④呉沼葦枝パート「嶺里、雪菜……うんっ! ありがと」

◇キャスト◆


呉沼くれぬま葦枝よしえ

錦戸にしきど嶺里みのり

梟崎ふくろうざき雪菜せつな

花咲はなさき穂乃ほの

宇都木うつぎ歌鋭子かえこ

筑海高校女子ソフトボール部のみなさん

中島なかじまえみ

Mayメイ・C・Alphardアルファード

牛島うしじまゆい

―――――――――――――――――――

 放課後の筑海高校グランド。

 五月の日照時間は長く、午後四時を過ぎた現在でも青空が拡がっている。そんな快晴を続けるふもとでは、二人の少女らが女子ソフトボール部に囲まれていた。まだユニフォームが無いため校内指定ジャージ姿だが、眼鏡をかけた一人は強気の眼差しで向き合い、もう一人の三つ編み女子は緊張の顔立ちで立ち竦み、それぞれの声が放たれる。



「今日から入部します! 一年、梟崎ふくろうざき雪菜せつなです! チームの力になれるようガンバりますので、よろしくお願いしますッ!!」

「い、一年の呉沼くれぬま葦枝よしえです! ……よ、よろしくお願いしますッ!!」



 ハキハキとオドオドが交差した自己紹介が無事に終わり、呉沼くれぬま葦枝よしえ梟崎ふくろうざき雪菜せつなと本日付で、筑海高校女子ソフトボール部に加入した。女性顧問監督――宇都木うつぎ歌鋭子かえこの鋭い視線も気になるが、周囲の上級生が歓迎の拍手を起こし、荒ぶりそうだった恐怖心が落ち着く。


――「雪菜~!! それに葦枝もッ!!」


 すると部員たちの奥から、一人の選手が無理強いにも葦枝たちのもとに近づいている。聞き覚えのある声主の名前を呼ぼうとしたが、気づいたときには二人まとめて抱き付かれていた。


「もぉ~! みんなの前で恥ずかしいでしょうよ~?」

「よ、よろしくね、嶺里みのり!」

「二人とも待ってたよ~!!」


 先に入部していた同級生、且つ親友の錦戸にしきど嶺里みのりだ。筋肉質の太い腕による抱き締めは極めて強かったが、葦枝にとっては、緊張を静めてくれる心地好い抱擁ほうようだった。



『今日から、嶺里と雪菜といっしょに、ソフト部の一員……。勇気を持って、弱い自分とサヨナラしなきゃ……』



 初日早々から、厳しい練習を味わった。まずは、基礎となる足腰の筋力を上げるための長距離ランニング。次は柔軟体操を挟んでのキャッチボールだったが、後逸のせいで駆けっぱなし。この時点で、既に全身が疲弊しきっていた。


「ふぅ~……脚が落ちちゃうよ……」

「変なこと言ってないの葦枝。ほら、次の練習始まるわよ?」

「雪菜は平気なんだね、スゴ~い……」


 やがてフィールディングとバッティング練習に移行すると、葦枝たち一年生のほとんどはボール拾い係を任される。しかし、選出された経験者二人だけは、上級生と混じって整列していた。内一人は言うまでもなく嶺里だが、もう一方のサイドポニーテールな少女は。



「――はじめまして。花咲はなさき穂乃ほのです! 同学年同士、よろしくね!」 



 オレンジ色のリボンを結び、穏和な笑顔を放った同学年――花咲はなさき穂乃ほのだ。こうして面と向かった会話は初めてで、葦枝は改めて彼女の存在を知る。


「花咲、穂乃さん……嶺里と同じ、経験者なんだ……」

「うん。笹浦六中でやってたの」

「えっ! 笹浦六中ってことは、いつも笹浦市から通ってるの?」

「そ、そうだよ。けど、自宅からでもバスで一時間掛からないから、大したことないよ」

「バス乗れるんだ……スゴい」

「へ、そこ……?」


 あくまで真剣に受け答えしたが、穂乃の目を点に変えていた。


「……そう言えば呉沼さんは、錦戸さんとお友だちなんだってね」

「うん。雪菜もそうで、中学からの親友なの」

「そうなんだ! うらやましいなぁ~……」

「……?」


 ふと空を見上げた穂乃は、不思議にも言葉を止めてしまう。何か淡い思い出を回想しているかのように、儚げに微笑みながら。


「親友といっしょ、か……」

「は、花咲さん? どうかした、の?」


 妙な間を効かされたが。


「……ううん、何でもない。これからはよろしくね、呉沼さん。御互い、ガンバろうね!」

「……うん!」


 結局何を考えていたのか理解できなかったが、葦枝は穂乃へ頷き返し、再び始まる厳しき練習に臨むことにした。

 グランドに一歩踏み出し、鮮明な足跡を着けて。



『話せた……嶺里と雪菜以外の人と……二人きりで』



 ぎこちなさが残る話し方だろうが、確かな会話として成立していたと思える。筑波高校女子ソフトボール部に入り、葦枝は初めて勇気を表に出せたのだ。まだまだ微々たる粒子だが、存在を示す光を放つ。


『少しずつ……ちょっとずつ、前に進んでいこうっ!』


 六月に入ると、チームの練習熱が更に上がっていく。三年生の引退が掛かったインターハイ予選が始まるからだ。控え組の葦枝と雪菜は、言うまでもなく練習補助係。一方で、経験者の嶺里と穂乃は早速レギュラー争いに加わり、二人の勇姿を常に焼き付けられた。

 上級生で既にバッテリー組が揃っていたが、歌鋭子監督に抜粋され定着する、打撃専門選手――“DP”の嶺里。

 空いた内野ポジションの穴を埋めることで躍動し、判断や指示をも送って輪を整える、セカンドの穂乃。


『嶺里と花咲さん……カッコいいなぁ!』


 六月中頃に始まるインターハイ予選大会では、二人の活躍が顕在だった。

 シード権を得ての二回戦では、嶺里がフェンスを悠々と越してみせた、特大のホームラン。

 準決勝でもある三回戦では、穂乃がピンチの最中さなかにヒット性の打球にくらい付く、ダイビングファインプレー。


 正に憧れの存在――煌めかしいヒーローだった。


 しかし決勝戦の相手は、ここ数年連続でインターハイ出場を果たす高校――繕総ぜんそう学院高等学校。レベルの高さは無論全国域で、県内最も大きな壁が立ち塞がる。


『そんな……あと一つだったのに……』


 最終回まで訪れた、ツーアウト一塁の場面。一点差で優勢の筑海ソフト部だったが、最後の最後で逆転本塁打をくらい、惜しくもやぶれてしまったのだ。

 これで、筑海ソフト部三年生は脱退。

 誰もが、涙無しではやり過ごせなかった。勝てなかった悔しさもあるが、“もう部員たちと共には、グランドに立てない”という寂しさこそ強い。皮肉にも、劇的幕切れを迎えたのだ。


 代替わりを経た夏場。徐々に新体制を整える、筑海高校女子ソフトボール部。主役たる二年生が残る中、元々レギュラーを争っていた嶺里と穂乃はそれぞれ、正規ポジションの捕手とショートに定着。一方の雪菜も左投げ左打ちが歌鋭子に評価され、フィールディングではファーストで練習に混じる。

 そして、葦枝も。


「へ……今日から、ブルペン……ですか?」


 他県との交流試合が経過し新人戦が近づく、二学期始まりの九月。葦枝は歌鋭子からの指示に瞬きを繰り返す。そもそも、ブルペンという意味から理解できなかったが。


「ブルペン練習……つまりピッチング練習だ。ワタシはお前を、“一年生での投手”として抜粋する」

「ピッチング練習です、か……って、エエエェェェェエ゛!!」


 主演を任されたような台詞には、細身から伸びた狭い喉が高鳴ってしまう。しかし、歌鋭子の瞳も更に鋭利が増し、恐縮を煽る睨みを真に受ける。


「そんな返事、誰が教えた? 少なくともワタシは、“はい”と教えたはずだが?」

「――ッ!! は、はいッ!!」

「じゃなくて……?」

「はいッ!! 失礼しました監督さん!!」


 目に見えるほどの威厳オーラには、いつも全身がきしむばかりだ。表情さえ強張りを見せ、底知れぬ緊張に襲われる葦枝だが、どうも不思議でならない点が生まれたことも否めない。



『どうしてぅちが、ピッチャーに選ばれたんだろ……?』



 自ら打診した覚えはない。ピッチングの基本的投法は雪菜から教わり、幾分か自主練習で経験はあるも、全体練習中では見せたこともなかった。時点ではストライクどころか、投球距離の“13.11M“も届かない能力だというのに。

 しかし至った経緯には、確固たる根拠が存在していたのだ。



「――錦戸からの推薦があったからだ。梟崎もいっしょに来て、ワタシの前で頭を下げたんだぞ?」



「――っ! 嶺里と、雪菜が……ぅちなんかのために……」

「あぁ。だからな、呉沼。ワタシも期待して、お前を選ぶことにした。もちろん選ばれたお前は、期待に応えられる努力をしろ。ワタシの期待を、裏切らないように……いいな?」

「はいッ!!」

 歌鋭子が放った最後の問い掛けには、穏和な音色を聞き取れた。ほんの少しだけ上がった頬も捉えることができると、葦枝の瞳が覚悟の尖りを現す。



『――嶺里と雪菜が、ぅちのために作ってくれたチャンス……ガンバらなきゃ! 応えなきゃッ!!』



 その日から、投手に向けての本格的な練習が始まった。基本動作のブラッシングは毎日百回以上行い、慣性の法則でボールを放す感覚を刷り込ませる。回転させた右腕を接触させる右腰が日に日に赤まるも、努力の汗が誤魔化してくれた。


『みんなだって、ガンバってるんだ……ぅちだって、続かなきゃ!』


 十月の新人戦出場機会は無かったが、応援席組の葦枝は多くの相手投手を観察した。投球前の息遣いやプレートの足場、ボールを投じた後の姿等、参考になりそうな材料を目からかき集める。寄せられた期待に、ひたすらに応えるべく。



「――っ! ストライク……入った……入ったよ~!!」



 日の入りが早い師走しわすの、夕闇が映える空の下。

 練習後のブルペンで、葦枝は初めてストライクをほおり込んだ。まだ変化球は投じられないが、磨いてきたストレートが思い通りのみちを走り、嶺里が構えたミットを叫ばせたのだ。


「やったよ雪菜~!!」

「うん。無駄な動きもなくて、問題なしね」

 思わず歓喜した葦枝に、そばで眺めていた雪菜もオッケーサインを示すと。


「よっしえ~!! ナイスボール~!!」

「み、嶺里……ありがと、ただ、苦しっ……」

 捕手席から駆け寄ってきた嶺里からは、力強い抱き締めを受けてしまった。


 たった一球のストライクが、心の底から嬉しかった。雪菜と嶺里が合わせて喜んでくれたこともあり、おかげで気持ちはより高鳴る。


 同時に、“たのしさ”も初めて味わいながら。



『よかった! ぅちでもできるんだ、ソフトボールッ!!』



 思い返せば、運動皆無なインドア生活を織り成し、元不登校でもあった葦枝。グランドの世界とは距離を置いた人生を歩んできたはずが、今では大きな喜びすら噛み締めている。一人ではなく、親友と共に。



『変われてる……ちょっとずつ、確かに』



 指先がかじかむも更なる高みを目指し、投球練習を日々重ねた一月。

 ストレートのみならず、落ちるドロップと曲がるスライダーも覚えた二月。

 春の大会では上級生が先発投手を任されたが、また新たに緩急を強めるチェンジアップを習得した三月。

 そして、二年生に上がると……。



「当日のバッテリーは、捕手が錦戸にしきど、投手が呉沼くれぬまで挑もうと思う。経験者の錦戸がリードし、呉沼も準備をおこたらないようにな」

「「はいッ!!」」



 初の先発投手を任された四月。

 緊張度合いは、一年前の入部時のようにはなはだしい。自然と窒息してしまうほど、呼吸がまともにできないほどとどこおっていた。また相手の笹浦二高とは、去年にも対戦経験があるらしく、遅れて入部した葦枝にとっては未知数の集団だ。度重なる不安で余計プレッシャーが増し、無意識に肩が狭まっていくが。


「大丈夫だよ、葦枝……」

「嶺里……」


 制服に着替えた帰り際、怯えた右肩上には熱き右てのひらが添えられ、嶺里に温かく包まれた。


「あたしらが付いてるから。ねぇ雪菜!」

「えぇ。うちはベンチからだけど、ずっと応援してるから」

「嶺里、雪菜……うんっ! ありがと」


 雪菜も続き、葦枝は満面の笑顔を見せて帰宅した。


 二人がいたから、ここまで来れた。

 一人では決して成し得なかったであろう、現在という地点まで。



“「そうだね! ハンブンコならぬ、サンブンコしていこうよ!」”

 中学二年生時に嶺里から贈られた、絆を表す合言葉あいことば


“「きっと嶺里も、同じ意見よ。だからさ、外に行こうよ? まずは三人で、いっしょにさ」”

 高校一年生時には雪菜から授けられた、勇気を促す懸詞かけことば



 宝石の如く煌めく絆と勇気があったからこそ、伊勢の浜荻はまおぎは投手にまで成長できたのだ。弱気な一面が残る不完全態と言えども、感謝の念はうに計り知れない。



『二人のおかげ……ううん、二人だけじゃない……花咲さんに監督さん、それにチームのみんなだって……』



 嶺里と雪菜に対しては言うまでもないが、穂乃や歌鋭子、そして周りの部員たちにも、敬意で頭が上がらない。途中入部者の自分をこころよく迎い入れ、練習中はよく背中から声で後押しされた。時には、昼休憩のご飯もいっしょに済ます機会もいただき、孤独が窺えない一員の化した。



『――だから、負けたくない! 嶺里と雪菜、花咲さんに監督さん、そしてチームのみんなのためにも!』



 いつしか覚えた、“誰かのために”を念頭に、葦枝は練習試合当日に魂を注いだ。初登板で表情が強張り、被打ひだ失点しってんで熱い気持ちが何度も鎮火ちんかしかけてしまうが、見えない宝石をもらったことで生じた“負けたくない訳”が顕在だった。胸の奥底に宿し、習ったウィンドミル投法で繰り返しとうじ、青春の陽を浴びながら幾度も立ち向かう。



 ところが……。



――カキィィンッ!!



「――ッ!! セカンドッ!!」

 現在五回表――筑海高校守備の場面。

 相手の四番打者――中島なかじまえみの快音から飛び出した打球は一二塁間を激襲。しかし、セカンド選手がかろうじてグローブに収め、一塁送球でアウトカウントが増える。


『良かった……けど……』


 三対一の現況、ワンアウト二塁。二点を追う筑海高校側からしてみれば、得点圏にフォアボールランナー――Mayメイ・C・Alphardアルファードを置かれた、一打帰塁が有り得るピンチ。主砲たる四番を打ち取れたことは不幸中の幸いで、安堵も束の間だった。


「……」

「ナイスピーだよ、呉沼さん」

「花咲さん……」


 返球してピッチャーズサークルに戻ると、ショートの穂乃が立ち寄る。


「あとアウト二つ。次の回に繋がるように、みんなで抑えよ!」

「う、うん。わかった! ……」


 焦燥が返事をも襲う中、穂乃がポジションに戻ると、葦枝は一度深呼吸してから、改めて相手打者を視界に入れる。


『次は、五番……まだヒットは打たれてないけど、力があるバッター……』


「しゃーす……」

 ワンアウトランナー二塁。ここでバッターは、牛島うしじまゆい。二塁走者のメイからは、

「唯ちゃんセンパイ!! 三度目の正直デスヨ~!!」

 と叫ばれ、一塁側笹二ベンチからも多くの声援を集めていた。しかし、一切リアクションを取らない落ち着いた様子を続け、鋭い眼光を飛ばしながら堂々と構える。


『お、抑えなきゃ……』


 もうこれ以上の追加点は、許されない。四回裏の嶺里がもたらした、流れを変えるような初得点が無駄になってしまう。



『こ、応えなきゃ……』



 嶺里のサインに頷きセットに入ったことで、冷静な打者と緊迫した投手の一戦が始まった。まずは指示通り、ストレートの握りをグローブ中で確認し、ミットが待つインコースへ投げ抜く。


――「ファール!!」


 凄まじいスイングを返されたが、打球はバックネット真後まうしろに弾かれる。


「ナイスボールだよ葦枝!」

「嶺里……うん」


 捕手からボールと声援を受け取り、ワンストライクを稼いでからの二球目。次はバットの芯を外すべく、曲がるスライダーを試みるが。


「――っ! ゴメンッ!!」

「平気平気! 低くいこう!」


 縫い目に当てた指先がすべってしまい、ゾーン高めに大きく外れたボール球。仮にもう少し浮いていたならば、嶺里でも捕れないすっぽ抜け――ワイルドピッチに至ったことだろう。


『どう、しよ……』


 カウント――ワンボールワンストライク。心臓の鼓動がやたらと音を経てる状況下、葦枝は第三球目――再びストレートを投じると。


「――ッ!! ……」


 今度は低すぎるワンバウンドで、嶺里の身体を鳴かせてしまう。


「ご、ゴメン……」

「大丈夫大丈夫! 修正できてるよ! 次こそ入るから!!」

「葦枝~!! 落ち着いて~!!」


 嶺里の折れないエールに並び、ベンチからは雪菜の応援も浴びることができた。背後からは穂乃の声も背中を叩いてくれていたが。



『どうしよ……』



 頷く仕草まで、消えてしまっていた。疲弊している訳ではないのだが、葦枝の表情に余裕が浮かばない。音は聞こえるものの、声の意味が理解できなかったのだ。指先の震えが止まらず、両脚も張ってしまい、焦りと恐れがいよいよ乱心させる。



『――打たれたら、どうしよ……』



 正比例だったはずの気持ちはいつしか、負の傾きに変化していた。投球数という横軸が進むに連れて、底知れぬマイナスの領域に埋もれていたのだ。


『いやだ……ぅちのせいで、みんなが負けちゃうのはっ……』


 ツーボールワンストライクからの四球目。嶺里から指示された球種はストレート。今度は外角にミットが開かれる。


『いやだ……絶対に嫌だッ!!』


 気持ちが整わぬまま始めてしまった、ウィンドミル動作。ボールを放す前から右腕の血管が浮き立ち、強い握力のまま投じる。



『――っ!』



 刹那せつな、葦枝の瞳が見開き、呼吸がピタリと停止した。妙に遅く見えるストレートの軌道が、嶺里が待つアウトコースに進んでいなかったからだ。大きくは外れないストライクゾーン内だが、向かった先はやや高めの真ん中コース。



――“打ってください”と言わんばかりの、棒球ぼうだまに他ならなかった。



――カキイイィィィィィィンッ!!



『……』

 耳内にしばらく残りそうな壮快そうかい音が、唯のフルスイングより放たれた。茫然自失気味な打者と捕手、そして主審を残し、白球だけが瞬時に視界から消え失せる。


『……』


 葦枝は無意識に、嶺里が向けた視線を追ってみると、レフト上空で高々と舞い、大きな弧を描く打球を確認した。青空を伝って距離が勢いのまま延びると共に、レフト選手の後ろ姿も遠退いていく。


 ――ポトン……。


 駆けていたレフトが停止する頃、ボールと芝の接触音が確かに聴こえた。かすかな音量のはずが、何度も波打つように繰り返し鳴った気がする。

 静けさで包まれた、笹浦総合公園ソフトボール場。すると学生審判たちが右手で挙げ、それぞれの頭上で円を描きながら沈黙を破る。

 投手の葦枝自身、一番聞きたくなかった言葉で。



――「ホームランで~すッ!!」



『そん、な……』

 グランド内で起こった驚愕と歓声に紛れながら、茫然と立ち竦む葦枝はようやく脱力し、全身の緊張が解かれていた。

―――――――――――――――――――

   一 二 三 四 五 六 七 計

笹二|1|0|2|0|2| | |5|

筑海|0|0|0|1| | | |1|


ランナー無し

 B○○○

 S○○

 O●○

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