確かな絆まで、新たに結び合い。




 ◇ココから◆



 試合後のミーティングが終わった現在では、両陣の選手たちでグランド整備が行われていた。異なる団体とは言えども、激戦の末にはほがらかな会話が短くも生まれており、各方面からトンボのならし音以外も聞こえてくる。


「エェェェェッ!! 錦戸さんって、お米作ってるんだ!! スッゴォォイ!!」

中島なかじまさんのパン屋もうらやまだよ~!!」

「いやぁ~それほどでも~! でもでも、アタシが作るチョココロネはオススメだよ!!」

「ねぇねぇ! 今度行ってもいい? あたしんのお米も持ってくからさ! うちの米はうまいど~!」

「マジでマジでマジカルで!! ウルトラウェルカムだよ!!」


 打席付近では、パン屋を営む家庭の中島なかじまえみと、米農家で生活する錦戸嶺里の大食いコンビが揃って叫んでいた。


「あ、あのさ、ピッチャーの? 確か、呉沼~だったっけ?」

「あ……サードの人……牛島うしじまさん、ですよね?」

「そのさ……変に怖がらせちまってゴメンな。お前のこと見てたら、昔の知り合いを思い出しちまって……心配になっちまったからさ」

「いえいえ、気にしてませんよ。優しいんですね……っ! もしかして、ぬいぐるみとか好きですか!?」

「え……ま、まぁまぁだけど……なぜにそう思った……?」


 ピッチャーズサークルと三塁の間では、ぬいぐるみをこよなく愛する呉沼葦枝が目を輝かせていたが、話題を摩り替えられた牛島うしじまゆいは苦笑いで応戦。


「そうなんだぁ。篠原さんドクターストップかけられてるんだ……」

「まぁ動けないこともないんだけどねぇ~……それにしても梟崎さんって、オシャンピな眼鏡着けてるわね! どこで売ってたの? あたしも授業中は眼鏡使うからさ~」

「あ~これ? 駅前のトコだよ。最近セールやってるから、今がチャンスじゃない?」

「あそこねぇ! 今度シスコン兄貴にお願いしよっと!」

「……見えないとこで苦労してるのね」


 一塁上では、お互いマネージャーで眼鏡使用者としても共通する、篠原しのはら柚月ゆづきと梟崎雪菜が盛り上がっていた。


「穂乃、久しぶり!」

「梓! またソフトボールやることになったんだね! 再開待ってたよ!」

「ありがと。みんなのおかげで、特に夏蓮のおかげで、またやるって決めたんだ」

「穂~乃ちゃ~ん!!」

「夏蓮……グゥッ!! もぉ~夏蓮! みんなが見てる前で抱き着かないでよ~……恥ずかしいって」

「エヘヘ。あ、そうだ穂乃ちゃん! “SHINE”のID教えて! これからはいつでも連絡できるようにしたいからさ!」

ウチも知りたいんだ穂乃。是非よろしく」

「もちろんだよ! 柚月と咲にも、帰り際に教えるね!」

「やったぁ~! これで穂乃ちゃんといつでもおしゃべりできる~! 朝でもお昼でも夜でも深夜でも! サイコーだよぉ~!」

「それは失礼だよ夏蓮。“SHINE”なんだからスタンプもちゃんと送らないと」

「梓、それフォローになってない……ッフフ!」


 二三塁間では、かつて笹浦スターガールズで磨き合った清水夏蓮と舞園まいぞのあずさに、穂乃も懐かしき嬉しさを隠せず吹いていた。

 一二塁間やファールゾーンにおいても、東條とうじょうすみれ菱川ひしかわりんMayメイ・C・Alphardアルファードが、筑海ソフト部の一年生らと話し込み、同級生戦友ライバルらしくいさぎよい姿まで映し出されていた。

 一方、星川ほしかわ美鈴みすずは他者と溶け込まず黙々と整備に励み、また植本うえもときららは御手洗いに向かってから未だ帰ってきていなかった――隠れてサボっているに違いない。

 しかし、一戦を交えた同士らの表情は試合前に比べほころび、絆の結び付き合いが確かに垣間かいま見える。各地で異なる話題で盛り上がり、グランドごとなごやかな雰囲気に包まれていた。やがてトンボの動作が遅くなり、にぎやかなまでに騒然へ至ろうとし始める、そのときだった。



やかましい!! 駄弁だべってないで、さっさと整備を終わらせろォォ!!」



 筑海高校監督者の宇都木歌鋭子が怒濤の一声を射し、事態の怠惰たいだを防ぐ。笹二ソフト部も含め放った声量は、正に体育会系と称せられる怒鳴りだった。地響きのように震撼しんかんさせた後は迅速な整備が開始され、思わずため息が零れ呆れる。


『ったく……遊びじゃないんだぞ、部活は』


 生徒たちには厳しくも規律を重視させ、りある行動へとうながす。それこそ、筑海高校女子ソフトボール部顧問の傍ら、生活指導部も務める歌鋭子の信念だ。各選手たちが均すグランド全域も含めて、バックネット裏で男染みた腕組み姿で眺めていた。


『笹浦総合公園……やはり、懐かしいな』


 多目的練習場として様々な競技に扱われる笹浦総合公園では、外野の緑芝生の方では家族で賑わう者たちや、友だちとキャッチボールをする少年たちで溢れていた。またもう一方のグランドには、これから練習を始めるシニア野球チームが招いており、正午を越した練習試合後の光景が、当初と比べて落ち着いた色に変わる。


『変わった箇所も、たくさんあった……。だが、変わっていないモノだって、確かに顕在だ』


 懐疑かいぎける大人の心は、やがて強面こわもてほのかに和ませ、先ほどまでの憤怒ふんぬが浄化されていく。尖る瞳が緩むことは無かったが、歌鋭子の頬は僅かに上がっていた。ふるき思い出を脳裏で再生し、隠れながら目を閉じようとすると。



――「やぁ歌鋭子ちゃん。今日はわざわざ、練習試合を受けてくれてありがとねぇ」




 現実に戻すかのように、しわがれた男声が意識を引っ張った。しかし、奇妙な発言には嘲笑ちょうしょうを我慢できず、鼻先を揺らしながら声主へ振り向く。



「もうじき四十路しそじの女に、“ちゃん”付けはないでしょ……清水しみずしげる校長?」



 一塁ベンチの方角から歩む者は、スーツ姿の清水しみずしげるだ。まなじりに更なる皺を浮かべた微笑みで訪ねられ、歌鋭子も気持ちでは歓迎する。


「随分と丸くなりましたね。見た目も性格も……昔の恐ろしさが嘘のようです」

むしろ今じゃ、歌鋭子ちゃんの方が恐く見えるよぉ。そんなことじゃ、未来の結婚相手がさぞ苦労するだろうにぃ」

「フン、芯のない男には興味ありませんから……てか、マジで“ちゃん”はめてもらっていいですか? 気が狂います……」

「そうだねぇ……もう今は、宇都木だもんねぇ」


 低身長の秀が歌鋭子の隣にたどり着くと、凹凸激しい二人は揃ってソフトボール場を見渡した。土の香りや風の味覚、整備の音や陽射しの触感も覚えながら、五感を働かせて溶け込む。


「……そういえば、月島つきしま叶恵かなえは大丈夫でしたか?」

「うん。さっき如月きさらぎ先生から連絡があって、どうやら軽い打撲で済んだみたいだよぉ。骨にも異常は無いそうだ」


 試合中に打球が利き手に直撃した月島つきしま叶恵かなえは、担任の如月きさらぎ彩音あやねも同乗して移動し、現在診察を済ませたところである。不幸中の幸いにも軽傷と診断されたらしく、今後の部活動に悪影響も及ばないそうだ。


『一時はどうなるかと心配したが……良かった』


 去年から一目置いていた熱血少女の安否が確認でき、歌鋭子はホッと胸を撫で下ろす。相手側の問題ではあるが、叶恵を一人の選手として気に掛けていたために。


「やっぱり君は、叶恵ちゃんがお気に入りのようだねぇ。プロソフトボーラーになりたい、か……以前の君と今の彼女は、とても似ている気がするもんねぇ」

「お気に入りなんていませんよ。ソフトボールを愛する全ての選手が、ワタシにとっては大切な存在ですから」

「フフフ。それを、お気に入りって言うんだよ」


 漸くグランド整備が終了した一方で、二人の会話は依然として弾んでいた。誰にも語られていない、もう一つの物語を振り返りながら。


「篠原柚月、中島咲、舞園梓。そして、清水夏蓮か……フフ」

「ん? うちの孫娘が、どうかしたかい?」

「い~や。雰囲気が全然似てないなぁ~と思いまして」


 選手が消え去ったグランドから視線を逸らし、今度は一塁側ベンチに焦点を当てた。仕事を終えた後の娯楽的空気が漂いつつある中、歌鋭子は自身が名指しした四人の素顔を見つめる。心の奥底でとある人物と比較しながら、淡い思い出とあわせてめぐる。



『あの三人が、柑奈かんな先輩と愉快里ゆかり先輩に瑞季みずき先輩の娘なのは、まぁ納得できる。だが清水夏蓮あの子が、まさか春薫はるか先輩の娘だとは……フフ、似てるのは目元だけだなぁ』



 かつて共に、栄光の輝きに繋がるみちを歩んだ、歌鋭子にとっては大きな先輩の名だ。ほど年齢が変わらない上下関係で、大人になった現在でもまれに連絡し合う仲である。


『ったく。四人揃ってすぐ結婚しやがって……ホント、けしからん先輩たちだ』


 独身目線では軽い嫉妬しっと心も生じてしまうが、笑いで誤魔化せる程度の呆気あっけだった。四人の声を聞けばいつも押され、背中を見れば毎度導かれたという数多の記憶らが先に現れ、とうとく密かにまたたく。



『そんな四人の娘が、笹浦二高にはいるの、か……』



 いつしか二人の会話は一端停止し、両者隣合っての沈黙を迎えていた。目の前に拡がる光景に見とれているが故の静寂だが、再び秀が現在の背景を思い出させる。


「確か来年で、筑海での監督業十年目かい?」

「えぇ。ワタシの中では、一つの節目ふしめだと思ってます」

「早いもんだねぇ~時の流れというのは……君もベテランじゃないかぁ」

「いやいや。この世界は、年月よりも結果が物語ります。もう長く、インターハイにも出られてませんし……」


 自身の指導力に溜め息を漏らすと、自陣の三塁側筑海ベンチに目をる。各自荷物や要具をまとめている姿が見受けられる一方で、あわただしさも否めない。しかし、保健体育教諭として赴任ふにんし受け持った部を、歌鋭子は微笑ましく見つめていた。今この瞬間を励む彼女たちには決して聞こえないように、バックネット裏でそっと囁く。



「今年か来年には、筑海のたちを連れていってあげたいですね」



「そうかい……敵対関係かもしれないが、応援してるよぉ。“初心忘るルべからず”……ソフトボールを楽しむことを、君自身も決して忘れないようにねぇ」

「忘れませんよ。どっかの恐ろしい監督さんからの御言葉なんですから」


 過去と未来の板挟みで語り合う二人の空間には、いよいよ別れの時が迫る。筑海ソフト部員たちがマイクロバスへ荷物運びを始めた頃、歌鋭子も最後の挨拶を告げようと、秀に向き合い一礼する。



「こちらこそ、今日は素敵な機会を設けていただき、ありがとうございました。是非また、よろしくお願い致します」

「フフフ。ホントに、大人になったものだねぇ~……」



 胸を張った気をつけの姿勢に戻ると、再び秀の穏やかな瞳が窺えた。今から約二十五年もの前、あれほど恐怖したはずの元監督とは思えない笑顔に対し、たくましく育てあげられた自信の笑みで返す。



「――指導者としても、ガンバってねぇ。笹浦スターガールズ第二代キャプテン、宇都木歌鋭子ちゃん」


「――まぁ初代の名は、言うまでもないですかねぇ? 清水しみず春薫はるか先輩のお父さんこと、清水秀監督さん?」



 師弟の弾んだ会話は笑んだ疑問で終了し、一塁ベンチへ戻り帰る秀の後ろ姿を、歌鋭子は一人見送った。当時の面影が薄れているよう感じてならないが、敬意は今もなお胸に残ったままである。無意識にもう一度御辞儀してから立ち去り、遅れて三塁ベンチへ振り返る。


『……フフ。しかし、困ったなぁお前ら』


 荷物運び中の部員たちを視界に取り入れ、不適な笑みを浮かべながら歩んでいた。



『来年……下手すれば今年から、インターハイへの道が更に険しくなるぞ~……』



 辿り着いた歌鋭子は背後を決して振り向かなかったが、つい一塁ベンチの絵図ばかり考えてしまう。まだまだ発展途上だが、個々で輝ける将来を感じる選手ら、また強く明るく勇ましかった先輩方の健気な娘たち、そして元監督を学校長とした笹二ソフト部には、どうも苦笑いを隠すことしかできなかったのだ。

 最高の絆で結ばれた仲間たちに潜む、とんでもない確信を認知してしまったが故に。



「――百パ~強くなるあんなチームと、これから戦わなくちゃいけないんだからな……」


 誰もが目指す目標。

 誰もが秘める可能性。

 誰もができる努力。

 そして、誰もが明るみ触れ合う一体感。

 常勝チームには欠かせない四拍子が、笹浦二高女子ソフトボール部には揃っていると感じてならなかった。二年生が最高学年の新設部とはいえ、既に試合を繰り広げられる力さえ余している。今回は勝利できたが、その逆は時間の問題かもしれない。


『だが、追い越される予定プロットはない。誰も辿り着けないぐらいに、進んでいくつもりだからな……』


 歌鋭子も自身の荷物をまとめ終わり、部員たちと共にベンチ前で整列する。本日ココで試合ができたことへの感謝と、今日をかてに未来に羽ばたく誓いを示すべく、オレンジユニフォーム軍のグランド挨拶が轟く。



『――筑海ソフト部も、今まで以上にガンバらなきゃな。ワタシも含め、みんなで物語をつくり上げるために』



 そして最後に、今回の対戦者へ多大なる御礼を申し上げる。今日という日を忘れない約束と、またいつか戦おうと思う期待を胸に、笹二ソフト部への最終挨拶で幕を下ろす。次期主将の花咲穂乃を筆頭とし、呉沼葦枝や錦戸嶺里に梟崎雪菜たちも合わせて。



「笹浦二高さんに脱帽!! ありがとうございましたッ!!」


――「「「「ありがとうございましたッ!!!!」」」」――



 一人一人に個性があるように、一チーム一チームにも物語が存在する。それは無論、筑海高校女子ソフトボール部も同様である。

―――――――――――――――――――

梓「ラストのエピローグは、

  明日ウチが仕上げます🍀

  良かったら、よろしく✏😌」

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