シュルズベリーを探せ!
@forget-me-not
第1話「祖父は異世界の英雄」
「じいちゃん? 来たぞー」
大学の試験を終え、遂に訪れた大学生としての夏休み。
俺は新たに大学で出来た友人たちと夏休みの予定を話し合おうとしていたのだが、携帯に入った祖父からのメールでその予定を変えていた。
試験を終えた俺の元に届いたメールの内容はこうだった。
『祖父危篤スグカエレ』
ああこれは間違いなく何事もないな。
そう確信した俺は、「誰から?」と聞いてきた友人に「ただの迷惑メールだった」と笑ったのだが、ポケットに仕舞おうとした携帯が再び震えたのを感じて、仕方なく新しく届いたメールを開いた。
『お前今日から夏休みだっただろう。小遣いやるからちょっと来い。頼みがある』
頼みがある、とは珍しい。
いや、祖父が俺に頼みごとをすること自体は大して珍しいことではない。体調を崩して病院に入院してからというもの、どうせ暇だろうと祖父は、あれ持ってこい、これ買って来いと、いつも俺にメール送ってきている。
実際俺はアルバイトもしていなければ、空いた時間を全て勉強に費やす勤勉な学生でもなかったので、暇を持て余しては入院生活で退屈らしい祖父の相手をしていた。
しかしこんな風に、頼みがある、と改まって頼まれた覚えはあまりない。小遣いを餌にしてまで呼び出すのだから、何か余程の頼みがあるのだろう。
夏休みの細かい話はまた決まったら連絡する、ということで友人たちと別れ、俺はその足で祖父の入院する病院を訪れたのだった。
「おお。来たか、司」
病室の扉を開くと、ベッドの上で体を起こした祖父が迎えた。
武上和雄、御年78歳。白髪ながらもボリュームのある髪が心強く、俺も父も安心している。
DVDを観ていたらしく、テレビには一時停止された海外ドラマが映し出されていた。詳しい内容は知らないが、ファンタジーらしい。海外の広大な自然の中で実写ロケを行ったという迫力ある映像が評判で、それをどこからか聞きつけた祖父にレンタルDVDショップへ走らされた覚えがある。
祖父は昔から、何故かファンタジーものが好きだった。
小説でも映画でもファンタジーと聞けば飛び付く。昔祖父に「おい、司。『メルケイエムの宝竜姫』ってアニメ借りて来い」と、ライトノベル原作で萌え要素満載のアニメの名前を出された時は思わず司も噴き出した。
しかし、何やらファンタジーには一家言あるらしく、評価は厳しめである。ちなみにその時のアニメは意外と好評価だった。なんでも、筋の通った魔法論理や、政治のやりとりにリアリティがあって良かったのだとか。
「で、何か用?」
40過ぎで脱サラして以来ロクに働いていないと自慢げに話していた御年78歳の祖父だったが、何故か金には困っていないらしく、病室は個室だ。他人に気兼ねする必要もないので、勝手に椅子を出して来て腰を下ろし、祖父に尋ねた。
「何か用か、たぁ何じゃい。用が無かったら呼んだらいかんのか。冷たい孫じゃのお……」
「いや、別にそういうわけじゃないけど、何か改まってメールしてくるから余程重要な用があるのかと思って。無いならさっさと小遣いくれ」
「か! 小遣い目当てか! ぺぺっ、お前にやる金なんぞ一銭もないわい!」
祖父がそう言うので、俺は立ち上がる。
「じゃ、またなじいちゃん。ドラマ観るのは良いけど、あんまり夜更かしするなよ」
「待て冗談じゃ。ほれ小遣いもここに用意してある」
慌てた祖父は病室から出ようとドアノブに手をかけた俺を止め、懐から取り出した巾着袋を示す。
それを見たからというわけでは決してないのだが、俺はドアノブから手を離し、再び椅子に座った。
「で? 本当は何の用があったんだ?」
「はぁ待てや。ちいと真面目な話じゃ。シルヴィも帰ってくるけぇ」
「おばあちゃん来てるの?」
武上シルヴィア――俺にとっての祖母である。しかし俺と血は繋がっていない。いわゆる義理の祖母だった。
本当の祖母は、父を生んでから暫くして亡くなってしまったそうだ。だから本当の祖母の顔を見たことはない。今の祖母は旅行が趣味だったという祖父が、俺が6歳くらいのときに海外で捕まえてきた、名前の通りの外国人だ。
母方の祖父母は早くに亡くなっており、祖母というものを知らなかった司にとって、祖母が出来るということは嬉しいことだった。
最初こそ言葉の問題もあったが、祖母も優しい人だったので、すぐに家族同然の関係に慣れたと思う。
――しかし司は、祖母のことを「おばあちゃん」と呼ぶのが苦手だった。
ドアをノックする音が祖父の部屋に響く。
「入ります」
そう一声かけてからドアを開いたその人こそ、祖母だった。
初めに目につくのは、艶ある綺麗な金髪だろう。肩から前に流した長いそれは、やはり日本にあっては目を引く。
背は、外国人としてはそれほど高くない。司の身長より少し小さいぐらなので、160センチ台というところか。ポケット六法ほどのサイズを持った黒い革の本を胸に抱えている。そのせいか、ただでさえ豊かな胸が自己主張をしていた。
そしてその顔には、祖父のような皺などは全く刻まれておらず、老いを感じさせない。それどころか、どこかの王族のように気品溢れる美貌である。
要するに、俺が祖母をおばあちゃんと呼ぶのが苦手なのは、外国人であるということを置いても、明らかに祖母に見えないからなのだった。
ちなみにそれも当然で、祖母の年齢は56歳。母とそう変わらない年齢である。しかも、見た目に至っては最早30台でも通用しかねない。うちの母は世の不平等を嘆いていた。
少なくとも、こんな病院のベッドで寝転がって、そろそろくたばろうかという老人の妻には断じて見えない。祖父は一体全体どうやって祖母を捕まえたのか、という疑問は今まで何度となく抱いたが、祖父は「秘密じゃ」と言って教えてくれることはなかった。
「あら司ちゃん、もう来てたの。ごめんね、今美味しいケーキを出してあげるから」
「ありがとう、おばあちゃん」
見た目に若く、そして明らかに血の繋がっていない女性をおばあちゃんと呼ぶ奇妙さにはどうも慣れない。
しかし、どうも祖母は「おばあちゃん」と呼ばれるのが嬉しいらしく、そう呼ばれないと悲しむ。孫としては愛する祖母にそんな顔をさせたくないので、いつものようにそう返すのだった。
祖母は抱えていた黒い本のを「和雄さん、お持ちしました」と祖父に手渡すと、備え付けてある冷蔵庫に向かい、何やら大きな箱を取り出していた。ケーキってまさかワンホールなのだろうか。
視線を祖母の方に向けていた俺だったが、黒い本を膝の上に置いた祖父がこちらに向き直ったのを感じて、祖父に視線を戻した。
「ほいじゃあ、真面目な話じゃ」
「はい」
祖父の顔は真剣だった。幼い頃はよく、この真剣な顔をした祖父に怒鳴られた覚えがあるが、成長してからはとんと見たことがない。
よほど真面目な話なのだろうと、俺も居住まいを正した。
「医者がシルヴィに言うたらしいんじゃがの、わしの余命は半年らしい」
は? という言葉さえ漏れなかった。息が止まっていた。
驚きも、真偽を問う言葉も口にできず、俺の口から漏れ出たのは音になり損ねた空気だけだった。
沈黙した俺に祖母が皿に乗せたケーキを差し出したが、俺はただ受け取るだけで、視線すら動かさなかった。
けれども、少しだけ落ち着くことが出来た。
「……本当なのか?」
「冗談は大好きじゃけどな、今回に限っちゃ冗談じゃあない」
祖父は真っ直ぐに俺に視線を向けて、そう言った。
再び沈黙した俺に、祖母が声をかける。
「本当なのよ。司ちゃんには伝えてなかったけど、入院した理由も、本当は家で倒れたからなの」
淡々とそう伝える祖母の顔も、どこか暗いように見えた。
「そうなんだ……」
それしか言えなかった。
長く入院しているし、正直なところ、ある程度察している部分もあった。
けれども、まさかそこまで目前に迫っているとまでは思っていなかったのだ。
「じゃがまあ、それは本題じゃない」
暗くなった雰囲気の中、祖父はそう言った。
思わず「え?」と零した俺を無視して、祖父は続ける。
「実はの、わしには娘がいる」
「……は?」
祖父の子供は、父1人のはずである。というか、祖父から少なくともそう聞いている。
父からも、姉妹がいるなんて話は聞いた覚えが無い。
「シルヴィとの娘じゃ。最後に会ったのは13年ほど前になる」
それを聞いて、俺は思わず祖母の方を見た。
祖母は自分のために切り出したのであろう、フルーツとクリームがふんだんに使われたケーキを食していた。
俺の視線に気づくと、少し恥ずかしそうにしながら「これも本当」と頷いた。
「あの時は21歳だったから……今は34歳かしらね。孫もいるのよ」
「……え? でも、あれ? 34って、そんな昔から……てか前はいないって言ってなかったっけ……?」
「そうね。なんて説明したらいいかしら……」
冗談の類でないことは理解したが、何というか――どう反応すればいいのか良く解らない。戸惑いが大きかった。
「気持ちは解らんでもないが、今は話を続けるけぇの」
「あ、うん。解った」
とりあえず落ち着こうと、受け取ったケーキをフォークで削り出して口に運ぶ。
あ、美味しい。
「シルヴィの言う通り、別れる前には4歳ぐらいの孫もおった。今は……17か」
そう言うと、祖父は深い、それは深い溜息をついた。
「本当に、もう長いこと会っとらん。会えんようになってしもうたんじゃ……」
「……それは、どうして?」
単に海外にいるから、というわけではないのは解る。それなら祖父は、お金をいくら使ってでも、何度でも会いに行っていただろう。もっと単純に呼び寄せてもいい。もし自分がそういう境遇になったなら、祖父はそうするだろうと思えるくらいには愛されている自覚が俺にはあったし、祖父はその叔母さんにもその位の愛を抱いているよう見えた。けれども、ではどんな事情があるのかが解らない。
「シルヴィはの、異世界の人間なんじゃ。娘らは異世界におる」
「――――――は!?」
それは、これから何度となく訪れる、人生で一番驚いたと思う瞬間だった。
それから語られた祖父の話は、およそ信じられないものだった。
いわゆる魔法――それがこの世界にも、ほんの僅かに存在する。
大昔の話になる。祖父の先祖は魔法を扱うことのできる人々だったらしい。
しかし代を重ねるにつれ、魔法を扱うことが出来るだけの魔力を持った子供が少なくなり、次第にそれは過去のものとなっていく。
いつしか魔法を扱える者はいなくなったが、先祖の魔法の知識を全て詰め込んだ魔導書だけは、一族に代々受け継がれてきたという。
そしてある日、父が生まれたことを機に先祖を振り返ってみたくなった祖父が魔導書を発見し、気まぐれに魔導書に書かれている魔法を試してみたところ、使えたのだそうだ。
自分には魔力がある――魔法が使えるということを知った祖父は、それからというもの、古い言葉で書かれた魔導書の解読にのめり込んだ。
解読が進み、祖父は1つの魔法を見つけたのだ。
それが異世界に転移する魔法だった。
その頃には父が中学生になっていたこともあり、親戚に父を預けた祖父は、海外旅行と称して異世界に旅立ったのだった。
「え? てことは父さんが言ってた、じいちゃんの海外旅行って……全部異世界に行ってたってこと?」
「まあ、そうじゃ。貞和は知らんけどの。ほいで、ここからが本番になる」
異世界に来た祖父は、それはもうはしゃいだそうだ。
何しろあちらの世界には、魔物という存在がいた。人間とは少し違った種族もいた。精霊がいる。空に浮いた島がある。水中に築かれた都市がある。
そのような世界で祖父は冒険者となり、世界を見て回った。
そして、ある時のことだ。祖父が拠点としていた国で戦争が起きた。
その戦争について、祖父は詳しく語らなかった。
けれど、人間同士の戦争だ。語りたがらないその理由はなんとなく解る。
そこで英雄として祭り上げられるほどに活躍した祖父は、国に爵位を与えられたのだという。
そんな祖父には、色々な人物が近付いた。
英雄となるほどの強大な武力を求める者、権力を求める者、金を求める者。
「そして、愛を求める者――」
そう言ったのは祖母だった。自分で言って少し恥ずかしかったのか、祖母は顔を赤らめた。
「若かったのね」と笑う祖母は、祖父が冒険者として活躍していたころから一緒に旅をしていたらしい。
戦争の中、英雄として祭り上げられていく祖父にずっと寄り添っていた彼女の想いは語るまでもない。
そして、すぐに子供が生まれる。
「それが、わしとシルヴィの娘。萌生――メアリだ」
それからというもの、祖父は海外旅行のフリをして異世界とこちらを往復する生活を送っていたという。
だがある日のことだ。異世界へ転移する魔法を使うことに失敗した。
「何が起こったか解らんかった。もうシルヴィたちに一生会えないのかと、人生で一番怖かったわ……」
魔法の失敗は、少なからず体に悪影響を及ぼし、それから数日は、今のように入院することになったそうだ。
祖父は原因を調べた。そして解った。
「転移魔法は、強大な魔法じゃ。魔力もえらい消費するし、体にも負担がかかる。じゃけぇ健全な肉体を持っとらにゃあ、転移魔法には耐えられんかった」
その時、祖父は63歳だったらしい。確かに、もうかなり体力は衰えているころだろう。
「幸いの、まだ誤魔化しが効いた。体の負担を減らすために魔法を重ねてつこうて、転移することが出来た。ほいじゃがまあ、それも時間の問題じゃった」
それはさながら、薬の副作用を誤魔化すために薬を飲むようなものだったらしい。その副作用自体は抑えられても、負担は体にのしかかる
だから、選んだ。どちらの世界に残るべきかを。
「それで、こっちに帰って来たと」
「そうじゃな。まあ、シルヴィがついてきてくれる言うてくれたこともあって、こっちに帰ることにした」
長く語ったせいか、祖父は疲れているようだった。はぁ、と軽い溜息をつく。
「まあ、これがわしの言わんかった本当のことじゃ。信じられんじゃろ?」
「……うん、まあ……」
司が信じているとは思っていない、という調子で祖父はそう言った。
まあ、実際信じられない事だらけだった。嘘だと思うわけではないが、やはり信じられないという思いが先に立つ。
「じゃから見せてる」
「え?」
にやりと笑った祖父は膝の上に載せていた黒い革の本を手に取り、それを閉じているベルトを解いた。
「【百一頁】」
微かな輝きを帯びた本が開いた。祖父がページをめくることもなく、ひとりでに。
祖父が、空いている右手を掲げる。
「【月光】」
祖父の右手に現れた、周囲を照らすほどに輝く球を見て、司は顎を落とした。
人生で一番驚いたと思った、2回目の瞬間である。
「どうじゃ? 信じられるようになったかのぉ?」
光る球を消した祖父は、どうだと言わんばかりに自慢げな顔をしていた。普段の俺であれば「うざい」と憎まれ口の1つでも叩くところだったが、今日に限っては何の言葉も出て来ない。
馬鹿みたいにぽかんと開けた口もそのままに、俺は固まっていた。
「おーい。わしより先にボケてどうするんじゃお前」
そう言う祖父が、ひらひらと右手を目の前で動かすのを見て、ようやく思考が動き出す。
「……すげ……」
零れ落ちたのは、そんな言葉だった。
単純に凄い。
あまりにも非現実的。
確かに見た目は派手なものではなかったけれども、今のは間違いなく、本当に間違いなく魔法だった。
「すげぇよじいちゃん! え、何? 今どうやったの!? お、俺にも出来る!? 教えて!」
こみ上げてきた興奮を抑えきれず、思わず祖父に詰め寄った。
祖父はそんな俺の頭を手にした本で叩き、それは嬉しそうに笑う。
「教えちゃるよ。みーんな教えちゃる。じゃけえ、その代わりに頼みを聞けや」
「何!? 魔法教えてくれるなら大概の事はやるよ!」
「ほうかほうか。じゃあ、司や――」
――お前、異世界に行って娘たちを連れて来てくれや。
死ぬ前にもう一度、異世界に残してきた家族と会いたい。
それが祖父の願いだった。
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