②清水夏蓮→東條菫パート「……何だかあたしたち、似てますね」
◇キャスト◆
―――――――――――――――――――
スーパーの買い物を終えた菫と凛、そして夏蓮らは横に並び、東條家へと広い歩道を進む。車の訪れがほとんどない橙の景色は穏やかで、放課後遊んでいた少年少女たちも自宅へ帰ろうと足早な頃だ。
ところが、菫と凛の間で進む夏蓮だけはどうも苦しそうだ。
「うぅ、うぅ~……くぅ~……」
「清水先輩、そんなに無理しなくても……」
「だいじょ~ぶ~……袋二つぐらい、
まだ一歳満たない赤子の蓮華を背負いつつも心配する菫から苦笑いを、また凛から冷ややかな表情を受ける。
敷き詰められた大きなレジ袋を運びながら、本日の練習よりも
「くぅ~……うっふぅ~……」
「か、片方持ちますよ。あたし、平気ですから……」
「平気~!
「顔に書いてないんですけど……」
「うぅ~……と、東條さん
「も、もう少しです。あそこの角を曲がればすぐです、けど……」
「あとも~少し~……だったら、余計に平気です~」
「敬語になっちゃってるし……」
ショートラフとポニーテールに挟まれたふんわりボブには、もはや弾力も
『
「……し、清水先輩?」
「ふ、ふぁい?」
何とか首だけ曲げて確認してみた。気がつけば、立ち止まった二人の一年生と距離を取っていたが、すると菫と凛が
「あたしん
「ここに東條家って書いてあるのに……」
どうやら行き過ぎたと理解し、目的地に無事たどり着いたことで少女の微笑みが
「ご、ゴールだぁ……グズッ……ゴ~ルだぁ~~!!」
「し、清水先輩!? どうしたんですか!? 手痛めました!?」
「感極まっちゃってる……」
相変わらず凛の引け目が続く中、突如泣き出した夏蓮には菫も驚く。
なかなか泣き止まない二年生には表情が
「グズッ……良かった、良かったよ~お~」
「……あの、もし良かったら、
「ゆ、夕飯……?」
御飯の話になった
「い、良いんですか……?」
「もちろんです! 荷物運びの御礼、早速させてください!」
「……じ、じゃあ、ごちそうになります!」
菫に対する敬語が浸透しているが、一応先輩の夏蓮は
『あ、そういえば、東條さんって七人家族だったけ。どんな感じなんだろ……?』
ふと思った一人っ
――ビュン!
「ブハァッ……」
「清水先輩!?」
突発的に小さい何かが、夏蓮の顔に直撃してしまった。
デッドボールのような痛さは全く無かったが、凛の前で思わず尻餅を着いてしまう。
まず見えたのは、所々色がある白い紙の球だった。クレヨンの絵が描かれているようだが、何かまではわからないほど丸まっていた。
「こ、これは……」
「百合の絵……これで遊んでたんだ」
「ゆ、百合……?」
球の紙を拾った凛に、夏蓮は座ったまま聞き返そうとしたときだ。
――「そんなっ! おれのイナズマトルネードキャノンを避けるなんて!!」
――「フッフッフ~。じゃあ次はうちの番! 必殺!! ラブリースターライトマシンガン!!」
「え゛……」
今度は家内から
――「まる~かいて~まる~っとっ!」
「あ゛……」
また奥の部屋を
玄関を開けたにも関わらず、東條家内の人間は誰一人も気づいていない。
騒がしい様子を見せつけられた夏蓮は未だに立てず茫然だが、微動する後ろ姿の菫に視点が移り、嫌な予感を察知して耳を
「コラァァーーーー!! 椿!! 桜!! 百合!!」
「げッ!! 姉ちゃんだ……」
「いつの間に……こりゃあマズイわ~……」
「あっ! 凛お姉ちゃんもいる~!! おかえり~!!」
それぞれ異なった表情が菫に向かうも、怒りを
「――散らかすなっていつも言ってるでしょうがッ!! みんなで今すぐ片付けなさい!!」
「……オギャア~!」
「あ……赤ちゃん起きちゃった……」
蓮華が泣き出してしまったが、夏蓮にはあまりにも小さな泣き声にしか感じられなかった。なぜなら菫の叱った声に、耳を塞いでいたにも関わらず
◇支えられて……。◆
時刻は夜九時前。早寝早起きが原則である東條家の和室には既に布団が敷かれ、小学五年生の椿、小学二年生の桜、幼稚園年中児の百合、そしてもうじき一歳を迎える蓮華も凛と隣り合って横になる。
「凛も寝ちゃったか」
和室を覗いた菫は、スヤスヤと眠る凛にほのかな微笑みを放っていた。
正直、凛にはいつも感謝の気持ちが
一見、菱川凛という寡黙な少女は冷たい人間性だと思われるだろう。しかし根はとても優しく、か弱く幼い子にも快く接して笑ってくれるのだ。
そのときに見せる小さな笑顔こそが、菱川凛の真の中身であり、彼女本人。
小学生当時から付き合う菫だけが知る、大切な親友の本当の人間性である。背はとても小さい高校一年生だが、もはや理想の保育士にしか見えなかった。
「いつもありがとね、凛」
眠っている今の凛にはきっと聞こえないはずだ。それを理解しながらも静かに
「……清水先輩も、遅くまで残ってもらっちゃってすみません」
今度は台所で皿洗いをする夏蓮に、優しい微笑みと共に振り向いた。
この前初めて出会った人なのに、荷物運びから始まり椿と桜たちと遊んでもらった。後輩なのかと椿に言われ、桜にも間違われて肩を落としていたが、二人といっしょに紙球で室内キャッチボールをしてくれた。
楽しげに繰り広げてくれたことでお絵描き中の百合も加わり、弟妹たちはいつも以上に笑っていた。
そして最後には、こうして家事まで協力してもらった。もはや頭が上がりそうにない、立派な先輩の一人だと
「平気平気。帰りが遅くなることは、もうおじいちゃんに連絡したし。それにこちらこそ、夕飯ごちそうさまでした。東條さんが作ってくれた御味噌汁に肉野菜炒め、とってもおいしかったよ!」
「それは良かったです。また是非来てくださいね! きっと椿や桜も喜びますから」
「うん、ありがと!」
笑顔が交わされる時間が、この東條家にたくさん流れる。騒がしいときだって多々あるが、最後には皆笑って屋根の下で過ごしている。
凛や夏蓮にも支えられている喜びも、決して忘れてはいけない。一人でできない訳ではないが、
「……それにしても、東條さんたいへんだよねぇ。四人の面倒見てるなんて、
「まぁ最初は苦労しましたけど、今は苦だと思ってませんよ。あたしは家族のことが、大好きですから」
「家族が大好きかぁ~。なかなか言えないことだよね」
「そう、ですかね? あたしはよくチビたちには言ってますよ。ちゃんと伝わっていれば良いんですけどね……」
家族のことが大好き。
それは今も昔も変わることがない、長女の心に備えた、確かな愛。
菫は再び、
『――誰一人だって、欠けてほしくない……そう、誰一人だって、欠けてほしくなかったんだ……けど……』
「そういえば、東條さん?」
「は、はい?」
ふと微笑みが消えかけたが、
「東條さんは今まで、何か運動部やってたの? ほら、この前ボール返してくれたとき、スゴく良いボールだったからさ」
「……え、いや、あたしそもそも部活動に入ったことないんですよ」
「えっ! 経験者じゃないのに、あんな良いボール投げられるの!?」
驚きで手を拭く動作も止まった夏蓮に
「ま、まぁ……運動とか体育は前から好きだったから、でしょうかね~」
「そうなんだぁ~! 運動神経が良いなんて
小さな先輩はふと
「唯ちゃんみたいな力はないし、叶恵ちゃんみたいな足の速さもない。柚月ちゃんみたいに戦う頭脳もなければ、きららちゃんと美鈴ちゃんみたいな大声も出ない。“君はソフトボールや運動に向いてないんだ”って、ソフトボールの女神様に言われてる感じだもん……エヘヘ」
「清水先輩……」
笑って
「……でも、そんな
悲しんでいるだろうと心配していたが、向けられた夏蓮の瞳には温度が観察できた。情熱に燃えた真っ赤な炎までとは及ばぬが、誰かをそっと照らしてくれる、小さな
「
「大好き……?」
小首を傾げた菫に夏蓮は
「――みんなとやるスポーツ……みんなといっしょに、同じ目線でいられるソフトボールが、
部活動経験など今までなく、集団スポーツだって体育の短い授業時間ぐらいでしか覚えがない。義務化されたソフトボールではあるが、そこまで強い興味を抱いたこともない。
しかし一方で、本日目前に現れてくれた小さな先輩には、自然と親近感が
『――そっか。清水先輩は、大切な誰かといっしょにいるときが、一番幸せだって感じられる人なんだ。あたしと、同じように……』
「何だかあたしたち、似てますね」
「えぇ!?
声を張り上げ否定されたが、笑顔を向け続ける菫は間違いなど思わなかった。
見つけたからである。
――自分はたくさんの家族と、夏蓮はソフトボール部の仲間と、いっしょにいることが何よりの幸福だという共通点を。
立場は異なるが、よく似た愛の形。
「……? そういえば清水先輩、まだお
「へ……アァ~!! もうこんな時間なの!? 明日も朝練なのに~!」
皿洗いを一生懸命やってくれた表れだろう。時間を忘れていた夏蓮はマズイマズイと声を荒げつつ、帰宅準備に取り掛かる。制服上着に手を通し、
「清水先輩。ホントに今日は、何から何までありがとうございました」
見送ろうと玄関に訪れると、革靴を履き終えた夏蓮が笑顔で振り向く。
「ううん。
「いえいえ……また是非、来てくださいね」
「うん。じゃあ、またね」
ドアが開けられ、訪問者の制服姿が東條家から消えていく。一つの音が無くなっただけで、さっきまで本当にいたのか疑わしくなるほど静けさが拡がった。
菫の瞳には、明るく前向きに去った夏蓮の笑顔が焼き付いていた。歳上の先輩とはあまり接した経験もないだけに、本日は新鮮な一日だったと身に染みる。
『清水夏蓮先輩か……きっと先輩がいるソフトボール部、とても楽しいんだろうなぁ。一人一人が大切で、家族みたいな感じかなぁ』
一度しか見たことがない笹二ソフト部のイメージを
『――笹浦二高女子ソフトボール部……いいなぁ』
――ガチャッ。
――「「ただいまぁ~」」
「あ、お父さんお母さん、お帰り。お勤め御苦労さま」
再びドア音が鳴り響いた瞬間、菫は陽太と養波の帰宅を早速玄関先で迎え入れた。二人共同じ職場で働く同士で、揃って黒のスーツを身に纏っている。
「あら、凛ちゃんも来てるの?」
ふと養波が足元に置かれた小さな革靴を見つけると、嬉しいままに頷く。
「今日も手伝ってくれたんだ。もう寝ちゃってるから、泊めてあげていいでしょ?」
「もちろんよ。ねぇお父さん?」
「あぁ。いつものことだし、ぼくらは大歓迎だよ」
家族の一員として扱われている凛をすぐ受け入れ、両親は部屋着に着替えてテーブルへ向かい、菫の前に座って食事を始めた。
「相変わらず、今日も美味しいなぁ」
「うん。菫ったら、また上手くなったわね」
「いやいや~」
照れくさく頭を掻いて応答したが、これも東條家にとってはいつもの日課。朝から晩まで仕事で忙しい両親のため、家事全般は基本的に菫が任されている。弟妹の四人もまだまだ幼いだけに、子たちの世話面倒まで。
「……あ、あのさぁ……」
ふと下を向いた菫に、食事中の二人が微笑んで目を向ける。
「どうしたの?」
「……あのさ、別に決まった訳じゃないんだけど……」
「何かあったのか?」
「……その、さ……」
晴れぬもどかしい表情が継続する。二人には見えないテーブル下で制服スカートを強く握り締めていたが、菫はダメ元でと思いながら、
「もしも……もしもだよ? あたしが、部活をやりたいって言ったら、二人はどう思うかな~って……」
せっかく上げた面を再度下げてしまう。が、両親の暖かな視線を感じとり、上目遣いで窺うと。
「ぼくは大歓迎だよ。やりたいことあるなら、是非やれば良いじゃないのかな」
「ほ、ホント……?」
「あぁ。母さんはどうだ?」
「わたしも反対はしないわ。ただねぇ……」
意外過ぎた答えに
「――あの子たちの面倒は、やっぱり優先してほしいかなぁ……」
「……そ、そうだよね! ハハハ。ごめんね、変なこと言って……」
苦笑いで済ませたが、弟妹たちを優先したがる母の気持ちも察していた。
彼ら彼女らがまだまだ幼いことが理由だ。ヤンチャな椿と桜から目を離したら何するかわからないし、遊び盛りな百合やオムツの取り換えもある蓮華だって同じだ。
まだ自立にはほど遠い弟妹たち。しかし菫は、四人に家内を散らかして欲しくないからと懸念している訳ではない。
“何をするかわからない”――つまりそれは“何が起こるかわからない”ことを意味するため、ひたすらに心配しているのだ。
『もう、誰一人も失いたくないから……部活なんて、やってる暇なんかないんだ……』
「ゴメンなさいね、菫。あなたには本当に、いつも感謝してるわ」
「気にしないで、母さん。あたしだって、母さんと同じ気持ちだからさ……」
陽太からも悩ましい視線を受けた。静かにリビングから退出し、とある一階の小さな小部屋に向かう。
一人部屋としては十分な広さで、フローリングが敷かれた室内のドアを開ければすぐに目的物が視界に入る。今日も線香の煙が沈黙の中で舞うが、そこでは闇夜の中で
『今度はあたしの番なんだ。妹から、姉になった者として……』
覚悟を保った
『――今度は、あたしがみんなを護らなきゃだもんね……苺お姉ちゃん』
菫が見つめる先には、“東條苺”と記された女子小学生の顔写真が、仏壇で静かに笑っていた。
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