十三球目◆負けたくない訳―invisible jewels◇
①月島叶恵→呉沼葦枝パート「が、ガンバってね嶺里……」
◇キャスト◆
―――――――――――――――――――
――「セーフ!! セーフ!!」
四回表ツーアウト。笹浦二高の攻撃が継続を示すコールが鳴らされた。三度目の打席を迎えた一番打者――
『負けられないのよ……この試合は』
打席が最も回ってくる打順。加えて、先発投手も任されている副主将。投打それぞれの重責を、狭い背に負いながら一塁上に乗るが、全ては自分自身が望んだ結果である。たった一つの希望を、胸に刻み。
『勝たなきゃいけないのよ……この試合は、絶対に!』
筑海高校とは去年も一戦を交えた相手で、一方的な敗北をくらってしまったから。二度目の戦いとなる今回こそ、勝利を収めたい。
確かに、その理由も一理ある。復讐とは訳が異なるが、何度も負けることは、夢見る勝負師としてあるまじき行いだと捉えている。
しかし、叶恵が最も懸念していることは、敗北そのものではなかった。もう少し先に訪れてしまう、去年も味わった悲劇ばかりを考えていたのだ。
『――もう嫌なのよ……あんな思いするのは……』
――「ストライク!! バッターアウトッ!!」
すると主審の三振コールが叫ばれ、スリーアウトのチェンジ場面を迎えてしまう――二番打者の
『チッ……何やってんのよ……。それでもキャプテンか……』
結果的にこの回は無得点に終わり、両チームの攻守交代が始まる。叶恵も一塁から去り、ヘルメットと打撃用手袋を外す。それぞれ所定の位置へ置き、次なる守備に使用するグローブとサンバイザーを手にしようとするが。
『あれ? ……ない』
無言で
『いや、そんな訳ないわ……。今までそんなの、したことないのに……』
グローブをバッグの隣に置いたことは、確かに覚えている。サンバイザーもセットで準備したことも。
他の部員たちがそれぞれのポジションに向かう中、叶恵は孤独にも辺りを見渡し捜索する。ベンチ上にも無ければ、下に落ちている訳でもない。一体どこにいってしまったのだろうと、つい腕組みでため息を溢した、そのときだった。
「叶恵ちゃん! はいこれっ!」
背後から呼ばれ振り向くと、すぐ前には夏蓮が訪れていた。丸い笑顔と共に
「――っ! グローブとサンバイザー、それに水筒……アンタが持ってたの?」
夏蓮の両手には間違いなく、叶恵の黒いグローブとサンバイザー、そして持参した水筒が握られていた。頼んでもいないのに、わざわざ届けてくれたらしい。
「うん。叶恵ちゃんランナーだったからさ。でも、
「……」
無事に手にした叶恵は、夏蓮の小さな振る舞いを真に受けた。ランナーを終えた直後にグローブたちを渡されれば、ベンチに戻る動作が
「……」
ひたすらに自身のグローブとサンバイザー、最後に水筒たちへ目を落とす叶恵。
「ガンバってね! 叶恵ちゃん!」
そして、目の前から包むような優しさで音を鳴らした、明るき夏蓮。
「
「ダメよ……」
「はい?」
ふと胸中の想いが小声として漏れてしまい、去り際の夏蓮に首を傾げられた。
「か、叶恵ちゃん? どうかしたの……?」
「……うっさいわねぇ」
「へ……?」
その瞬間、叶恵は
「な~にが“ガンバるからね!”よ!? 送りバント失敗に、三振二回って、ヤル気あんのかァ!!」
「も、もちろんですッ!! ただ、そのですね……」
叶恵の罵声が、夏蓮の背筋を直伸させる。
「言い訳考える前に改善しなさいよッ!! それでもキャプテンかッ!!」
「ご、ゴメンなさい~……」
「さっさとライトに行きなさいッ!! 守備でエラーなんかしたら、練習でボロボロにするから覚えておきなさいよッ!!」
「か、かしこまりましたッ!!」
すると夏蓮は駆け出し、自身のポジション――ライトに向かった。一方の叶恵も水筒に一口着け、グローブとサンバイザーを身に付け始める。多少晴れない気持ちまで、身体の奥底に秘めながら。
『ダメよ……気を緩ませては……』
夏蓮にぶつけた台詞は、本心とは真逆だった。本来なら、感謝を告げるべき場面だったはずだ。わざわざ気を遣って、道具を運んできてくれたのだから。彼女が優しさが垣間見えたというのに。
しかし、油断に繋がることを恐れ、感謝どころか怒鳴ってしまったのだ。一瞬の気の緩みが試合結果を左右するものだと、叶恵の記憶に刻まれているために。
『許してね、夏蓮……これも全ては、
投球への準備を整え、一度筑海ベンチを睨んでから、舞台となるピッチャーズサークルへ視線を飛ばす。春の陽に照らされる投手板を踏む前から、闘志の炎は既に燃え盛っていた。
『――
揺るがぬ強気の面構えを全面に放ちながら、ついに四回裏のピッチャーズサークルへ駆け出した。“勝たなきゃいけない理由”を、小さな胸に宿して。
◆負けたくない訳―invisible jewels◇
『ふぅ~……良かった……』
スリーアウトチェンジ場面の最中、筑海高校先発投手――
「呉沼さん、ナイスピッチ!」
「
ピッチャーズサークルからベンチへ向かう途中では、ショート且つ主将の
『花咲さんのおかげもあるから、今ぅちはここにいられる……。ホントに、ありがと』
穂乃の後ろ姿を追うように、やがて葦枝もベンチにたどり着く。未だに慣れず
「いい粘りのピッチングだったぞ、呉沼。次の回も続けていけ」
「は、はい! ありがとうございます!」
緊張で声は震えがちだったが、葦枝の頬が更に赤く染まっていた。単純かもしれぬが、褒められたことが嬉しかったのだ。特に、普段は叱る相手から告げられると、比例して解放感に浸ることができる。
「……さぁ。四回裏、試合は折り返し地点。もうそろそろ、点がほしいところだ。ギリギリまでボールを引き付け、一気に振り抜きインパクト。練習でやってきたことを、しっかりやるように……いいな?」
「はいッ!!」
「はいッ!!」
「はいッ!!」
「はいッ!!」
各々の気合いが
一方の葦枝は、投球後の水分補給を済ませ終えたところだ。一先ず抑えられたことに胸を撫で下ろし、味方の反撃に切り替えようとすると、ふと近づいてきた二人の足音に振り向く。
「
キャッチャーレガースを外したバッテリー仲間――
「ニヒヒ~! さすが葦枝!! あたしと同じ、やればできる
まずは、お転婆な嶺里が親指を立てて、
「“あたしと同じ”は余計でしょ? 二次関数、うちがいくら教えてもできないんだから~」
隣でため息を溢した雪菜が、呆れた顔で横目を飛ばしていた。
「なんだよ~! あたしが数学できないのは、雪菜だって小さい頃から知ってるでしょ~?」
「んなこと言ったって、嶺里は国語も社会もできないじゃないの! 小さい頃から、ず~っと」
「あ……っ! へへ~んだ! だってあたしは、褒めて伸びる
「……略すなら、“HNK”でしょ……。英語もローマ字もできなかったっけね……」
「た、体育はできるもん!」
「保体じゃなくて、ね」
「な、なにを~!」
「なによ~?」
目の前で二人の言い合いが始まってしまったが、決して仲が悪いからではない。むしろ強い絆で結ばれているからこそ、嶺里と雪菜は互いの本音を投げているのだ。
それを知る葦枝も、
『この二人が、そばにいてくれるから、ぅちは……』
「さてと! んじゃ、あたしネクストだから、行ってくるね!」
すると嶺里は急遽話題を変え、葦枝と雪菜に背番号“2”の文字を見せつける。二番打者がヒットで出塁し、四番打者としてネクストバッターズサークルに向かうようだ。
「期待してるわよ、チームの主砲」
「が、ガンバってね嶺里……」
雪菜に次いで葦枝も声を灯し、嶺里の出向を見送った。返答はされなかったものの、彼女がいかに集中力を高めているかがわかる。勉学中には全く見せない、研ぎ澄ました沈黙が。
葦枝が着席することも忘れながら、展開がワンアウト二塁へと切り替わる。三番打者の結果はゴロアウトだったが、その間にランナーが進み、最低限の進塁打を放つことができた。
得点圏に走者を置いたところで、いよいよ筑海の主砲が左打席に臨む。
「お願いしま~す! ……イクゾォォッ!!」
相手の笹浦二高投手の叶恵を
『嶺里、打って! ……』
筑海ベンチからの声援に紛れ、葦枝は両手を握り合わせていた。先ほどは三振を
両陣の応援が
その、初球だった。
――カキィィィィン!!
主砲の一振りが、ソフトボール場全域に快音を響かせた。葦枝を始め筑海ベンチ、一方の笹二選手らも驚かせた嶺里の打球は、凄まじいスピードで直線的に進む。まずはショート――
「ヨッシャー!! イッテ~ンッ!!」
二塁ベース上で高々と右拳を突き上げた嶺里。結果は外野フェンスラインを超えた、エンタイトルツーベース。この試合、筑海高校にとっては初の得点がスコアボードに記された。
これで、三対一。
反撃の
「嶺里~!! ナイスバッティ~ンッ!!」
久方ぶりに鳴らした大声には、嶺里も笑顔で振り向いてくれた。彼女らしい親指のガッツポーズが返され、葦枝にも満面の笑みが浮き立つ。
「良かったわね、葦枝」
「うん、雪菜! 雪菜も、ありがと」
「……フフ。うちは、何もしてないわよ」
隣に寄り添っていた雪菜が笑みを溢すと、ゆっくりと監督隣席へ戻っていった。キラキラと煌めきを放つ、葦枝の瞳に映り込みながら。
『ぅちは、幸せ者なんだ……』
余韻浸る間も与えられず、試合は再びワンアウト二塁から再開する。五番打者が打席に入り、ベンチからは追加点の期待を
『筑海ソフト部には、花咲さんみたいな優しい人が、ぅちの存在を認めてくれる……』
次期主将適任者たる彼女には、今日までに何度も助けられている身だ。尊敬の的ととまで言える存在だ。
『ちょっと怖いけど、宇都木監督だってそう……。こんなぅちにも、熱意を持って指導してくれる……』
葦枝は次に、監督席で腕組みのまま観察する宇都木歌鋭子を覗き見る。穂乃のような優しさとは掛け離れているかもしれないが、思い遣りをたくさん受けてきたことは理解している。自分自分が弱気だとわかっていながら、苦い過去を背負っていると認知しながら、周囲の部員と同じように見てくれているのだ。
ソフトボール部に入ったことがきっかけで、尊敬できる彼女たちと出会うことができた。そんな今が、
『そんなきっかけを与えてくれたのが、嶺里と雪菜なんだ……』
五番打者がセンターフライでアウトに至り、ツーアウト二塁を迎えた頃。葦枝は次に、ベンチ端でスコアを記す雪菜と、ランナーの嶺里それぞれに
『中学生のときに、引っ越してきたぅち……。そんなぅちの悩む心に、気づいてくれた雪菜と、声をかけてくれた嶺里……』
二人と出会ったのは、今から三年前――中学二年生の春先だった。父親の転勤のため、三重県からこの茨城県つくみ市に、家族揃って引っ越してきたのだ。初めての地にはやはり親しみが持てず、また周囲の目も気になってしまい、常日頃
『――二人がいたから……ううん、二人が今もいてくれるから、ぅちはこうして、晴れた空の下にいられるんだ……。だからこの試合は、負けたくないの』
全ての内容が、輝いているとは言えない。光があるからこそ、余計に闇の部分が際立ってしまうのだから。
ほろ苦き過去が
『合言葉は、“サンブンコ”……だよね』
“負けたくない訳”を秘める伊勢の
―――――――――――――――――――
一 二 三 四 五 六 七 計
笹二|1|0|2|0| | | |3|
筑海|0|0|0|1| | | |1|
ランナー二塁
B○○○
S○○
O●●
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