⑤清水秀パート「――っ! 流れ星……」
◇キャスト◆
教頭先生
―――――――――――――――――――
笹浦二高校長室。
夕日はついに沈み、春の穏やかな夜風が窓を冷やしていた。隣接の職員室からは帰宅する教員で物騒がしく、多忙な彼らにも一日の終わりが近づく。
その一方で、未だに校長室の明かりは灯されたままだった。
壁には代々任されてきた校長先生らの写真が飾られ、また机の上には教育委員会に提出すべき報告書など、歴史と威厳が漂う空間に秀が一人着席していた。
――コンコン……。
「はい、どうぞ~」
「失礼します、校長」
早速見えたのは、同じく眼鏡姿な中年男性の教頭先生だ。いつも真剣な顔つきで現れるばかりで、微笑すら校内では示さない威厳が彼にはある。
「とりあえず、言われていた報告書が完成しました。一度、目を通してもらってよろしいですか?」
「はいはい。ど~もねぇ」
一応確認はするが、達筆で書かれた一文字たちからは抜けなど皆目見当たらない。さすがは教育責任者だと思わせる完成度だ。
「さすがだねぇ。助かるよ~」
「あの、校長。これは……?」
ふと話題を換えた教頭は机上に指差し、一枚のプリントへ振り向かせる。
「あ~。部活動申請書だよ。さっき田村先生と夏蓮が来てねぇ」
「――っ! そ、それってまさか……」
ただでさえ
「フフフ。そんなに
教頭の表情は変わらず眉間に皺が寄り、学校責任者としての
一瞬窓に強い春風が吹き付けると、ガタンと音が放たれたときだ。
「――笹浦二高女子ソフトボール部が復活するの、決して悪いことではないと思うけどねぇ……」
教頭とは真逆に、秀は顔に豊かな
夜のグランドからは、照明を
部は違えど、それぞれの競技に対する生徒の熱い想いが、たとえ二階の校長室からでも垣間見える。未来に訪れる一瞬に掛けて努力し、青春の汗で身も心も潤していた。
「頑張る子の味方、先生は生徒のために……フフフ、おもしろい先生が来たもんだねぇ」
おもしろい先生――信次以外何者でもなかった。
始業式当日から遅刻しかけた新任教諭でありながら、生徒に対する熱意や愛が確かに伝わった。
決して怒鳴ったりなどせず、貝塚唯と植本きららを式に参加させたことを始め、夏蓮のためにも懸命に動いてくれた。
長年教職に携わってきた秀としては、そんな信次の姿が珍しくも羨ましく思える。
「ですが、校長……」
すると背後から渋い声が聞こえ、窓に反射された教頭の鋭い面構えが映り込む。眼鏡を人差し指で上下させる様子からは、誰が見ても動揺しているのがわかる。
「なんだい?」
「女子ソフトボール部の復活って、本気なんですか……?」
踵を返した秀には、教頭の尖った眼差しを当てられる。窓から見えた反射とは違い、冷や汗すらより鮮明に浮かんでいた。
「著名は三人。ちゃんとノルマを達成しているよぉ。だったら何の問題もないと思うけどねぇ」
「問題なのはそこじゃありません!」
突如声を荒げてられたが、予想していた通りで驚きもしなかった。去年という一年間を知る教頭なら、もちろん反対するのが当然だろうと。
「――去年の
一人の女子生徒名を挙げた教頭は、拳を震わせ断固反対の意を示す。目が悪い秀が見てもわかるくらい、尖りに尖った両眼で。
「校長だって、去年のこと忘れたわけではないでしょ? 月島叶恵の出来事を。きっと今でも引きずっているはずです」
「今の叶恵ちゃんは、どうやら落ち着いているらしいよぉ。担任の如月先生から聞いてるしぃ」
想いを心配する教頭の、反対精神が折れることはなかった。
「そ、それに今回お願いしてきたのは、校長の御孫さんの二年生。もう部活動に入っている子がほとんどなのに、今さら部員を集めてできるとは、やはり思えません……」
再び下を向いた教頭先生からは、最後まで反対を押しきられてしまい、室内は一時の嫌な沈黙を迎えていた。
グランドの野球部員の声も聞こえるほど静まり返った校長室。普段も静かな空間でやり取りする秀たちだが、今の空気はいつもと違い居心地が非常に悪いものだ。
「……もちろん
走塁練習を全力で行う野球部が観察される中、窓から教頭へ反射する。
「何かをやりたい、心から切望している。夢へ全力疾走したい者がいるならば、
「校長……」
「だから
そっと振り返り、依然として厳しい顔の教頭先生と目を合わせる。
「――君も同じ“責任者”として、そう思わないかい?
教頭の名前を久方ぶりに呼んだ、元“責任者”としての問い掛けだった。紛れもない尊敬を示す、さん付けで。
「……その呼び方、できればやめてください。少なくとも、校内では……」
そっぽを向き、“責任者”としての名を嫌っていた。
「自分は、この校内では教頭以外何でもありませんから……」
「校内では、ねぇ」
「……では戻ります、失礼しました」
捨て台詞の如く吐き、校長室から姿を消してしまう。
二人が話していたことは、もちろん誰にも聞こえていなければ、誰にも明かされていない論議だ。秀と誠朗の討論は、学校責任者としてでなく、また別の“責任者”としての衝突だったからである。
それは親子関係とは違い、また
ただ、ひたすらにソフトボールをやりたいと願う少女を、心から思いやり、応援してあげようという気持ち。
――“ソフトボール責任者”としての、プレイヤーを大切に思う真心のみである。
一人だけとなった校長室は、より静けさに包まれた空間に戻っていた。
秀は校長席に着くと、夏蓮と信次が提出した部活動申請書を手に取る。その著名欄には夏蓮を含めた三名が刻まれ、老人に懐かしみを与える短歌だった。
『ほぉ~。柚月ちゃん、それに咲ちゃんも協力してくれたんだねぇ。相変わらず仲間想いの
夏蓮たちが幼い頃から仲良しであることは、祖父として知っている。それ故に、今でも
『夏蓮に、柚月ちゃんに、咲ちゃん……やっぱり、梓ちゃんは書かなかったんだねぇ……全く、素直じゃない
梓のことも大切な親友だと認知しているが、著名が無いことに困り顔を放った。
だが協力してくれないのも仕方ないと、諦めのため息が最後に漏れてしまう。
『要するに、梓ちゃんを欠いた、この三人だけかぁ……それだと困ったものだねぇ、夏蓮……』
部活動申請書を机上に置き、座ったまま窓に振り向き夜空を見つめる。
雲がかった夜空は春の大三角も、春の大曲線も隠されてしまい、
『――この感じだと、今の部員は夏蓮。実質一人だけだよ……?』
集まったのは著名だけで、正式に女子ソフトボール部活動ができると決まった訳ではない。
ソフトボールを始め、ハードな運動を
とある先輩と共にソフトボールを卒業し、現在は女子バレーボール部として活動している、中島咲。
そして、ソフトボールが嫌いになってしまった、舞園梓。
三人の現状をよく知っている一人だからこそ、夏蓮の創部願いが儚くも感じる。孫の願いを否定したくない気持ちはあれど、それ以上に実現が困難に満たされている。
「――っ! 流れ星……」
雲の切れ間から、一筋の光が目に映った。もちろん一瞬で去ってしまった訳で、数秒後には本当に訪れたのか疑わしいくらいである。
『星……スター……フフ。かがやけ、スターガールズ……』
しかし悩ましい顔を止め、そっと目を閉じて願い事を唱える。それは一人のソフトボール責任者として――いや、一人の応援者としての願掛けに他ならなかった。
『田村先生。どうかみんなを、よろしく頼むよ。
まだ見ぬ星たちが、いつかキラキラと輝いてほしい。
雲にも負けない煌めきを放ち、誰もが見える星座を創ってほしい。
そんな願いを、今年新任としてやってきた信次に祈っていた。
いつしか体育館のバレーボール部やグランドの野球部らが活動を終え、全生徒が正門を潜り帰宅していく。隣り合って歩む同部員らの姿は、強い絆で結ばれた仲だと受け取れる。
「……さて、
深呼吸と共に切り替え、残る校長としての業務に臨んだ。いつか夏蓮たちが、今活動を終えた部活生徒たちのように、輝ける瞬間を望みながら。
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