第3話 全額投資のプロフィット
一か月で俺は、運投資の素晴らしさについて身をもって知ることとなった。バイトの休日を利用してパチンコ店に通うこと計五回。
全戦全勝だった。
運投資総額40万フォルト。
回収金額39万2千円。
多少のブレはあるものの、その全てでほぼ投資額通りの現金を手にすることが出来た。バイトも継続していたおかげで生活にはかなりの余裕が出てきた。
俺の運残高は8万9千フォルト。
これはいざとなったときのために取っておくとして、来月はバイトも減らしてどこか旅行にでも行こうかと、俺はネットで旅行会社のサイトをネットサーフィンしていた。ベッドに寝転がってのんびりサイトを眺めていたとき、見知らぬ番号から電話がかかってきた。
「はい。もしもし」
普段なら見知らぬ番号からの電話は警戒して出ない俺だが、金の余裕は心の余裕を生む。上機嫌で出た電話の相手からは焦った様子で捲し立てるように話しかけてきた。
「もしもし!相沢拓斗さんですよね!?共栄病院の者ですけど!お母様が……」
母親が倒れて病院に運ばれた。その知らせを聞いた俺は、電話口の相手に煽られるように身支度を整えてアパートを飛び出した。何が何だかわからないままに電車を乗り継いで母が運ばれた病院へ向かった。
とはいえ、内心ではそこまで大事とはこれっぽっちも思っていなかった。祖父母も亡くなっており、父も行方不明。加えて自身も家を飛び出した身だ。
ずっと疎遠だった母だが、便りがないのは良い知らせということで、一人で気楽にやっているものだと勝手に思っていた。何より、母自身も今更俺の顔なんか見たくないだろうと思う。ちょっとだけ見舞って、すぐに帰るつもりだった。
アパートから一時間半かけて、病院に到着したのは夕方の七時を少し過ぎた頃だった。既に診察時間も終了し、人の気配も少ない病院の入口を入ると受付カウンターの前で一人の看護師らしい女性がウロウロしながら待っていた。向こうが先に俺の存在に気づいて駆け寄ってくる。
「相沢さん?」
「あ、はい……」
「よかったぁ……。早くこちらへ」
足早に歩き出す看護師の後について建物を奥に進む。少し息を切らしながら看護師が早口で話しかけてきた。電話をかけてきたのはどうやらこの女性のようだ。
「連絡ついてよかった。ご家族が息子さんしかいないって言うから、手術承諾書にサインできる人があなたしかいなくって」
「手術って、そんなヤバイんですか」
「そっか……お母様が連絡していなかったのも仕方ないですよね。この一年、入院と退院の繰り返しだったから」
「そうだったんですか……」
便りがないのは良い知らせなんかじゃなかった。途中で長い渡り廊下を渡って、たどり着いたのは手術室の前だった。
「先生呼んできますから。そこで待っててください」
看護師は廊下の端に置かれたソファを指さすと、足早に去って行った。俺は脱力してソファに体を沈める。
母さん……。
正直、実家を飛び出して二年間、母親のことなんて全く気にしてこなかった。
月に一回でも、電話くらいするべきだっただろうか。俺の中にいる母親の姿は二年前で時が止まっている。
「相沢さん」
白衣を纏った男性の医師が駆け寄ってきた。俺はソファから立ち上がって軽く会釈する。
「申し訳ありませんが、細かい説明は手術と並行して行います。状況から言いますと、心臓の近くに腫瘍がありまして、いつ破裂してもおかしくない状態です。すぐにでも手術が必要ですので、承諾書にサインをお願いします」
医師はそう言いながら承諾書とペンを差し出してきた。嘘だろ。そんなにマズイ状況だったなんて。
「あ、あの……今手術すれば、大丈夫なんですよね」
俺が恐る恐る聞くと、医師は気難しい顔で答えた。
「正直申し上げて、腫瘍がかなり複雑な位置にありまして……。最善は尽くしますが……」
「嘘でしょ!お願いしますよ!ねえ!」
俺は殴るように承諾書にサインをして書類を突き返した。医師と看護師はそれを受け取ると走って手術室に姿を消した。
俺は再びソファに体を落として、壁にもたれかかった。
俺が家を飛び出した日。最後まで母親とはケンカをしたままだった。
女手一つで俺を育ててきた母は、仕事で家にいることが少なく、学校行事も顔を出すことはなかった。
心のどこかで、仕方がないとは思っていたけれど、母親が俺のことを全然気にかけていないんじゃないかと思うようになって、母に反抗的な態度を取ることが多くなっていった。
俺が家を出たあのときも、母は俺のことを心配してくれていたのに。
――拓斗。本当に大丈夫なの?――
――大丈夫だっつってんだろ。高校時代にバイトで貯めた金もあるんだから。余計な心配すんなよ――
――何か困ったらすぐ電話するのよ。あ、そうだ!お米持っていきなさい。ね!――
――うるせえなぁ。大丈夫だっつてんだろうが!このクソババア!――
これが母親との最後の会話だった。本当はクソババアなんてこれっぽっちも思ってなかったのに。一人でもやっていけるってところを母に見せたかっただけなのに。
謝りたい。
もう一度母の顔を見たい。
体が震えた。
涙が止まらなかった。
どうすればいい。
どうすれば。
そうだ……運資産……。
俺はバッグをひっくり返す勢いでスマホを取り出してアプリを起動した。
病気。手術。腫瘍。心臓。思いつくままにキーワードを入れて検索する。該当の項目はすぐに見つかった。だが。
「50万……フォルト」
愕然とした。手術の成功率を上げる取引は、最低投資額が50万フォルトに設定されていた。
「勘弁してくれよ……」
100万フォルトだったら諦めもついたかもしれない。よりによって50万だ。俺がくだらないスマホゲームやギャンブルに運を費やしていなければ母を救えたかもしれないっていうのか。悔やんでも悔やみきれなかった。
――運資産のご利用は計画的に――
本当だよ……。チクショウ。
前かがみになって頭を抱える俺の肩を、誰かが叩いた。鼻をすすって顔をあげると、先ほどの看護師が傍らに立っていた。看護師は手にした封筒を俺に差し出した。
「これ。お母様からです」
それは母からの手紙だった。
拓斗へ。と書かれたシンプルな白い封筒。
俺は何かにすがるような気持ちで中を開けた。
中には二枚の便箋が入っていた。二年ぶりに見る母の筆跡。
――拓斗へ。全然連絡をしてあげれなくてごめんなさい。ちょっと体調を崩してしまって。もしかしたらこのままお別れになってしまうかもしれません。拓ちゃんも全然連絡よこさないけれど、便りがないのは良い知らせよね。きっとあなたのことだから、一人でも立派にやっていけることでしょうね……――
泣きながら読んだ。その後に書かれていることがあまりにもリアル過ぎて、読んでいられなかった。葬式はどこの会社に頼むのか。遺産相続は誰に相談すればいいか。私物はどう処分すればいいのか。
とても、読んでいられなかった。
だが、便箋の最後を読んだ俺は、一筋の光を掴んだような感覚に襲われた。
――母さんがあなたのために貯めておいた運は、全てあなたの口座に振り込まれるよう手続きをしてあります。拓ちゃんなら、きっと良いことに使ってくれると信じています――
俺は手紙をそっと横に置くと、恐る恐る運投資アプリを再起動した。
トップ画面のお知らせに一件の新着がある。
『相沢良子様から、運資産のお振込みを受け付けました。相沢拓斗様の現在の投資可能残高は』
「1,000万……」
俺は祈るような気持ちで、もう一度先ほどと同じキーワードを検索した。
細かい条件は自分で打ち込んでいく。
焦るな。落ち着け。一文字も間違えてはいけない。
『母親の手術を無事に終了させる』
投資額は。
「全額だ……」
構うものか。
1千飛んで8万9千フォルト。
全額まとめて投資する。
迷いはなかった。
俺は最後の願いを込めて、投資ボタンをタップした。
手術室から医師が姿を現したのはそれから二時間後のことだった。
思っていたより早い退室に、俺は不安な気持ちでソファから立ち上がった。
「か、母さんは!?」
医師はゆっくりとマスクを外す。マスクの下のその顔は、穏やかな笑顔だった。
「奇跡ですよ。相沢さん」
清々しいほどの笑顔で医師はそう言った。手術室から続々と出てくる他の医師や看護師たちも、一様に笑顔だった。
「あの……手術は」
「いやぁ、びっくりですよ。僕らの見間違いってことはないと思うんですけどねぇ。お腹を開いたら、腫瘍がどこにも見当たらなくてですね……。術前検査じゃはっきり映ってたんですけどねぇ。ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」
「え……じゃ、じゃあ」
「もう、心配ありませんよ。二週間ほど経過を見ますが。すぐに退院できると思います」
俺は膝から崩れ落ちるようにして、安堵の涙を流した。
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