アイスクリームと小さな芽生え
気分を変えるべく、窓辺に向かう。換気の為に開けられた窓からはかすかに金木犀の香りがした。
今日は天気が良い。
昨日までの雨が嘘のように晴れ渡り空気が澄んでいる。
澄んだ空気に乗って届いた甘い香りに外を眺めたくなってきた。
秋の日差しは小麦を思わす暖かな色見をしている。街路樹の銀杏が舞い落ちた道は黄金色に変わっていた。
眺める黄色の中に黒豆のような小さな黒が横切った。
何となしに目で追っただけだったのだが、よくよく見てみると見知った顔だったのだ。
針千本だ!
顔を見た瞬間に思った。
昨日の約束を破ったのを怒っているのだろうか。
すぐに部屋を出て階段を下りる。柵を開けて和室の方から顔を出した。
門扉の外から覗いていた彼はすぐにわたしに気付き、声をかけてくれる。
「よう」
「こんにちは」
おもわず声が小さくなった。
正直言うと今日約束を断ったのには柏葉兄弟に会うのが辛いというのも有ったのだ。
昨日の婦人の事は私の中で黒い塊として残っている。
人が死ぬ瞬間というのはああいうものなのだろうか。
何かがなくなるのははいつだって突然だ。
婦人のあの姿は夏の消失感に重なってしまう。
人も物もなくなるのはもう見たくなかった。
「思ったより元気そうだな」
深月くんは安心したように言ってわたしに近づいてくる。
「ごめんなさい」
謝る私に彼は首を傾げていた。
「何で謝るんだよ?」
「だって約束したのに」
ああと納得したのか、頷くとにかっと笑いかけてくれた。
「具合悪いなら仕方ないだろ」
そういうと手に持った紙袋をこちらに差し出す。何かと思って中身を覗くと本が数冊入っていた。
「お見舞い。今度遊ぶ時に返してくれれば良いから」
ドスッ。彼の優しい言葉に見えない槍が突き刺さる。
優しい心使いに胸が痛んだ。確かに具合が悪いのは事実だ。
只私の場合は身体ではなく心の具合。何となくズル休みした時のような居心地の悪さがあった。
まだ落ち込むわたしに彼はいたずらっぽく笑い、ポスポスと頭を撫でると踵を返した。
何か言わなくては、はやる気持ちとは裏腹に上手く言葉が出てこない。
早く早くと急きたてるの私の声に思わず手が伸びていた。
彼の腕を掴み固まる。
お礼を言いたかったんだ。腕を掴みたかったわけじゃない。
でも、このタイミングを逃したら、私はきっとお礼が言えない。
「あ、あの」
声が裏返る。
良い大人がお礼もまともに言えないとは。自分がなさけなくなった。
焦るわたしに相手はわざわざ戻って来てくれる。
ああ逆に迷惑だったかも。
「ありがとう」
やっとの思いでしぼり出した声は小さくて、相手に聞こえたか心配になった。
わたし、自分はもう少しまともな人間だと思ってました。
昨日までは。
「おまえさ、人と話すの苦手か?」
彼の問いに苦笑いが浮かぶ。頷きながら、心の中で失敗を悔やんだ。
私何やってんだよ。
「俺はお前と話すの楽しいぞ」
思わぬ答えに口が開くのを感じる。今のわたしは確実に間抜け顔だろう。
わたしの顔に、はははと笑って深月くんが縁側に座った。
掴んだままの手がわたしを引っ張って縁側に座らせた。
「俺もさ、すげえ仲良い友達とか居ねえの。だから、お前と遊べて楽しいんだよ。」
だからと言う彼の笑顔は日向に咲く花みたいに綺麗に綻んでいる。
「お前にもさ、俺のこと好きになってほしいんだ」
ほんわりほほえむ少年に今までのネガティブが吹っ飛んだ。
この場合ラブではなくライクだろう。
只こんなにむき出しの好意を向けられたのはいつぶりだろうか。
あまりの事に目がちかちかする。最近の子供凄いな。
目を白黒させるわたしに深月くんはさくらさんに黙って出てきたからと急いで立ち上がった。
「元気になったら、本の感想聞かせろよな」
さっそうと走りだす彼を目で送り、一人縁側に残った私は呆けたままだ。
あれは将来女泣かせになるだろう。絶対に。
恋愛経験零市民は新たな親友候補に喜びと戦きに震えた。
気を紛らわすべく紙袋の中身をみる。中には三冊の絵本が入っていた。
妖精や小人の出てくる可愛らしい絵本だ。女の子の好みそうなセレクト。
さすがだ。私の友人の中でおそらく一番もてるであろう彼のテクニックに舌を巻く。
もし婚活とかする機会があったら、参考にしよう。
ふむふむと頷きながら、絵本の一冊に手をかけた。
ひらりと紙が舞い、拾い上げた裏面には電話番号が書いてあった。
しばしの沈黙のすえ、私は確信した。私の恋愛経験値はきっと彼に負けていると。
五歳児に負けた私はメモをポッケにしまう。
妖精の世界は美しく、正に花盛りが描いてあった。
花の寿命は短い。私の頭のメモ帳に帰宅できたらやることの項目が有る。
その項目にそっと書き足した。就活と書かれた欄の下にはひっそりと婚活という文字が書き足されたのだった。
人付き合い頑張ろう。
そう思った瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます