十一球目◇伝統の一戦、開幕ッ!!◆

①清水夏蓮パート「……っ! 筑海高校」

◇キャスト◆


清水しみず夏蓮かれん

篠原しのはら柚月ゆづき

中島なかじまえみ

星川ほしかわ美鈴みすず

牛島うしじまゆい

植本うえもときらら

月島つきしま叶恵かなえ

田村たむら信次しんじ

Mayメイ・C・Alphardアルファード

東條とうじょうすみれ

菱川ひしかわりん

花咲はなさき穂乃ほの

筑海高校女子ソフトボール部のみなさん

―――――――――――――――――――

 朝の七時を回った、練習試合当日。

 魅惑の桜木も健気な緑に染め替えた、四月下旬の日曜日。普段道路を占領する自動車はごく僅かで、交通量の多い笹浦市には有難ありがたい環境的な休息が流れていた。中にはすでに家族旅行を計画立てた者もいるが、もうじき始まるゴールデンウィークに予定しためか、今週は自宅でとどまる人々が数多あまたである。胸の高鳴りを何とか抑えようと、娯楽番組やゲームで誤魔化しているようだが、屋根の下はいつにも増して騒がしい。


「みんなぁ~! 終わったら教えてね~!」


 そして今、笹浦市の中でも広大にひらけた運動場――笹浦運動公園ソフトボール場では、笹浦第二高等学校のユニフォームを纏った選手にマネージャー、そして顧問が各々分担されていた。設定した六時半現地集合には皆間に合い、現在はラインカーでサード線を引く清水しみず夏蓮かれんを筆頭に、練習試合の準備としてグランド作りに専念している。


『みんな、ちゃんとやれてるかなぁ?』


 レフト線の中島なかじまえみと本塁の篠原しのはら柚月ゆづきで支えられたメジャーを辿りつつ、夏蓮は周囲の様子を心配しうかがった。

 まず進む三塁付近には、牛島うしじまゆい植本うえもときららに星川ほしかわ美鈴みすずら三人が、サード側コーチズボックスを作製していた。夏蓮が引いたファウルラインから“3.66mメートル”離れたファウルゾーンにて、始めに唯が平行に“4.57m”記載し、次に“0.91m”の両端を美鈴が引く。


「……ゆ、唯先輩……今朝は、すみませんでしたっす……」

「気にすんなよ美鈴。集合時間に間に合ったんだから、結果オーライだ」


 ふと聞こえた、ため息混じりの美鈴と苦笑う唯の会話に、夏蓮もおのずと耳を傾けてみた。

 どうやら今朝、美鈴は先輩の唯にモーニングコールを頼まれたらしい。ところが彼女は午前四時の未明に訪れたようで、さすがにインターホンを鳴らす訳にもいかず、陽が射すまで玄関前に待っていたという。


「きららもビックリしたにゃあよ。ミスズン玄関前で寝てるんだもんにゃあ……。真冬じゃなくてホントに良かったにゃあ」

「うぅ……ちょっと目をつむったつもり、だったのに……。不覚っす……」


 その後五時半前に到着したきららに発見され、結局美鈴はモーニングコール担当のはずが、逆に起こされる側になってしまったのだ。


「ホントに、失礼しましたっす……」

「だから気にすんなって。へへ。それに、美鈴の寝顔かわいかったぞ」

「かっ……かわ、いい!? ゆ、ゆゆゆゆ唯先輩が今うちのこと、かわいいって……」

「にゃあ゛ミスズン!! 線が曲がってるにゃあ!!」


『美鈴ちゃん……なんてわかりやすいんだろ……』

 唯の何気ない優しさが心に刺さったのだろう。顔を真っ赤に染めた美鈴は、自身が引いたラインの如く震えていた。もちろん緊張ではなく興奮が原因で、少々にやけた純情乙女の表情が、夏蓮にもよく伝わった。

 波乱の三塁を越え、咲が待つ芝生レフト先端までたどり着く。すると次に夏蓮は、ライト線に続く外野フェンス位置をになった。今回は咲にメジャーと共に先導してもらい、柚月が押さえるホームベースを中心とし、半径“60.96m”の弧をセンターピボット方式を真似て描き進む。


「よしっ! これでセンター通過!! 夏蓮あと半分だよ~!!」

「……え、あ、うん。咲ちゃんも中腰で辛いと思うけど、ガンバってね!」

「へへ~! この咲ちゃんに、おまかせあ~れ!! この体勢はレシーブで慣れてるから、ゼンゼン平気だよ!!」


 少々間を空けて返答したが、元女子バレーボール部の頼もしい背を追いながら、夏蓮は残る右中間うちゅうかんを辿った。気づいたときにはライトに到着し、咲のおかげもあって無事に成し遂げる。


「さすが夏蓮!! あとはライト線だけだね」

「……う、うん。……それにしても~……」

「ん? どうしたの? さっきからボーッとしてない?」


 最後のライトからホームまでのラインを残し、額を拭った夏蓮は停止した。決して疲れた訳ではなく、安息を足したかったからでもない。なぜならフェンスラインを辿っていた際からずっと、ピッチャーズプレートより耳を襲う罵声が終始聞こえていたからだ。


「叶恵ちゃん、たいへんそう……」


 先ほど咲への返事が遅れた理由もあって、夏蓮は投手板へ細目を飛ばした。するとそこでは、月島つきしま叶恵かなえ田村たむら信次しんじの二人が、投手板を中心に半径2.44mのピッチャーズサークルを作製中だ。プレート中心に信次がメジャー本体を押さえ、また線の端を結んだラインカーを叶恵が握っているが。


「アンタ! は長さ間違ってないでしょうね!?」

「もちろんだよ!! 二メートル四十四センチ!! 今回は自信あるよ!!」

「ったく……なんで“2”と“5”を間違えんのよ……」


 会話から推察限り、どうも叶恵は二度手間をくらったようだ。恐らく信次の見誤りで、“2.44m”ではなく“5.44m”を描かされたらしい。足でり消したであろう、倍以上も広すぎる白円が地に淡く浮かんでいる。


「いや~、逆さまの状態で見てたからね。ゴメンゴメン」

「逆にしても“2”は“5”にならないわよ!! 数字音痴かッ!!」

「そうなんだぁ! さすが理系の月島だね!!」

「文理関係ねぇわッ!!」


「叶恵ちゃんの肺活量って、ホントにスゴいよね……」

「でも、アタシには楽しそうに見えるよ?」

「そう、なのかな……?」

 少なくとも夏蓮には、叶恵はひたすら怒っているようにしか見えなかった。彼女のツインテールも今に逆立ちしそうで、轟く罵声はもうしばらく続いた。

 とはいえ頭を切り替え、夏蓮は残るライン線を引き始めた。ホームベースで待つ柚月へ、再びメジャー先端を固定した咲に背を向け進む。ラインカーが芝と土の切れ目で揺らされたが、その後も安定感を意識しながら、通過点の一塁付近まで辿り着く。


『ふぅ……あ。すみれちゃんたちはどうだろ?』


 ソフトボール特有のダブルベース上でラインカーを上げ移した後、夏蓮は次に一年生の三選手――東條とうじょうすみれ菱川ひしかわりん、そしてMayメイ・C・Alphardアルファードの現在を見つめる。それぞれ木製トンボを使い、赤土の内野を黙々とならしていた。


「……ふぅ~、出来上がりデス! 菫!! 凛!! こちらファーストはOKデスヨ~!! 流れにさおさしたまま、セカンド整備に入りマスネ!!」

「早いね~! あたしももう少しでショート終えるから~! 凛はサードどう?」

「……」


 御三方の順調に進んだ姿からも、一見平和な様子が、内野各ポジションから窺えた。が、鼻唄と共にセカンドを整備し始めたメイの一方で、ショートの菫の元に凛が近寄る。どこか苛立ちを見て取れるつり上がった目付きで、トンボを勢いよく地に降り下ろした。


「り、凛……?」

「ねぇどうして二人きりじゃないの? ねぇどうして二人きりじゃないの? ねぇどうして二人きりじゃないの? ねぇどうして二人きりじゃないの? ねぇどうして……」

「……掘れてる掘れてる!」


『凛ちゃん的には、菫ちゃんと二人でやりたかったんだね……。でも……なんか怖い』

 無限に繰り返す言葉の数だけ、凛は同じ箇所を強く均した。仲良しとはいえ、割って入ってきた新入生が原因で生じた嫉妬しっと心が、一人のか弱き少女に固い赤地をけずらせていた。

 楽しげなメイを一人取り残し、離れた夏蓮も苦笑いを浮かべて凛をを見つめる。どうか三人いっしょに仲良くなってほしいと願いながら、あとは一年生で中心的立ち場の菫に任せることにした。


『いつか一年生みんなも、揃って親友だって呼び合いますように……』


 様々な心情と状況に別れた、笹浦二高のグランド整備。しかし完了も徐々に近づき、担当場が終了してベンチに戻る少女も現れた。チームで初のグランド作りに関しては、オフィシャルルールにのっとった距離で確かに描かれ、未経験者もいる中では上出来な結果と言えよう。

 一塁線に平行したスリーフットレーンも描き終えた夏蓮は、柚月と咲が集まった、最後に残る作製箇所のバッターボックスへ歩む。こちらのラインを記せば、でたくグランド整備終了となるが。


「ヨシッ!! カンのぺキ!! どう柚月!? アタシスゴいでしょ!!」

「咲、曲がってるわよ……」

「えぇ!? どこが!?」


 すでに咲がラインカーで作製していたが、柚月の意見で振り返り、自身が辿った白線を悩ましそうに見つめた。

 離れた夏蓮から見ても、決して下手とは言い難い咲の作品。しかし、唯一ジャージ姿なマネージャーの手厳しい観察によれば、長方形の打席は台形に偽造されていると証言する。呆れた様子で低い腕組みを見せ、背を丸めるため息を溢していた。


「もぉ咲ったら~……。こういうセンス無いんだから」

「いや~、それほどでも~!」

「……咲を褒めた要素、明らかに無かったわよね?」

「まぁまぁ! 小さいことは気にしないタイプなので~!」

「はぁ……」


 頭を掻いて嬉しがる中島家の長女とは対照に、篠原家の末っは再び悩みの一息を鳴らした。確かに、柚月の台詞のどこから称賛を感じ取ったのか不明で、もはや会話不成立も否めない。かえってメイの方が上手く思えるくらいに。


「ま、まぁ咲ちゃん柚月ちゃん。ここもわたしにまかせて」

「オォ~夏蓮!! 始める前から待ってました~!!」

「始める前からかい……」


 自力で完成させるつもりなど、最初から無かったに違いない。咲の背後を冷徹に睨む柚月も気になったが、夏蓮は苦笑しつつも代わってラインカーを握る。小さな身体を前傾させ、少しずつ丁寧に記し進む。



「ラインの引き方のコツはね、まず絶対に下を見ないことなの。あとはラインにまたがって、最終地点を見ながら正面に押す。一歩ずつ二度書きするように進めば、上手く引けるんだよ」



 進行中の夏蓮がそう告げると言葉通り、白線は優美な直線を放つ。また右打席も同じくいろどり、僅かな時間で完成させることができた。


「ふぅ~。大丈夫、かな?」

「夏蓮さっすが~! ブラボー!!」

「エヘヘ。控えだった分、グランド作りはよくおじいちゃんに頼まれたからね。慣れてるの」


 早速咲からニコニコ拍手をいただき、夏蓮にも微笑みが渡る。どうも目前でたたえられることには慣れておらず、赤らんだ頬から高い温度を感じ取っていた。

 小学生当時所属していたソフトボールクラブチーム――笹浦スターガールズ時代では、万年控え選手だった夏蓮。しかし、同時に監督でもあった祖父――清水しみずしげるの影響で、荷物運びやグランド整備などの雑務を率先しおこなってきた。


「いや~やっぱり夏蓮はスゴいよ!! 柚月もそう思うでしょ?」

「そりゃあもちろんよ~」


 特に夏蓮のライン引きは器用で、チーム内外でも才能を認められたものだ。いつしか皆からは、グランド整備の達人、器用な乙女、ライン少女夏蓮ちゃんなど、数々のユニークな褒め渾名あだなを付けられたが。


伊達だてに昔は、“ヒモ夏蓮”って呼ばれただけはあるわね!」

「そう呼んでたのは柚月ちゃんだけだったでしょ!?」


 中でも柚月が勝手に付けた渾名には、夏蓮は今でも腹立たしい思いだ。バカにしているとしか、このドS御嬢様からは考えられないからである。愛嬌あいきょうも感じられない、身長も高いが故の上から目線で。


「まさか~! あたしはこれでも、夏蓮ちゃんを尊敬してまちゅよ~」

「ほらぁ! やっぱりバカにしてるぅ! 柚月ちゃんのイジワル!」


 柚月のテキトー過ぎた受け答えを目の当たりにし、夏蓮はさらにヒートアップした小顔を膨らませた。小学生当時と相変わらぬ女王様のいじり方には、やはり高校生まで成長しても慣れない。このサディスティックな性格さえ無ければと、毎度考えさせられてしまうばかりだ。


「フフフ! あ~愉快愉快!」

「もぉ~……」

「あのさ、柚月、夏蓮……?」


 すると、一人声の色を変えた咲に、夏蓮と柚月は振り向いた。早速背番号“2”を掲げたたくましい後ろ姿が目に飛び込むが、どうも公園入り口の方をじっと眺めている様子だ。


「咲ちゃん……っ! もしかして……」

「うん……」


 背からでも伝わる親友の思いを察し、夏蓮は尋ねるもすぐに頷き返された。柚月の表情も暗めにおちいってしまうが、すると桜の絨毯じゅうたんかれた道奥に向けて、咲の心が声音こわねに乗せられる。



あずさは、来ないのかな……?」



 もちろん、忘れていた訳ではない。舞園まいぞのあずさが、未だにソフトボール場へ来ていないことを。

 考える分だけ生まれる不安が、胸中で重なり続けることを恐れていたからだ。グランド整備に専念したり、部内それぞれの賑やかなメンバーを窺ったりなどをして、あえて直視を控えた行いこそ事実である。



『でもやっぱり、気にしないなんて無理だよ……。梓ちゃんは、わたしたちにとって、かけがえのない親友だもん。最高の絆で結ばれた仲間だもん……』



 せっかく灯されていた微笑みは消え、三人揃ってうつむいてしまう。バッターボックスを完成させたはずが、夏蓮たちの顔は再び地に向かい、集中とはまた別の沈黙に包まれた。

 ソフトボール場に到着した今朝には、信次からは頼もしげにこう伝えられたのだ。笹二ソフト部入部に前向きになってくれた梓は、本日必ず来てくれると。

 しかし現在、梓の姿はどこにも見当たらない。

 試合用ユニフォームを渡しに向かった昨晩では、信次が梓の説得に成功したとも告げられた。集合場所と時間も本人に教えたようで、自信を表す笑顔と胸の張りさえ放たれたほどだ。


 それでも、梓の気配は四方八方どこからも感じられなかったのだ。


『梓ちゃん……今、どうしてるんだろう……?』


 大きな期待を抱いた想いに比例し、叶えられない現実が重く苦しい。梓の来訪を決して諦めたつもりではないが、夏蓮はただ心苦しかった。無論、咲と柚月も同じ心持ちのようで、眉間のしわが儚げにも鮮明に浮かぶ。


「せっかく梓のために、キャッチングの練習したのに……」

 まずは、得意の元気が皆目見当たらない、入部当初からキャッチングの練習を試みてきた捕手の咲。


「やっぱ、背番号が原因かしら……?」

 次いで、普段のドS的性格があらわにされず、ふと背番号を気にかけたマネージャーの柚月。


「梓ちゃん……せっかく、持ってきたのに……」

 そして、キャプテンらしからぬ弱々しさを秘めながら、本人に渡したい“ある物”を呟いた主将の夏蓮。


 梓を待つ気持ちの巨大さは、やはり三人とも同じだった。昨日のミーティングを窺った限りでは、他の部員たちだって待っているに違いないが、人一倍登場を待つ夏蓮たちのくもりは顕在である。互いの会話まで無くなってしまうほど空気が落ち、肌に触れる春の暖かさも感じられなかった。

 桜の花びらは全て散り、新たに生ま育った緑葉たちが、穏やかな春風に吹き揺れる。カサカサと音を立てて存在を示し、始まりの陽気に照らされていた。



「……っ! 筑海高校」



 公園入り口から騒がしさを感じた夏蓮は顔を上げると、バスから降りて荷物を運び走る集団――筑海高校女子ソフトボール部が目に映る。チームカラーのオレンジユニフォームを纏い、機敏きびんに移動する姿からは、謹厳きんげんのチーム雰囲気が感じられる。すぐさまソフトボール場に踏み入れると荷物を足元に置き、総勢十八名の対戦少女たちが整列した。



「あ、穂乃ほのちゃんだ……」



 すると整列端には、筑海高校主将且つ、笹浦スターガールズ元キャプテンでもある同級生――花咲はなさき穂乃ほのの凛々しき立ち姿が鮮明だった。一同だいだいのサンバイザーを取り外し、清き眉を立てて一礼する。



「笹浦二高さんに脱帽!! お願いしますッ!!」

――「「「「お願いしますッ!!!!」」」」――



 主将の穂乃に続き、筑海ソフト部のけたたましい挨拶劇がおおやけにされた。清く正しく勇ましく放たれた一声には、笹二ソフト部の皆も目が釘付けになり、特に夏蓮には多大な緊張を全身に走らせる。


「ふ、ふわぁ~……す、スゴい迫力……」

「ほら夏蓮。あたしらも挨拶よ?」

「柚月ちゃん……う、うん」


 すると隣の柚月に小さな背を押され、夏蓮も部員皆に向けて声を張り上げ挨拶に試みる。


「み、みんなぁ~!! だ、脱帽ッ!!」


 未だ慣れない大声は震えに震えていたが、主将として覚悟と自信を宿し、笹二色の青いサンバイザーを取り外した。


「気をつけェェ~!! れ、礼ッ!!」

――「「「「おねがいしまァァァァスッ!!!!」」」」――


 十人十色の女声と、顧問の男声パートで奏でられ、無事にチーム同士の挨拶を終える。迫力で言えば劣っているかもしれないが、元気だけは新チームらしく負けていなかった。

 すると筑海高校選手たちは早速動き出し、三塁側ベンチへ駆けていく。芝生に敷いたブルーシート上でエナメルバッグを開け、個々人の用具を取り出す。またチーム全員共有で使用するバットやヘルメットもおおやけにし、何もなかった無人ベンチを一気に筑海色に染めて上げていった。


「……」

「ん? 夏蓮どうしたの?」


 テキパキとした筑海高校を漠然と見つめるながら、夏蓮は右隣の咲に言葉を漏らす。


「……いや、穂乃ちゃんと目が合ってね。何かお話しようかなぁと思ってたんだけど……」


 そうな容易たやすい空気ではなかった。むしろ、話し掛けてくるなと言わんばかりの厳粛さが垣間見え、夏蓮は旧友に近づくことに勇気が生まれてしまいそうだった。


『穂乃ちゃん……スゴいな……』


 ソフトボール場に来てから五分も経たぬ内に、練習に臨もうとレフトに部員らをまとめた、筑海高校主将――花咲穂乃。

 元は同じチームで活動し、困ったときは互いに励まし合った仲でもある。しかし、現在の穂乃には他人と思える印象も否めなかった。決して彼女の姿に嫌気を覚えた訳ではないが、一人遠くへ行ってしまったような喪失そうしつ感が走る。学区違いで久しく会ってなかったこともあり、変わってしまった旧友との繋がりが、今さらながら不確かに思えてしまう。



『喜ばしい再会とは、いかないのかな……?』



「ねぇ夏蓮。あたしらは今日、遊びに来た訳じゃないでしょ?」 

 心の中で寂しさを表明した夏蓮だが、今度は左隣の柚月の呼び掛けに渡る。目は合わなかったものの、現在はマネージャーとして生きる親友の真剣たる横姿が、目の前から直に窺えた。


「柚月ちゃん……」

「いくら旧友だと言っても、今の穂乃は対戦相手よ。あたしら、同好会じゃないんだから」

「う、うん……」

「柚月の言う通りだよ。今は穂乃と戦うことを考えよ?」

「咲ちゃん……」


 柚月に代わって、再び右の咲が逞しい横顔で語る。同じように眉を立てた表情だが、彼女らしい光る微笑みを宿しながら。


「穂乃との思い出話は、試合が終わってからにしようよ? きっとその方が、今よりずっと盛り上がるからさ!」

「今、より……っ! ……うん!」


 その瞬間、落ち込み気味だった笹二キャプテンの表情に、輝石きせきみなもとよみがえる。凛々しく眉を立て、ついに始まる一戦に覚悟を固めることまでできた。



『――梓ちゃんが来て、みんなが集まったときにお話しよう!』



 グランド整備で舞台は整い、筑海サイドの如く、笹二ソフト部も試合前練習に出向く。新チーム初の試合は期待や不安の両極が混在するが、今己にできることへ身を捧げようと、魂に誓ってみせた。


「みんなぁ! 集合ォォ!!」

――「「「「シャアァァァァア!!!!」」」」――


 突き抜けた一声を武器に、夏蓮は部員らとライト線に沿って整列した。ただ今同じ大地に立つ、新たなる最高の絆で結ばれた仲間たちと共に。


「グランド挨拶!! 気をつけェェエ!! 礼ッ!!」

――「「「「おねがいしまァァァァスッ!!!!」」」」――


 まずはランニング。次に準備体操。やがてダッシュメインのサーキットメニューを経て、キャッチボールへと移行していく。その中で夏蓮は特に、前を見続けながら行っていた。

 きっと来てくれるであろう、十一番目の仲間の登場を信じて。


 

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