五節 さざなみは黄昏に煌めき消ゆ(前編)




 白百合宮を一目見れば、主ルスクォミーズの性格が手に取るように分かる。

 無節操に贅を凝らした装飾は、財産への無頓着さを。

 あらゆる様式を雑多に増築して出来た宮殿は、未来への無計画さを。

 それらを染め上げる偏執的なまでの白は、我の強さを。


「ようこそいらっしゃいました、ザリス様」

「ほう……モロレクか。まだ生き延びていたとは」


 ザリスは線対称に作られたワリバーヤ式の庭園へと足を踏み入れた。

 古代の様式を完全に残すそれら様々な彫刻を、噴水を、ザリスは意にも介さない。どちらかと言えば、使用人の体の方を見ていた。標本を見るような目でだ。


「お恥ずかしながら」


 獣の尾と蝙蝠の翼を持つ、妖艶にくびれた女性の姿形だった。一糸纏わぬその体はしかし爪先から頭頂までつるりとしたゴム質の皮膚に覆われている。

 顔に当たる部位には何もない。のっぺりとした無貌だ。


 モロレク。

 かつて勢力を築き、今や悪鬼の一部と語られるのみの、衰退した種族。

 性別を持たないモロレクは、その姿から『ゲヘナの忌むべき女怪』『ルスクォミーズの娘たち』と呼ばれている。


 もはや犯罪組織に名を使われるような古い種族だ。

 滅びた、と言っていいだろう。事実ザリスはそう思っていた。


「白百合宮にはモロレクが住まうと言うのは、かの魔女が犯罪組織を抱えている事の暗喩だと思っていたが」

「事実、そうして社会の暗部に出向くこともあります」


 つるりとした顔をそっと撫でると、彼女は息を呑むほど美しい女の顔を作った。

 もっともそれは呪術によって貼り付けられた仮初の顔だ。ザリスには、それが仮面であることが見て分かる。素顔すら透けて見えた。


「ふむ……それで、ここの主の悪趣味は狙ってやっているのか?」

「ええと、お答え致しかねます……」


 モロレクは弱った声を出した。

 ワリバーヤと言えば、モロレクと彼らの住まうゲヘナを弾圧した国家だ。

 彼らの住処にワリバーヤ王朝風の庭を設えるのは相当な無神経か悪趣味かだろう。


「……ここにいる者たちはゲヘナに住んでいたわけではありませんから。だからこそ今も生き延びているのですが」


 紀神ゲヘナ。もっともその本来の名はとうに失われ、異界における地獄の名の一つを自ら冠したと言われている。

 医療の神であり、棄てられたものたちの神であり、地獄を産んだ神。

 そして地上へと表出した地獄の呼び名でもある。


 地獄に生まれたものは、地獄との繋がりがなければ生きていけない。それら地底深くに囚われたものたちを、現代では悪魔と呼ぶ。邪悪な契約により地上へ表出するものたちは、その一部でしかない。

 ゲヘナの失われた今、悪魔の一種であるモロレクたちもまた、本来地上では生きられない存在だった。


 そう、地としてのゲヘナは既に滅びた。地獄は今や遠く隔離された異界であり、【扉】を繋ぐことすら難しいほどの距離にある。

 もっともその【扉】がつい先日繋がったことをザリスは知っていた。だからここに来たのだ。命令の類を嫌うザリスの、数少ない使命を遂行するためにだ。


「結局は皆、太母の庇護なければ生きてゆけぬ者たちです」

「弾圧を生き延びた果てには絶滅種というレッテルか。あるいは一人ひっ捕らえれば十年遊んで暮らせるほどの価値をレッテルと呼ぶのはおかしいか?」

「うふふ。……持っていってみますか?」


 擦り寄る異形の美女の手を、ザリスは真剣な顔で掴み取る。


「是非そうしたいものだな。ゲヘナの民の解剖標本なぞ中々手に入らん。お前たちの頭部は人間がベースなのか? バラして電気を流せば体は反応するのかね」

「……そういう性癖はちょっと……」

「ふん。私が善良な魔女で良かったな」


 掴んでいたそれを突き放すと、ザリスは外套を翻して宮殿へと急いだ。

 無貌の美女は困ったように頭を掻いて、魔女の後ろに浮かぶ荷物を見た。


「ところで、お連れ様が青い顔をしてらっしゃいますが……」

「キツく立場を教えこんでいる所だ。なにせ道中暴れてかなわん」


 ハルシャニアはぐったりとうなだれて、時折ひくひくと体を痙攣させていた。




 宮殿の中は実に落ち着かない節操の無さで、普段建築様式など頓着しないザリスをして苛立たせた。玄関口はリクシャマー、廊下はザリスもさっと思い出せないような東方の小国家、次は旧ジャッフハリム。石造と木造、煉瓦と大理石、それらが忙しなく切り替わっていく。

 極めつけは白だ。どこもかしこも、目が痛くなるほどに白い。

 部屋ごとどころか廊下の中途でつくりが変わるこれは、ある意味で異界化の呪術と呼べるものだった。常人がここを歩けば間違いなく迷い、体調を崩し、油断すれば気を違えるだろう。

 その手の呪術に耐性のあるザリスですら、案内なしに歩きたくはない場所だった。


「我らが太母よ、御客人をお連れ致しました」

「入りなさい」


 穏やかな声が奥から響く。

 ラバー質の女がドアを開けるのに合わせて、ザリスは室内へと踏み込んだ。


 そこはワリバーヤ王室風に設えられた応接室だった。

 ヘレゼクシュ地方の暗い夕暮れに合わせた、僅かな灯でも輪郭が分かるように施された貴金属の縁取りは、明るい亜大陸の荒野にあっては眩しすぎる。

 加えて本来は暗紅色を貴重にした織物や、家具の塗装までもが白く塗られており、ザリスが思わず顔をしかめるほどだった。


 その中央、カーウィス調の白いソファに腰掛けて、優雅に紅茶をすする女がいた。

 すべてが白い室内の中で、彼女だけが「白」の本来の色で彩られていた。

 ザリスはそう感じた。


「ようこそ、火刑の魔女ザリス。歓迎するわ」


 そう微笑む女が、その部屋のすべてを支配していた。

 亜大陸の乾いた風と強い日差しに色褪せた金の髪。対して、日焼けという概念を持たないかのような白い肌。真っ白なAラインのドレスは背中と胸元を下品さに踏み込むぎりぎりまで露出している事を除けば、貴族のご令嬢と言っても差し支えないほどの設えだった。

 だがその優雅な仕草に反して、赤い瞳は獲物を睨めつける獣のよう。


 紀神ゲヘナの、悪霊の狩人にして悪鬼の女王。

 キュトスの魔女が第十女、白百合のルスクォミーズ。


「急な訪問を詫びよう、白百合の魔女。早速だが、まずは使いの用事だ」


 呪力の縄で縛られたハルシャニアをカーペットへ投げ捨て、ザリスは顎を使った。


「あら」

「海の庇護者、精霊ヴァイオラより任を受け、干魃の魔女ハルシャニアを調伏した。今後かの魔女が海を荒らせば、契約によりその行いに報いが返るだろう」


 ルスクォミーズが立ち上がり、己の妹に歩み寄る。


「以上をもって懲罰とし、これを〈星見の塔〉に返還するものとする」


 ザリスは事務的に述べると、指を鳴らした。

 ハルシャニアに掛けられた呪縛が消え、痩せ細った少女の体が自由になる。


「ここ白百合宮への引き渡しをもって、我らは任を果たしたものとする。異存があれば述べられたし」

「ないわ。……大丈夫、ハルシャニア」


 悪鬼の魔女が手を差し伸べたと同時に、彼女は敵意を剥き出しにして飛び起きた。


「――触らないでっ!」


 そして、ルスクォミーズの手を思い切りひっ叩いた。


「裏切り者っ!」


 ……姉妹殺しのルスクォミーズ。


 かの魔女はかつて己が姉妹へと弓引いた、裏切りの魔女だ。

 彼女は悪しき飛来神群に身を売り渡し、地獄の神と契を交わし、そうして手ずから【軍勢】を産み、姉妹に反逆を企てた魔女だ。尽きせぬ衝動と執念のまま、己の姉である「七ツ風の主」シャーネスを食い殺し同化した、姉妹食いの魔女である。

 その行い故に、十女でありながら、彼女を姉と呼ぶ者はもういない。

 キュトスの姉妹であることを、半ば剥奪されたと言っていい。


 贖罪のため、あるいは隔離のため、姉妹の手の及ばぬ亜大陸にて百の大いなる悪しき精霊・悪魔を討たねば〈星見の塔〉へは帰れぬと、そう言われている。

 彼女が狩った名のある悪霊悪鬼、その数八十八。


 あるいはその悪魔狩りの物語が知れ渡ったからか、裏切り者の代名詞として定着してしまうほど、ルスクォミーズの名は広く知られている。


 ハルシャニアはまるで、ザリスを盾にするかのようにしてその背に隠れた。

 ザリスはそれはそれとしてと道中の恨みを拳にしてぶつけるハルシャニアを適当にあしらいながら、白き魔女を鼻で笑った。


「嫌われたものだな」

「私の過ち故のことよ。受け入れるわ」


 ルスクォミーズはしばし目を伏せて、それから、向かい合ったもう一つのソファを手で示した。ザリスは何も言わずにそこに腰掛け、ハルシャニアはルスクォミーズを睨みながらザリスの隣に腰掛けた。ザリスの手の甲をつねろうとしたハルシャニアが逆転魔術でつねり返されるのを横目に、ルスクォミーズが口火を切った。


「それで、今日のご用向きは?」

「話が早くて助かる。何、少々その力を借りたくてね」

「お前なんかそこらの魔女の使いにされちゃえ」


 モロレク――先の使用人とは別物だとザリスは見て分かった――が紅茶を淹れて、ザリスに差し出す。それを受け取り、機械的に一口つけると、彼女はソーサーにカップを置いた。


「あら。そういう割に、うちの妹を散々痛めつけてくれたようだけど」

「そうだそうだ、虐待だ」


 狂犬よろしく双方に噛み付くハルシャニアの額を小突いて、ザリスは言う。


「いたっ」

「殺されても文句の言えん女だろう。生かしている私の慈悲に感謝したらどうだね」

「的が外れた皮肉ね」

「お誂え向きだろう? 貴様が食い殺してもばれやしない」


 瞬間、すっと伸びた腕がザリスの胸ぐらを掴んでいた。


「――おいてめぇ。何つった?」


 凶相がザリスの鼻先に迫り、威圧感を鈍器に変えてザリスの体を打ち据えた。


「活きのいい土産物を持ってきたと言ったんだよ、姉妹食い。磯臭いのは苦手か?」

「口が回るじゃねえか、アバズレの大将様がよ。売春婦唆して火に投げ込んだ程度で魔女になったクソガキが調子くれてんじゃねえぞ」

「……地が出ているぞ、ルスクォミーズ。その卑しい品性を引っ込めろ」


 怒りを露わにしたルスクォミーズを、ザリスは表情一つ変えずに見ている。

 そして視線は外さないまま、機に乗じて逃げ出そうとしたハルシャニアの足首を、魔術の鎖で絡め取った。


「ぐえ」

「ここで私を食い殺すかね。ゲヘナの妻であるお前が、この私をか?」

「出来ねえと思ったのか」

「もう、離して! 離しなさい!」

「戦争になるぞ。お前とお前のいとたちと、何よりお前の姉妹たちが、魔路の大河の王神たちと争うことになるが」

「ご高説をありがとうよ、だがそいつぁあたしが口を閉じる理由にはならねえ」

「そうかね?」


 ルスクォミーズの眼差しは苛烈だ。徒人ただびとを一睨みで殺すだけの力がある。

 平然としているように見えるザリスですら、幾つかの防御術を張っていた。


 十女であるルスクォミーズの姉とは、つまり最も力ある九人の魔女「守護の九姉」に他ならない。彼女はそれを食い殺すほどの魔女である。

 そして課せられた贖罪の通り、彼女はその手で多くの強大な神霊悪鬼を屠ってきた凄腕の悪魔狩人だ。加えて古くを生きた神代の魔女でもある。


 直接戦闘では、ザリスに勝ち目はない。

 故に、ザリスは言葉と魔術でそれを手玉に取る。


「きゅ、ぐ――!」


 苦悶の声にルスクォミーズが振り返れば、ハルシャニアの首が恐ろしい勢いで締め上げられていくところだった。


「戦争となるならば、私はまず真っ先に、そこの半可通を呪い殺す」


 指先に灯した小さな光は、呪術のそれ。


「てめえッ!」

「私は知っているぞルスクォミーズ。キュトスの魔女は代替わりをするだろう? お前たちは不死者ではなくだ。お前たちの宿した【紀】がお前たちを生かす。故にお前たちの不死には種別があり、階級が有り……」


 長姉ヘリステラは、妹が一人でも残っている限り復活する。キュトスの姉妹という枠組みは彼女という長で成り立つが故に、枠組み自体が彼女を生かし続ける。

 火炎の化身であるビークレットは、自然な火種が一つでもあれば蘇る。【炎】の紀が彼女の精神すらをも大地の内に匿っている。

 輪廻転生、並行世界からの同一存在の招聘、再構築……キュトスの魔女の不死とは決して画一的な死の否定ではない。


「そして紀性の存続が担保されていればお前たちの生命は考慮されない。古の叡智の魔女ミスカトニカは己の紀を継がせて『お隠れになった』んだろう?」

「てめえ、どこまで知ってやがる……」

「ふん。干魃の魔女の不死とは、己の肉体を己の【浄界】の海によって構築しているからこそのもの。ならばその紀との繋がりが途切れてしまえばどうなるかな」


 ハルシャニアが、呼吸とは別の理由で表情を歪めた。

 ありえない。紀性の剥奪、それは長姉ヘリステラの権能だ。そう考えたハルシャニアをザリスは覗き込み、淡々と答えた。


「何のためにわざわざお前の腹の中まで足を運んだと思う? 何のためにお前のことをつまびらかにしたと思うのだ? 物見遊山だとでも思ったか?」


 ザリスの懐から、一冊の書物が手元に浮かぶ。題名のない書物が。


「お前をお前たらしめる全ては今や私の手の内にある。お前のも、力も、体さえもだ。どんな魔術師でも、ここまでお膳立てをすれば不死の魔女の一人くらいは殺せるだろうよ」


 始めからこうして交渉材料にするつもりだったわけではない。後々何かの役に立つだろうという考えの下だったし、そもそも何のためも何も、ザリスがそうした理由はひとえに己の知識欲を満たすためだ。

 だがザリスという魔女は、吸蔵した知識を良く使う事に長けていた。

 ぎり、と縄がこすれるような音がした。

 ハルシャニアの首は、今にも折れそうな程に締め上げられていた。


「魔路を飲み干しうる者を生かす理由は元よりない。私は王神の名の下にその女を殺す義務を負っているし、それを実行しない理由がない。分からないか?」


 この数日で丹念に編み込んだ、呪殺の術。

 即ち対抗魔術【陥穽エンスネア】に端を発する、杖の理念に則った、神秘の零落による神性の解体。不死の魔女をただの少女に貶める術。

 それは今、ザリスの意思でいつでも発動する状態にあった。


「――なあルスクォミーズ。私はとても……慈悲深い女だとは思わないか?」


 決断は素早かった。ルスクォミーズはぱっと手を離す。

 ザリスはすぐさま呪殺のトリガーを引っ込め、乱れた襟元を直した。


「けひゅっ……!」


 血流すら止まっていたのか、青白い顔のハルシャニアは転げ回って酸素を求めた。

 ザリスはそれを一瞥し、そして首元に突きつけられた真紅の斧を見た。

 それはまるで血を固めて作ったかのような、暴力的で歪な斧だった。


「てめえが何かするより、あたしがお前の首を刎ねる方が早い」

「そうか」

「術を解け」

「せっかちな女だ」


 ザリスが指を振ると、ハルシャニアの首からしゅるりと魔術の帯が解けて伸びた。魔女の指使いに合わせて空中でたわむそれを、悪鬼の魔女の血斧が叩き切る。

 霧散していく呪殺の魔術を見て、ザリスは一つ頷いた。


「さて……お互いに条件を呑んだ。契約は成立だな? そして私は契約通りにモノを引き渡した。当然、これを反故にすればお前は報いを受ける」


 半ば罠に嵌める形で事後的に成立させた契約を、ルスクォミーズは嘲笑った。


「このあたしを呪い殺すってか。はっ、本気で言ってんのか? 試してやろうか? なぁ、どうだクソガキ。お前の呪いが大悪魔よりも強けりゃあ効くかもしれねえが」


 ザリスは内心で冷や汗をかいていた。

 キュトスの魔女も戦力で見ればピンキリだ。ハルシャニアのように戦いの不得手な魔女もいれば、ルスクォミーズのように戦闘に特化した魔女もいる。

 神霊に片足を突っ込んだ魔女など、本来ならば取引など全く成立しない相手だ。交渉――ザリスにとってこれは脅迫の範疇には入らない――に持ち込めて助かった。


「たわけ。私を見くびるなよ。魔王の欠片を正面から叩き潰すような女に数日程度で仕込んだ呪が通じると思うほど愚かではないとも――だがな、お前が腹に収めたその女はどうだ」


 ルスクォミーズは低く呻いた。


「お前の腹の中で眠る『七ツ風の主』シャーネスは、今や被捕食者として零落した。契約違反の対価として徴収される程度には安い命に成り下がっている。違うかねルスクォミーズ。お前の『八十八夜物語』の中で、幾度か言及があったろう?」

「……てめえ、どこまで陰湿なんだ」

「民話というのも侮れんな。時に書類にない事実を示してくれる」


 ルスクォミーズが食った七女シャーネスは、ルスクォミーズの腹の中で封じられたままだ。加えて全盛期の何割の力も持っていない。かの魔女に奪われた力を何世紀もかけて回復する、その最中だ。知覚外からの呪殺が通じる道理はあった。

 契約違反の罰則として、命一つを要求する。本体が支払いを拒否するなら貯蔵された生命をいただくまでのこと。ザリスはあくまで冷徹に、襟を直して言った。


「もうぞろいいか。煩悶や憤激は面倒だから後にしてくれ。要求を述べよう」

「……てめえはいつか殺す」

「その手の文言は聞き飽きたよ。お互いそうだろう?」

「は。……言えよ。検討はしてやる」


 これで手綱は握った。それでも油断はならない。

 ルスクォミーズが落ち着くのを待つ間、ザリスは慎重に言葉を選んだ。


「……南の海岸に、今二人の悪魔がいる」

「ああ? タバクシャラスは知ってるが」

「主の方を呼んだのだ。あそこには今、冥府の門が開いている」


 さしものルスクォミーズも顔をひきつらせた。


「四方の王が降臨だと? そいつぁ大事だな」

「そこで、お前にそれの迎撃を頼みたい。ああ、私と共にだ」

「ははあ! なるほどね。十分な準備を済ませて侵攻してくるハルハハールを、ぶっつけ本番で正面から止めようって? 無鉄砲でいいじゃねえか。てめえの陰湿さも味方にするならまあ頼もしいもんだ。面白いね。で?」


 けらけらと笑うルスクォミーズに対し、ザリスはぴくりとも笑わない。


「戦利品のうちメセルスはこちらでいただく」

「まぁあたしにゃ無用の長物だな。……終わりか? なら二つ聞かせろ」


 すっと笑みを消したルスクォミーズは、表情の読めないザリスの顔を見つめた。


「何故お前が、わざわざハルハハールを討とうとする」

「善意だよ」

「ぬかせ」

「本当だとも。私が目をつけたモノがメセルスを欲していてね。くれてやろうという善意さ。そして無辜の民に被害が出ることを見過ごすのも忍びないという善意」

「そりゃ誰への善意だ?」

「質問の意味が分からんな。私の善意は私のもので、誰かに渡すものじゃあない」


 肩を竦めた赤き魔女に、白き魔女は凄んでみせた。


「建前じゃあなけりゃごまかせると思ったか? 隠し事も話せ」


 ザリスは心外だとばかりに、目を伏せて鼻を鳴らした。


「ではこう答えよう。私は今、王神の名代としてここにいる」


 さしものルスクォミーズも苦い顔をした。


「即ち、魔路が歪められたということだ」

「……続けろ」

「地獄と地上を繋ぐ門を開くのに、奴らはメセルスを媒介とした。白色九祖が九つある魔路の水源の一つだということは知っての通り。そしてハルハハールほどの霊格を持つ悪魔を召喚するには、用いた術者があまりに粗末過ぎた。……結果として、ハルハハールという巨大な霊体が強引に魔路を通り抜けているがために、魔路は押し広げられ、流れは歪んでしまっている」

「まぁ、大体分かった。ハルハハールはむしろついでか……」


 ザリスは重々しく頷いた。


「白色九祖とは世界を尾として残すもの。【時間】の紀源。その路が乱されたとなれば、時間流の乱れが起こる。日輪は逆行し、世は神代へと回帰する」

「神話はゆらぎ、歴史は語り直し……。魔路神群はお冠。まかり間違って『平らな大地の時代』まで巻き戻ることがありゃあ滅びた神群が復活することまでありえて――紀元神群は怒り心頭、そりゃ神々の戦争になるな」


 世界の再構築とさえ言っていい。今ある神話体系が消滅するかもしれない事態だ。それを見過ごす現支配者たちではない。


「私は契りを交わした者として、魔路の神々の代理として、この事態に乗り込んで奴らのチビた計画を叩き壊す責務がある。加えて魔路を歪めるような粗末な召喚術の存在自体も腹立たしい。故に術式は関係者ごと解体し、ハルハハールは奴の神話ごと零落させた上で念入りに殺す。何なら呪祖レストロオセ宛の苦情と共に彼奴の魂を地獄に叩き返してやる」

「気に入った。乗ってやる」

「交渉成立だ」


 お互い頷くと、握手をした。呪術が成立し、契約が二人の霊体を結ぶ。


「脅しをかけられたのは久しぶりだぜ、誇っておけよクソ魔女。いつか殺す」

「では百夜物語を完遂できることを祈っておこう。あと何百年かかるかね」

「は。……最後にもう一つ聞かせろ」


 ルスクォミーズは指を差して問いかけた。


「なんであたしが、あの子をかばうと確信してたんだ? 言っちゃあ何だがあたしが喜々として食い殺すとは思わなかったのか」


 ザリスは暫く目を閉じたまま無言で腕を組んでいた。

 ルスクォミーズも、返答をじっと待っている。

 ようやく復活したハルシャニアは、恨めしげに二人を見ていた。


「……知人に聞いていたんだ」

「はぁ?」


 そう答えた後、ふと何かに気付いたようにザリスは顔を上げた。

 遅れて、ルスクォミーズも。


「……ルスクォミーズよ。私は少し宮殿を見て回りたいのだが」

「ああ、知人、知人ね……なるほど? いいぜ。一人連れてけ。おい」

「は」


 主の呼びかけに答えて、モロレクが一人入ってくる。ザリスはやにわに立ち上がると、ローブのフードを深めに被り直し、急いで部屋を出ていった。


 扉が閉まる。

 その扉が、すぐさま開け放たれた。


「お久しぶりなのです32」


 ――扉の先は、何か別の異界に繋がっていた。

 深い闇の奥で何かがうごめくその場所から、少女が一人、ひょこっと顔を出した。


「お元気そうですね、ルスクォミーズ28」


 顔立ちや緑のショートヘアも含めて、中性的というより少年に近い容貌だ。

 黒い礼服は高貴な立場を思わせる。赤い瞳は友好的な色を示していた。

 もっともそのマントの裏は扉と同じおぞましい闇で出来ていて、少女が口を閉じるたびに、その奥から少女の声に似た金切り声で数字が読み上げられていた。


「えぇ。お久しぶり、ワレリィ」


 ルスクォミーズは淑やかさを取り繕って言った。


 キュトスの魔女が十四女、扉の魔女ワレリィ。

 別名ヴァレリアンヌ。職業、【魔王】。


「魔界の方はいいの?」

「あんなとこほっといてもなんとかなるのですよ34」


 ワレリィは小世界マルムンドスを統べる魔王である。

 十八の大いなる魔王の一柱に数えられるが、その理由は戦力ではない。

 【扉】と呼ばれるもの――【転移門ハイパーリンク】を司る魔女だからだ。


「まぁ、何かあったらすぐ帰ってなんとかしますです22」


 彼女はこんこんと扉を叩いてそう言った。


 魔王ワレリィはこの世で最も優れた【扉職人】である。

 離れた二点間を繋ぐ【転移門】は、望んだ場所に繋ぐことは難しく、長時間維持することも難しい。職人の実力次第だが、名工が惜しみなく時間を書けて作ったものですら、百年残ることは稀だ。

 また自然にできた空間のほころびに手を加えて作るものであるため、作る場所も自由に選べるわけではない。そのため【転移門】を多く保有する土地は昔から交通の要衝となるし、重要な門の崩壊に合わせて都市が寂れることもある。

 国家のパワーバランスを左右する要素でありながら、安定性に乏しいもの。


 だがワレリィは違う。

 設置場所も接続先も自由に、しかも恒久的な【扉】を、容易く作れてしまう。

 それどころか、他者の【扉】に鍵をかけたり消してしまうことさえできた。

 即ち彼女にとって、あらゆる距離は無に等しい。


 紀神ラヴァエヤナの治める【神々の図書館】を襲撃する。

 攫われた姉妹の下へ【扉】を開き、怒れる魔女を送り込む。

 【転移門】を閉じて交易拠点を機能不全に陥れる。


 そんなことを実現してしまうがゆえの、扉の魔王ザ・ゲートルーラー

 彼女を敵に回すということは、世界から孤立することに等しいのだ。


「お姉様の言付けでハルシャニアの回収に来たんですが34」


 もっとも、そんな魔王も姉妹の間では便利な「足」として扱われている。

 ワレリィも人の良い魔女で、頼まれると嫌とは言えない類である。姉妹の頼みを聞いてそこら中を駆け回っていることが多い。例えばそれは、裏切り者への届け物の運搬や連絡係などだ。


「そこにいるわ」

「えっ、あ、ハルシャニア68! どうしたのです苦しそうにして72!」

「……私じゃないわよ?」


 向けられる視線に、ルスクォミーズは先手を打ってそう答えた。


「あなたのとこの食客、今ここにいるんだけど」

「ザリスが56? あのひとウチの仕事ほっぽらかして何してるんです、いっぺん立場というものを分からせるべきですか44」

「司書なんですっけ? まぁいいけど……」


 やはり知人というのはワレリィのことだったのだろう。訪問からの僅かな時間でザリスという魔女が知識欲の塊であることは知っていた。キュトスの魔女の内情を好奇心で探っている姿は容易に想像できた。

 ルスクォミーズは一人納得し、事実を述べた。


「やったのあいつよ。あとあなたの気配を察知して逃げたわ」

「あいつぜってー後でシメるです49!!」


 などと言いつつ、ワレリィはマントを開き、裏から数羽の鴉を呼び出した。

 ぐったりとのびたハルシャニアの体を掴み上げ、鴉たちは必死に羽ばたいてくせ毛の少女を宙に浮かべた。ワレリィは姉妹愛が強いことと、使い魔使いがかなり荒いことで有名だった。

 おいたわしやハルシャニア、こんなに衰弱して、と目元を拭うワレリィ。それを見ていたルスクォミーズは、ふと思いついたように言った。


「なぁ、ワレリィ」

「なんです、ボクは今機嫌が悪いですよ87」

「取引しねえか?」


 緑髪の魔女は振り返った。


「……言い方は悪くなりますが、あなたに取引を持ちかけられて席に着く姉妹は、クレアノーズお姉様かフィラルディアの右半身くらいのものですよ31。ボクも姉妹の頼みであなたに届け物をするだけで……それ以上はゴメンなのです24」

「話を聞くなら、今ここにあの魔女連れてくるが」

「聞かせなさいルスクォミーズ94!」


 宮殿の正反対に逃げたザリスの背を、悪寒が駆け巡った。


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